こんにちは。当サイトにようこそ。管理人の鈴木純子です。
いきなり小難しいことを言ってますが……(汗)すいません、これがないと始まらないので……(^^;)
DSM-IV(アメリカの精神疾患分類マニュアル)より……なんてことをやれば楽なんでしょうけど、いかんせん鈴木はそいつを持っていません。だってアレ、日本語訳がわかりづらいんですもん。直訳なので……(苦笑)。原文が手元にあれば適当に訳するんですが、これが半端じゃなく高い(T_T)。
と言うわけで、私独自の定義です。
●2つ以上の明確に区別できる人格状態=アイデンティティの存在。
●それらは独自の世界観、価値観を持ち、おのおのの行動様式、表現、思考能力および社会性を待つ。
●通常の物忘れの範囲を大きく超えた成育史や個人的出来事の記憶の欠落(特定の年齢の時代が思い出せない、卒業式の記憶がないなど)
●複数のアイデンティティの存在による非影響体験(「〜させられる」など。これらは分裂病の症状として、『シュナイダーの一級症状』として挙げられています。すなわち、幻覚(幻聴が多い)、作為体験(自分のものとは思えない考えが「入りこんだ」り、それに操られたりする異常体験など)を経験する。
●それらは他の精神疾患(精神分裂病に基づく分身妄想やてんかんの精神運動発作など)や酩酊に由来するものではない。
ううう。説明下手だな私。
こんな稚拙なヤツよりも、もっといい出版物が多数出ていますので、そちらを参照してください(汗)
おすすめ本
| 著者 | 出版社 | おすすめ理由 | |
| 多重人格 | 和田秀樹 | 講談社現代新書 | わかりやすい! の一言。 ハーマンが提唱した『複合型PTSD』にも話題の及んだ逸品。 入手簡単。 |
| 多重人格 ―知られざる心の病の真実― |
服部雄一 | PHP出版 | 多重人格について(多分)日本ではじめて言及した本。 多重人格の起こるメカニズム、交代人格の分類や実例など、 豊富。現在絶版。CD−ROMのみ。 |
このほかにも出版物は色々ありますが、それは別項で……(笑)。
これら書籍でもそうですが、『多重人格の原因』として一番に挙げられるもの。それはトップにも書いたとおり、『あらゆる種類の』児童虐待です。なぜここでわざわざ括弧閉じで『あらゆる種類の』としたかというと、『一般に虐待という言葉から連想されるもの』ばかりが『虐待』ではない、という意味合いなんです。
それについては下項目へGO!
『児童虐待』。この言葉を聴いてまず思い浮かべるのは、親が子供を殴る、蹴る、暴言を浴びせる、などの『身体的虐待』だと思います。あるいは明確な悪意に基づいて行われる情緒的虐待や、性虐待。親が子供に対して、「お前なんか要らない」と繰り返し言ったり、何かを訴えてきてもほうっておく、というのは明らかに悪意を持った情緒的虐待でしょう。親が子に対して性欲を持つというのも、正常なことではありません。ましてや子供が嫌がっているのに、性的なことを強要するというのは論外でしょう。
でも、本当にそういうものだけが虐待なんでしょうか。
ここでは『虐待』の原語=『abuse』から入っていきたいと思います。そして、それが子供の心にどういう変化を起こし、それがその子のアイデンティティを崩壊させていくのかを、簡単にまとめてみようと思います。
日本語で『児童虐待』となる言葉に相対する英語は『child
abuse』です。何を今更、と言われるかもしれないんですが、この『abuse』という言葉に焦点を当ててみます。
この『abuse』という言葉は、ごらんのとおり、『使う・扱う』の『use』に、『不適当な、間違った』という意味を表す接頭語『ab』がついた言葉=一種の熟語です。そのまま直訳すると、『abuse=間違った使い方、不適当な扱い方』となります。ここで「あれ? これどこかで見たような気が……」となったあなたは目ざとい!
