ぼちぼち、いろいろ書いていきます。

12月5日
12月4日の「Gazeta Wyborcza(直訳:選挙新聞)」の付録には、「サイバー・マウォポルスカ」というタイトルで、私の住むポーランドのクラクフが県庁所在地であるポーランド南東部の県、マウォポルスカ(直訳:小ポーランド)県中のいろいろな機関のホームページアドレスが記載されています。さっと目を通したところでは、学校、学校施設に始まり、企業、マスコミ、文化施設、観光スポット、商店、政党、各市町村の案内、役所、宗教団体(カトリックの修道院、その他いろいろ、クラクフの顔とでもいうべきマリア教会も)まで、いろいろあり、保存版に良いです。そのうち、面白そうなのをピックアップしますね。

ずっとやりたいと思いつつ、中途半端にほったらかしたままになっている、ソルブ語とリトアニア語。後者はそれを公用語とする国家が存在するから、ちょっとくらい後回しにしても、いつでも学習できるし、先生も居続ける。前者は死語になるのではないかという不安が... 特に、下ソルブ語。最近読んだこちらの雑誌の記事は、とても楽観的になどいてられない内容で...きちんと訳そうと思っています。
なーんて、やりたいことはいっぱいありつつ、追いついてない状態。
2000年12月05日

クリスマス
今年ももうすぐ終わり。クリスマスも過ぎたし。 ポーランドでは、まず12月6日の聖ニコラウスの日、つまりサンタクロースの日に、匿名でプレゼントを贈り合います。手渡したりするのではなく、「〜さんへ、サンタクロースより」と書いたカードなどをつけたプレゼントを、家庭内でだったら贈る相手のよく使う場所や部屋のドアノブやベッドなどに、会社、学校でだったら贈る相手の机の上などにこっそり置いておいて、あとは知らんぷり。ちょっとした物でも心温まるものです。 クリスマスは、カトリック色が強く、家族の絆を深める役割もします。 12月20日前くらいから、日本の大晦日前のような、買い物ラッシュが始まります。市場には、クリスマスツリーの臨時の森が現れたり、あちこちで生きた鯉が売られたり。 クラクフの中央広場の片側では、12月の初め頃から、クリスマス用の臨時屋台群が設けられ、ツリー飾り、プレゼント、いろいろな物が売られます。「ショプカ」という人形で表わしたキリスト降誕模型のコンクールも行われます。小屋くらいの大きさの「ショプカ」もずっと展示されています。(続く)

前回に少し触れたソルブ語、ソルブ人に関する記事をがんばって訳し終え、あとは見直しだけというところで、WINDOWSがいかれてしまい、インストールし直すはめに...コピーしてあった訳文以外、情報含んだプログラム全部なくなってしまいました。ホームページ作ったは良いが、わからないことだらけ。
2000年12月26日

2001年
年が明けてしまいました。大学院の授業も4日から始まりました。ポーランドでは、大晦日から元旦の朝方まで派手に飲んで騒いで年越しをした後は、もうすぐに普通の生活に戻らなければなりません。就職している人は2日にはもう仕事を始め、学校は3日から。私の場合は、週に3回しか授業がないから、たまたま4日からだっただけ。本来は、三箇日なんてないのです。
は〜っ、でも21世紀になったなんて、全然感じませんね。ま、言ってみたら、これは西洋人が都合の良い様に決めたことが世界的に広まっただけのものだから、どおってこともないのですが。いや、この時代、どおってことないなんて言えないですね、何をするにもカレンダーが必要だし、ローカルタイムでは間に合わないし。どっちにしても、時が経つにつれて、いろいろな事が起こってそれぞれのことが時間を区切ってまとめられていくうちに、私達もその人為的に定められた区切りに入り慣れてしまって、新世紀、新時代を感じていくのでしょうね。

明後日は正教、グレコ・カトリックのクリスマスです。 グレコ・カトリックというのは、東方教会(正教)の典礼を維持しながら、ローマカトリック教会の下にありローマ教皇の権威を認める、キリスト教の一派です。これについて詳しく説明するには、ウクライナ史、ポーランド史をからめて説明しなければならず、長くなりますので、また今度。
グレコ・カトリック信者の多くは、ウクライナ西部、ベラルーシ南西部、ポーランド(本来はポーランド東部出身 ― 何故こんな書き方をするか、これも後日改めて)、カナダ等に在住しています。
グレコ・カトリックの信者には、今では現カレンダー上の12月25日を基準に祝ってしまう人達もいます。
2001年1月5日

つれあいの誕生日
もっと頻繁に書きたいのだけれど、今のところ10〜15日に1度のペース。 日記とはよべへんわな。今日は夫の誕生日(おめでと〜!!!
Щирі побажання з нагоди дня народження!!!)、この機会にというわけではありませんが、この日付を利用いたしましょう。

