わたしの日記
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9月23日
『観ても一日は終わる。』
「下北なんたら」という芝居を市ヶ谷で観る。
観るまでが大変であった。
市ヶ谷で迷うことは困難である。
迷うことが考えられないからだ。
だが、わたしは途方に暮れたのだった。
携帯電話マジック。
それは、確かにすばらしい。
もしそれがなかったら、大人迷子センターでアナウンスされていたことだろう。
そう思えば思うほど、ない生活にあこがれもする。
それは持たないという自意識ではなく、人と接するときの方法である。
人の家にわたしは突然行く。だが、わたしの望むべき人はいない。当然の如く、帰ってくる。
そんな一日があってもいいじゃないか。
今は、不在は存在しない。
あるのは、一方通行な偏った欲望だけである。
芝居自体は、面白いと思った。
だが、何も感じることはない。
だから、言葉は何も浮かんでは来ない。
それはそれでよし、と思う反面、面白いと思ったことに拍車をかけ、もう少しその芝居の方法自体に期待をかける自分がいることは確かだ。
だが、これもまた、それはそれでよし、である。
そうして、わたしは芝居が終わったばかりの場所へといたのだった。
目的はわからず、つげられずまま。
非常に怖かった。
自衛のためか、言葉が多く、何も中身を持たぬまま放たれた。
うそをついちゃった。
ま、しゃれはしゃれ。
ウフフである。
わたしはまだ若い。
ソー ヤングだ。
アー イエィ アハァ
そのあと、神楽坂でライブを観る。
歌う人がいた。
それを観る人もいた。
その中のひとりはわたしなわけだが、ふとしたことが浮かんだ。
つくづく音を聞いていない。
ライブの本質は、生という呪縛みたいなものだが、生ゆえに音は聞くことができない。
よく考えなくても、当たり前のことだな。
ならば、そこから逃げる道はないのだろうか。
何も逃げることなんてないのだが。
となると、与えられる音を異化することに執着するのだろうか。
ある人は、笑い、泣く術を持っているかもしれない。
それは感情発露の目的だ。
もちろん、感情と感動などは結びつくことはない。ま、そもそもが違うから。
また、踊ることも可能なわけだ。
躍動する肉体か、それは。
そうして、一体感という術もあった。
一番やっかいだ。
芝居にもあるこれだな。
もう、これもいいじゃないか、と思うのだけどな。
これだけは勘弁である。
9月22日
『覚えていない。とそんな生活。』
いわゆる、昔からの友人に会う。
車での移動のためか、一人だけ酒を飲むのもなんだかな、以前ならばそんなことを考えずに飲んでいたが、どうも今日は飲む気にならない。
なにを話したのかあまり覚えていない。
そういうもんだろう。
そんな生活ともおさらばバイバイバイ。
実家から帰ってくる。
非常に寒くなったのに何か意味があるのだろうか。
ないない。
そうして、変わることは変わらないまま、わたしは生活を続けるだけだ。
9月21日
『困難である行為は終末ではないそんな週末ではない日』
出来事として語ることが困難である行為は、読書である。
それを人に言うのは、難しい。
わたしは常々、それを上手く言えたらいいのにな、と鏡に向かってそっとつぶやいたものだった。
稀に、それが三面鏡であったとしても、その答えは遠くにあるような気がする。
「世界終末戦争」バルガス=リョサを読了。
物語の中にはまる。
一気に読む。
だが、丁寧に人物をわたしはメモをしていた。
内容を語るのはまた別の機会とし。
読書はやはり素晴らしいのであった。
横になっていたわたしは、ブラジルにいたのであり、それは誰にも否定されないことだ。
素晴らしいものは多くある。
だが、と今日のわたしは言い張る自信があるし、根拠も持っている。
9月20日
『ご飯をただで与えられる。それを喰らう。』
そこは、ご飯をただで与えられる場所である。
目の前におかれたご飯を見て、茫然とする。
そんな曖昧な動揺をとるようになったのは、一体いつのことだろう。
夜になれば、わたしは寝る。
寝床の置かれた部屋にはわたしの不在の兆候も見あたらない。
ああ。ここにいた。
とまさぐる勢いを生む証拠もないのだ。
だが、寝ることは出来る。
どんな時にも、わたしはやはり寝るのだ。
