☆潤苑 2005年冬号

 

 巻頭言      佐藤岩雄牧師

「苦難を課す力には、私たちの苦難を耐え抜く力で立ち向かおう。

物理的な力には、魂の力で対抗しよう。」

マーティン・ルーサー・キングJr牧師の言葉です。

前回、米国に行った際にアトランタを経由しました。

空港に、その地で活躍したキング牧師のスーツやガウンが

ガラスケースの中に展示されていました。

ガウンもスーツも近寄って見るとかなりほころびていて、

使い古されたものでした。

同じケースの中にあった聖書も 多くの書き込みと手垢で一杯でした。

キング牧師と言えば 颯爽と演説する姿ばかり 思い浮かぶのですが、

その背後で どれだけ駈けずり回るようにして 地方を巡ったのか、

また、その合間の時間をかき集めるようにして 説教原稿を書いたのか、

その姿が 浮かび上がってくるようでした。

先日、その旅行の際に買い求めた原稿を 牧師室の壁に貼りました。

「私は、山の頂上に立つ」と題されたその説教は、

とても励まされる内容のものです。

自分は あなたがたと一緒に約束の地に入ることは 出来ないだろう。

しかし、神は もうそこを見せて下さっている。

私たちは、民としてそこにたどり着くことが 出来るのだと 結ばれていきます。

私たちは どこへ向かっているのでしょうか。

為政者たちは、私たちを 武力を備えた立派な日本に導こうとしているようです。

つり革広告は 私たちを便利で豊かな生活へと 導こうとしています。

しかし、神は私たちを、国という隔てがなく、差別がなく、

武力の必要の無い、貧しい者が満ち足りる地へと導こうとされているのです。

戦後60年を祈念する今、私たちの歩みを確かにしましょう。

 

