小説・文学・随筆

好きな文筆家

横山宏 模型界より
長岡鉄男 オーディオ界より
富島健夫 「君が心は」「少年と恋」 官能小説の大家として有名だけど、
コバルト文庫における富島が好き。あるいはそれに準ずる青春小説家としての氏が好き。
太宰治 まあ、かっこいい。長期にわたってハマるというものでもないけど。類似品に坂口
安吾というのがあるが、不可。ポーズだけ。さすがに太宰は元祖?だから時々真実をえぐって
いる。
武者小路実篤 「若き日の思い出」 まあ、しょせん上流階級の人なんだろうね。
石川達三 「僕たちの失敗」「青春の蹉跌」「人間の壁」「若者たちのエレジィ」
梅原猛 「闇のパトス」 人間年をとれば必ずもうろくするという悲しい現実を見せてくれる。
しかし、今読み返せば、そりゃそうだろう的なことを書いており、それをいちいち
たいそうにもったいつけて恐ろしいほどの遅さで説明していた。大学の講義で。
それを真剣に聴き入ってノート取ったりしてる学生はさすがに日本人では
なかったと思う。日本が好きで、日本の事を学びたいと思って来た
日本語による思考のクオリティが分からない海外の学生だったと思う。
あれを真剣に聴いてる日本人の学生がいるとしたら、学問も、ポーズだけなんだなあ、
ということである。
大江健三郎 「セブンティーン」「見る前に跳べ」 この人も相当・・・・・。確固たる地位
を築いた後、穏健的になるのは仕方ない。誰だって見たら跳べない。息子さんの存在は
あまり関係ないと思う。関係あると思うのが自然だけどそうじゃなくて単なる保身というか、枯れ
ただけ。

文学について
僕はいわゆる「読書」から卒業して久しい。
特に現代文学から得られるものはほとんど何もないと思われる。ポーズだけ。
彼らは何の為に文学をやっているのだろう。暇つぶしというか、ブルジョアっぽい。
本当に才能のある人間は、音楽かスポーツをやる。言いわけを本業にはしない。
言葉で嘘はつけるが音で嘘はつけない。露呈する。嘘や軽薄が分からない、
分からなくてもいい大衆が気づかないだけの話。
「感覚を追求」する訓練において文学は下位に位置する。
他の分野で修練した感性の方が、ほんものを描ける。文学一本槍では・・・・。

読書(文学)をする人。それは、それまであまり読書してない人か、
自分で思考しない人か、他にやること無い人である。

現代文学を娯楽と考えるなら・・・・やはり非効率。
例えば、笑いと文学は共存できるか。いや、否定しあうと思われる。
文学を志すような人間に「笑い」は無理で、「笑い」を
志す人間に文学は無理だ。自分は現代文学に疎いが、おそらく
真に文学と笑いが共存したものが書ける人間はいまだ出現していないと思う。
今、表立って存在するのは青春漫画的な文学くらいではないか?
呉智英もくだらんかった記憶がある。(呉智英は評論家だっけ?己の知識教養を生かした
娯楽的文章を書いていたような気がするが、ギャグも知識のひけらかしようも低レベル)
僕はバランスをとって生きたい。笑いに行き過ぎるのも精神が堕するよう
だし、「文学」や知識教養主義に行き過ぎるのも真実から離れていくようで。
いつかそれを形にし、そして理解されたい。

才能
才能とは発想力。思考力とは努力。


戻る
戻る