[雑記]

2000〜2003

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  「2007-2010] 「2004-2006]

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ω   ペットのための納骨室に観音様納まる (03/11/22)

 

 隣町の長岡寺さんというお寺さんのペットの納骨室の扉作りの仕事をさせていただいてからかれこれ月日がたっていましたが先月はじめに漸く中央に安置される観音様の入魂の儀式も無事済み、霊安の受け付けも始まりました。

 ご住職の許可を取れましたので以下に連絡先を記します。

 373-0001 群馬県太田市西長岡町 728    

 0276-37-1683

   曹洞宗 長岡寺 (ちょうこうじ)  

 住職 酒井 晃洋

 長岡寺というお寺さんの周囲は広沢丘陵地を背にしたのどかな山辺の田園で、このあたりはかつて養蚕の盛んなところで緑の中に今でもぽつりぽつり昔の背の高い蚕小屋を目にすることができます。ご住職の酒井さんは僕よりずっと若い方ですが人当たりのよいとても柔和で今時珍しいくらい礼儀正しい方です。原書から仏典を読み解く研究者である傍らその一方で自ら由としたことを即座に行動に移せる強い意志をも併せ持ったなかなか魅力のある人物です。

 この観音様は以前にこの欄で紹介した笠間の土橋(つちはし)さんが製作したものです。打ち合わせに来られていた御住職の酒井さんが僕の工場に置いてる彼女の焼物の人形を見て気に入ってくださったので連絡先をお教えしたところ、双方意見がうまく合って製作という運びになったようです。この写真はフラッシュをたいて撮影したものですので印象が変わってしまっていますが、実物のものはもしかしたら眠っているような、静かにただ耳をすましているようなとても穏やかないい表情をしています。

 

 上のイラストは頂いてきたこの納骨堂のパンフレットに挿絵としてあったものでとても愛らしく楽しいものなのでデジカメで撮って縮小してみました。酒井さんがインターネットで作者の方の作品を見て、いたく気に入り一も二もなくお願いしたというだけあってこの事業の趣旨をとてもうまく代弁してくださっているように思います。その方のHPのアドレスを記しておきますのでどうぞご覧になってみてください。色彩がとても豊かでありながらどことなく静寂を感じさせる面白いイラストが沢山載っています。

 

Ω   材木入札ツアー2003顛末 (03/10/17)

 

 今週の頭に2年ぶりにまた材木屋さんに連れられて盛岡まで丸太の入札に行ってきました。ここでは通常の木材店では手に入らない材がたくさん出ますからそこそこに楽しんできた訳ではありますが、ついさっきその結果の連絡が入りまして、のぼせが残っていた頭の血が一気に凍りついてしまいました。通常、打率2割、バントヒットばかりを狙う私なのですが、今回に限って10打数8安打。しかも珍しく土場に出たミズメザクラのみ力みが出て2打席空振りという予想していない展開に、三塁に悪送球して今までの活躍を棒に振った松井のような放心状態です。僕としてはいつもと変らない値段つけをしたつもりだったわけですからそれほど無理な買い物ではないはずなのですが、こうも競争者が引いてしまうと一人取り残されたような寂しさを感じないわけには行きません。それにしても支払いのことを考えるとため息が出ます。予定していた倍の金額です。量が増えれば製材賃も配達代も嵩にかかって僕のサイフを攻めてきますので、それを考えると当分煙草の量も減らさなくてはなりません。は〜、、。

 今回手に入れたのは主にイタヤカエデ、それにホウとクリ、雑カバが少々です。椅子用・抽斗等の箱材として想定したものです。11月中に立会いのもと製材をして工場まで運んで桟積みして使えるようになるのは早くて3年後です。木をいじるのが好きな方、その頃になったら板一枚から小売しますのでどうか買いにいらして下さい。お願いします。

 このツアーは来月にもまたあります。僕はもう行けませんが関心のある方は福島の小椋木材に問い合わせててみればまだ間に合うかもしれませんよ。宿泊は大沢温泉の湯治場でこれがまた谷川の中に建てられた木造モザイク建築でなかなかうれし泣きモノです。

