about
me
■ shinfuji の音楽遍歴
- ピアノ
4歳から始めました。最初のうちは楽しかったのですが、小学校に入ったら遊ぶ方が忙しく、練習をしなくなりました。それでも6年生までピアノ教室に通わさせられました。
当時、男子がピアノ教室に通うことは珍しいことでした。
今、振り返ると、このときに音楽の基礎、楽譜の読み方、聴音の訓練をやったおかげで、後に色々な楽器に巡り会うことができました。親に感謝。
- コントラバス
私の小学校では4年生になったらクラブに入ることができました。私が選んだのは「器楽クラブ」。部員約50名のうちなんと男子は10人もいませんでした。
今ならば「なんていい環境なんだ!」と思いますが、当時はイヤでした(ホント)。
4年生のときはアルトハーモニカ、5年生ではピアノ、6年生になったら「おまえは体がデカイから」という理由でコントラバス担当になってしまいました。
フレットがないので、指板にチョークでしるしを書いて弾いていました。
- クラッシックギター
中学校ではフォークギター(最近はアコギと呼ばれています)全盛で、男子の半分ぐらいはギターをやっていました。
友人の影響を受けて、ギターをやろうと買いに行ったところ、フォークギターは高くて買えませんでした。そこで、やむを得ず、予算内で買える安いクラッシックギターを購入。
当時NHK教育でやっていた「ギターをひこう」のテキストを買ってきて独学で弾いていましたが、「禁じられた遊び」だけは弾けるようになったものの、難しくて結局断念。
そこで、「ヤングギター」を見ながら、クラッシックギターで当時全盛だったフォークソングを弾いていました。
その後、フォークギター用のスティール弦を張ったら、糸巻きを破壊してしまいました。
- フォークギター
高校の入学祝いに、念願のフォークギターを買ってもらいました。日本有数のヴァイオリンメーカーである木曽鈴木ヴァイオリン社製の、MODEL
No.W-180というマーチンモデルのギターです。
高校時代はいつも裸で持ち歩いていたので、細かい傷はありますが、25年たった今、乾燥が十分進んだうえに弾き込んできたので、びっくりするぐらいイイ音がでます。
- キーボード
大学2回生のとき、同級生から「バンドをやろうと思うんやけど、キーボード弾いてくれへんか」と誘われました。そこで、初代のカシオトーンをバイト代数ヶ月分はたいて購入しました。
初めて手にしたキーボードは、なんと音色が49もありました。ひとつの楽器で、ピアノ、オルガン、ギター、フルート等々…、当時は夢の楽器です。
バンドはROCKが中心で、それまでフォークソングしか聴いたことのなかった自分にとって、新しい世界が見えてきました。
- DTM(ディスク・トップ・ミュージック)
キーボードをやっていくうちに、音色を変えながらどんどん録音を重ねていけば、ひとりでバンドができることに気がつきました。
しかし、当時の録音デバイスはカセットテープレコーダーしかなかったので、ピンポン録音を重ねていくうちに、どんどん音色が悪くなり(ミキサーなんて持っていなかったので当然エア録り)、しかもよく弾き間違えるので、ものにはなりませんでした。
そして、10数年が経過しました。うちの娘がピアノの練習をしています。うまく弾けないので、私に弾いてくれと頼みましたが、初見で弾くことができません。
「そうだ、パソコンのおまけのアプリで、楽譜を貼れば演奏できるのがあったぞ」と思いだし、楽譜をパソコンの譜面に貼り付けてみました。
内蔵のFM音源であるため音質は悪いけれど、きちんと曲を奏でます。譜面をよく見ると、なんと複数の音色で違うパートを鳴らせるのではないか!長年の夢がかなうかもしれません。
さっそく本屋へ行き、「DTMmagazine」を買って帰り、付録のCDを聞いたところ、「知らない間に、パソコンでバンドができるようになっていたのか!」と驚愕。そんな訳で音源を揃え、DTMの世界へ入り込みました。
- E.BASS(エレクトリック・ベース)
仲間内でバンドを組ことになりました。私はエレキギターを弾きたかったのですが、ジャンケンで負けてベースになってしまいました。
貯金をおろして、街の楽器店へ飛び込み、「5万円でベーシストにしてくれ」と金髪のおにいさんに頼みました。
「お客さんはアダルトだから」と金のベースを選んでくれました。
憧れのベーシストになりましたが、ルート弾きのエイトビートしか弾けません。
- ウクレレ
娘が誕生日のプレゼントに「子供用のベース」が欲しいといいました。
「それはウクレレのことか?ギターの子供だろう」と言ったら、「4本弦だからベースの子供だよ」と答えました。
そこで、FamousのFU-120Pという可愛いウクレレを買ってきました。
NHK教育の高木BOOさんの「いますぐ始めるウクレレ」を見ながら練習しました。
その後、CUJ(サイバー・ウクレレ・ジャム)において、NUA(日本ウクレレ協会)のMATTさんとの運命的な出会いがあり、現在はウクレレなしでは生きられなくなりました。
|