それでも私は肉を食う


いつも疑問に思う物がいくつかある。

なぜテストがあるのだ、とか、科学者にでもならない限りめったに使わないであろう数学の方程式など習うのだろうか、などである。ちなみに科学者に言わせれば高校の数学などお遊びだそうだが。どうやったらそんなせりふが吐けるのだろうか。

そんな事ばかり述べていると、親(または教師)から学校を辞めろといわれかねないので今回はこのくらいにしておく。(毎回学校に対する文句ばっかり言っているような気がするが)

さて本題

やはり疑問に思う事である。広告などでよく見られる技法である。どんな技法かチョット考えてもらいたい。必ず疑問に思った事があるはずだ。思い浮かばないというのならば手元にあるスーパーのなどのちらしを見てもらいたい。特に食品売り場のところである。

気付いてもらえただろうか。動物の擬人化である。

私の手元にある広告では牛がステーキを食べているのだ。共食いである。しかも満点の笑顔で。そのほかのにも豚が「おいしいよ」などとほざいていたり魚が刺身のそばではねているの。自分の仲間が食べられてうれしいのか。

そんな事に目くじらを立てるなよなどと言われることは重々承知の上である。それでも(人一倍ひねくれている)私は思うのだ。いいのか、これで。と。この回に出て来たような動物愛護団体はそんな事よりも、こっちのほうを先に訴えるべきである。

食べられる動物も、絶対にそんな気持ちなんかにはならないと思う。もし動物が本音を言えれば、こう言うに違いない。

「私は生まれたときから狭い牧場でまずいえさを強制的に食わせられてなんにも悪い事をしていないのに殺されてしまうなんて・・   

「昨日までは海で自由に泳いでいたのに今日はこんなに狭いいけすに入れられて・・・。仲間は生きたまま解剖されて…。」               

「毎日子供を産んでいるのに、人間どもに一つ残らずぶん取られてしまって…。」                                        

「毎日身を粉にして働いても男にすべて取られてしまう…。」←なんだ、それ

そんな気持ちを一切無視して動物に無理矢理共食いさせるのはひどくないか。すみません、と謝るしかあるまい。それでも肉を食うのはやめないのだが。人間とはほんとに身勝手な動物である。

とにかく一度動物に本音を語らせる広告は出ないのだろうかと毎日それだけを楽しみにして広告を眺めている。

そういえば故不二子.F.不二雄氏の異色短編集に牛が人間を食べる世界に主人公が紛れ込んだと言う話があった。ほかの星に言ったのだったかも知れぬが。誰か心当たりのある方は連絡下さい。その中の一こまがどうしても忘れられない。主人公が食べられる生け贄を助けようとするのだがその生け贄は、笑顔で「私、おいしそうでしょ」と言うのだ(ったと思う)。(そのシーンしか見てないのだが、実は)

そのシーンを見てなぜか私は寒気がしたのを覚えている。

今から思うと、人間が他の(特に普段私達が食べている)動物の食材になると言う事に対して恐怖を覚えたのだろう。それでも「おいしそうでしょ」などと思わないぞ、普通。などと思ったのも事実である。

少なくとも私は牛なんかに食べられたくない。いや、人間にでもあろうと食べられたくないのだが。

ここまで書いていて後ろで物音がした。

だ、だれだおまえは。私は脂だけでおいしくないぞ。脂肪だけだぞ。焼いたら食うと・・・・・・・・・。


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