![]() ![]() 致死量の砂糖 きっと、 なんでもない、 漫画みたいに、 ドラマみたいに、 物事が起こり過ぎない、 脈絡がない、 つまらない、 とても、 日常的で、 友達でいそうな、 友達との会話みたいな話。 ![]() |
髪を茶色に染めた。そうしたら、母に少し叱られた。「自分で稼いだお金で自分を飾って行くのが一番よ」、と母は前から言っていた。が、わたしは働きもしていないのに髪を染めた。母はわたしを叱ったあと、今度はこれをほめた。綺麗な色ね、と。母は地毛で茶色い。母はとても若い時にわたしを生んだので、今も若く美しい。18歳の時に、わたしが母のおなかに生命として宿り、母は両親に猛反対され家出同然で結婚してわたしを生んだ。2年後、わたしの妹を生んだ。マイホームというモノを持ったのもその年だ。そしてわたしの父が交通事故にあって死んだのもこの年。わたしはそのときのことをよく覚えていない。うっすら覚えているのは、その日はやけに晴れていたということだけだ。その時から、母はずっとわたしたちふたりを育てる為に一生懸命働いてきた。再婚しないの、と聞いたことがあったが、答えは知れている。母は父にずっと恋をしている。そして、ずっと愛している。 わたしの髪を、わたしの恋人の日向もほめてくれた。よく似合っている、とわたしの髪を撫でた。日向とは、中学の卒業式以来ずっとこういう関係のままここまできた。日向はわたしが好きだった。わたしもまた日向が好きだった。 「ねえ、わたし働いてみようかな」 日向は頷いた。母との約束を破ってしまったので、わたしは事後になってしまったけれど、働いてみようと思った。それは、今日日向にあって思ったことだ。日向は、いいんじゃない、とわたしを見た。わたしは日向のふくらはぎに触れた。サッカーで鍛えられた日向の足はかたい。この筋肉の感じがわりと好きだった。日向は、自分がしているコンビニのバイトを紹介してくれた。面接もすんなりとおったわたしは、無事アルバイト先が決まった。日向はわたしの冷たい手を握って、 「これから一緒に帰れるな」 と言った。 ゆりこちゃんは好きだ。他の女の子とはどこか別の雰囲気がある。ヒトが引き合う原因に、雰囲気、というものは必ず入るモノだと信じている。ゆりこちゃんは、シルバーのピアスとクレージュのネックレスをいつもつけている。ゆりこちゃんはいつも綺麗にお化粧していた。ゆりこちゃんに、前にお化粧をしてもらったことがある。ゆりこちゃんは慣れた手付きでわたしの唇に紅をひく。ゆりこちゃんの魔法だ!とその時はわくわくがとまらなかった。いつもと見違える程華やかな顔になった。家に帰って、母と妹に驚かれた。お姉ちゃん、今日は何だか綺麗ねって。わたしはそれがとても嬉しかったけど、化粧は苦手。髪を染める時、手伝ってくれたのはゆりこちゃんだ。でも、ゆりこちゃんの髪は黒い。そして、つやがある。髪だけは触らないでおく、と決めているらしい。それが、ゆりこちゃんに似合っている。ゆりこちゃんといると、楽しい。 「ねえ、リカちゃん。リカちゃんのスキなヒトって、どんなヒトなの」 今日、ゆりこちゃんと付き合い出して初めて出た恋の話題に、わたしは少し驚いた。いつも、ケーキショップの話とか、可愛い雑貨の話とか、雑誌のこととか、そういった他愛もないものばかりだった。わたしはそれをすんなりと受け止めて、返した。コエが死なない前に。 「日向って言ってね、普通のコトを普通にこなせるヒト。夢を語って行動できるヒトだよ」 ゆりこちゃんは、へぇーっと驚いたような顔をした。 「素敵なヒトなのね」 今どき、夢を語れるヒトなんてそういないわ。カッコワルイことじゃないのにね。普通のことを普通にこなすなんて、素敵だわ。わたしも会ってみたい。リカちゃんはヒトを見る目があるのね。変にカッコウつけたヒトなんか、つまらないったらないわ。 わたしはゆりこちゃんに聞いた。 「ゆりこちゃんのスキなヒトは?」 わたしはサラダに手を伸ばした。ここのカフェは、サラダがクセになるほど美味しい。多分、ドレッシングがわたしの好みなのだ。ゆりこちゃんはキャラメルティーを飲んだ。ゆりこちゃんはいつもキャラメルティーを頼む。わたしは、キャラメルマキアートをいつも頼む。ココは、わたしとゆりこちゃんのお気に入りのカフェ。 「わたしをダメな人間にしていくようなヒト」 キャラメルの匂いが、わたしの鼻を撫でた。 日向は肌がとても綺麗にやけている。小学生の頃からずっと続けてきたサッカーのせいらしい。