世の中には、たくさんのすてきなことと、それ以上にたくさんの 変なこと があふれています。たけの五感に触れたものを、記していこうと思います。

そろそろ…
そろそろこの日記もネタが乏しくなってきたなぁ。ていうか、腹の立つことは数々あれど、感動した、嬉しかったことって、なかなか表現出来ないものだなぁ。それが悲しくて、ちょっとお休みしてみようと思ってます。
2002年04月29日 23時41分30秒

最近の国会議員は…!
 明らかにおかしいよ、まるで子供のけんかじゃないか。それを国民の税金使ってやって、「先生」と言われていい気になって。自分たちの言動が、常識から外れていることに、気付かないのか。それで恥ずかしくないのか。
 鈴木宗男議員の証人喚問では、一番目立っていた辻元清美議員。あの証人喚問で一体いくらのお金が動いているんだろう。あの場に出席していた国会議員の給料を時給に直してみて、一人あたり何千円(一桁違う?)×人数×時間…。議員が50人いたとして2時間やったら、議員の給料だけで何十万だよ。これ、日比谷公園とかの青空の下で、他に職員とか付けないで、議員だけでやった場合の値段。あのときは、テレビはどこでも中継していたから、もうかなりの数字になるだろうね(テレビ局は視聴率取れればいいから、それでいいのかもしれないね)。国民の血税と公共の電波を使った子供のやりとり、楽しませて貰いました。
 でも今回は先に負けを認めた(認めてない?負けてない?)鈴木宗男の勝ちだね。こういうのって、結局どちらも惨めな結末になるでしょ。自分の情けなさを自覚できない同士の争いって。それでもって一度勝ち誇った顔を見せた方が、より赤っ恥をかくことになる。
 でもでも、この段階(辻元の秘書給与不正流用)で、辻元は終わってるのに、どうして自民のおっさん達ははしゃいでいるのだろう。これがまた情けないねぇ。政権党なら、堂々と構えていれば、うそでもカッコついたのに。ここぞとばかりに反撃に転じた、なんて、まさに小学生の学級会か、っての。辻元も「私だけじゃない」だって?ハイハイ、良くできました、って花マル付けてあげるよ。
 立派な先生方、もう一度小学校で話し合いのやり方を教わってきましょう。税金使っていいよ。
2002年03月22日 02時25分56秒

恐れていたことが…
 今日、職場の近くで火事があった。紙を扱っている工場(おそらく紙の再資源化か何かの)で、その紙の山が燃えてしまったようだ。昼の3時頃、消防と警察によって付近は交通規制され、また夜になって近くを通ったら煙が上がり消火活動がなされていた。再度燃えたのだろうか?
 そこは以前から気になっていた。工場の入り口は道路に面しており、強い風が吹けば紙が散乱する有様で、しかもゲートもあってないようなものだった。ここに火を付けられたら、ひとたまりもあるまい、等と車の中から眺めていた場所だった。それが現実となってしまったようである。詳しいことは分からないが、失火にせよ放火にせよ、元々危険な環境であったことは間違いない。以前、施設に勤めていた頃、段ボールの空き箱を束ねて置いているだけで、消防署から注意を受けたりしていた。段ボールなどは放火の標的になるとのことで、特に気を付けるようにしていた。ところが、その工場はまるで「どうぞ火を付けて下さい」と言わんばかりにむき出しのまま紙を積んでいた。
 いままで所轄の消防署からの指導はどうなっていたのだろうか。明日の朝刊に載るだろうか。詳しく知りたいなぁ。
2002年03月11日 00時36分58秒

