時間に抗う
哲学的なことを語る場所にする予定。
例えば、妻子持ちの人とつきあうことが
なぜ不倫かということについて
時間という拘束がいけないのです、
と言うような解釈ができるのでは?
なんて文章がだらだらとのります。
・・・なんてことはやめるかもしれません。
ただの雑記帳スペースになるでしょう。
E、突然うまれるわたしについて 04.4.17
わたしはたった今この星の全てを創造し、
23歳で男でなよなよとした人間を主人公とした
世界を構築して、ゲームをスタートしたのです。
ということを高校の時に考えたことがある。
というよりしょっちゅうだ。
全くもう、今ここにいるということが不安に
なるのだ。泣きそうになる。多分、
砂漠の真ん中に一人残された気分に似ているの
かもしれないと、勝手にそう思っていた。
流れや一般といったものから離れてしまい、
いつも一人ぼっちで。それを望むつもりはなくても
いつの間にか自分の心が一人になることを望んで
いるのかもしれない。
なんでそんなことを考えるようになったのか。
多分、それは自分が自分の昔の事をあまりにも
覚えていないからということに起因する。
人が人として成り立つ為には、生まれついたそのときから
毎日毎時毎分毎秒、少しずつ起こったその
コマ数がつながっている映画が成り立つのと
同じ仕組みである。
或いはジグソーパズルと似ているとも言える。
毎日突然空から降って涌いてくるピースを使って、
全体のうちのどこにそれがくるのかを考えながら
はめ込んでいく。僕の場合はいつになってもその全体像が
つかめないままたまに幾つかのかけらを一まとめにして
あるやつが何ブロックか野放しになっている状態だ。
しかし、今、昔を振り返ると、はまったと思っていたピースが
なくなっていたり、映画の最初のシーンがごそっと欠けていたり
するのだ。どうしても思い出せない。
すると、僕という構造のうちの下辺部分がごっそりなくなって
いることがどのような不安定な状態を示しているのか。
ピラミッドで言えば、一番したの部分がないのに、
なぜか一番先端の尖っている部分を自分自身として
その部分だけ鮮烈に意識しているという感覚。
空中を浮遊する謎の金字塔。
これぞまさに地に足がついていないということだ。
しかし、そんな物理法則を無視した状態は
「あってはならない」。
どうするか。ひとつには物理法則に従って、下辺部分を
取り戻すという手がある。心の旅をすることだ。
そしてもう一つが僕の採る方法。
物理法則そのものを変えてしまうことだ。
すなわち、世界そのものを作り変えること。
僕が世界になること。
そういうことなんだろう。
雑記。04.3.16(火)
『僕と彼女と彼女の生きる道』をみてます。泣けるわけです。
うちの家庭も普通ながら父親が仕事優先の人で、自分は
ファザコンです(おかげで、ということになるかどうかはわからないけど)。
ああいうのって、筋書きだけ見てればやっぱり子供のことを
考えるのが父親でも大事なんだよね、的なメッセージが
ばっさりといってしまえばそういうことなんでしょうが。
やっぱり大事なことが欠けているわけです。
それは、生きていくための時間やら金やらという現実問題で。
つよぽんは、仕事より娘のためになにしてやれるか、ということに
プライオリティをおき始めますが、普通ならば無理なんじゃん。
だって、お金はどっからでてくるわけ?今まで妻に子供の世話を
押し付けて、出世して稼いだお金があるから家も蓄えもあるわけで。
でなければ全然あんな広いおうちで子供の面倒みたり、
家庭教師雇ったりできないわけですね。
僕なんか一度に一つのことしか出来ないから、こどもが
かわいすぎたらそれだけで仕事がなくなってしまう気がします。
これが女の人だったら結構上手く行くわけで。
女の人は一度に複数のことを処理するのが上手な人が多いです。
男の人はそれが苦手な人が多いといわれています。当然、
僕は大の苦手です。
大抵、恋愛モードに入ると、他の仕事は凪に入ります。
きれいなくらいフリーズしますね。
ごほん、それはよろしい。
だから、そういうことを考えると片親だけで育てるなんてことは
大変なのだなと、それだけなんですが。
一人では生きていけないから、色んな人の支えが必要になるし、
子どもがいるから生きていく気が起こるのだろうし。
そう、僕は父親から「お前のために働いているんだ」という
感じの言葉を柔らかいニュアンスで聞きたかっただけなんです。
どんな意味においても必要とされたい。