このホームページ、私の興味のあるスラヴ語、文化関係を気楽に紹介したり、私の身の回りに起こること、気づいたこと、旅行についてなどを書いたりするつもりで開いたのですが、来週ミュンヘンに行って来ま〜すので、旅行についてやっと書けます。これまでは、過去の旅行体験と写真を紹介しようかなと思っていたのですが。(それもします)

ドイツにはポーランドからは隣国なので何回か行ったことがありますが、旧東独領ばかり、旧西ベルリン、トランジットでフランクフルトで1泊した以外は。最近は、楽に、快適に旅行する方を選びますが(例えば、トイレ、シャワー共同の宿泊施設は避けるなど)、交通費を何とかうかそうと努力するのは現在でも好きです。初めてポーランドからドイツに行ったときは、国際列車で。ガイドブックなどに書いてあるように、目的地までの切符は買わず国境駅までのを、国境を越えてからようやく終点までの切符を車掌から買っていました。あるとき、旅行もほぼ終え、ドイツ側の国境駅Görlitz(ゴェルリツ)に着き、ポーランドに戻ろうと時刻表を見てもポーランド行きの列車は数時間待たねばならなかったとき(結構行き当たりばったりで旅行する傾向があった)、駅構内の本屋さんでその都市の地図があったので買いました。(地図を記念に買うのは好きです)ラウジッツァー・ナイセ川向こうのポーランド側の都市名はZgorzelec(ズゴヂェレツ)というのですが、第2次世界大戦前は1つの都市だったようです。地図は両市ともので、眺めていたら、Internationale Stadtbuslinie Görlitz-Zgorzelec(ゴェルリツ・ズゴヂェレツ間国際市バス線)というのがあるではないですか。やったー、と思って、バス停のあるところまで歩いて行ったら、30分に1本くらいあったかな、終バスの時間は19時台くらいでしたが(3〜4年前)、結構頻繁に行き来していました。定時バスなので国境コントロールの行列で待たされることもなく、難なく国境を越えたは良いものの、最初バスターミナルで降りたら、クラクフ行きのバスはなく、徒歩で鉄道駅まで行っても、クラクフ行きの列車は2〜3時間待たなければならなかったのです。当地からの発車時間はそう遅い時間ではなかったけれど、クラクフに着く時間は深夜になってしまう。夜中の列車旅行なんか嫌やな、昼間の以上に緊張してなあかん、と思っていたら、2人連れのおっさんが声をかけてきて、げっ、変なやつらやったらかなんなぁ、と思ったけれど、一応丁寧、又は普通の口調だったし、変なこと喋る訳でもないので、何か一緒にいることになってしまったのです。(列車はコンパートメント式ではなかった)1人はほろ酔い気味でした。(現在の私なら、側に近寄らせないと思うけれど...)途中の駅で乗ってきた鉄道関係の制服着用の職員と知り合いだったりしたのでちょっとは信用しかけましたが、ずっと緊張していました。で、結局、彼等は自分達の故郷の駅で降りて行き、何事もありませんでした。彼等の話によると、彼等は在ポーランドのドイツ人で、ドイツに出稼ぎに行っていたとのこと。彼等が降りて行った駅は、確かに、ドイツ系少数民族の住む地方の駅でした。夜間の女一人旅ということで緊張していなかったら、実際会話した以上のことが話せたかも知れないと思うと残念。でも、このときの人達がたまたま悪人ではなかったから良かったですが、やっぱり夜間普通車両の一人旅は危険度が高いと聞きます。男性にでも、2人組とかにでも。脅かすつもりは全くありません。もし、座席車両で夜間に一人旅をすることになるのなら、眠らないようにするとか、貴重品は腹巻の中に入れるとか、がらがらの車両、他人と2人きり、酒瓶付きのグループと一緒になるコンパートメントは避けるとか、万全を尽くしたほうが良いと思います。
2001年1月20日

