☆ 潤苑 2003夏の号 ☆
「「「 尊い言(ことば) 佐藤岩雄 牧師 「「「
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戦後58年目の夏がめぐってきました。 寒くなったり、暑くなったり、雨が降ったり、炎天下になったり、 全く大変な夏ですが、皆さんお元気にお過ごしでしょうか。 この頃、人の噂について考えさせられることが多くなりました。 そう言えば「噂」という漢字は、尊いことを口にすると書きます。 本来、噂とはある出来事をほめたたえる人々の言葉が 情報として伝えられることを指していたのかもしれません。 情報化社会と言われている現代においても多くの「噂」が飛び交っています。 ただし、その噂の多くは、必ずしも人の徳を高めるものではない というのが現実です。 人に対しての噂をたてる時には、知らないうちに 相手への評価が入りこみます。 その噂が独り歩きすることによって、必ず相手を傷つけます。 聖書には、「 人のよしあしをいう者の言葉は/おいしい食物のようで、 腹の奥にしみこむ。」(箴言18:8)とあります。 噂は、美味しいのです。 ただし、美味しいと思った食物が、人間の体を侵すことがあるように、 噂をたてた本人の心が蝕まれていくことを忘れてはなりません。 しばしば、被害より深刻なのは、加害者が噂をたてる自分の心の方が 深く蝕まれているのに気がつかないことです。 今年は、こともあろうにこの噂の独り歩きが、 国際社会でまかり通り戦争が起こりました。 「大量破壊兵器がある」という噂だけが独り歩きして、 真実を見る目が曇らされました。 この情報化と言われる時代に、なんとうことでしょうか!! 失われた命の責任はどうなるのでしょうか。 旧約聖書に使われたヘブル語では、言葉はそのまま出来事になる という意味を持っています。 私たちは、噂に流される者としてではなく、 私たちの口が「人を尊ぶ言葉を口にする」ことが出来るように 信仰をもって歩みたいと願います。 噂によって人を裁くのではなく、人を生かす言葉こそが出来事になるように 祈り続けていきたいと思うのです。 今、東アジアにカンバーランド長老教会が多く生み出されています。 韓国に、香港に、日本に教会が形成されています。 それらの教会は国境を越えて、一つの教会としてかたち造られていくのです。 私たちが励まされるのは、香港の教会も、韓国の教会の牧師も、 かつての日本が犯した過去の過ちに赦しを宣言して、 新たな未来を築こうと私たちに手を差し伸べてくれていることです。 その宣言の言葉が、真実な出来事になるように祈りましょう。 「主よ、わたしの口に見張りを置き/唇の戸を守ってください。 わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。 悪を行う者らと共にあなたに逆らって/悪事を重ねることのありませんように。 彼らの与える好餌にいざなわれませんように。」詩篇141篇3−4節 |
「「「 ブラジル旅行雑感 K・Yさん 「「「
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「ブラジル時間」という言葉がある。 広大な国土を持つブラジルには時差がある。 しかし、ブラジル国内における地域間の時差による時間のズレのことを この言葉は意味しない。 定められた時間に人が来ないとき、 または交通機関がダイヤ通りに運行しないときのイライラする心理状態を 揶揄するときに、この言葉は使われる(本当かな?)。 米国テネシー州での年次総会(GA)を無事に終えた佐藤牧師とF長老とともに ブラジルを旅して、この「ブラジル時間」を直に体感することができた。 それもブラジル到着初日から。 私達が搭乗した米国アトランタ発ブラジル行きの国際線は 着陸予定時刻になっても、悪天候のためにサン・パウロ国際空港に着陸できずに 空中待機させられた上に、燃料補給のために別の空港に一旦着陸して もう一度引き返すという遠回りを余儀なくされた。 その後の国内線の乗り継ぎにおいても、飛行機の機械故障のために離陸できずと、 初日から予想外の遅れに辟易してしまった。 それでもなんとか、石塚先生夫妻がいるマッタ・デ・サン・ジョアン伝道所に 無事到着できたのは、予定より8時間も遅れた夜の10時過ぎだった (予定時間に到着しない私達をずっと空港で待っていて下さった 石塚先生に感謝!)。 しかし、このような交通機関の遅れは日常茶飯事とみえて、 さすが地元ブラジルの人たちはいたって沈着冷静だった(ように見えた)。 さて、次の日は主日礼拝のある日曜日(6月29日)で、 礼拝は10時半から始まる。 しかし、定時の開始時刻を過ぎても礼拝が始まらない。 「はてな?」と思っていると、礼拝所の後ろの方から 数人の人たちがゾロゾロ入って来る。どうやらやっと全員集合のようだ。 奏楽が流れ礼拝が始まった。 となりに座っていた兄弟が「ブラジル時間だから」と苦笑しながら言っていたのを 思い出す。 