

国立能楽堂

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梅若六郎事務所
一口メモ
○ 庶民の娯楽として当時はやっていた「猿楽」は、はじめは動物の物真似が中心であったが、やがて神や鬼、老人や美女の様子をまねるようになり、レパートリーも増え、猿楽を見世物にする一座があらわれたりした。
○ 観阿弥(かんなみ)
北朝時代の能役者・能作者。伊賀の人。名は清次(きよつぐ)。通称観世。
晩年の法名は観阿弥陀仏(観阿弥・観阿)。生国で結座、後に大和に進出し結崎(ゆうざき)座(後の観世座)の始祖となる。
足利義満に見出され、大和猿楽の向上をはかった。近江猿楽や田楽の長所を取って幽玄な芸風をうち出し、曲舞(くせまい)を取り入れて謡の様式を改革。
作能に「自然居士」「卒都婆小町」「通小町」「松風」などの原曲がある。
○ 世阿弥(ぜあみ)
1363(貞治2)?ー1443(嘉吉3)
室町初期の能役者・能作者。大和猿楽結崎(ゆうざき)座(後の観世座)観阿弥の子で二代目の観世太夫。生年は貞治3年とも考えられ、正確な没年・亨年は不明(1436年には健在)。幼名藤若(ふじわか)(前名鬼夜叉おにやしゃ,とも)。通称三郎、実名元清。秦氏を称し、父の芸名だった(観世)が姓同様に通用しはじめ、世人は、観世三郎とも呼ん
だ。中世以後の擬法名的芸名が世阿弥陀仏で、世阿、世阿弥はその略称。現今は世阿弥と呼ぶことが多い。セアミと清んで呼ぶのは誤り。老後の法名が至翁(道号)善芳(法 )。弟に四郎がいた。
足利義満に仕え、能を優雅なものに洗練すると共に、これに芸術論の基礎を与えた。十六部集など多くの著と、「老松」「高砂」「清経」「実盛」「井筒」「砧」「融」「班女」など多くの能を作る。

