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| 日本人留学生の学園祭の出し物をめぐって、反日抗日デモに、なぜ発展していくわけ? 中国人留学生による一家皆殺し事件でも日本ではデモは起きません。 それは国情なのです、何かあれば問題を大きくして日本を悪い国として報道することにより民意を煽動して、敵を作り国民の関心をそらし国をまとめていく方法であり、見え見えの中国共産党???員による仕業であります。 そうしないと中国政府批判にそのエネルギーが向いたら大変なことになってしまいます。内乱利権争いの構図は彼ら自身が一番知っているところであります。 ODAも何とか考え直すときではないでしょうか。 |
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2003年11月04日
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| 蓮池さんのお兄さんと拉致議連副会長の米田さんの対談を聞きました。 家族を北朝鮮に連れ去られ、外務省をはじめ政府のどこも相手にしてくれなかった悔しさを、切々と話していました。 旧社会党の土井などは、そのようなことはないと言い切っていた張本人よく平気でいられると思いました。 民主党の菅にいたっては、北朝鮮の拉致の首謀者が日本人になりすまして韓国でスパイ活動中につかまったにもかかわらず。 釈放の嘆願書に署名をして韓国大統領に提出したというのだから。。。とんでもない不埒男です。 こんなのが日本の総理大臣になったら国民の生命も風前のともし火となってしまいます。今の自民党でさえもこのざまなのに.............. 世界に笑われない国作りのできる政治家は現れないのでしょうか。 北朝鮮の船を入れない、経済援助を止める、すぐできることもやらないのでは、本当に拉致問題を解決するために考えているのか疑いたくなってきます。 |
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2003年11月04日
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| 最近の青少年犯罪については、多くの要因として家庭での躾が、なされていないところにあると思われる。 学力にかかわらず、やって良いこと悪いことの判断ができない、また、極度なわがままによる、自己中心的思考により、犯罪にかかわってしまうのである。 家庭において、なし得ないのであれば、なにも私学であずっかり確りと教えこめば良いのである。基本となるものがなければどんなに上に積み上げても,いつかは崩れてしまうので、その反動も大きい。 「教えざる罪」大人はもっと自信を持って教えるべきであり、子供はそれによって磨かれ一人前になっていくのである。 |
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2003年10月27日
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| 北朝鮮は地対艦ミサイルの実験をして、100kmの射程距離とのこと。核実験もやるとの発表であるが、そんな事したら直ちに正義の味方、世界の警察を勝手に名乗っているアメリカにつぶされるのは目に見えています。 安全保障を求めるのであれば金正日体制を変えなくては危険きわまりありません。 援助してもらい蓄え国力がついたらサーやるぞ・・・・・では余計厄介になり日本が狙われます。不景気不景気といいながらも世界で有数の貯蓄大国です、、、、しっかりカギをかけて守りましょう。 |
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2003年10月21日
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| お盆も終わりましたが、なんと今年は寒いのやら、ほとんど降りっぱなしでした。東京の部屋に戻ったら背広がカビだらけ。。。参りました早速クリーニングに出しました。二着で1800円でした。 |
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2003年08月18日
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| サンフランシスコのダウンタウンからアップタウンまで家並みを見て歩き、それなりに住人の収入をおもわせる建築で古き良き一戸建て建築の建ち並ぶストリートはカラフルな色の塗装で絵葉書そのものでした。 シカゴ空港では、デモイン行きの飛行機に乗換えましたが離陸の途中で突然離陸を止め滑走路の端から誘導路を戻り再度離陸をやり直すことになり驚きました、そのわけは、雨がスコールのように降り出し雷がすごく飛び上がれなかったのでした。1時間ほどして無事離陸しました。 しかし上空は大気が不安定でゆれて、ゆれて・・・・デモインは晴れでした。広々とした牧草地帯でトウモロコシ、ジャガイモ畑も延々と続いていてとても自然豊かなところです。 道路にはシカが2頭出てきて車は止まって通過待ちでした。夜は毎晩雷がなり稲光が豪快に夜空を走り回っていました。・・・つづく |
