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「足のシビレと信仰生活」 佐藤岩雄牧師
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「言っておくが、このように悔い改める一人の罪人については、 悔い改める必要のない九九人についてよりも大きな喜びが天にある。」 いつも、罪の赦しにおいて宣言される聖句です。 この年のクリスマスは、この言葉がいつにもまして大きく心の中に 響きわたるのを感じました。 長い教会生活の後に神さまの招きを入院生活において受け止められ、 洗礼への一歩を歩み出したIさん。 幼いときからご両親の信仰と祈りの中で育てられて、 姉妹教会の友との出会いによって信仰告白へと導かれたNくん。 不思議な出会いによってさがみ野教会へと導かれ、若い心で神さまの促しを 素直に受け止め洗礼を受けられたTさん。 それぞれに神さまの備えられた時があったと思わずにはおれません。 教会というのは、本当に不思議なところです。 今回、洗礼を受けられた方々のように、全く違う背景、考え方をもった人が 神さまによって同じところに呼び集められているのです。 私たちは、神さまによって同じ教会へと招かれて信仰生活を送っています。 教会がキリストの体と呼ばれるのは、このような実に多様な個性、 資質をもっている人々が互いに組み合わされて 一つの教会をかたちづくっているからです。 話は変わりますが、私は和室で聖書の話をするとき、 いつも困ることがあります。 足がしびれて仕方がないということです。 話をするのにあぐらをかくとみっともないので、 いつもなるべく正座をして話します。 そのまま15分もすると、足の感覚がなくなります。 だんだん表情が引きつって深刻になってきますが、 聞いている方にいよいよ話に熱が入ってきたと思われて、 つい正座をくずす機を逸してしまうときがあります。 そんなときには、話が終わってから、にこやかな表情をして 机の下で必死に、血が通わなくなっている足をマッサージします。 体の中で血が通わないところがあるというのは、 本当に辛い大変なことなのだなあと、 いつも足をマッサージしながら思います。 私は、教会の中で血の通わない部分が出てこないようにと願っています。 もし、血が通っていない部分を見つけたら、 キリストの体の各部分が互いに支えあい、 イエス様の言葉がその人の心の中に流れ込むように、 その方の心をほぐすようにすることが大切ではないしょうか。 わたしたちの信仰は、神さまの招いて下さったこの教会の中で生まれ、 育てられ、組み合わされていくのです。 これからも、神さまの恵みが体の隅々に行き渡るように、 お互いに祈り合い、励ましあうことを大切にして信仰生活を歩みましょう。 |
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〜2001クリスマス受洗〜
証し I・Mさん
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私にとって2001年は、大きなことが二つあって忘れられない年に なりました。 一つは、クリスマス礼拝の良き日に洗礼を受けたことです。 もう一つは、日頃健康な私が胆石の手術で入院したことです。 聖書の勉強がしたくて、さがみ野教会に伺うようになったのは、 もうかれこれ10年ほど前になります。 SさんとNさんが「私のお友達です」と紹介してくださったことを 懐かしく思い出します。 はじめは、友の会の大和集会所で、生島先生を囲んでの勉強会に出ましたが、その後はさがみ野教会で、潮田先生、大井先生、佐藤先生に教えていただき、心から感謝しております。 その間、受洗のお勧めもありましたが、家の宗教のこと、お墓のこと、 主人が長男であることを考えるとなかなか踏み切れませんでした。 それが一昨年、良い方向に解決しまして、見通しが明るくなりました。 そうこうするうちに去年の8月、日頃健康な私が胆石の手術で入院し、 40日ほど病院生活をしました。 手術を受けている間は、もちろん何もわかりませんが、 とにかく真っ暗なところに一人放り込まれた怖さに震えました。 その時、一本のロウソクの光が目に入りました。 真っ暗な中でそこだけがボーッと明るいのです。 私は必死な思いでその光にすがっていました。 そのロウソクの光は今でもありありと脳裏に焼きついています。 手術が終わり気がついた時、あの光は神様だったに違いない、 神様が一緒にいて助けてくださったのだと心から思い、 感謝の思いにひたりました。 退院した日にすぐ家族にその時の様子を話し、 受洗したい旨を話して賛成してもらいました。 病気をしたことで神様の大きな愛に気づき、また家族の絆、愛を改めて感じました。 また先生をはじめ、皆様に祈っていただいたことは、感謝と共に忘れません。ありがとうございました。 病気をしたことによって、今まで見えなかったことが見えてきたり、弱い人のこともわかるようになったりで、たくさんのことを学びました。 ふだんは神様のことを忘れていることの多い私ですが、 いつもみ心をたずねながら謙遜な歩みをしていきたいと願っております。
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〜2001クリスマス受洗〜
証し N・Aくん
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ぼくが、クリスチャンになりたいと思ったわけは、 この夏のパレットキャンプで海老名教会の自分と同じ 4年生がクリスチャンだったから、自分もなりたくなったからです。 自分も対抗したかったからです。 その子と話しているとき、自慢げに「クリスチャンになったんだ」と 言っていました。 その時、クリスチャンになると思って、 その場でガンチャン先生(注:佐藤牧師)に言いました。 洗礼勉強会の宿題で、初めて毎日せいしょを読みました。 むづかしかったです。 これからせいさん式をうけるのが、きんちょうします。 これから、死ぬまで神さまを信じていきます。 |
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〜各会紹介〜
パレットキッズのこと S・Tさん
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昨年8月から毎月第2土曜日に小さい子供たちのためのパレットキッズが 行われています。 子ども約7・8名とその親たちが集い、さんび、聖書のお話、手遊び、 絵本の読み聞かせ、工作など、楽しく過ごしています。 親として私が気に入っているのはお話の時間です。 ほんのわずかな時間ですが、未就学児用にNさんがやさしく、 分かりやすく聖書のお話をして下さいます。 子どもたちは聞いているというよりは、自分の思いを次々に話すので、 お話を続けるのはとても大変そうですが、 見ている方は子どもたち一人一人がイエス様、神さまを どのように理解しているのかがその反応でよく分かります。 先日、ぶどうの絵を見て、娘が 「イエス様は木で、みんなはぶどうなんだよね―。」と言った時、 パレットキッズで絵を書いてお話しして下さったことが、 娘の心に確実に残っているのだなあと思いました。 小さな子が親と集い、遊ぶ会は地域でたくさんありますが、 私はそれだけでは何か物足りなさを感じていました。 小さい時にこそ、聖書を読み聞かせ、 神さまがいつも共にいてくださることを身体全体で知ることは とても大切だと思いました。 そんなとき、パレットキッズという場が与えられました。 月1回のペースですが、回を重ねるごとに、 集中力も仲間意識も出てきました。年齢はさまざまなので、 理解力は異なりますが、 親の予想以上に子どもは聖書のみ言葉を吸収しているようです。 子どもたちの大好きな時間は工作です。絵の具を使ったり、 リースを作ったりとなかなか家では出来ないものを作ります。 取り組んでいる姿は皆、真剣そのものです。 家に飾られるたくさんの作品をながめながら、 いつも次のパレットキッズを心待ちにして過ごしています。
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