潤苑2004夏号☆

 

♪「壁」 佐藤 岩雄牧師♪

 

私たちが、日本語を話す以外の方々と付き合うのに困難を覚えるのは、

多くの場合、言葉の壁があるからでしょう。

しかし、私たちの周囲には、それ以外にも多くの壁があるように思います。

 昨年、養老猛さんの書いた「バカの壁」という

凄いネーミングのベストセラーになった本があります。

その本では、結局は人間は自分の脳に囚われている存在であり、

私たちが最終的に突き当たる壁は、この人間の脳の限界である「バカの壁」なのだと

言われています。

しかし、このことは、聖書の中で初めから言われていたことです。

聖書は、創世記において既に、自分と他者を隔てる壁が「罪」なのだと言っています。

ヘブライ語の正義(ツェダカー)という言葉は、この罪と正反対の概念です。

神と人が正しい関係にあることを指して用いられています。

ですから詩篇33篇では、正義を持つ人のことを「主に従う人」と翻訳しているのです。

私たちの神は、私たちの内に罪人であるにも関わらず、

隔ての壁を取り除いて下さる神です(エフェソ2章1415節)。

これが神の正義です。

このことに信頼して生きようとする時に、

私たちも隣人と自分を隔てている壁を越えることが出来ます。

今年、英語、韓国語、日本語という言葉の壁を越えて、

また、悲しい歴史の壁を越えて、私たちが韓国第一カンバーランド長老教会の

兄弟姉妹との交わりを深めることが出来たのは、

神から与えられた素晴らしい恵みでした。

神の与えてくださる正義に生きる者として、

私たちの周りにある隔ての壁を一つひとつ乗り越えていきましょう。

 

 

       

「また来てもいいですか?」 N・Eさん♪

 

「わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、

従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」

(ヘブライ人への手紙11:3)

この御言葉により、弱い時、わがままな自分を見た時、いつも励まされています。

「また来てもいいですか」との結びつきについて、お話させていただきます。

私のあゆみを語ることになりますが…。
私が神様の御言葉をきくようになったのは、

私の娘がお友達から日曜学校の誘いを受けたこと、

小学校の帰り道、「トイレをかしてください!」と栗原伝道所に

たびたび立ち寄ったことから始まりました。

私は、中高生の時はミッションスクールでしたので

「神さまがいらっしゃる、見ていらっしゃると」常に思っていましたが、

素直に受け入れるのには、随分時間がかかりました。
そんな時「神様、神様、私はどうしたらいいの・・・?」と、手をあわせて祈っていました。

その時、暖かい大きな優しい御手が、肩をたたき

「いいんだよ!いつでも入っていらっしゃいと」そっと耳元でささやいてくださいました。

とたんに涙があふれ、「でも、私は聖書もよく解からないし祈れないし・・・」

「でもいいんだよ」と、そして受け入れることができました。
それから7人家族になり、主人の転職やブランクや…いろいろありました。

そんな時も御言葉に励まされました。

主人の母も転会し、一緒に教会に通うようになりましたが、

忙しさの中で私と教会を結ぶ糸が細くなり、しばらく休会してしまいました。

母の身体が弱くなり、天に召される直前に、私の手を強く握りしめ、共に祈りました。

「母を私に与えてくださり、本当にありがとうございました。

神様ありがとう。今、母はあなたのところにまいります。

牧場にふさせてください。感謝でいっぱいです。お母さんよかったわね」と…。

母はうなずきつづけ、本当に雲が取れたように

すがすがしい顔で「ありがとう!」とうなずいて、息をひきとりました。

母は長い信仰の中で、目に見えないものに目を向け歩んでいたんだなと思い、

私もそうでなくてはと祈りました。

そして教会に戻りましたが、教会に入った時、また感じさせられました。

しばらくお休みしていただけに入りにくかったのですが、そんな心配はなかったようです。

なにも話さなくても「いいんだよ、いつでも…」と聞こえてくるようでした。

この暖かさ、やすらぎは・・Eなんなのでしょう?
ある文章に出会い「この雰囲気、この場所だ」と思いました。今の私にぴったりでした。

「また来てもいいですか?

 なつかしいあの人たちの ごくふつうの日々の暮らしの中に 

 そっと息づいていたものが

 今になって 私の心に迫ってくる。
 私を迎え入れてくれたあの家の団らんは

 そこに座る人の心を和ませ、くつろがせる
 ぬくもりに満ちた、いつもの空気に包まれていた。」

この雰囲気なのです。ここにいるとほっとする、なぜか・・・・。
神様の御言葉に生かされているから、目に見えないものを信じている家族、群れです。

そしてまた、教会に通い始めました。
地域や家庭に帰ると、まだまだ自我が出たり、

自分を顧みず「聖書にこう書いてあるのに…」と心の中で人を責めてしまったり、

弱い弱い私です。夫婦や親子の一番近い関係こそ、難しいと思わされます。
「神を信じているのに」「祈っていたのに」「礼拝に出ていたのに」「奉仕をしていたのに」

自分の思い通りに事が運ばないと落胆してみたり、弱さを覚えます。
 信仰とは何なのでしょうか 
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し」「誰が望んでいることなのか・・・」

自分勝手な望みではなく、神さまが私達に望むことを、御言葉を聞きながら、

そっと祈りながら、待つことなのかもしれません。
「御言葉に励まされながら 喜んで主が中心になる生活が

続けていかれますようにしてください」と祈ります。

 


♪韓日イングリッシュ・サマーキャンプに参加して H・Cさん♪                        

 

8月10日から12日に、韓国第一カンバーランド長老教会の方々を迎えての

キャンプが高座教会を会場に行われました。

佐藤牧師に誘われ娘達が参加し、私もキッチンでお手伝いをしました。

なぜ韓国から来た人達と英語を学ぶのか疑問でしたが、

ギリス宣教師がアメリカ人で神様のことを伝えつつ、

韓国の子どもたちに英語を教えているのでした。
10日は、開会礼拝があり、すでに韓国で2週間のキャンプを終えている

韓国の子どもたちが日本の子どもたちをリードして元気に賛美していました。

午後は、ゲームをして楽しい時を過ごしました。

2日目は、午後から横浜見学があり、みなとみらいや中華街にいきました。

子どもたちの交流も深まったようです。

最後の12日は終了式があり、一人ひとりにすてきな賞状が与えられました。

英語の賛美を大きな声で日本の子どもたちも歌えるようになっていました。

夕方は、パーティがあり、食事のあと、日本語、韓国語、英語によるメッセージ、

祈りがありました。

子どもたちや先生方によるすばらしい演奏や賛美も聴くことが出来ました。
この3日間、子どもたちは楽しく過ごしたようです。

来年も参加したいと言っている子もいます。

小さい子どもたちが一番よく使った英語は、「外に行ってもいいですか?」でした。

発音もバッチリでとてもかわいらしかったです。

英語はよくわからなくても、先生方が、神様を賛美していること、

あたたかさ、楽しさを充分に感じとったようです。

最後になりましたが、キャンプに参加できたこと!

すべてのプログラムが守られ無事に終えられたこと!

主にある交わりの中で楽しく他教会の方とも過ごせたこと!

韓国という国を身近に感じることができたこと!

これらのことに心から感謝します。

 

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