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2002年08月15日
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| 成田発UA便でサンフランシスコ・シカゴ・デモイン・シカゴ・ニューヨーク・成田着8日間の旅でした。サンフランシスコは港と丘の町で起伏が多くチャイナタウンや日本町などを巡り歩きましたが1日で2万歩でした。港には古くからのシーフードレストランがありその一軒に入りました料理の中でもロブスターのスープが何ともおいしかったです。また,その周辺はフィッシャーマンといって観光のメッカで大勢の人でごったがいしていました。町のあちらこちらでストリートパフォーマンスがくりひろげられ楽しい明るい雰囲気を演出していました。 つづく |
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2002年08月14日
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| 不登校、私立中学2年生男子生徒は9月から夏休みに引き続き不登校になってしまい3月になっても依然不登校が続いているケースです。 主なる原因は、1年生より硬式テニス部に入り活躍していましたが、中学高校一貫教育の進学校であり、最近大学受験の実績が落ちてきたとの理由で中学であっても,赤点を取った者は、クラブ参加を認めないという校長決定により,彼は硬式テニス部に出られなくなりました。 彼は,中の下の成績でしたが、テニスで頑張って試合では良い成績を納めていて将来のキャプテン候補だったのですが,今回の処置により、彼は赤点のある事が友達に判ってしまいまた、他の者に誇れたテニスを取り上げられた事により,自信を無くし,学校の方針に疑問を持ち、担任の先生は,可愛そうだけれど校長の決定だからというだけで何の解決にもならな現状の中,本人は学校に行かなくなり親はどうして良いか判らないで,半年が過ぎてしまったのです。 これは明らかに学校が悪いです、子供にはいろいろな夢があり,友達たちとの付き合い方や,子供なりの恥ずかしさやメンツというものがあるのです、全員が有名大学に行き社長や博士になるのではないのです、その点について教育の現場にいる先生,管理者はよく認識しなくてはいけません。 1人1人の尊い命を持った大切な子供を預かり教え育んでいるいる事を忘れてはいけません」。 |
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2002年03月07日
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| 不登校について多くの児童、生徒、父兄家族、教師が悩み苦しみ現実に向き合っている現在、その状況に文部科学省も重い腰を上げ始めた。 戦後、マッカーサーを中心とするGHQにより日本弱体政策がとられ、その成果として今日の青少年の姿となってしまいました。「子供の自主性に任せ創造性をのばす」として、道徳,しつけ,規律のない自由を穿き違えた子供をつくってしまいました。 その中でいじめ,不登校、ひきこもり等の問題が発生してきました、原因は,多様化していて百人百様まるっきり同じという人はいません。学校に行けなくなってしまっている事実は皆同様です。原因のある子供には原因を取り除けっばいいという事は明らかですが,問題は複雑に入り組んでいて簡単に糸口をつかめるものではありません。 子供には時間が必要なのです。 なぜ学校へ行けなくなってしまたのか,行かないのか,当然、行ってたのだから行こうと思ったりはしますが,自分の事でありながら自分が判らなくなってしまっているのです。 ある程度整理整頓がつくまでは時間がいるのです、その点を忘れ学校に戻すことに焦ると焦るほど抜け出せなくなってしまうのです。 不登校経験者の多くは、「不登校になった当初は,そっとしておいて欲しかった」と言っています。登校刺激や励ましもタイミングがありそれぞれのケースにより違いがみられます。立ち直りのきっかけもさまざまです。 保護者の方は,1人で悩まず自分の子供は不登校であるということを認識し、しっかりと受け止め世間に恥じることなく信頼できる方々に相談して早期に不登校の実態と対処についての知識を身につける事が大切です。皆さんの知恵と協力により不登校は必ず解決すると信じています。 |
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2002年02月20日
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| ハルピンの町にはスチーム暖房が行き届いていて建物のの中や地下街はとても暖かく快適でした。外に出るときにはしっかりと準備をして出ないと風邪を引く原因になってしまいます。皮の手袋を持っていきましたがまったく効果無しで中にボアとか毛とか入っていなければポケットに手を入れていたほうがよっぽどましでした。オーバーに帽子をかぶり襟巻きをして目だけ出していれば完璧???要するにスキー場のてっぺんにいると思えばよいのです。 ハルピンの夜はダイヤモンドダストがライトにキラキラ輝きながらとてもロマンティックな雰囲気に包まれていました。 ハルピンから大連までは寝台特急列車で約8時間かかりましたがとてもきれいな寝台車で一室4名の二段ベットでゆったりとした空間の中で熟睡することができました。 大連には6時頃到着ホテルに直行してシャワーに入り朝の支度をして朝食後9時に旅順に向けて車で出発1時間30分程で旅順に到着。東鶏冠山(ひがしけいかんざん)・二百三高地(爾霊山)出師営会見所を見学。日露戦争の戦跡を自分の目で見ることができましたが、植林がされ写真で見ていた禿山の展望はまったく無く爾霊山の記念碑が当時のまま残っていました。 日本の戦いは、白人による植民地支配から有色人種を守る戦いであったことを忘れてはいけない大東亜戦争のあと100以上の独立国家ができた事実を見ればおのずと理解できると思います。 |
