バニラの湯気

2002/01/02執筆
ハワイ旅行中に。
ホットチョコレートを飲みながら、泣いた。はじめは涙が出てもしらんふりで飲んでいた。いつの間にか頬は雨の中に立っていたみたいに濡れていて、嗚咽がとまらなかった。ホットチョコレートのあたたかな湯気がうすくあがり、香りが鼻をくすぐるのにも気付くことはない。

アーニーは、たまらなくなった様子であたしの唇をふさいだ。彼はあたしの涙もすべて唇をぬぐってくれた。涙をつたう唇に身体が反応した。あたしはもう、このヒトしか見えないと思った。あたしはイスに座っていた。彼はあたしにおおいかぶさるようにテーブルに手を置いて、無意識に少し身体をねじったあたしに何度も何度もキスをした。

あたしの涙はいつかとまっていた。

彼はホットチョコレートを口に含んだ。そしてあたしに口移しで流し込んだ。しっとりとした感覚におそわれた。胸の高鳴りはいっそうたかくなった。体温も、同時にあがっていくのがわかった。目をあけるとたまらなくなり、ほうとため息をついた。うっとりと彼の唇に指をつたわせ、頬に触れて顔を近付けくちづけた。彼の肩幅はひろく、胸は厚い。とてもキリリとした顔つきをしている。だけど見ていてシアワセな気持ちになる。

沈黙の時間はゆったりと流れた。その間、あたしたちは見つめあったりキスをしたり、手に触れたりしていた。退屈な日々も、このヒトと過ごすならきっと退屈なだけじゃない日に変わる。そんな気がしていた。彼のキスの味を今日始めて知った。中毒になりそうなくらい甘くて(甘いモノというのは、わたしの『美味しい』にあたる)、あたしの頭をくらつかせた。もっと、欲しくなる。自分から唇を近付けることだって、今のあたしにはできた。

彼の右肩の背中側にはタトゥーが彫ってある。彼の母親が病気で亡くなった時、彫ったのだと言っていた。タトゥーは鳥の絵だった。力強すぎて恐かった。彼の耳たぶにはピアスホールがある。右耳にひとつ、左耳にみっつ。仲のよかった友達が他界した時、どうしても変えられない状況におちいった時、どうしようもない気持ちをぶつける。自分に痛みを与え、永遠に残るように自分の身体に形を作る。だけど、彼は大抵のことには何の迷いもなくつきすすんでいる。

「ニーナ、髪を撫でてあげる」
彼はいつもこのセリフを言ってからあたしの髪に触れた。彼の手は荒々しく大きくて、これに髪を撫でられるとすぐに安心して眠くなってしまう。
「いいえ。アーニー。あたしが撫でてあげる」
隣に横になったアーニーが、表情をゆるめていくのがわかった。
「あ。ニーナ。バニラのにおいがするよ」
「いいにおい?シャンプーを変えたのよ」
「いいにおい」
アーニーはあたしの首に手をのばし、抱き寄せた。こういう時、最高にシアワセ。アーニーに愛していると囁かれたあの時に涙が出たのもきっと、シアワセだって肌で感じて身体が瞬時に反応したから。アーニーはわかっている。だからあの時、涙を唇でぬぐってくれた。アーニーはあたしの髪を近付け確かめる。
「いいにおい。甘いにおいがヴィヴィは好きだから、俺まで好きになった。これじゃあアイスクリームもろくに食べられないよ。ヴィヴィを口に含んでいるみたいだろう」
「そんなこと」
あたしは照れて、肩を少しすくめて笑った。

あたたかい涙があることを知る。悲しいモノだけじゃない。
「ニーナが消えたら?タトゥーやピアスじゃつながれない。死ぬかもしれない」
あたしがジョークで、あたしがいなくなったらどうするのと言ったことがある。アーニーはその時、迷わずこう言ってあたしを驚かせた。このヒトはまっすぐ生きている。まじりけさえもない。
「ダメよ。そんなこと」
とか言いながら、内心あたしはとても喜んでいた。アーニーは、あたしの頬に触れてキスをした。あたしはこの幸せに侵されている。


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