今回のブラジル旅行で、わたしはF長老とともに、 マッタ・デ・サン・ジョアン伝道所があるジョタカ村 (ブラジル北東部バイーア州の港町サルバドールから70キロほど陸地へ入った村) の他に、ブラジル北部の熱帯雨林のジャングルに囲まれた都市マナウスをも訪ねた。 隣国コロンビアに源流を持つ黒色のネグロ川、 そして同じく隣国ペルーからアンデス山脈を越えて流れてくる 黄土色のソリモインス川が合流して、 世界一の大河アマゾン川となる河川合流点がここマナウスにある。 この合流点で色の違う二つの川が交じり合うことなく平行して流れていくさまは なんとも神秘的な光景であった。 そして、アマゾン川を真正面に見渡せる川岸にある 小ぢんまりとした宿泊施設を基点に、 アマゾン川を小舟で水上移動しながら、ジャングルの密林散策、 夜間のワニ狩り見学、牛肉を餌にした竹竿でのピラニア釣りなど、 アマゾンでなくては味わうことのできない旅の楽しみを満喫することができた。 あちらこちらと見物してまわる忙しいブラジル旅行ではあったが、 マッタ・デ・サン・ジョアン伝道所のあるジョタカ村、 そしてアマゾン川のあるマナウスにおいては、 不思議にもゆったりとした気持で過ごせた。 それはおそらく、現地のブラジル人たちの実にシンプルな生活に 接したからだと思う。 ジョタカ村の広大な開拓地に根ざして生きている兄弟姉妹たち、 また大河アマゾン川のほとりで川とジャングルの豊かな恵みを 受けながら暮らす人たち、彼らは毎日一所懸命に働きはすれども、 こせこせと気持にゆとりがないような生活をしてはいなかった。 朝日とともに彼らの一日は始まり、昼の太陽の下で汗を流して働き、 そして日没とともに家族や仲間と休息するという、 実にあたりまえな生活だった。 わずかな時間ではあったけれど、 彼らの生活を見ていろいろな事柄に思いを馳せた。 とりわけ、彼らのようにシンプルな生活を送る人間が感じる時間の流れは、 わたしのように忙(せわ)しく生活する人間の感じるそれよりも、 もっとゆっくりと長く感じられるのではないかという点に わたしは関心を持ったのである。 もちろん量的に言って、誰にとっても1分間は等しく1分間である。 わたしにとっての1分間という時間量が 別の人間にとって1時間となることはない。 日々をゆったりと長く感じて生きる彼らは冒頭の意味とはまったく違う もうひとつの「ブラジル時間」を持っていた。 わたしは彼らを少し羨ましく思った。 それは、知らず知らずのうちに一日という時間が ものすごく短く感じていたことに、 自分自身がはっきとり気付かされたからだと思う。 どうやら、わたしにも「ブラジル時間」が必要である。 そして、ちょっとその秘訣を彼らから教わることができたことを嬉しく思う。 |
「「「 主から与えられたもの S・Yさん 「「「
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執事の役割を今一度、考えてみたいと思います。 辞書を引いて見ると、「身分、地位のある人の側において、用事をする人」と 書いてあります。 教会において、ここで言う「身分、地位のある人」とは、 神であり、イエスキリストであることは、言うまでもありません。 そして、私達が大切にしている礼拝があります。 そして、“御言葉の奉仕”、すなわち“礼拝の為に奉仕”する人 ということだと言えます。 礼拝の場である教会に集う人達の為に常に心配りをする様、 務めなければならないと再認識しました。 「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、 ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。 それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 そこで、12人は弟子をすべて呼び集めて言った。 「私達が、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 それで、兄弟達、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を 7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 私達は、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、 アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。 使徒たちは、祈つて彼らの上に手を置いた。」使徒言行録6:1-6 この聖書にあるような「霊と知恵に満ちた評判の良い人」となると、 私などとても当てはまる人間ではありません。 しかし、執事按手の時にこの務めは、神様から与えられた事として、 「主にあつて」と誓約しました。 執事をさせて頂いて、いろいろな視点からこのさがみ野教会を見る事が出来、 そして又、より自分の教会として認識することが出来ました。 執事として、まだまだ足りないことだらけの私ですが、 「主が与えて下さつた」この務めを大切にし、 喜びをもつて奉仕する事ができればと思います。 |