受洗の証し  W・Kさん

母が友の会の会員であったことで、み言葉に触れることは多かったのですが、

神様をどこか信じていない私でした。

 私は、5年前、オーバーワークが理由で鬱病になりました。

その後、パニック障害も併発して入退院を繰り返し、

3年ほど、まともに会社にも行けませんでした。

そのころの私は、自分の存在意義がわからず、

私なんかいなくていいんだと思っていました。

私は、感情を外に出すことが出来ず、溜めに溜めた感情をどうしようも

出来なくなって、パニック発作を起こしたり、

自分を刃物で傷つけたりしていました。

そんな私の気持ちは、誰もわからないと、教会に行こうと言ってくれた母をも

はねつけていました。

教会に行っている人は、希望を持っていて満たされている人。

そんな人に、私の絶望は想像出来ないと、思っていたのです。

 私はカトリックの幼稚園に少しいて、小学生の頃は、教会学校にも通っていました。

小さい頃から、神様を知っていたのに、神様は私の心の中にはいなかったのです。

 病気で会社にも行けず、通院以外は外に出なかった私ですが、

インターネットで同じ心の病に悩んでいる友達が出来ました。

同じように絶望の中にいる友達には、私をわかってもらえると色々な話をしました。

 今年の4月に、そうやって知り合ったインターネットの友達が

洗礼を受けるので是非立ち会って欲しいと、声をかけてくれました。

その時の彼女の証で「私は愛されたかったのです」という赤裸々な告白、

そして、それをいつも受け入れて、愛してくださるイエス様、

私は心に衝撃を受けました。

彼女の証を聞いて、自然と涙が流れました。

その時に、彼女の教会の牧師先生が、神様を信じる人は手を挙げてください、

と言われて、私は素直に手を挙げることが出来ました。

それまでどんなに神様の事を言われても、受け入れられなかった私ですが、

神様は私の心の中にすんなりと入ってこられたのです。

彼女の証の中に、彼女の心の中に、

そして、私が流した涙に神様がいると感じられたのです。

 私は、私を認めることが出来ませんでした。

私はどんなに努力をしても、自分が認められるような人間だとは思えません。

自分をずっと作り上げて、こうあらねばいけないと思って、

そうなれない自分を責めて生きてきました。

完璧でなければ、自分はOKだとは思えなかったのです。

けれども、神様の前では、誰もが不完全で、罪に汚れていて、

それでも神様は愛してくださっています。

弱い者ほど、神様は愛してくださると言われます。

こんなに未熟でだめな私だからこそ、愛してくださるんだと、

だから、神様の前では飾る必要なんか無いんだと。

一人で泣くことが出来ない私でしたが、今は、神様にお祈りをするとき、

自然と涙が出てきて、情けない自分をさらけ出すことが出来るようになりました。

涙を流すたびに、私は神様を感じることが出来るのです。

自分の力ではなく、神様の力で私は感情をあふれさせることが出来ているのです。

今までいつも一人だった、誰といても、いつも孤独を感じていた私ですが、

神様が私の心の中に常に一緒にいてくださいます。

神様を感じるたびに、神様が私を待っていてくださるのはわかっていました。

けれども、人を信じることが出来ずに、疑い、

試してしまう自分をとても許せませんでした。

神様が一緒にいてくださるのに、私は一人、と嘆き悲しんでいました。

礼拝にも毎週通えません。

こんな私が洗礼を受ける資格なんか無いと思っていましたが、

神様が一番喜んでくださる事をしたかったのです。

 神様は、35年間、ずっと待っていてくださいました。

 私は、離れて行かれることが怖くて、近づくことが出来ない人です。

けれども、神様は決していなくなったりしません。

離れて行ってしまったりしません。

安心していいのだとわかったとき、洗礼を受けたい、と決意しました。

その準備を急ぐつもりは全くありませんでしたが、

こうやって時が準備されて、クリスマス礼拝にあわせて

受洗出来ることがとてもうれしいです。

これから、世界中に家族が出来ます。イエス様がいます。

私は孤独になることがありません。

やっと私は満たされると言うことを感じることが出来ました。

 神様と一緒に、喜びのうちに生きていきたいと思います。

 

受洗の証し       I・Mさん

私は、七人兄弟の三番目として横浜に生まれました。

お寺が家の近所にたくさんあったこともあり、

幼い頃、近所のお寺のお坊さんに子供向けの説教を聞く機会が

何度かありましたが、子供心にも何かしっくりこないものを感じておりました。

一番上の姉が英和女学校に入学し、姉の学校生活をみていて

私もいつかはクリスチャンになりたいとその頃から考えるようになりました。

二番目の姉そして私と続いて英和女学院に入学しまして、

やっとクリスチャンになれると心ひそかに期待しておりました。

賛美歌は大好きで聖歌隊でよく賛美したことを覚えております。

学校や礼拝での賛美や祈りは、何か大きな暖かいやさしさを感じ、

心が落ち着く思いがいたしました。

その後、妹、母と続きセブンスデー・アドベンチストの教会で

洗礼をうけることになりました。

私も、と思いつつも厚い聖書を全部覚えるのではと思うと、

なかなか受洗するまでには決心がつきませんでした。

 しかし、クリスチャンになりたいという思いは 幸いにも心から消えることは無く、

子供を教会に連れて行ったり、親戚の伯父が牧会していた教会の礼拝に

家族と共にでる事がたびたびありました。

私でもクリスチャンになれるかしら、でもイエス様は私たちを助けてくださり、

いい方向に導いてくださる方。私たちを見守ってくださる方。

と信じつつも聖書の勉強は難しいし。と もんもんと考えてばかりおりました。

 そのような弱く小さな私でしたが、わたしのような者をもイエス様は愛してくださり、

勇気と神様にすべてをゆだねることの出来る素直さを頂きました。

本日受洗へと導いてくださったイエス様に心から感謝いたします。

ありがとうございます。

 