あたしは、日向の肌の感触(さらさらしているところとざらざらしているところがある)と、この色(パンの焦げ目みたい)がとても好きなので、よく日向の肌に触れたり見たりしている。そしてわたしが好きなのは日向のコエも同様に。日向のコエは低くも高くもない。だけど、合唱する時の日向のパートはBASSらしい。日向は、わたしが何か歌ってとお願いすると必ず何かを歌ってくれた。彼の今のお気に入りはモンゴル800の『夢叶う』という歌。わたしも気に入っている。 コンビニのレジ打ちをする日向を久しぶりに見た。別のヒトがそこにいるみたいで、わたしにはとても異質で恐いモノに見えた。わたしもその隣でレジ打ちをした。今日は近くで何か行事があるらしくて、お昼時はいつもより混雑していた。レジ打ちのロボットになったみたいだった。早く帰りたかった。日向の歌を聴きながら眠りたい。カタカタカタ。 日向の手も、日向の身体も、この2年間でとても大きくなった。あたしの手をすっぽり包む、かさかさであたたかな手。とても安心する熱だなぁ、といつも思う。日向とは実に自然に手をつなぐようになっていた。 「ゆりこちゃんがね、日向のこと話したら、素敵なヒトねって言ってた」 日向は少し照れたように笑って言った。 「おまえ、何話したんだよー」 日向と、とりとめなく日常的な話をする。この時間が何とも愛しかった。 「沢村がさ、面白いんだ」 日向の学校の話も聞ける。わたしも、学校の話をする。 「レジ打ちロボットみたいだったね。わたしたち」 「高橋さんは、いいヒトだろ。けど、大石さんはあんまり好きじゃねえなあ」 高橋さんはわたしにとても優しく接してくれた大学生の男の人だ。大石さんはわたしは知らない。日向が、つないでいる手に少し力を入れた。信号だ。日向は信号機が赤色をした横断歩道の前に行くと、なぜだか力を強める。青になる。前進する。そして無事渡ることが出来たら弱める。歩道橋の時も同じだ。くせみたいなモノかな、と思った。わたしが、ふぅ、と白い息をはくと、 「寒い?」 と日向は言って、わたしの手も一緒にジャケットのポケットに入れた。日向と手をつなぐと、いつも冷たいわたしのもう片方の手も、なぜだかあたたまっていくのが不思議だった。 ゆりこちゃんのスキなヒトは、別の高校の3年生。ゆりこちゃんはずっとそのヒトに片思いをしていて、去年からつきあっているらしい。「わたしをダメな人間にしていくようなヒト」なんて言うから、どんなタチの悪い不良とつきあっているんだろう、なんて貧困な想像力で想像して、勝手に心配もしていた。けれどわたしのひとりよがりな心配をよそに、見せてもらった写真の中ではさわやかそうなスポーツマンタイプのヒトが笑っていた。どこが不良なの、とわたしはゆりこちゃんに聞いた。ゆりこちゃんは、不良だと思っていたの、とひとしきり笑ってから、 「不良なんかじゃないわ。とても真面目なヒトよ」 ゆりこちゃんは驚く程優しい顔をしていた。ゆりこちゃんに言わせてみれば、そのヒトはあきれるくらい身体を動かすコトが好きで、あきれるくらい純粋に物事を考え向かって行くヒトだということ。そのヒトからラブレターを貰ってつきあいだしたらしい。今時、ラブレターなんてびっくりした、とゆりこちゃんは肩をすくめてニッコリ笑った。あ、また。優しい顔。 「ラブレターなんて笑っちゃうけど、あのヒトだから、笑えなかったし嬉しくて泣けてきた。わたし、嬉しくて泣いたのなんてはじめてなの。とても強く、わたしを好きになってくれていて、それが嬉しくて」 ゆりこちゃんの特別なヒトにわたしも会ってみたい、と思った。もっと具体的にくだいて言ってみると、ゆりこちゃんと特別なヒトのツーショットが見てみたい。こうやって、優しい顔でいつもいるのかなぁ、と、わたしはまた貧困に想像した。 最近、日向はとても部活が忙しい。だから、あんまり遊べない。いつもは、学校帰り(学校は別々だけど、終わる時間が近い)に会ったりしていたけど、近頃は全然会えない。つまんない。日向に会いたい。日向の入っているサッカー部が、県大会進出になったと新聞に載った。電話でも、日向が言っていた。日向はレギュラーに入った。サッカー部の県大会は楽しみにしている。試合は、平日にあるらしいけど、わたしも見に行こうと思っている(もちろん、学校をサボって!ゆりこちゃんも賛成していた)。日向も多分、すごく頑張っているんだろうなぁと思う。日向がサッカーしている姿は見たことがない。だからいつも想像するだけだ。日向に、前に言われた。