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玉造大宮神社
「節句祭礼[流鏑馬]」「大宮神社祭礼」里大宮神社 初代玉造城主がはじめたと伝えられる祭礼
で、5月4〜5日の節句に行われ、子どもたちの健やかな成長と五穀豊穣を祈る。神輿・大鉾・ 猿田彦が旧玉造地内を練り歩き、霞ヶ浦浜地先でお浜降りをし町内のお仮屋に鎮座する。
祭りの最後を飾るのが流鏑馬である。現在は騎乗しないが、静寂な境内の的納めの神事とな
る。
また、玉造大宮神社境内の忠魂碑には天狗党の一員として慶喜に会えず越前敦賀で無念の
死を遂げた人々の名が記されている。
当地区の山車は石岡型ですが、町内の本町(下宿)諸柄(諸井、柄貝)地区も石岡型です。また、子供神輿や獅子などもでる。
お囃子も旧町内は全て石岡囃子系である。
羽生囃子
玉造町の無形文化財で石岡系ではあるが染谷、三村系とはまた違うお囃子である。
浜
手賀
石岡系のお囃子である。宿、船津、竹の塙地区で行われている。
荒宿
西小囃子
玉造西小学校の児童生徒で行われるお囃子である。
お囃子の起源 祭囃子の創始は江戸時代の享保年間(1716〜1736)に現在の東京都葛飾区金町?(武州葛飾郡金町村)の
香取大明神(現在の葛西神社)の神主、能勢(のせ)、 環(たまき)が村内の若者を集めて敬神 の和歌にあわせて拍子をつくり和歌囃子を教えたのが始まりと言われています。
そして、その囃子に獅子や滑稽面の踊りをあわせ、葛西囃子となり、やがて神田、目黒等に
広まったと言われています。
一言に囃子と言っても、大きく分けると、鳴り物と踊りがあります。鳴り物は、字の通り、音の鳴
る物、太鼓、小太鼓、笛、鉦の四つの楽器から成り、本来の囃子とは、「ひなまつり」の唄 にも出てくる様に、5人で行う、鳴り物だけをさしています。 次に踊りですが、踊りは、獅子舞を除 き、神楽より由来した物で有り、おかめ・ひょとこ等、面の表情や仕草に合わせて可愛らしさ、面白おかしさ、滑稽さ、時には力強さを囃子特有の旋律・拍子の中で表現しております。
石岡囃子と同系の囃子は、石岡市を中心に土浦市、八郷町、新治村、かすみがうら市
玉造町、美野里町、茨城町、岩間町、真壁町、水戸市、日立市など、広範囲に分布 (※水戸、日立、真壁は、仁羽など一部の曲のみ)しています。ただし新興勢力が多く、明治期から存 続している囃子連はごく少数です。また新興勢力は石岡の染谷流か三村流を習得しているため、この 二派が主流になっています。
構成は大太鼓(江戸囃子系の大胴)1、小太鼓(ボルト締めの附締太鼓)2、笛1、鉦1の五人
囃子が基本です。大太鼓は通称「おおど」、小太鼓は通称「つけ」と言われています。山車で演 奏する場合は山車進行方向左側に太鼓を並べるのが特徴です。
曲目は、仁羽(にんば)、四丁目(しちょうめ)、新馬鹿(しんばか)、撒喜利(さんぎり)がありま
す。
仁羽(にんば)
祭礼では最も聞かれる曲である。ひょっとこ踊りに用いられる。
四丁目(しちょうめ)
おかめ踊りに用いられる。
新馬鹿(しんばか)
新馬鹿は、現場では新馬(しんば)と呼ばれる場合が多い。
この曲は狐踊りに用いられる。ただし獅子舞(金獅子のような舞台用の小型の獅子)を使う場
合も稀にある。
撒喜利(さんぎり)
撒喜利は儀礼的な曲で、祭礼の最初と最後(山車出発時と帰着時)に演奏する。踊りは無 い。撒喜利という字は、当て字の可能性が大きい。以前は撒切を使っていた。
文久三年(1863年)の玉造のお祭り
調査中
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