しかし、その寝る時間は非常に落ち着いたものだった。
わたしが驚くのは無理もあるまい。
そうして、わたしはご飯を食べる。
ゆっくり噛め、と自分に言い聞かす。
そうだ。20回は数えろ、と。
9月19日
『逃げるならば、ボタンを、さらにボタンを押す。』
普段、ゲームなどはあまりやらない。
したな。これはゲームをしたよ。という記憶は非常に曖昧だ。
夏の日である。
・・・・・。
「メタルギア」というゲームをした。
わたしは逃げる。
逃げる相手は敵なのだろう。ボタンを押し続けたわたしには分からない。
だが、地下にいるのだろうか。
そこには下水だろう、何か建物らしき中に水の流れがある。
ならば、ここはやはり地下なのだ。
藍色の光をよけ、わたしは進むのだった。
目的は未だに分からない。
ふと、ボタンをおす。パンチか、それは。違うボタンを押す。かがむのか。もう一度押す。起きるのか。そして、違うボタン。投げるのか。
そうして、いつしか敵に見つかり、さまざま誤解を受ける。
弾で撃たれる。
点滅するわたし。
そうして、しばらくして待っているのは、なんだろう。
「あなたは終わったのです」とつげる画面。
何時の間に画面は遷移したのだろう。
わたしを呼ぶ声が聞こえる。
どのボタンをわたしは押せばいいのだろうか。
画面は不動のままだ。
9月18日
『時には、ぎごちない会話をしよう。』
普段、ゲームなどはあまりやらない。
したな。これはゲームをしたよ。という記憶は非常に曖昧だ。
夏の日である。
わたしは諸事情により、わたしの部屋にはクーラーはない。
いや。ある。あるのだ。
「これは何だね、一体」と、部屋の上隅を指で示されれば、わたしは毅然とした態度で言うだろう。
手にしたビールを一口含み、わたしは「クーラーです」と。
頬をやや赤くしながら言うのだ。
さらに相手は、「じゃあ。つけてくれないか。暑くて、ほらYシャツまで汗がしみているじゃないか。年だけどな、といって、何もクーラーを嫌うわけじゃないだろう。ほら」と言った。
たしかに真っ当である。何も間違ってはいない。
わたしはそれに答える形で、また別のことを語ろうとしたのだろうか、こんなことを言うのだった。
確かに、わたしも汗はかいていたし、この蒸した部屋は常識を越えていたという考えは持っていた。
わたしは今でも思っているが、それは意地でもなく、ましてやそれに支えられている思想など毛頭ありもしない。
あるのは、わたしの指で押すリモコンのスイッチの行為そのものをしないわたしである。
なんてデタラメな。
「なんてデタラメな」
言葉は放たれた。
9月17日
『田園で死ぬ人は、そりゃいるだろう。』
「草の上の仕事」、「水の中の八月」を観る。
おもしろかった。
「田園に死す」を観る。
もう一度観るのは、何年ぶりだろうか。
非常に笑えた。
前半部分は、方法によっては舞台に上げて今でも通じる。
後半はちょっと意味ありすぎ。
オチになるともう覚めていた。
けど、好きな映画の一つだ。
ビデオを観る行為を、邦画だけに絞ってただただだらだら続けている。
好きになる作品ってのは、まあ、そうそう出会えるものではあるまい。
見終わると巻き戻す。
繰り返す。
9月16日
『擬人化する言葉ではなく、擬械化する言葉を。』
洗濯機のスイッチを入れる。
中の洗濯物を洗ってくれる。
「そうだ、洗剤入れなくちゃ」
多く人たちの語られ流れているつぶやきの一つはわたしの口からなわけだ。
スタート。
・・・・・・・・・。(数十分)
奇妙なパルス音。
止まるコード。納得。納得。
わたしがやることの決断の時期をつげる。
ふむふむ。
やってやろうじゃねえか。
バンバン干すぜ。
今度はこっちの番ってわけだ。
仕事だ。
するとまた突然、洗濯機は動き出す。
おいおいおいおい。
また水が流れ出す。
濡れた衣服はさらに濡れ、洗濯物とかす。
「そうだ、洗剤入れなくちゃ」
また言うのか。わたしは。
言わなくちゃダメか。
おう。言うね。言っちゃる。 「そうだ、洗剤入れなくちゃ」
一日に何度も言うわけだな。
そりゃ、日が暮れるよ。
要は、洗濯機が壊れた、ということだ。
しかし、身近な機械がよく壊れる。
壊れる度に、それを擬人化する自分に気づく。
「一体、きみはなにをしているんですか? なにを見ているのですか?