転入会の証し       T・Sさん

私が初めてキリスト教に出会ったのは、

小学校一年のときに 友達に教会学校に誘われた事が きっかけでした。

しばらくは 一緒に通っていましたが、

学年が変わってからは一人で通っていました。

ある時、教会学校で出た宿題を きちんとして行けなかった事が 恥ずかしくて

休んでしまってから だんだんと行かなくなってしまいました。

しかし、クリスマス祝会等の誘いがあり 毎週とは行きませんでしたが、

その事がきっかけになって教会学校にまた通い始めました。

高校になり、人生とは何ぞや等という事を考え始めた時、

クリスチャンだった叔父夫婦の家に遊びに行っては

キリスト教も含め いろいろな質問をしていく中で、

イエス様の存在が 私の中で明らかになって行き、

友達との人間関係を通して 人を許せない汚い自分を自覚し、

人の思いを超えた神様からの解決を頂いた時 こんな私でも神様に愛されており、

赦されているのだと知った時に イエス様を心から受け入れることができ

1980年12月20日に日本基督教団 K教会で受洗しました。

 しばらくは 青年会で交わりを持ち、教会学校の奉仕を通して

教会とつながっていられたのですが、3年後に千葉から東京に越し、

遠くてなかなか通えなかったのでH教会の礼拝に出るようになり、

日曜出勤の仕事を始める等が重なり、教会から段々と遠のいてしまいました。

4年後に横浜に越してしばらくすると、

やはり教会に行かない生活は心に生き詰まりを感じ、

神様の元に立ち返りたい思いが強くなり、

その当時近所にあったR教会に通い始め

「私の目には、あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)の

み言葉に励まされて、1990年12月22日に転会しました。

神から離れた生活をしているような者にも 目を留めて下さる神様の愛に支えられ、

青年会の交わりやささやかな奉仕でしたが、

皆様と共に教会生活を充実して送ることができ、

更に成長させていただけたと感謝しております。

しかし、神様へのみ心を求めて 祈っておりました時に、

私の思いが強すぎて 神様からの語りかけを聞かず、

自分に都合よく み言葉を解釈し始めた事があり、

私が 神様へ罪を犯してしまったごとく感じ、

自分が恐ろしくなり 教会に行くことがしばらく出来ませんでした。

が、何年かたちクリスマス、イースター等少しずつ教会に 戻る事が出来ましたのは、

多くの方々の祈りがあったからだと感謝しております。

そのような時も「主ご自身がこういわれるのです。

『私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)

と 神様からの愛は尽きることなく 働きかけていて下さっていました。

また その当時の私はみ心を求めて祈るならば

すぐにでも答えを与えられると思い込んでいましたが

「しかし、主を待ち望むものは新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。

走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)のみ言葉のように

新しく力を得るためには、主に期待しつつ 喜びをもって待ち望むべきでした。

そして8年前に結婚し 子供が与えられ、子供が3歳になり

幼稚園に行こうか どうしようか考えていた時、

突然キリスト教系の幼稚園にしようという思いが起こり、

幼稚園探しがメインでしたが、それを機に私も教会に行き始めました。

幼稚園も決まり、近くの教会に通い始め、

その時は主人も一緒に礼拝に出ておりました。

しかし、毎週、近くで礼拝できる教会を探そうと

他のいくつかの教会礼拝に出席していたことが、

夫に キリスト教への不信感を 感じさせてしまったようで

今では「クリスマスぐらいなら行っても良いよ。」と消極的になってしまいました。

(さがみ野教会には、クリスマス礼拝に 初めて出席することができて感謝です。)

この事では 夫に、私が 神様に愛されている喜び以上に

祈りながら 時間をかけて キリストを伝え、

共に主を喜べる日が来ることを 待ち望んでいきたいと 思っています。

皆様の祈りに覚えていただければ 幸いです。

さて、子供が入園した年の秋ごろ、私が突然、パニック症候群のような症状になり、

急に死への恐怖や、室内や屋外でも閉じ込められているような恐怖を感じ、

急行電車に乗れず、突然泣いたり等 今までの私と全然違う価値観にとまどい、

なぜ急にそうなったのか解らず不安でいっぱいでした。

深呼吸をして 気持ちを落ち着かせたり、違う角度から物を考える様 工夫したり、

考えられる限り いろいろ試みたのですが、

結局 そこから立ち上がれたのは、

“人間はどんなに科学が進み頭脳が飛びぬけてすばらしくても、

時代と共に物の見方考え方は変わり、朽ち果てるもの。

急に変わってしまった私の価値観もいつかは終わる時が来る。

しかし神様の愛、聖書に書かれているみ言葉は不変であり、

今も私たちと共に生きて、私たちに語りかけ続けているという事。

今も生きて私たちに語りかけている。

”その事実を信じ受け入れる時に、慰めとなり励ましとなり、

私の生きる力になる と気づいたら、少しずつ気持ちも楽になり、

だんだん立ち直ることが出来ました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」(伝道者の書3:11)

この神への永遠への思いを考える時に、

私の物の価値観の小ささも改めて感じさせられました。

と同時に どんな状態のときでも、私を見捨てず 支え続けてくれた夫に

心から感謝しております。

「どうか、あなたのしもべへのみ言葉を思い出してください。

あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。

これこそ悩みのときの私の慰め。

まことに、み言葉は私を生かします。」(詩篇119:49,50)

神の愛、聖書のみ言葉は私を谷底から救い出してくれました。

み言葉をたくさん心に蓄えておくことが、自分自身への力に変わり、

人へのやさしさにつながると強く思わされました。

次の年の4月に谷川の水を求めてあえぎさまよう鹿のような、

そういう思いで教会を探し、この教会へと導かれました。

今は子育てや家族の事など様々な事に思い煩ってしまう弱さもありますが、

神様に心を注ぎ続けて行きたいと思っております。

今回親子三代で、こちらの教会に神の家族として加えていただく幸いを

心から感謝しております

 

-----------------------------047485629054451 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename=""