練習を見るんじゃなくて、大会を見てほしい。日向は市大会よりも大きく、夢は県、全国、とつなげていた。1年生の時は、日向はレギュラーじゃなかった。レギュラーはほぼ2、3年生がなっていた。だからわたしは大会に出ても見に行かなかった。日向の学校は有名なスポーツ校で、日向はスポーツ推薦でそこに入学した。すべて、サッカーをする為に。今、わたしは日向に会えなくてつまらないけど、日向は自分の夢のひとつ目を叶えた。もうすぐ、好きなコトをしている日向の姿が見られる。そして、着実にふたつ目の夢に手を伸ばしている日向の姿が見られる。楽しみ。今、気付いた。日向はわたしの『楽しみなこと』になっている。いつの間にか。日向は形を少しずつ変えるモノを蹴りあげている。 日向から夜電話があった。ひさしぶり、どうしてた?最近、コンビニでもスケジュールがあわないね。わたしはひさしぶりの日向のコエに、泣きそうになりながらも、そっとこらえた。そして、自分を落ち着けた。『ひさしぶり』になっちゃったのはわたしのせいだ。いつでも、メールをすることだって出来るし、電話をすることだって出来たはずだ。わたしはどうしてか、日向に緊張した。わたしは少し黙った。わたしはよく、電話口で黙ってしまう。日向も、わたしがそういうモノだって知っているから、何も言わない。少しの時間が流れて、先に日向が沈黙を破った。 「今度の水曜日、サッカーの県大会に朝から行ってくる」 「へえ。嬉しいでしょ。わたしも、嬉しいよ。初めてだよ!日向がプレイしてる姿見るの!」 日向のコエを、ひとつひとつ噛み締めた。つい、わたしまでコエが荒いでいることに気付き、何だか恥ずかしくなる。それからわたしは、ゆりこちゃんの話をした。日向は優しく頷いたり、時々鋭くつっこみを入れたりした。日向も色々喋った。日向はもともとよく喋るヒトで、やんちゃな感じがする男の子だ。学校でも先生にもタメ口で話していたし、自分のことを大きなコエで話す。サッパリした感じのヒトだ。だけど、授業が始まった途端に眼鏡をかけて静かにする。けじめをちゃんとつけれるヒトなんだなぁとわたしは密かに感心していた。授業の時間になってもダラダラと話している他の子供っぽい子たちとは全然違う。日向の学校の先生の話は面白い。わたしの学校にはまったくいないタイプの先生が多い。日向の学校の友達の話を聞くと、少し寂しくなるけど同時に安心もする。まだまだ知らない部分が沢山あることや、日向自身の世界があることを忘れていない自分に。それじゃあまた今度。バイバイ。おやすみ。電話を切ると、何だか嬉しい気持ちがひろがって、わたしは一度ベッドに横になった。わたしは日向に恋をしている。ひとりで少しはしゃいで、それからホットミルクを飲もう、とキッチンに行った。 キッチンに行くと、まだ母が起きていた。母はお父さんの写真の前で雑誌を読んでいた。 「どうしたの。リカ、眠れないの?」 母は心配そうにわたしを見た。わたしは首を横にふり、レモンイエローのマグカップをとりだして、それにミルクを流し込んだ。電子レンジで温める。母の目はもうすでにわたしになく、雑誌にあった。母はいつもセンスがいい。母はわたしが最も憧れている女性だ。どんな美人な女優も、母には誰もかなわない。 「リカ、あたしにもホットミルクちょうだい。ハチミツも入れて」 もともと、母が教えてくれたのだ。夜にホットミルクを飲むと、いい夢が見られるわ、と。母はわたしが不眠症だった時にわたしを心配していつも作ってくれた。そしてわたしのベッドの近くで本を読んだ。わたしが眠ったのを確認してから自分も眠るんだ。妹が恐い夢を見たりして、眠るのが恐くなった時も近くにいて本を読んだ。母は、いつもそうした。 「はいお母さん。どうぞ」 「ありがと」 あ。お母さんの匂い。母はいつも好んでつけている香水がある。その匂いが、わたしも妹も大好きだった。最近匂いかいでなかったなぁ。いつも、すれ違いになっちゃって(コンビニバイトもはじめたし)。母は、薄いパープルのTシャツの上に黒いカーディガンを羽織っている。わたしは言った。 「お母さん風邪ひかないでよ」 わかってるって!とニっと口角をあげて母はわたしに笑いかけた。おやすみ、早く眠りなさいよ、とわたしにひらひらと手をふった。わたしはそれを返して、階段を上がって行った。階段はだいぶ古くなっている。ギシギシ、と音がしていることに、今さら気付いた。 コエはいつかかすれる。ヒトは、多分、つづく(死なないうちは)。 index |