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人と関わるって事 |
人生って人との関わりとその中での自分のあり方なんじゃないかと思う。 『人が生きる』から『人生』なんだよね。 生きて動いて食べて呼吸して喋って眠って…基本的な事をしながら時を重ねて行けば自然と人に出逢い、別れて行く。 生れ落ちた時には両親なり、あるいは何らかの形で保護者的な役割を果たす人間と出逢う。 人としてこの世に生を授かった第一番目の出逢いだ。 その人達の中で幼少時の基本的人格形成がなされるのだろう。 モノゴゴロ付いて、自ら歩んで外の世界に出るようになると更に沢山の出逢いと別れに遭遇する。 人は幾つ年をとったってこの『出会いと別れ』によって変わる。 その変化が『人生』なのではないかなぁ…と、夙に考える様になった。 『変わる』と言うと語弊がありそうなのだが、まぁ要するに『影響される』訳だ。互いに何らか影響を与え・受けながら成長し、生きてゆく。 大きな変化だったり、表面化されないモノだったり、唐突だったり、徐々にだったり…でも時と共に個々人は着実に変化している。 変化に関して言えば、人に限らずこの世における全ての物は変り続けているのだろう。 以前、日本やインドネシアに一時帰国して又ハワイに戻ると『変わったね』とよく言われた。 新たな出会いや、懐かしい人々との再会によって受けた影響が何らかの形で表面化しているのかもしれなかった。 …自分を取り巻く環境によって、多分『私』という人間が変わるのだろう。 その時々、一緒に居る人々に合わせて多少なりとも人は『変わる』のではないだろうか。 別に『自分を作っている』訳でも『気取っている』訳でも、ましてや『騙している』訳でもなくTPOに合わせてそれ相応に在るだけである。 会話の内容から服装、話し方、座り方一つにしたって違ってくる。 親しい友人と寛いだ時を過ごしているのと、学校の教授と進路の相談や会社の上司と真剣な商談をしている時とが全く変わらない人間なんて、実際存在するとしても極少数だろう。 ただ、基本的人格は変わらない。 私は私だ。 どの私も私。 だから、合いそうだと判断すれば私は私を取り巻く違う輪の友人達を引き合わせたりもする。 そうやって輪は広がり、繋がり、世間は広くなって行くと思う。 人は一生人と何らかの形で関わってゆく。 『私は一人で生きている』などと奢った事を言っている奴が居たら一発張り倒して説教をしたくなる。 人間はそんなに強くはない。 そして、人は必ず誰かに必要とされている。 でも、出逢いによって良くも悪くも人は変わる。 その変化が面白い。 だからこそ生きる事が楽しい。 昨年は『出会い』と『別れ』に富んだ一年だった。 親しい人、親しくは無いけれどそれなりに関わってきた人を何人も永遠に失った。 新たに『一生モン』だと感じる出逢いはその倍は数えた。 久々の再会によって『一生モン』になったと思える人達も居る。 だが、そんな『出会い』や『再会』を通り越した今、物理的な距離で離れ離れになってしまっている。 一時的な別れ…だが、『縁が尽きなければ人は又必ず巡り合う』…それが私の持論だ。 どんなに離れていても繋がっている想いがある。 縁とは面白いものだ。 何が幸いするか判らない。 『縁は奇なもの粋なもの』とは、昔の人もよく言ったモンだと思う。 『偶然は必然の内』とも。 一つの小さな小さな選択が運命を大きく操作しているような…不思議な感覚。 私は運命論者ではない…が、運命はあるのかもしれないと、そしてそれは自分次第なのだと。 自分を見つめ続けている人に出逢った。 『自分探し』を生き甲斐にしている様な人。 だからと言って他人を蔑ろになんて絶対にしない、情の根が本当に深い人。 今までの彼の人生なんて私は知らない。 でも、過去があるからこそ今があるんだと。 今があるからこその未来なんだと。 未来に不安を抱くのは必然だけれども、今を大切に出来ないで未来を不安がるのは馬鹿げているのだと教えられた。 本当に自分がしたい事、出来る事をただひたすらに探し続けながら自分の中の『可能性』だけを切り札に多種多様な事にチャレンジしている、凄く前向きな人だ。 やるからには必ず成し遂げ、誰にも負けたくない。 自分にも他人にも恐ろしく厳しいが、人を労わる優しさも兼ね備えている。 自らを決して制限しない…無謀とも言えるその生き様。 しかしなんと見事なのだろう。 本当に一つしか年が違わないのかと思う程良い事も悪い事も経験して来ていて、そしてそれは全て彼が自ら『選択』してきた結果なのだ。 二度と立ち直れなくなりそうな程の挫折も、きっと彼は知っているのだろう…痛みを知っている分、本当の優しさを持っているのだろうと感じた。 内に秘めた苦痛も幸福も、その経験の全てをきちんと踏まえて今の自分の生に活かしているから凄い。 幾ら経験を積んだ所で応用出来なければ宝の持ち腐れになってしまうであろう事を彼は確りと自覚している。 人の価値とは『何年生きて来たのか』ではなく、『どう生きて来たのか』なのだと、そして『これからどうあるか』なのだと再確認させられた。 一つの生命として、こんなにも尊敬出来る…この出逢いが嬉しかった。 沢山の事を教えられた、一生心に残るであろう出逢いだった。 そして確実に私は影響を受けた。 もう一人、自分に向き合い、ちゃんと対話している人に出逢った。 先に述べた人とは形すら違えど、自らを表現出来る事を居場所を自ら選択し、努力して生きて来ている。 人に簡単はに言えない程の苦しみも同時に押し殺し抱えながら、どこかで理解されたいと願っている…凄く『人間らしい』人間だ。 きっと彼は一生『人間』として『人間』を愛して生きるのであろう。 妙なコダワリはあるが、決して色眼鏡で人を見ない。 初対面の私を心の底から気遣ってくれていた。 何時の間にやら本質まで見抜かれていた。 驚くべき才能、洞察力の持ち主だ。 その彼を『怖い』と言う人間も居る事だろう。 だがしかし、彼の許容範囲の広さと言ったら他に類を見た事が無い。 『他人を許容し、受け入れる』事の大切さを教えられた。 そして彼は又、こうも言う。『自らを認め、評価してあげる事』。 『自分である事』の素晴らしさ、大切さを彼の生き様を垣間見る事によって考えさせられた。 貴重で運命的な、けれども必然的な出逢いだったと、対面した直後にお互いに感じ…そしてそれを素直に表現し合っても決して不自然でない程理解し合えてしまった…なんとも不思議な関係が私達の間に生じた。 『出逢う』からには『別れる』し、でもそこには必ず意味があると信じている。 この人は一体私にどんな影響を及ぼすのだろうか…と考えると、一つ一つの出逢いが掛替えの無いモノの様に思える。 そして私も今まで出逢って来た人々に何らかの影響を及ぼしているのだろうし、これからもそれは変わらず続くのであろう。 出逢ってからの関係もとても重要だが、別れてもなお影響し続ける事も多い。 しかし、出逢わなければ別れも、それまでの間の関わりすらも生じない。 そう考えると、『出逢い』が全ての始まりの様な気もするし、もしそうだとすると『出逢い』の方が重要そうな気もしてくる。 けれど『出逢い』も『別れ』も『その間の関係』も、等しく一つの『影響』と考えれば同じ位人の生にとって必要で重要な物なのだろう。 そのそれぞれを一粒の宝石と喩えれば、人生とはまさに宝捜しの旅なのだ。 |