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2002年02月12日
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| ハルピンの日本人観光客はこの時期珍しく案内してくれたガイドの唐さんはこのところ仕事が無いと言っていました。彼は27歳で山口県の大学に留学していたそうです、中国に戻り中国旅行社に勤めたとのこと,りゅうちょうな日本語で良く説明と,案内をしてくれました。ロシア風建築と日本が造った建物も銀行、電話,電報局,映画館,教会など多くが残り、当時を偲ばせていました。ハルピンの駅前の人道りがさびしいので,寒さの為かと思いましたが実は,地下三階の地下街がありそこは人でごったがいしていました。お店はズボンといえばズボン店が立ち並び,靴といえば靴屋が20、30軒と店を出している。各店は,それほど売れているわけでも無いのに店員がそれぞれ4〜5人も居て暇をつぶすのが大変そうでした、それにしても衣類、食料等、が豊富なのには驚きました。地下街は冬温かく夏涼しいそうです。外気温は夏38度C冬はマイナス30度Cにもなるとのこと,何と年間の気温差は70度も有るとのことです。住めば都とは言いますがとても大変だと感じます。その中でも寒さも気にせず元気に生活している姿が見受けられました。 つづく |
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2002年01月16日
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| 平成13年12月30日より14年1月3日の間北京、ハルピン、大連、旅順に行ってきました。北京はマイナス10度で天気は晴れ風が強く体感温度かなり低く感じました。天安門広場。故宮はとても広く特に紫禁城は壮大で1時間30分ほど見学しましたが中心の各門を抜けて裏門に達しただけでこんなに時間がかかりました。ガイドさんに聞いたところ研修で全室回ったときは3日間かかったと言っていました。昨年の12月にも北京に行きましたが今回街のきれいになっているのには驚きました。オリンピック開催が決定したので条例でやたらどこにでもゴミを捨てられなくなったそうです。今まででは道端や壁際にビニールやゴミがつくなっていましたがその様な風景は見られなくなりました。ハルピンには飛行機で飛びましたがハルピン空港を出るとマイナス20度の世界でした。ああ・・・鼻毛が凍る。 迎えの車はノーマルタイヤ、大丈夫なのと聞くと大丈夫止まるときは皆同じように滑ってとまるから。スパイクやチェーンを巻くと自分だけきっちり止まって滑ってきた車にぶつかってしまう・・・・笑い 次回に続く |
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2002年01月08日
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| フィリッピンは30度の暑さです。成田空港までは冬支度、コートを預けてB747に乗りました4時間ほどでマニラ空港に到着、結構近いですね、マニラ市内は車が渋滞、ほこりがすごい。それに交通ルールがメチャメチャ国際免許を用意していきましたがとても運転は出来ません。 車マニアには、手作くりの車がたくさん走っていて興味を誘われそう、どう云う訳かベンツのマークがついていたりTOYOTAのシールが貼ってあったりしてやりたい放題です。 またバスは世界中の中古車が走っています、日本製のバスは左ハンドルに改修自動ドアも反対に取り付けてあります、しかし、自動扉、入口、出口の表示はそのままで塗装もそのままなのでハトバス、小田急,京王いろいろ走っています。 |
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2001年12月26日
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| 皇太子徳仁親王殿下と同妃雅子殿下の第一子が12月1日午後2時43分お生まれになりました。女のお子様で24人目の皇族となられました。おめでとうございます。皇位継承について男子に限らず女帝の可能性について論議されていますが。根本的には女性も認めるとなると、結婚されても皇位継承権があり皇族として相応の経費負担が発生する事となります。 |
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2001年12月04日