動物愛護の範囲
 動物虐待のニュースが報じられると、いたたまれない気持ちになる。それは「強者である人間によって、罪もない動物が痛めつけられる。」という人間としての罪悪感から出ている感情のように思われる。世の中の多くの人が持つ感情であろう。しかしそれを組織的に理屈を付けて主張する、いわゆる動物愛護団体というものには、一種の嫌悪感を覚える。
 動物愛護と自然保護は、言葉は似ているが、全く別のカテゴリーである。動物愛護はあくまで「(愛すべき)動物を(善良な)人間が守ってあげること」であり、自然保護は「(あるがままの)自然を(なまじ知恵を付けてしまった)人間の手から解放していくこと」であるといえる。つまり両者は全く逆の方向を向いているのだ。動物愛護の主体は人間であるのに対し、自然保護は自然そのものが主体である。動物愛護団体の主張を聞くたびに、人間の傲慢さを感じてしまうのは、行き過ぎだろうか。
 科学の進歩による恩恵(医薬品や食品など)を受けながら、動物実験に対して抗議の拳を下ろさない、食文化の違いよりも自分(達)の価値観を優先させる、自分(達)以外の人間は動物愛護についての意識が低いと決めつける…
 こういった醜さが溢れ出ているように感じられてならない。むろん「自然保護団体」の中にも、自分の身の回りの環境さえ安全に保たれていればよい、といった運動展開をしている団体もあるだろうし(そういって憚らない某大国もあるし…)、なおいえば「団体」と名の付くほとんどが「我こそが最先端」と自負しすぎて、勘違いに気付かないものであるとも言えるが。
 動物愛護団体は、障害者団体と同様に、こういった疑問や違和感を跳ね返すほどの「正義感」に溢れている。だから当事者はその主張がいかに自分本位で排他的であるか、ということに気付けないのではないか。犬や猫を可愛がりながら、ゴキブリやハエを「害虫」と呼んで区別し、平気で叩き潰す。これをおかしいと思わないのだろうか。動物愛護がいかに人間本意の考えに基づいている、と認めることは、困難なことなのだろうか。
 動物が可愛くて、愛おしくてたまらないなら、せめて自分のペットだけに思いを込めてくれ。せめて他の生命を私物化しないでくれ。せめて正義を語らないでくれ。
2002年03月07日 13時44分46秒

ホームヘルパー
 自分がホームヘルパーの仕事に就いて、ちょうど1年になった。10年ぐらい前から、身体障害のある方のお宅でボランティアとして介護をしてきたが、仕事となると、また違った感覚を味わっている。
 ボランティアでもそれなりの責任と緊張感はあったのだが、回を重ねるごとに「友達感覚」になっていた。契約によるつながりでもなく、ある種の気楽さの中で接してきたためか、介護する上で何か不都合があっても「まぁいいか」くらいの感じで済まされてしまったり…。良くも悪くもボランティアだったのだと言える。今、介護を職業としている自分から見ると、「何とまぁ気楽な関わりだったなぁ」と懐かしくもあり、ちょっぴり反省もしている。
 これまで福祉の枠の中で語られてきた「介護」が、「サービス」即ち「商品」としてとらえられるようになってきている。福祉自体も「弱者への施し」から「自己実現への援助」へと価値転換がなされつつある(→いまだに「施し」感覚で福祉に携わっている人間も棲息している)が、特に高齢者への介護分野では、介護の商品化が急速に進んでいるようだ。
 自分もヘルパーという職業に就いて、それほど時間が経っていないため、あまり大きなことは言いにくいのだが、福祉本来の意味や目的を理解して介護に従事している人がどれだけいるのか、時々疑問に思ってしまう。善意のみで仕事をする人、自己満足でやっている人、といった従来の福祉従事者タイプに加えて、機械的で味気ない介護を「合理的なサービス提供」と勘違いする輩も増えてきているのではないか。更にはまるで「下僕」のような態度で自分を必要以上に卑下したり。どれも利用者の視点に立てずに、必要とされるサービスからますますかけ離れていってしまうのだ。
 サービスとは、--勿論主体は利用者であるのは間違いないが--、(もし自分がそのサービスを受けているとしたら)といったことを想像しながらでないと、満足に提供できないものではなかろうか。それは自己満足にも繋がりやすく、バランス感覚も必要となってくるが。それらを含めて自分たち従事者は努力を重ねていかないと、結果として誰も幸福になれないまま、時間と労力と介護保険料だけが流れていってしまいかねない。全国の従事者とじっくり膝をつき合わせて語り合ってみたいものだ。
2002年02月28日 01時32分38秒

車のローン広告って
 某国産車の広告に、標準価格140万円の車で「月々4000円から」なんていうローンの例をデカデカと表示してあった。おっ、これなら買えるかも!などと胸を躍らせて読んでみたら、4000円という表記の1/10くらいの小さな文字で「元金100万円で72回払い、ボーナス時7万×12回の場合」とあった。<まあ世の中そんなにうまくない>とは思いつつも、頭金100万払えるだけの余裕があって、なおかつ、あと40万は、どうしてもローンを組まなくちゃならないというごく限定されたタイプの購買層に訴えかける広告なのかしら?なんて思える私でもなかった。
 こうまでして広告を打たないと、車って売れないものなのかなぁ。全然消費者の身になっていないで、とりあえず興味を引っ張ってきて、後からオプション付けるような、そういうことでいいんか?
2002年02月06日 00時48分46秒

