
| 著書 | 『一燈園法話 人生逃げ場なし』(PHP出版) 『歩いたあとに一輪の花を』(ぱるす出版) 『捨てなければ得られない』(柏樹社) 『叶力』(サンマーク出版) 『無いから出来る』(大和出版、他) 『教育根』(サンマーク出版) |
| ビデオ | 『人生と商道を考える』(PHP出版、全15巻) 『超常識の発想』(PHP出版、全5巻) 『歩いたあとに一輪の花を咲かせたい』(紀伊国屋、全1巻) 『美しい言葉との出会い』(一燈園出版部、全6巻) 『十字街頭の風光』(日本映像企画、全1巻) |
| カセット テープ |
『最高に生きる』(PHP出版、全4巻) 『自然に学ぶ(心の時代)』(NHKカセットテープ、他、全1巻) |
| CD | 『今日を生きる』 |
| 先生の略歴 | |
| 昭和5年 | 2月15日 栃木県鹿沼市に、父荘一、母カエ、の長男としてうまれる。 |
| 昭和10年 | 父荘一死去(44)。親族の遺産相続争いのなかで、母カエは相続権を放棄し、4人の子供を抱えて無から出発する。(洋5才) |
| 昭和17年 | 県立宇都宮中学に在籍。第二次世界大戦の中、戦争と人間の問題に苦悩する。(洋12才) |
| 昭和22年 | 一燈園創始者の西田天香師に出会い、生涯の師と仰ぐことを決意。一燈園に入園する。(17才) |
| 昭和40年 | 無手の聖尼、大石順教尼に出会い、゛無いから出来る″心をひらく。(洋35才) |
| 昭和42年 | 山田無文老師の侍者としてニューギニアへの慰霊に参加し、歴史に生きる″決意をする。(洋37才) |
| 昭和44年 | 一燈園機関誌「光」の発行責任者となる。 |
| 昭和47年 | 本土復帰した沖縄に入り、沖縄と本土とを結ぶ社会奉仕団『仏桑花の会』の結成に参画し、本土事務局長となる。(洋42才) |
| 昭和52年 | 世界宗教者平和会議日本委員会青年部副幹事長に就任する。(洋47才) |
| 昭和55年 | 世界宗教者平和会議日本委員会人権部会委員長、難民部会委員として活動の基礎を作る。 カンボジア動乱の最中、タイ・カンボジア国境地帯の調査を行い、救援活動を開始する。(洋50才) |
| 昭和56年 | 世界宗教者平和会議人権部会として、韓国原爆被害者協会と接触。行き詰まっていた渡日治療と生活支援活動を始める。 韓国日本人妻施設「ナザレ園」への支援を開始する。 沖縄南部戦跡第2外科壕に放置されていた遺骨470体を収集し、供養する。その様子がNHKテレビドキュメント『鎮魂の旅』で放映される。(洋51才) |
| 昭和59年 | 世界宗教者平和会議を退会。大衆運動の展開と愛の実践者の育成を決意し、社会奉仕団体『ありがとう愛の会』を設立し、会長となる。(洋54才) |
| 平成10年 | 52年に及ぶ一燈園生活にピリオドを打ち、一介の托鉢者として市井に生きる決意をする。 |
| 平成11年 | 長年の韓国への協力活動に対し、大韓民国国民褒賞を授与される。 |
| 平成12年 | カンボジア王国政府より、国家建設功労第1等勲章を授与される。 |
| 2000年11月のカンボジア訪問風景 |
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