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| カメラで被写体を撮るときはこうずを考えたり何処で写したら良いかなどと思っていましたが、カメラを持ってよくアフリカに行く人がいるのでわざわざアフリカまで行くのは,自然動物の写真を望遠レンズで撮るためかと聞いたところ、それはそうだが、シャターを押すときが何とも言えず気持ちが良いと言うので、『なぜ』と問うとライフルで獲物を打ち倒したような気持ちになると言うのです。 そうか引き金を引いて弾丸が出るのも、シャッターを押してレンズにおさめるのも的が合っていなくては出来ない仕事なんだなと思いました。それ以来スナップ写真を撮るときもふっと頭にアフリカの話がよぎります。 |
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2001年11月26日
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| 日本は、戦後占領軍による日本弱体化政策により大和魂を抜き取られてしまいました。 それは次代を担う子供たちをだめにすることとして多くの政策がとられました。 道徳,歴史教育の反対、国旗国歌の反対、民法による家督相続の崩壊等です、戦後50年が過ぎ青少年についての問題が大きく社会の中でクローズアップされています。 それは日本人としての誇りも国家の一員であることすら自覚していない子供に育てしまっているからです。 自分の国を愛せない子供を育てている国は、世界広しといえども日本しかありません。 もう一度,これからの日本について考える時がきています。男は男らしく、女は女らしくそれぞれの役目を持って存在しているのでありそれは自然の摂理であります。 男女平等は良いにしても男性、女性それぞれの職分も有るはずです。人のため世のためになる人材として子供たちが社会に羽ばたける教育体制と家庭環境が必要です。子供の人格形成の根本は,母親にあります。女性が社会に出るために妻であり母親である事を忘れたとき、子供は本来の心を持つことなく大きくなってしまうのです。それが社会不適応の子供をそだてているのです。 女性は太陽であり子供にとっても、夫にとっても心の安らぎであってもらいたいものが、愛を出すことができない母として存在しているのです。 家庭においてはどんな夫でも尊敬し、大切にするように努力すれば、おのずと言動に表れその影響は、子供に良い影響を与え明るい家庭が形成されるのです。 母親が母の心を取り戻せば子供は人を敬い,感謝する心を持つことができるのです。批判,不満ばかりを言っていればその母親の姿を見て育つ子供は,誰も尊敬しないし,支持に従おうともしなくなるのは当然です。 社会の仕組みに押し流されて大和なでしこの心はつぶされてしまってはいないでしょうか。 これを男女同権私ばかり苦労したりするのは損だと考える方はこのままの人生を歩まれれば良いとおもわれます。 |
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2001年11月20日
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| カブール解放について米国は時期尚早としてブレイキをかけていたが、北部同盟軍はいうことも聞かず進軍してしまいました。どうして?と疑問です。裏には、中国、パキスタン、ロシア、イラン、の戦略によりタリバンと米国を主軸とする連合軍とは戦わせないという動きが有ったのではないかとされている。なぜならば長期化すればするほど、兵器、火薬が使用され売上の60%は米国に入ることとなるのである。 北部同盟主導の勝利により、元国王のアフガン政府樹立構想も混沌としてきた。 |
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2001年11月17日
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| 統計上、航空機は世界中何処においても,鉄道、車、その他の交通機関に比べはるかに安全な乗り物である。輸送実績1億キロ当りの死亡乗客数は、0.04人。また10万飛行時間当りの死亡事故件数は0.07件と言われています。 輸送実績1億キロ当りの死亡乗客数0.04人とは、東京ーニューヨーク間1万キロを12万5000回往復して死亡事故に遭う確立で、10万飛行時間当りの死亡事故数0.07件とは、飛行時間10時間のホノルルー福岡の飛行を14万3000回往復して事故に遭う確立です。 1998年全世界で航空機事故死亡者数は909人でした。日本国内の自動車事故による死亡者数は、10805人,米国41967人ドイツ8547人フランス7989人だったそうです。 米国1国の車による1年間の死亡者数は、ライト兄弟が初飛行に成功して以来の事故の死者よりも多いのです。 こうした統計があるにもかかわらず,自動車は危ないから乗らないと主張する人はいないが、飛行機は、危ないから絶対に乗らないと言う話は良く聞きます、不思議ですね。 |
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2001年11月13日
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