間違った使い方。実はこれを端的にあらわす、もうひとつの日本語があるんです。もちろん、『abuse』の訳語として。なんだと思います? 実は……
『濫用(新聞等でなじみのある表記では『乱用』)』。
……が、そうなんです。アルコール濫用、薬物濫用の、アレです。これはもう一目瞭然で、明らかに『間違った使い方』しか意味しません。それではこっちの訳を当てはめると、『child
abuse』はどうなるんでしょうか。
『子供の濫用』。
一見、「?」ですが、こちらのほうが、虐待の真相を表すのに適当な表現のような気がするのは私だけでしょうか。『子供の濫用』は、相手が子供だということの濫用、つまり、
『相手が子供であり、自分が大人であることの力の差の濫用』と言えるのでははないでしょうか。更に言い換えれば、
『相手が劣位であり、自分が優位であることの力の差の濫用』となるでしょう。職権濫用と同じです。
私たち日本人は、『虐待』というと、その字面から、どうしても暴力や暴言といったものを思い出しがちです。しかしこれも分解してみると、『虐げた待遇』であって、『不適切な扱い』と同じような意味合いが見えてきます。
そこで、ここからは『虐待』=『abuse』を広義に捉えて、
『力の優劣のある者同士の関係で、優位の者が劣位の者をその力の差を濫用して不適切に扱うこと』と定義します。
『虐待』は、親子間だけの問題でも、暴力を伴うものでもないのです。被害者だと叫んでいる私だって、子供の頃、虐待に手を貸したかもしれない。そう。『いじめ』という名の、子供同士の虐待に。もちろん、いじめに関しては私も被害者です。でも、他の子がいじめられているとき、私はどうだったか。他にいじめられっ子がいなかったというのは考えにくいでしょう。はっきりと覚えてはいませんが、率先していじめたことはないけれど、助けたこともないのは確かです。私も『傍観者という名の加害者』だったのかもしれません。
そこで『虐待』の分類です。
| 場所 | 分類 | 内容 | 被害者に与えるダメージの深刻さ |
| 家庭内 (いわゆる 虐待) |
肉体的 | 殴る、蹴るなどの暴力。不自然な外傷として発見されることが多い。 | 中度〜重度。 |
| 情緒的 | 無視。感情表現(泣く、笑うなど)の禁止。 「お前は要らない」という言語的、非言語的なメッセージ。 特定の子供をひいきし、それを見せ付ける。 外部から見えにくく、子供には大きな傷を与える。 |
重度〜最重度。 | |
| 性的 | 子供を性的対象とする。 対象が女の子⇒父・義父→娘 母・義母→娘 対象が男の子⇒父・義父→息子 母・義母→息子 触る、撫でるといった一般の愛情表現に見られるものから、 近親姦(性器挿入を伴う)に至るものまで様々。 |
内容により軽度〜最重度と様々。 愛情表現の延長のようなものほど軽度、 近親姦にて最重度となりうる。 |
|
| その他 | ネグレクト(育児放棄) 身体的(遺棄)・精神的(放り出し)の2種に大別される。 身体的には監禁を伴う例もある(アメリカ『ジーニ』の例など)。 |
重度〜最重度。 概して身辺が整えられている精神的ネグレクトのほうが 重度となる印象がある。 |
|
| 家庭外 (いじめ) |
肉体的 (物理的) |
身体的ふざけ ふざけ、『プロレスごっこ』。 身体的いじめ 足をかけて転ばせる。汚物を踏ませる。 虫など不気味なものをつかませる、かける。 エスカレートした『プロレスごっこ』。 暴力。性的なニュアンスを含むものもあり。 ふざけといじめの境界は、加害者に逼迫性がなく曖昧。 |
内容により軽度〜重度と様々。 |
| 情緒的 | 特定の子供を排除するような行動。 机を外に出す。持ち物を隠す、あるいは捨てる、使用不能にする。 陰口・悪口。村八分。無視。 |
内容により軽度〜重度と様々。 | |
