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現代人の祖先は、遺伝子を解析すると18万年前アフリカが起源であるという新聞記事を目にしたことありますが、人類が今日地球上に生息している根源は、人類の知恵が他の生物に勝っていたということに尽きると思います。
中国の最近の考古学調査では、中国長江上流、竜馬古城跡が、今から4500年前の人類最古の遺跡ではないかと言われていますが、文明が生まれるときには都市の城壁も同時に生まれていました。人類の起源は、100万年前と言われていますから、現代の人類は淘汰から生き抜いてきたと考えてみてもよいでしょう。
人類が淘汰の中、戦乱を生き抜いたのが現代人とすれば、日本でもこれは例外ではありませんでした。中国の史書が、「倭は、百余国に分かれていた」と記し、事実、西日本では、弥生時代の環濠集落が多く発掘されています。すなわち、人類の文明と城郭は、切っても切れない関係にあるのです。
日本の城郭研究は、その出発点が中世の城郭研究でした。各地の城郭研究会が、武田や後北条といった戦国大名の城郭を研究し、そこにある法則性について活発な議論が生まれました。たとえば甲斐の武田氏の築城は、城門(虎口)に半月堀を施すことが特徴で、織田系の武将が築いた城郭も城門(虎口)の構造に特徴があるという城郭の縄張り研究が盛んです。このような縄張りの構造は、戦国に限らす弥生時代の環濠集落、吉野ヶ里遺跡でも見られ、人類普遍の法則であることが明らかになり、人類の知恵が城郭に凝縮されています。城郭の研究調査は、単に城の歴史の研究のみならす、人類の本質を研究していく重要な意義があります。
北陸の城(越前・加賀・能登・越中)の出現は中世、それも戦国期が圧倒的で、一向 一揆に関連した城が多く見られます。北陸城郭研究会では、いろいろな切り口で北陸の城郭研究を重ねています。
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