約束が違うじゃないですか? わたしはボタンを押しました」
これはチャンネルがうつらないテレビに向かって。
その他もろもろ、そして、それはまた別のお話。
言葉をまだ知らないということで。
9月15日
『問いにならない問いに答えてみる。』
腰痛とは何ぞ?
腰痛。
それは腰が痛いことだ。
それを人は、わたしは、腰痛と言う。
いてえ。いてえ。なんだこりゃ。
認めたくねえ、腰痛。
やだなあ。腰痛。
そりゃ、たくさんいるだろうさ、腰痛持ち。
でもね。でもさ。
どうしようもないな。
「腰が痛くてね」
言うよ。たくさん。
わたしは言うよ。
「わたしは腰が痛いのです」
大いに言いなさい。言って、腰痛を認めなさい。
それでわたしの腰で、静かに眠りなさい。
「三月のライオン」を観る。
壊れつつあるビルに住みたい。
その風景は見ていて楽しい。
かつてあった一室になぜか岡崎京子を見た気がする。
そうして、わたしは雨の中、渋谷にいた。
ライブを観た。
かっこよかった。
外に出たら、涼しい。いい。快適。
でも、部屋はあつい。
9月14日
『言い訳を隠蔽する美しさはここにはない。』
飲むわけだな。
今日もそうやって飲むわけだ。いろいろと。
ぐびぐび飲めばそりゃ楽しかろう。うん。楽しいよ。わたしは。
「今日、飲み行く?」「風邪ぎみで」「そう」「はい。また誘って下さい」
そうやって繰り返すね、わたしは。ぐるぐる同じ所をまわるよ。
それでしまいには、目が回るわけだ。
でも、それほどの量を飲んでそうで飲んでいない。
その逆も可なり。
飲むんだな。
煙草を吸うとき、「オリーブの首飾り」を鼻歌で歌いなさい。
ティロロティロローン煙草を手にしティロロロティロローンライターをつけるティッロロリー静かに吸うロリーロロ煙リローティローリロー煙リロ火ロロローテ落ィローローロリローヒローリローリ煙ロロロティロ灰ロッロッッロティッロッ煙ロティッロッロティッロッロティッロッロティッロ落ッロティ灰ッロッ火ロティッロッロ煙ティッロッロ
それは、マジック。
手品を我が手に。
「door3」を観る。
美しい青年の出すフェロモンってのはなんだろうね、一体。
ま、人はフェロモンに勝ったり負けたりか。
そして、寄生虫のごとくフェロモンは体内にある。
これも勝ったり負けたり。勝負がついたら、どっちも負けなわけだ。
9月13日
『ヒーロー、ならば、ヒーローではない。』
頭が痛い。
そして、部屋があつい。なんだこれは。
涼しさはどこいったよ。いったい。
飲まねば。
といいつつ、「スラング」を観る。
ヒーローはもういないな。
笑うだけだ。
ヒーロー=自己陶酔だったっけ?