| 性的 | 身体的・情緒的いじめに性的ニュアンスが加わったもの。 特定の子供への性的ふざけ〜強姦まで様々。 【ふざけに近いもの】 異性の着替えをのぞく、あるいはのぞくように強要する。 性器を見せるように強要する。 目の前での排泄を強要する。 (低学年の場合、単純な好奇心からの行動もありうる) 性成熟の揶揄。 【より悪質なもの】 同上のもので、加害者の学年がより高いもの。 特定の子供に性・生理的な恥をかかせるもの。 (マスターベーションの強要、トイレに行かせずおもらしを企む、など) 【最悪のもの】 強姦。 |
内容により軽度〜最重度と様々。 ふざけの色合いの強いものほど軽度、 悪質なものほど重度となる。 強姦の場合は、犯罪被害者と同じ。最重度。 |
|
| その他 | 直接加害者に荷担はしないが、それを助長する行動。 傍観。取り巻き。 |
「助けてくれなかった」ことが、被害者にとっては より深刻となる場合も多い。 |
参考→『いじめを克服する』小林 剛・有斐閣新書(いじめの項目のみ)
ざっと表に挙げてみましたが、これらはすべて、『力の優劣の濫用』を元に起こっていることです。これらが子供の心に傷を残すことは一目瞭然でしょう。
では、どうして解離が起きるのか。今度はそちらの話です。
虐待されている、あるいはいじめられている子供の気持ちになってみてください。まずはじめに何を思うでしょう。
「どうして私だけが?」 「私が悪いから?」
といったところでしょうか。不当に扱われる子供の頭の中では、肉体的、精神的な苦痛と一緒に、こういった疑問がぐるぐる回ります。次に子供は何を考えるでしょうか。
「どうしてこんなことになったんだろう?」 「いじめられなかったら私はどうだっただろう?」
子供は『不当に扱われていない自分=もし、これが自分でなかったら』を想像するでしょう。それは加害者になるということではありません。純粋に、ただ、被害者でなかったらこうだろうと考えるだけです。
しかし、現実にはいじめ(虐待)は続きます。頼る相手もなく、実際にも精神的にも、全く逃げ場はありません。かわしようもない中で、毎日毎日、自分では理由も分からないまま不当な扱いを受けつづける子供の心は、いつしか固く閉ざされます。
感情を表に出さず、拗ねず、ゴネず、ただ身に降りかかる苦痛をやり過ごす事をおぼえます。
でも、そういうふうにしていても本人は生きていますから、全く何も感じずに過ごすというのは無理な話です。そこでその子は、空想をはじめます。
「これは夢なんだ」 「今こうしている自分は本物じゃなくて、偽者なんだ」
「そうだ。苦痛を感じているのは私ではない。『可哀想なあの子』なんだ」。
こう思い、それが『現実』となったとき、その子の世界は変わります。
「もう苦しみはない。私は安全なのだ。なぜなら『あの子』が私の代わりをしてくれているから」。
これは英語風の表現なので、ぴんと来ない方にはこう表現しましょう。
「もう辛くない。私は平気。だってこれは全部夢なんだもの」。
要するに、その子は自分で自分に魔法=暗示をかけているのです。これ以上やられたら、死ぬかおかしくなるかしかない。おかしくなったって、死ぬよりはましだ。そういう究極の二者択一の中で、子供は『解離』を覚えるのです。誰から教えられることもなく。そうして、いじめの体験そのものと、そのとき感じた感情を、自分自身から切り離すことによって、いじめはその子の中では本当に夢になります。
しかし、この魔法は、その子を苦痛から守るプラスの働きがあると同時に、現実からその子を遠ざけてしまうというマイナスの働きも持っています。しかも、悪いことに、その作用は、『可哀想なあの子』が苦痛を味わうたびに強くなるのです。つまり、虐待が強化因子となって、解離を促進するのです。その結果どうなるか。