D、ゆとりと自信について04.2.10
僕にはゆとりがない。マイペースではあるけど。
人間、ゆとりがないとつまらない事で怒ったり泣いたり
叫んだり。
ひとによって、ゆとりが何であるかは違う。
お金かもしれないし、時間かもしれない。でも
どちらかに還元できると思う。
貧乏で時間はあるけど、金がない。
金持ちだけど、時間はない。
欲しいものを手に入れようとすると、もう片方が
嘘のようにするりと逃げていくような気がする。
あった、自信は金でも時間でも作れない気がする。
いや、金で買えるし、時間をかけないとつくれないけど、
そういう問題ではない気がするのだ。
自信は、自信を持たないことには始まらない。
自分を頼ることが出来ないと自信は出来ない。
自分を頼るには、@自分が信用するに足る人間になるか、
A自分のことすごいと思えるバカになるかだと思う。
@はもの凄く努力しなければいけないし、
Aはバカに徹しきらなければいけない。
無理だ。僕にはどちらもできそうにない。
ふらふらした半端もんだ。
なんでこんなに自信にこだわるのか。
何もないから、かもしれない。或いは自信のある人が
頼られるからかもしれない。多分一番こだわりたくなる理由は
今のままでは自分が揺れているからだ。
揺れながら生きることがどうしていけないのか、と問われると
僕はもっと戸惑うことになるが、
しっかり生きてないことに対してやたら不安になるのは確かだ。
軸を持った生き方がかっこいいとか巷だと言われるからかな。
(という言い方は論文中では禁忌だったのでなんだか罪悪感を感じる)
とにかく、自信を持つことは僕の中である種の
神話になってることは確かだ。自信をもてばエブリ寝具桶。
C、80年代懐古回顧について03.12.12
ああ、とうとう名前ついちゃったよ。
みんなさー、うすうす気付いてたのに、名前をつけちゃってさ。
もう完全「骨の髄まで豚骨スープにして飲み尽くす」
モードにはいっちったね。
色んな所でリバイバルCDとかファッションとか(あったか
どうかしらないけどさ)なんとかかんとか起こってて。
特に音楽とTVが私には目に付いたんだけど。
今までは色々な世代のものが振り返られてましたな、
・亜麻色の髪の乙女
・白い巨塔
・タイムボカンシリーズのDVD
・グリコかなんかの昔のヒットドーナツ盤を8cmCDに
再生したおまけのお菓子
などなど。(もっと記憶力を維持しなくては)
なのにこれから80年代限定になってくのかなぁ。
リバイバルブームが完全に商品として成り立ってしまうのが
ちょっとショッキンです。
リバイバル、別にみんなが
「昔の時代はよかったねー」っつう気持ちが
同時発生したわけじゃないと思うのです。
きっとね、ガンダムとかアニメ系の消費の仕方をしてる
オタクをみたり、子供とウルトラマンについて語ってる
親御をみたりして、だれかが気づいちゃったんですよ。
「昔流行ったものを生で体験してた奴らが
今金持ってんだから、昔のヒット商品を今に持ってきたら
あほだから(←余計だが)買うでしょ」みたいなことをね。
そんであれですよ。
80年代に20代前後だった人々が遊べるディスコが
できましたとかね、80年代を回顧するマンガが
新聞でとりあげられたり(毎日新聞の「マンガの居場所」
という記事)ですな。
今脂が乗ってる40代がそういう消費を
全力でできるような態勢ができてきてます。
リバイバル、すごくね共感してるんですよ。
学園祭の企画をやってた時に同じような発想をしました。
「コケることなく、しかし確実に盛り上げられる
企画の打ち方はないか?」と。
そんなローリスクハイリターンな企画あれば
みんなのっかってっくるわけですが、
このリバイバルという現象は非常に曾遊面をもってるわけにゃ。
だってうえでも書いたけど
「ヒットが保証されてる(昔流行った)」
「消費に飢える人がいる(しかもそのヒット商品を
ほしかったが変えなかった人が今金を持ってる!!)」
ただ不安なのはこのリバイバル、
そのうちネタが尽きてしまうこと。
前に進む為には新しいものをつくる
必要があるんだけどね、まあつねに
右肩上がりの成長も息が詰まるし、
1段落ついて休憩ってとこかね。
IT新三種の神器とかでてきてるし
またうちらもがんばってゆけばなんとかなるのかな。
かきたかったことは、
確実性とその陰に潜むワナだったのですが・・・。
いまは明るい方だけでいいや。
Bひげについて。03.11.27
最近、あごひげとか生やしてる人多くありません?