成人式は誰のもの?
 今年も各地から成人式がらみのニュースが聞こえてきた。式の妨害のような騒ぎはさすがに減ったのだろうが、今度は自治体独自で様々なアイデアを凝らした成人式というものがよく報道されていた。
 ディズニーランドで、親同伴で、出席者に現金プレゼントあり…。
そんなに成人式に来て欲しいのか!!
アイデアを凝らすとはそういう意味なのかいっ!

 成人を迎えた子どもに対して大人がお祝いをするというのが、成人式の本来の意味なのかも知れないな、と思えてきた。昔の「元服」とは異質の儀式だろうと。
 しかもそれは自治体が(国民の祝日と定めているという意味では国までもが)、血税を使って執り行う大きな儀式なのだ。ニュースでは新成人の7割以上が「自分を大人だと思っていない」という。経済的に、精神的に、まだまだ子どもだと。それは事実であろうが「ならどうするか」を考えさせるのが、大人の役割だろうし、考えるように育ててこなかった大人側の責任は重い。
 それらを一切棚上げして、「成人してしまった子ども」をお祝いすることに何の意味があるのだろう。誰が訓辞を述べようと、有名人がエールを送ろうと、響かない人には響かないだろうし。たいして話も聞きたくない、話を聞く態勢もできていない新成人を集めて、一体何をしようというのか。そもそも成人式は誰のためになっているのだろうか。呉服屋と美容室と売れない芸能人のためだけなのか。

 主役不在というか、誰も自分が主役とは思っていないというか。しまりのない儀式。大人の提供する「子供だまし」に集まる、子供たち。
2002年01月17日 19時24分46秒

新年あけまして...
新年あけましておめでとうございます。

 年末年始、ずっと働き通しで、やっと今日から正月休み。
 何かに集中していると、時間の経つのが早い、とよく言われるけれど、この1週間はとても長く感じられた。だらだら仕事してたってことかなぁ?
 テンポよく効率的に仕事したいけど、そうするとなんか大事なことを見逃してしまいそうで...。かといって、いろいろな気づきを大事にしながら仕事していたんでは、きっとまた心を病んでしまいそうで。

====うつ症状を持つ私としては、バランスを取っていかないとコケることもあって。でもそんな自分を楽しんでいたりもする。家族にとっては迷惑な話でもあるが...今のところ妻は見守ってくれている。感謝。====
 
 大事なことは、自分で地面に足をつけているという実感。自分を振り返る余裕。ついでに笑っちゃうこと。あっという間に過ぎていく時間に、笑われないように。

...と、これが新しい年に感じたこと。心にとめたこと。

 
 
2002年01月06日 03時49分07秒

「今年の重大ニュース」の季節にややBLUE
 イヤなニュースが続いた一年だったけど、この時期まとめて眺めると、本当につらい。
 大阪の池田小の事件、幼い生命を奪ったこと自体許せないが、犯人が精神障害を装っていたということは、非常にショックであり、同時に言いようのない無力感に襲われた。精神疾患を持ちながら、ギリギリのところで生活を維持している人や、世間からの偏見と無理解に耐えながら暮らしている多くの患者さんたち...。どういった思いでこの事件を見聞きしたのだろう。
 異常な犯罪の裁判で「心神耗弱のため責任能力なし」といった判断が下される度に、「いつかこの法律を悪用する人が出てくるのでは」と誰もが気にしていたはず。それを最悪な形でやってのけたのがあの事件。正直いって「あーあ、やっちまったか」というのが、最初の感想だった。(他にそういった例を知らないもんで)勿論そんな感想を持つことすら許されないくらい悲惨な事件だったが、自分にとっては、その時点であまりの無力感の大きさに、それ以上のことを考えられなくなっていたのかも知れない。
 いま時間をおいて改めて感じてみている。精神障害や疾患に対する世の中の風当たりは、あの事件以降どうなったのだろう。少しは真正面から考える人が増えただろうか。「通院歴があれば精神鑑定が必要」みたいに安直なことを考える人は、少しは減っただろうか。そしてあの事件以降、自分は何を考え、何をしてきたのだろうか。
 ...なにも考えられていないなぁ。やっぱり自分はその他大勢のなかで無責任に過ごしているようだ。
2001年12月28日 01時30分55秒