新聞記事より
ポーランド東部で、20kmスピードオーヴァーし停車指示にすぐに従わなかったウクライナ市民が、警察官に射殺されるという事件が起こりました。事実は明らかでなく、射殺されたウクライナ人の身重の妻は「警官が彼を力尽くで車の下に押し込め頭部にねらいを定めて発砲した」、警察側は「ウクライナ市民がアグレッシヴだったので銃を使わざるをえなくなり、彼に命中してしまった」と。どちらの言い分も疑えます。つまり信じがたい出来事なのです。 このことで、キエフのポーランド大使館前でデモが行われたり、ウクライナ市民(ドライヴァー)がヨーロッパ・ユニオンに加入しようとしているポーランドで人として扱われてなく家畜のような扱いを受けている、あるいは逆の場合、ポーランド人がウクライナの道路で受ける扱いもひどい、ということが報道されています。...両方事実でしょう。 残された身重の(8ヶ月)奥さんこれからどうなるのでしょう。無くなった旦那さんはチェコで働いていたらしいのですが、多分ウクライナでは充分稼げなかったからでしょう。スピード違反して止まらなかったのは、奥さんを病院に連れて行くのを急いでいたからだそう。彼が道路交通違反をしたことは罰されるに価しても、それで警官が銃を抜く必要があるのでしょうか。新聞には、警察官指導教育費不足のため銃の扱いを間違って理解している警官もいる、と書かれてあります。ポーランドのニュースを見ていると、しょっちゅう「〜費不足だから」という発言を耳にします。指導が行き届いていないからと言って、簡単に発砲してしまう警官だったら、いない方がまし?
2001年2月4日

新聞記事より−その2
前回のよりも古いニュースですが... 今年6月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がウクライナを(キエフ、リヴィウ)を訪問します。
ウクライナの宗教の状況は非常に複雑です。主な宗教はキリスト教ですが、3つの分かれた正教会(在ウクライナモスクワ総主教教会、ウクライナ正教キエフ総主教教会、独立ウクライナ正教会)、正教会との関係が緊迫状態なグレコ・カトリック教会(ユニエイト教会)があります。 で、最近、モスクワ総主教の指図でモスクワ管区在ウクライナ正教会が教皇宛に、「ウクライナ訪問を延期しなされ」という書簡を送ったとか、「もしモスクワ管区ではない2つのウクライナ正教会代表者に謁見を許すようなことがあろうものなら、ヴァチカンと我々の教会との関係は絶たれるものと思われるべし」という内容の書簡を送る予定だったとか。 ヴァティカンは、教皇は予定通り6月末にウクライナ訪問する、と声明しましたが。 宗教の名の下に、汚い権力争いがとぐろを巻いていますね。
2001年2月5日

ミュンヘンへ行って来ました
ウクライナ人の夫と一緒に行きましたので、ドイツ入国についても少し...
ウクライナ人がドイツのヴィザを取るために以前は必要だったドイツ人の招待状は、現在必要書類ではなくなりました。 うちの夫が提出しなければいけなかったのは、パスポート、ポーランド滞在ヴィザ、就労証明書、往復チケット、ホテルの予約、銀行口座所持証明、外国旅行保険、写真。 日本人と結婚して配偶者ヴィザとかいうものを取得している方、滞在国の永住権を持っている方にはまた違ってくるのかも知れません。
無事ヴィザは出ましたが、いざ入国の段階でパスポート・コントローラーは、「う〜ん、ウクライナ人か、困ったなぁ、だめなんだなぁ。ドイツに訪ねて来た知人の住所は?」と。私達は全くの個人旅行で来たことを説明し、往復チケット、ホテルの予約を見せると、「ミュンヘンだけなんだね。所持金見せて」だと。最終的に入国させてもらえましたが、ヴィザ持っていてもいろいろうっとおしいんですね。(日本入国時にもいろいろ質問されましたが)
今回空路で入ったのでまともな対応でしたが、鉄道や道路で国境を越える場合はどうだか。というのも、過去にウクライナに列車とバスで行ったことがあるのですが、ポーランド側で国境審査、所持金、手荷物検査の時、バスで国境を越えた時の方が役人の態度が悪かったため(ウクライナ人が大多数であるバス乗客を見下した感じ、バスのチケットの方がう〜んと安いから旅行者のランク付けをしてる?)、そうかもと思ってしまうのです。昨年9月にリヴィウにバスで行ったときは、普通の態度だったのでかえって驚きました。