忘れた。
昔の漫画も多分捨ててしまった。
などなど。
9月12日
『・良い芝居・観ること。』
部屋があついのはなぜか。
と考えるだけで汗をかく。
もう9月。夏は去った。
ラ。ラララ。
どうでもいいけど、部屋はあつい。
(ダカラ、ワタシハアセヲカク)
・はじまりはじまり。
・小さく拍手。
「あつい」
「あついんだ?」
物語に酔えるわけだな。
勝ってにやってなさい。
はい。わかりました。
そうして、わたしの部屋は未来永劫猛暑の中、わたしは渋谷へと行く。
「alt.2」を観る。
前回とほぼ構成とか同じような気がした。
そりゃ、だから、前の方が新鮮味があり、面白い。
けど、観る価値はあった。
若さが気になり、それが一番の邪魔だったかもしれない。
新しさとパロディと意図のせめぎ合い。
それが重なりあった中、開いた穴に、わたしは心が動く。
笑いのコンテクストに入らずに、わたしの言葉は追いつこうとするだろう。
それを、何か、とあらわす。
もしくは、ないもない、と。
9月11日
『東を右というなかれ。』
叫びながら、東へと赴く。
イヤにあつい。
道は遠い。
まっすぐな道は得意ではない。
何処で曲がればいいか、分からない。
あ。い。ばかり。
酒を飲む。
アルコールだな。
そうか。
そうだったのか。
そうらしい。
確認。
肉を喰らう。
リッツは上手い。
どうなってんだ、リッツ。
9月10日
『こういう日を楽しいと伝えるのは困難か?』
「HANABI」をあげ、「月とキャベツ」を食べながら、静かに「CURE」する夜であった。
好きなものを押入から出した。
一晩寝なければ、出来るんだな。
やったわけだ。
ービデオ屋にてー
「ジョーみる?」
「え? ジョーって?」
「これこれ。みる?」
「って、略しすぎ」
「なに? これ。よろしくって言われてもなあ」
「システムクラッシュ・サーチエンジン」(宮沢章夫)を読む。
「私の」自意識が全面にあり、けっこうおどろく。そうなの? と思う。過去の友人の
殺人事件。20数年前に聞いた声に対する固執。その声のあった場所にかつていた。
過去の曖昧さに心地良ささえ覚えている。分からないもどかしさ。要は語り口の問題。
人はどういう時にどういう言葉を吐くか。それのしゃべり方。声の出し方。
その姿勢。しかし、型におさまらないとき、人はとまどう。その語る方法を知りたくなる。
語る術か。携帯電話でしかつながらない、過去の別の友人。それでもつながっていると
確信できるコミュニケーション。今を語れる若さ。特権的な意識。だが、それはすでにいらないこと
と感じる。唯一の接点である偶然の邂逅の記憶へのいらだち。その場所へ再び。
街は変化する。記憶も変化し、それは重なる確証もない。
ゆえに正解もない。そうしてその場所へ。突然の赤い線。あらゆるコンテクストから
脱しようともがく行為。既にそれは笑いにしかならない。でも、気になる。赤い線を追う。
再び。それは偶然に過去が幾重にも場所である。違ったドアを開ける。白い部屋。
精神科医のような女性に対する射精。日常から逸脱した語り方はここにもある。
電気技師。詐称。ずれた目的の徒歩。煙草の自販機。赤い線。いまはもう使えない500円。
せっぱつまる。そうだ。せっぱつまる人たち。赤い線。それを追って、地下へ
と潜る。違ったドアを開ける。過去は過去であり記憶は記憶でありそれの接点はない。
偶然は偶然のまま。意味をおく行為。あるのはやはり語り方である。
これは、語る方法と方法の小説だろう。
9月9日
『これ以前をないことする。』
「逆噴射家族」を観る。
性に合わん。
どうも鼻についてしょうがない。
「鉄男2」を観る。
こっちは性に合うなあ。。
はじめ、あれあれと思ったが。
幼年期の回想シーンは見事。
あのくだらなさ。映像への執着は感動に値する。
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