赤ん坊の目に映っているのは?
 うちの赤ん坊は、生まれたときには、空中のある一点を見て(?)いた。それから半年経った今、笑いかけたり話しかけたりするこちらの表情に、明らかに反応している。
 科学的には、目の焦点調節の機能が発達してきたからだ、とか、外界の様々な事柄への認識が芽生えてきたからだ、とか言えるのかもしれない。でも、そういった視点に寄りかかって、赤ん坊の行動や成長を見ていくというのも、何となく味気ない。赤ん坊は、本当は何を見て、何を感じているのだろう。
 私と向かい合って、こちらが笑いかけると赤ん坊も笑い返す。「おーっ」って口を開けると、「あーっ」って口を開けたりする。そんなとき、何となく意志疎通できているように感じてしまうのだが、実は赤ん坊が何を思っているか、何を見て感じているか、<確認>するのは難しい。状況から類推するのがせいぜいだろう。(それでも母親は「おなかが空いてる、おしめが濡れている」等と見極めていく。すごい能力だと思う...)
 ただはっきりしているのは、微笑み合えば心地よいのだということ。意志疎通があろうとなかろうと、心地よいというのは事実だ。実は赤ん坊の目には、そういった「心地よさ」などの事実だけが映っているのではないだろうか。いろいろな思いや感情(←感覚ではなく)よりも、事実が全てであったら、これほどシンプルなものはないね。赤ん坊にはキャパがないから、シンプルでいることしかできないのかも知れないが、「事実に基づいて生きていく」っていうのは、すごいことかも知れない。 

 赤ん坊相手に限ったことではなくて、人と人との関係ってそんなものなのかも知れないなぁ。(話が脱線して...尻切れトンボで今日はおしまい!)
2001年12月19日 01時17分58秒

自画自賛
 職場で使っている車を洗ったら、とてもきれいになった。窓もピカピカで、いいもんだなぁ!(当番なんだけどね)
 スタッフみんなで使う車だけに、みんなの「おっ!きれいになってる」といった顔やら声が聞こえて来そうだ。ついでにオイルの減り具合やタイヤの様子を点検したりして、安全にも配慮。みんな無事に仕事をして欲しいからね。
 なーんてこと、すべてが自画自賛。自分のためにやってるだけなんだよね。自分が満足したいから。自分が役割を果たしているって実感したいから。だから自画自賛でいいじゃない!
 今日はとっても寒い日だったけど、拭き切ったフロントガラスに真っ青な空がきれいに映っていたよ。
2001年12月11日 21時51分44秒

また田代ま○し?
また田代ま○しが捕まったって?
 のぞき癖(へき)も盗癖と同様に、なかなか治らないんだろうなぁ。でも世の中に対して不快感(被害者には苦痛と恐怖か)を与えるって、どう扱ったらいいんだろうね。
 勿論、他人にとっては、「そういう癖を持ったおまえが悪い」と言えば済むことで、被害者にとっては、「一生人前に出て来るな」ってこと。それなら、肝心の本人と、それを支える家族にとっては?
 社会的責任を問われるのは仕方ないとして、もっと真剣にならなくてはならないのは、そういう癖を持った自分にどう向き合えるか、ということだし、家族としてもどう受け止め、支えるのか、切り捨てるのか…。
 明日からのワイドショーは見たくもないけれど、彼とその家族のことがとても気になる。
2001年12月11日 00時20分50秒

今日からつぶやき初め
やっほー! やっとホームページの外枠が固まってきたので、つぶやき日記を始めるのだ。

 今日は世田谷区の障害者ふれあい祭りに参加して、一緒に歌ってきた。去年は区役所の中庭がステージだったけれど、今年は区民センターのホール。音響もしっかりしていて、歌いやすかったぞ。
 懐かしめの歌を何曲か演奏したんだけど、お客さんも世代ごとに反応があって、舞台から見ていておもしろかった。他にも手話で歌うグループと競演したり、知的障害を持つ人を前面に出したりして、盛り沢山の内容だったなぁ。みんな歌っているときの表情がいきいきしていたのが、特に印象的だった。歌い始めるまでのはにかんだ顔も素敵。
2001年12月10日 00時20分45秒

HOME | HeartLand-Hinokiのページへ | メイン | 今すぐ登録