その子はもう、『解離』という魔法のお陰で、その苦痛が自分のものだとは思っていません。そのうちに、強化−促進の作用が働いて、想像の産物だった『可哀想なあの子』は、本人の意識から、もっともっと切り離されて行くようになります。『可哀想なあの子』の味わう苦痛が大きくなればなるほど、これが進んで、やがて、その『可哀想なあの子』の部分は、本人とは別の思考をし、別のかかわりを持つようになっていきます。この時点では、もう別の名前を持っていたりすることもあるかもしれません。『現実でないこと』ですから、当人ははっきり覚えていなかったり、現実感を持っていなかったりします。夢だと思っていることも多いでしょう。それでも『可哀想なあの子』の部分は、本人の知らないところで不当な扱いを受けつづけています。そうして、『不当な扱い』を肥やしにして、『可哀想なあの子』の部分は育って行きます。
不当に扱われて喜ぶ人はいませんから、その部分は苦痛と一緒に、激しい怒りを感じます。それはキレる子供を引き合いに出すまでもなく、、ものすごい破壊力を秘めたものです。そして、同時にそれはとても危険なものでもあります。子供はそれも切り離します。それが自分に向かったときのことを考える……わけではないのでしょうが、とにかく、『これがあるといじめられる』と感じるものを、最初に『可哀想なあの子』を生み出したのと同じ魔法で、自分から切り離して行くのです。そこにはあらゆるものが含まれます。怒り、悲しみ、苦痛、はもう述べました。その他に、怒りに類するもの=恨み、憎しみ、そして反撃の力までも、その子は『自分にはないもの』として切り離し、それを生み出した出来事と一緒に記憶から締め出しに掛かるのです。
ちょっとだらだら書き過ぎましたが、これが解離のメカニズムです。
図(箇条書き?)にするとこんな感じでしょうか。
しかしこの魔法は、思いがけない苦痛を引き起こすものなのです。
最初に切り離す(=解離する)癖がついてしまうと、ショックを受けるたびに、それで対処するようになってしまいます。そのために、本人は苦痛から逃れることは出来ますが、代わりに作り出した新しいアイデンティティ=交代人格がそれを引き受けるようになり、今度はその新しい人格が独自の思考回路や感情を持つために、記憶障害が生まれてきます。部屋を仕切って、パーテーションで見えない所で別々に作業をしているよなものです。分業と言えば聞こえはいいのですが、ひどくなると秩序が保てなくなります。交代人格の中には、本人にとって著しくマイナスになるものもいますから、当然彼らは本人より遠い場所にいます。そのため、本人とは別の体を持つと錯覚する場合も多いのです。
そうすると、どうなるか。
交代人格は自分が苦痛に満ちていることを理不尽に思い、その原因が本人にあることを知っていることが多いので、本人を傷つけようとすることもしばしばです。あるいは、本人が自分に気づかないことに不満を持って、気づいてほしさゆえに傷つけることもあります。それでも本人には、それが現実味を帯びなかったり、記憶に残らなかったりです。
本人にとっても、これは最も恐ろしいことになります。
朝、目が覚めてみたら、ロングヘアがカリアゲになっている。これぐらいならまだ笑っていられます(髪はまた伸ばせばいいのだし、「イメチェンよ」と誤魔化すこともいくらでも可能だ)が、手首にためらい傷があったり、挙句には血のついたナイフを握っていたり……。すべて『自分がしたこと』なのに、記憶がない、あるいははっきりしない。そして、日にちや時間の進行が、自分の記憶障害(健忘=記憶喪失)を教えてくれるのです。これは苦痛から解放されたはずの本人にとって、更なる苦痛を生み出し、交代人格の数も増えていくという悪循環にすらなりかねないのです。
この辺りは、人格交代間に健忘を残す真性のもの(実際にはこれのみを『解離性同一性障害=多重人格』と呼ぶ)と、必ずしも健忘は残さない擬似性のもの(医学上の概念ではない。実際には『自我意識障害=特定不能の解離性障害』に含まれる)も、たいした変わりはありません。