以前からバイエルン王ルードヴィヒ2世やオーストリア皇后エリーザベトに興味がありますので、彼等に縁の地にも行って参りました(行きたかったんです)。時間があまりなかったし、それらに特別な興味のない夫付きだったので、ほんの一部にしか行けませんでしたが、もし一人旅だったらヴィッテルスバッハ家縁の地詣でだけしていたかも...
で、そのなかで実際に訪れたのは、ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホフ城、ルードヴィヒ2世の棺が納められているミヒャエル教会、シュタルンベルク湖のルードヴィヒ2世の遺体の発見現場に立てられた十字架のある場所だけ。ミュンヘン市内のニンフェンブルク城には近づく時間がなく、レジデンツはそばを通っただけ。エリーザベトの実家であるバイエルン公家の城、ポッセンホーフェンにも行く予定だったのに、時間が足りずおあずけに...交通機関であと15分で行ける地点までは行っていたのに...残念。
そうそう、時間があまりない人には、PanoramaToursの観光バスで、1日でリンダーホフ城とノイシュヴァンシュタイン城の両方に行くという手もあります。大人1名78DM+両城入場券代19DM。他にもいろいろコースがあります。
実際、私達はそれで行ったのです。私達は宿泊したホテルで申し込みましたが、ツーリストインフォメーションなどでもできるのでは?
オーバーアマガウという、気彫り民芸品、童話のシーンなどが描かれた素敵な家の壁、キリスト受難劇が開催されるので有名な町で御土産物買う時間、ノイシュヴァンシュタイン城の麓のホーエンシュヴァンガウ地区では自由時間がかなりあり、まあ良いんじゃないかという印象を受けました。
車窓からの風景で、葉っぱの落ちた木々の間にノイシュヴァンシュタイン城が現れたとき、「えっ、こんなもん?貧弱」というのが正直な印象でした。近くで見たらもっと良い感じでしたが。やっぱり緑茂る春夏に来た方が良いな、と思いました。

結果的に行かなくても良かったと思ったのは、イギリス庭園、BMW博物館。
お庭は冬季以外だったら美しそうだし行く価値あるかも。BMWミュージアムは、メカニズムに興味がある人には、英仏独西のいずれかのことばがかなりできる人にはヘッドホンを利用し説明を聞くことができ、興味深いかも。私達には、ことばの問題があっただけでなく、展示物も期待はずれでした。(私にはともかく、興味いっぱいだった夫にも)

スモッグがかかっていたりして風景はいまいちでしたが、オリンピックタワーに登ったおかげで、ミュンヘンにウクライナ正教会があることを知りました。(展望コーナーのガラスに、各方角に何があるか示してあるのです)ミュンヘンにも両大戦間期を中心に移民したウクライナ社会があるようです。最初はプラハに開かれたウクライナ自由大学もあります。

ビール美味しかったです。私は白ビールばかり飲んでいました。3軒のビアハウスを訪れました。雑然とした大衆的な雰囲気が、ビールの大衆的なイメージにぴぃ〜ったり。バックミュージックなんかなく、がやがやとした各客の会話の雑音が良い効果を出していました。ミュンヘン滞在中一番楽しかったのは、まさにビアハウス訪問!
私達のミュンヘン滞在中に、サッカーのブンデスリーガの試合(バイエルン・ミュンヘンの!)があり、(私達は行きませんでしたが)試合後、ビアハウスではファン達が楽しくうるさく飲んでいました。ポーランドのえせサッカーファンのフリガンと全然違って、アグレッシヴさがなかったし、バイエルン・ミュンヘンのファンと相手チームのファンとが一緒に歌ったり、喋ったりもしていました。合い席した犬を連れたおじいさんが(犬用座布団も持参!)ドイツ語でずっと話しかけてきたけど、なぁ〜んにも解らなかった。時々サッカーファン達やボーイさん達とも話していたし、名物じいさんか、有名人だったのかも。

ミュンヘンのまち自体は、そんなに美しいとは思いませんでした。戦時中の空襲で破壊されたせいなのか、旧市街内でも、古い教会や塔の周りに近代的な建物や外装があって、歴史を感じさせる重みというものが感じられないというか...

骨付き豚すね肉グリルもとお〜っても美味しかったです。ミュンヘン名物とうたい文句の白ソーセージなんかよりずっと美味しい。(白ソーセージは子牛肉、牛肉が原料。現在、ドイツ、ヨーロッパは狂牛病パニックの真只中。多くのひとが牛肉を食べないようにしています。バイエルンでも狂牛病にかかった牛が見つかりました。でも私達、白ソーセージ食べました)ポーランドのソーセージのなかにも、違うタイプですがかなり美味しいのが何種もあるので、私達にはいまいちだったのかもしれません。しかし白ソーセージ、口当たりは上品な感じ。何と言うか...、ポーランドのソーセージは、美味しくてもごろごろ脂身、筋が混ざっているし、ひどいことに、細かく砕かれた骨が混ざっているなんてざらだし(歯がかける恐れもある!)、味付けも、素朴な味のポーランドソーセージと違います。ドイツのソーセージにもそういうのがあるのかもしれませんが。でも、豚足グリルはポーランドでも食べられますが、夫は、「バイエルンのが本物で、もうポーランドでは食べない」と。よっぽど気に入ったようです。
もしバイエルンに行かれることがあれば、お肉が嫌いでなければ、是非おためしを。ちょっとひつこいですが。

旧共産圏に一定期間いると、西側の空気を吸わないと窒息しそうになることがあります。しょっちゅうは行き来できませんが。
2001年2月12日

私のホームページへ | HeartLand-Hinokiのページへ | メイン | 今すぐ登録