日本縦断(’92)使用・MTB

1992年に新潟・新潟市〜埼玉・大宮市ノンストップ330km23時間や、日本縦断(鹿児島県佐多岬〜北海道宗谷岬)をした時に使用したMTBです。今でも時々散歩に使うことがあります。(バッグは付けないですよ。)
1989年(もう12年もまえかあ。)に大学合格時に嬉しくてオーダーしたフレームです。(埼玉・志木のヨシダサイクル)フレーム価格は65000円くらいだったかな?その後、少しづつパーツをつけ、完成したのは91年頃です。
日本縦断のひとつのスタイルとして、当時の考えを今に残しています。

ハンドル周り。ハンドルはスコットのAT−3です。こんなハンドル付けてる人、今では見ませんが、当時はマルチポジション(いろいろなところをもてる)ハンドルとして、少し注目されていました。ランドナーバーにもそれなりに理由があり、有用性はボクも認めていますが、これはMTBですので、このようにしたわけですが、実際、上半身の疲れを防ぐには、非常に効果がありました。もし、一文字ハンドルだったら、日本縦断は出来なかったと思います。もし、このハンドルがなかったら、クロカン用ハンドルなどを使ったでしょうね。
ステムは最近交換してしまいましたが、当時はOffroad製のフレックステムという製品を使用していました。ツーリング車ですから、当時はサスペンションフォークも出始めで、まだツーリングを使うことは現実には難しかったため(キャリヤ取り付けの問題もあった)、ステム側でショックを吸収できる、この製品を選んだのです。いまは廉価なものを付けていますが、やはり手は楽ですね。

ブレーキレバー・シフトはシマノのデオーレXTを使用しています。当時のチェンジはラピッドファイアーと呼ばれるもので、ギヤのアップもダウンも親指を押して変速するタイプでした。その後、ラピッドファイアープラスと呼ばれる、(”今の自転車”についているXTRがそう)親指と人差し指で変速するシステムが出来ました。今の流行はどうなってるかって?・・全然わかりません(笑)

フロントブレーキ周り。キャリヤの取り付けに苦労しました(頑丈で、しかも輪行が出来るようにするため)。なで肩のクラウンで、ガードは壊れない樹脂製で、クラウンへの取り付けはベルクロ止めとなっています。キャンピーは性能・耐久性ともに、信頼できる製品です。

トランスミッション。サンツアーの170oとトリプル(48T・36T・24T)、そしてシールドBBです。峠ではインナーを多用しましたが、故障などは一度もありませんでした。チェーンは日本縦断中に一度切れましたが、それ以外に大きなトラブルはありませんでした。


FDはデオーレXT。ペダルは通常のクリップとストラップです。通常の運動靴を使用することが多かったので、このような形になりました。ボトルは縦断中は3つ付けていました。それでも真夏の晴れの日には、ペットボトル3本(4.5リットル)のむ日もありました。

リムはRM−20。これは丈夫なリムで、当時のまま、まだ使用しています。日本縦断中、リヤのスポークが2本切れましたが、それ以外はトラブルもありません。日本の舗装された国道を走る日本縦断なら、1.5のスリックがベストチョイスです。


リヤ周り。キャンピーの取り付けのダボ位置がこのように変則的になっています。RDのデオーレXTのデザインは今では古風に見えるかもしれませんね。これは7Sです。スモールフランジです。キャンピーの枠に守られていたせいか、エンド・RDをぶつけることもなく、輪行時はRDを外し、別のエンド保護チューブを付けていたので、長い輪行でも、壊れたりは全くしていません。またいつか、輪行のノウハウをアップしたいですね・・・。

リヤ、ブレーキ。キャンピーの取付かたに注目。ナットを2つ使い、輪行時に外せるようにしています。こんな形のブレーキ、今は誰もつかってないんだろうな・・。

これがボクのサイクリング人生の伴侶、ブルプロ(ブルックスプロフェッショナル)です。現在、プロショップでも、ウレタンベースのサドルをすすめるところが多い中、僕はこのサドルは、自転車を替えてもサドルは(長いツーリングに行くなら必ず)これです。
はっきり言って、これを無くしたら、サイクリングやめます。(ほんと)
1986年に購入し、かれこれ15年も付き合っている、僕のからだの一部です。


リヤビューとフロントビュー。日本縦断の時、後ろにはテントやシュラフなどをつけていました。

佐多岬と宗谷岬の旗。佐多岬の物は、これを自転車に付けて3200km走ったので、汚れています。北緯31度から45度。
この自転車は今でも自宅に大切に動態保存されています。時々外に散歩に行く時があります。この自転車で、もう一度日本縦断することって、あるとおもいますか?
自分にも分かりませんね・・。