天下の奇観「あらぎ島」の景観



「あらぎ島」をご存じですか?
「あらぎ島」とは、棚田の名称です。
「島」というのは、古くは「耕作地」を意味する言葉です。
「あらぎ島」も、その意味で湖沼の島ではなく、米作の田圃です。
それにしても、全国に棚田は数多くありますが、
名前を付けられている棚田というものは、そう多くはないでしょう。
この見事な棚田は、和歌山県有田郡有田川町清水の西原地区にあります。

蛇行する有田川の自然の流れ。
その流れがつくりあげた川中島のような孤立した傾斜地に、
清水郷の先人たちは、江戸時代に見事な棚田を開墾しました。
その後も、今に至るまで営々と米を作り続けてきました。

最大の難関は、水田に欠かせない水でした。
清水郷の名庄屋・笠松左太夫が、あらぎ島開墾の難工事に挑戦しました。
およそ一里も上流に取水口を求め、断崖絶壁を切り開いて疎水路をうがちました。
それにより、あらぎ島の水田耕作が可能になったのです。
険しい断崖を掘削する工賃は、「土一升、米一升」と言われたほどでした。


いかに年貢を多く納めるか。それが当時の農村の使命でした。
米の増産による年貢の完納こそ、郷土繁栄の源だったからです。
清水は、平野は少なく、ほとんどが山林です。
高野山系の深山幽谷の谷間にあって、笠松左太夫は、
「山を削り、田を拓け」と号令し、自ら私財をなげうち開墾の先陣をきったのです。
清水の人々も、その指導者の情熱にうたれ、陸続と後に続いたのです。

難工事を成功させた「清水人の開拓魂」は、今日も健在です。
いまも、清水の人々は江戸時代の庄屋・笠松左太夫のことを
「左太夫さん」と親しみを込めて呼び、感謝をこめて開墾の歴史を語り伝えています。
笠松左太夫と村人の闘魂は、いまも、清水の人々の根底に流れています。
どのような苦難に出会っても不可能を可能にする不撓不屈の闘魂を、
この「あらぎ島」は物言わず語りかけているようです。
それは、この地域だけでなく昔の日本人に共通するものではなかったでしょうか。
単に珍しい形だけということではありません。 よくぞこのような蛇行した暴れ川の台地に見事な棚田を開墾したものだ!
という人間の英知と営為への尊敬の念と、驚きが感動となり、
「あらぎ島」を見る人々の心を打つのでしょう。

「あらぎ島」を見物に、また写真を撮影に、多くの人が、清水を訪問されています。
いまの清水にとっては、観光資源としての評価はもちろんのこと、
別の面で言えば、「あらぎ島」は日本にとっても誇るべき生きた農村米作史の生き証人です。
また、巧まずして生まれているその優美な奇観は日本を代表する棚田の傑作です。
しかも、清水の人々は、いまも、この棚田で、米を作り、提供しつづけているのです。
この景観は、末永く守り続けたい日本の「農村景観遺産」といえるでしょう。
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