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濃密な夜 S・Tに 7
倉庫は、商店街の通りから狭い路地を折れ、迷路のように不規則な紆余曲折を繰り返すいくつかの角を曲がり、ブロック塀に囲まれた小路の奥にひっそりと身を潜めている。あせた中間色のシャッターがわずかに震えて独り言のような音をたてている。脇のモルタルの壁に、取っ手の壊れた立て付けの悪い木製ドアがあり、開くとそのまま階段になっている。 私は靴を脱ぎ捨て、慣れた歩数−−一段飛ばしで四歩−−で二階に上がり、狭い廊下の電球をつけた。左手に三つの部屋が並び、右手に洗面用の共同流し台、突き当たりにトイレがある。真ん中が私の部屋だった。 階下は、商店街で食料品店を営む大家の倉庫らしいが、何を入れてあるのか知らない。大家も滅多にやってこなかった。もともと倉庫であったものを改造してやっと四畳半の三部屋を確保したものだろう。だから昼間でもそこに人が住んでいるようには見えない。どう見ても使い古された倉庫か廃墟だ……私は、ここをアパートではなく、倉庫と呼んでいた。 部屋は外と変わらず寒かった。コートを着けたまま、唯一の暖房具である電気ストーブに身を寄せた。ラジオのスイッチを入れ、米軍基地向けの放送にダイヤルを合わせた。吸いたくもないタバコに火をつけ、天井の暗がりに向かって煙を吐き出す。ラジオの音声や煙の粒子、吐き出す息の暖気、蛍光灯の淡い光の粉末、そして電気ストーブの赤い放熱。それらを隅々にまで充満させる以外、この部屋を暖める方法が見当たらないのだ。 仰向いて目を閉じた。床から地鳴りのように自動車の走る音が伝わってくる。倉庫は自動車の走る商店街から案外近くに位置しているのかもしれない。曲がりくねった小路が方向感覚を狂わせるため、いまだに商店街がどの方角に当たるのか指定できない。季節によって、風の向きによって、あるいは天候によって倉庫はさまざまに移動したり向きを変えたりした。もっとも、部屋の窓は隣家の外壁がほとんど接するばかりに迫っており、それを確かめるすべはなかったが。 隣室はともにまだ帰ってきていないらしい。奥のほうは私と同じ年齢の予備校生、反対側は四十歳前後の独身男が住んでいる。独身男は商店街にある精肉店に勤めているらしいが、確かではない。その精肉店の前を通りがかっても、目にはいるのは皮をはがれた巨大な豚が何頭もぶら下がっているところばかりだった(それを見るたび、予備校生は「南無阿弥陀仏」とつぶやいて、おどけて見せた)。 倉庫には私が一番古くから住んでいる。学生ばかりか占めていたこともあったが、いつの間にか出ていった。独身男が、この、格安だがあまり健康的とはいえない倉庫に越してきたことは、当初少なからず好奇の的だった。すでに親しかった予備校生と私は、独身男が果たして独身なのかどうか、なぜこんな所に移ってきたのか、大いに想像をたくましくし、勝手な憶測を並べ立てあった。予備校生は“出稼ぎのための仮住まいだ”と言い張り、私は“単なる独り身なのだ”と主張した。そこで、私たちは<優越感>を賭けて(金を賭けるような経済的ゆとりは二人ともなかった)、事の判明を待った。しかし、それから一年近く経った今でも真偽のほどは不明であり、<優越感>は棚上げされたままだった。結局、予備校生も私も、彼を独身男と呼ぶことに慣れてしまった。 私たちは独身男と顔を合わせることがよくあり、そのたびに挨拶を交わしたが、それ以上親密さを増す機会を持たなかった。だが、互いに拒絶し合っていたわけではない。事実、私も予備校生もしばしば独身男から「飲めるんだろ? 今度暇なときに一杯やろう」と声をかけられた。それは単なる外交辞令とは思えない、ある親密さを含んだ言い方だったし、私たちも承諾の返事をしていた。ただ、おもに独身男の「暇なとき」がなかなかやってこなかったのだ。 目を開くと、煤ばんだ展示用にタバコの煙が層を作っている。ぼんやり、<女>のことを考えた。 |