はやってますねー。と勝手に主観的に感じてますが、
あれって原因は何?誰がはじめたの?
まあひとつに男性が男性性(マスキュりん♪)を
復刻したいと思っているからなんじゃ奈いっすかね。
昔なら仕草とか、思想とかに頼るべき所を
(今日うたばんでショーケンがすごかったみたいなことをやってましたな)
やっぱり今の人は形に落とさないとダメなんですな。
形而下万歳という安直な世界。
ポストモダン→全てが等価→頼るもののない世界
→皮肉にも単純な思考こそ最も頼るべきもの
なんて構図が浮かびました。
絶対そんな単純なわけないですな。
まさに概念遊びです、これがしたかった。
1、自分について
高校の頃ずっと自分は何の為に生きてるんだろう
ってひたすら考えてました。哲学スルことがかっこいいと
思ってたのもあるし、本気で自分がこの世にいるのかどうか
わからないというのもあった。てゆうか、この世が全部作り物で
自分もその作り物で、自分が消えたらこの“作り物”な世の中は
どうなってしまうのかと思った。
あとねぇ、世の中のことって全部数値化できるんじゃないかって
ゆうのも考えた。今考えれば資本主義に毒されてるなぁって気は
少しするが。お金で買えるもの以外、例えば性格すらも
負けん気+10、ヒヨリ度+3、みたいな感じでいけるし。
優しさと残酷さみたいな相反すると思われがちな感情も
場面によって変わるだけだからとその考え方に矛盾を感じなかったし。
そうやってヒトを数値化していくと、自分に価値があるのか、という
自己否定が浮かんでくる(ほんとは自己否定から入ってるだけなのかも)。
文を書く才能も計算処理の速度も何もかも、全て自分が1位になれる
才能なんてないんじゃないか。だとしたら何一つ突出していない自分に
何の価値があるのか。ないじゃん。誰からも認めてもらえない。さみしい。
と孤独に浸ってたのです。
何でもいいから1番になれるものがほしかったんだな。
それしか自分の中での価値基準が成立してなかった。ただただ
向上し続けないと人間の価値はないって。ぐずぐずしてたらダメだって。
追い詰められてた。少なくとも競争しなきゃって思ってた。
何の種目で、誰と競争するかはちっともわかってなかったけど。
A、不倫はどうして不倫になるのかわからない。
好きだった人が妻子持ち(夫子持ち)だったら?その気持ちはスッパリと遠い彼方へ置いてこなければないのだろうか?
その人がもし妻子(以下旦那と子持ちは略)をこさえる前に私と出会っていたら
それは不倫にならないでしょうに。そうだ、私の愛する人が妻子をこさえてなければ
今ごろ私と彼はハッピーなのに!どうして私はいつも妻子もちばかり愛してしまうのかしら?
法律的解釈なら「人の物はとってはいけない」というところかしら。でも私はあの人のことを
もの扱いなんかしたくないわ。
もし私が奥さんより前に、いいえせめて奥さんと同じ時期に会っていたらどうだったかしら?
私が勝ってるかも知れない、いいえ絶対に勝って見せるわ。
でもその私はその当時なら10代、今の私とは違う。
そんな私をあの人は好きになってくれるかしら?
でも、私はずっと私だったわ。
・・・そんなことはないかもしれない。
大学デビューして、目の前が開けた私、高校の時なら
若さはあるけど、今のような明るさは醸し出せないかもしれない。
そうよ、でも今の私なら?それはムリよね、タイムマシーンでもなきゃ。
あーあ、タイムマシーンがあればあの人への想いを誰にも避難される
ことなんかないのに?
今の私を好きになってくれた、今のあの人をかけがえがないとつよく感じている。
でも今のあの人がとても憎い。どうしてあの人と会わなければならなかったのかしら。
![]()
時を戻す