自己紹介・・・はじめまして!
伊賀に住んでいる「あや」と申します。英会話に携わって、約5年。今は個人で教室をしています。これ以上に興味を持ってくださる方は、下をクリックしてくださいね。
私はもともと、英語があまり好きではありませんでした。中学校一年のときは、3単現のSがわからなくて苦労したぐらいです。そんな私が英語大すき人間になったのは、中学校二年の夏休みのホームステイからでした。
中学校二年の夏休み、1ヶ月間アメリカのペンシルバニア州にホームステイしました。これも、自分からすすんでではなく、母親が半強制的に勧めたからでした。(今はとても感謝していますが。)この時は未来形もなにも習っていない状態でいったので、コミュニケーションには苦労しましたが、暗号のように単語を並べるとわかってくれるのが、面白いと感じました。「こんな、わけのわからん言葉でも、わかる人がいるんだなあ。」と、あたりまえのことに感動したものです。
もちろんホームステイ生活は楽しかったのですが、英語に力をいれる一番のきっかけとなったのは、男の子でした。(^。^) ちょっと気になった男の子がいて、その子とちょっとでもコミュニケーションがとれるように、がんばったのです。帰国してからの私は、「この単語を覚えたら、もっとあの子に近づける!!」と、英語に燃えるようになりました。周りの英語好きの人に聞いても、こういうきっかけは、非常にポピュラーみたいです。
そんなふうに興味を持つと、英語がどんどんおもしろくなり、わかるようになりました。そして、留学したいと思ったのです。
最初は、大学に入ってから留学しようと思ったのですが、高校1年生のとき学校側から交換留学制度の説明がありました。「受かったら、行かせてね。」と親に軽い気持ちで言い、試験を受けたのです。英語の試験のほかに、エッセイ・面接もありました。そして、試験に受かり、アメリカ・イリノイ州へ旅立ったのです。
留学生活のことを詳しく書くと、本になってしまいますので、簡単に経緯だけにしておきます。高校3年生として転入し、卒業することができました。(すべての高校で卒業が可能というわけではありません。)そして、まず最初にESL(English
as a second language)のコースを取りました。これは、アメリカの大学に行こうとしている、外国人のためのコースです。レベルもいくつかありますが、私のとったコースは、主にペーパーの書き方を勉強しました。
ホストマザーのアドバイスで、まずは私立の小さい大学に入ってから、州立大へ転校することにしました。大学に入るためには、アメリカの高校生はSATを受けますが、外国人にとって一番必要なのはTOEFLの点数です。私が行った最初の大学は、キリスト教関係の小さな大学だったので、あまり入学する上で厳しいことは言われませんでした。入学するのは簡単なのです。卒業するのが大変なのです。
最初の大学でGPA(Grade Point Average)のポイントを高く保って、州立大へ転校しました。入学時で楽をしたぶん、GPAを高く保ち、転入の手続きをふむのには苦労しました。最初の大学は、宗教関係の大学だけあって、かなり校則が厳しかったのですが(ジーンズをはいちゃいけない、とか、映画を見てはいけない、とか、日曜日はスカートじゃないとごはんがたべられない、とか)、州立大学は本当に自由でした。Sorority(サークルのようなもの)にもはいって、Sororityが所有する建物で1年間暮らしました。
州立大では楽しいことが満載で、ほんとうに充実した学生生活を送ることができました。もちろん、遊びだけではなく、勉強する環境もスケールがぜんぜん違いました。私が大学生だった8年前でさえ、コンピューターはそこらじゅうにあり、自由に使えたのです。もちろん、インターネットにもつながっていました。イリノイ州立大学は生徒数約5万人。二つの町にまたがった、大きな大学都市みたいなものなのです。
私の留学での一番の目的は、留学生活を可能にしてくれている両親に恥ずかしくないよう、勉強することでした。アメリカでは多くの生徒が、学費を稼ぐためにバイトをしています。ですが、留学生は一部を除いて、働くことができません。(カフェテリアの中とか)せっかく、親が援助してくれているのだから、遊んでばかりでは留学の意味もありません。(でも、勉強ばかりでも、留学の意味がないとは思いますが。)私も3年生になるころは、かなりコツをつかんできて、サークルのパーティーなどにせっせと参加することができました。毎日3時間は勉強していましたが、遊ぶときは遊ぶ。そして、卒業時には、GPAが高いということで、特別に表彰されました。(もちろん私ひとりではありませんが)あとは、就職・・・。日本では氷河期と呼ばれる時代でした。
日本人留学生向けの、日本企業説明会というものが、BOSTONで開かれていました。ですが、時代は氷河期。私は女性。おまけに、大阪でしか働きたくないときている。就職はかなり難しかったです。(それに、日本企業は、枠から外れた留学生はかかわりたくないという感じも受けました。)そのなかで、アメリカ企業とのベンチャービジネスをしている、中堅企業に雇ってもらうことができました。役職は、国際部社長室秘書。なんのこっちゃと思うような肩書きですが、普段は国際部の仕事。時によっては、社長の秘書という仕事でした。社長について海外出張に行ったり、英語の文書を訳したり、華やかに聞こえますが、ひまでした。中堅企業といっても、ベンチャー企業としての仕事はまだほとんどなく、雑用っぽい仕事の方が多かったのです。
主人の転勤でその会社も辞め、大手英会話学校で講師として働くことになりました。はじめはどきどき、でも仕事がこんなに楽しいなんて!と思える仕事でした。ひとつ難点は、夜が遅いこと。家に帰るのは9時を回ってからなのです。いろいろありましたが、スタッフにも恵まれ、とても楽しい思い出です。・・・そう、また主人の転勤で転職をしなければならなかったのです。
夜が遅い仕事はちょっと・・・と思い、パートで小さな英会話学校のマネージャーをすることにしました。夜は早く帰してもらったのですが、やはり、英語を自分で教えたい。そう思って、「夜遅くない英会話学校」を自分でつくることにしました。
そして、1999年11月11日に第一回目のレッスンをし、2000年の春から本格的に募集をしました。私の英会話学校(といっても、私ひとりですが)は、訪問して教えるのです。車のない方や、赤ちゃんのいるお母さん、送り迎えに疲れているお母さんたちに、喜んでもらうことができました。私も仕事場と家を切り離して考えられるので、とてもこの方法が気に入ってます。悩みは、個人でやっているので、情報収集がむずかしいこと。このホームページを見て、「情報交換しよう!」と言ってくれる方は、是非!メールくださいね。