 

 (追記) 上の写真が今回購入した材を桟積み前の下拵えしている時の様子で、ナタとスクレッパーを使い皮を剥いで、木口と板目の粗いところに割れ押さえのボンドを塗っているところです。これが済んだら30cm間隔位の桟をしいて重ね置きして、僕の住む地方は空っ風が強いですから一冬は大きなビニールをかけて急激な乾燥から来る割れを防ぐようにしたいと思っています。一連の作業で三日半かかりました。この仕事はほんと、体力勝負です。生材は重いですよ〜。 (03/11/20)

 

Ω   林檎ちゃんを鼻歌でうたう (03/9/9)

 

 前の職場ではベテランのおじさんたちのまねをして鼻歌を歌いながら作業をしていたものでした。単調で、危険の少ない作業の時に限りますが、時には替え歌を交えたり、インストゥルメンタルにしたりドラムのビートだけになったり、自分でも気がつかないうちに変調しては元に帰ったり滅茶苦茶なんですが、文句を言われたこともありませんでしたから暢気な職場だったのだと思います。冗談のようですがうるさい歌だと思ったら自分が歌っていたなんてこともありました。こういうときはのっている時で、スピードに酔って周りがかすんでなくなってしまったかのように没頭しているわけです。そのほうが疲れが来なかったりしますから労働者の智恵だともいえると思います。急に歌が止むときはえてして何か失敗に気付いたときですから周りもそれがよく分っていて遠くでニヤニヤ笑っている人がいたりします。

 自分で仕事を始めてからは単品製作が主になりましたので、昔のように板の見付きを100枚削るなんていう体だけ使うような作業がなくなった分、暢気に歌など口ずさむことも随分と減りました。今から考えればあれは機械の騒音や周囲の人の動きなどから自分の世界を守ろうとするバリヤーの役目も果たしていたのかもしれません。

 どういうわけか仕事中うたう歌は普段聞くものと違っていて古い歌謡曲や演歌になります。八代亜紀さんやら前川清さん、ダウンタウンブギウギバンド等が多く、共通項を探すと「ヘビーな歌詞に景気のいい曲調」というのがキーになっているような気がします。悲しい話なのに歌っている方があまりに入れ込んでいるので却ってありもしない戯言に聞こえてくるものや、歌い終わりに鮮やかなほどの笑みを浮かべたり、そのドライブ感が単調さを心地よく落ち着かせたものにしてくれる効果があるのでしょうか。ふざけたものではいけないのです。あくまでもまじめに取り組んでいてそれでも何か胡散臭い匂いを五感で感じ取れるものでないといまいち調子が出てこないのです。騙してやろうという意気込みにこちらもわくわくするというかこれこそ歌謡曲の醍醐味であり核であると思うのですが、近頃は思い込みの激しそうなものは敬遠されるのでしょうかね、若い頃の西城秀樹さんのような手のかかった無茶苦茶なものがトンとなくて、少々物足りない気もします。

  この頃は仕事に慣れが出てきたためかまた少し歌が出てくるようになったのですが、新しいレパートリーでは椎名林檎ちゃんのものがいいですよ。耳で覚えたものですから歌詞は出鱈目ですが僕の中ではうまく調和しています。一人仕事の労働歌としてはあのわからん歌詞と意外ときれいに出来たメロディーがとてもうまくマッチして集中力を高めるいい効能があります。キツイ仕事に因る負荷を少しでも和らげてあげようとして曲を作ることもあるかもしれず、もしそうならお礼に椅子の一つでもあげたいくらいなのですが、まあ、迷惑がられるのが落ちでしょうから、それがだめならうちで漬けたキュウリの漬物のほうが喜ばれるだろうかとか、赤ん坊の玩具でも作ろうかとか要するに僕は単にミーハーなファンだってことでした。

 

Ω   「木の仕事・9人展」 のおしらせ (03/7/22)

 

 今年で3回目になります。年に一度近隣の木工屋さんが各々手作りの品を持ち寄って宇都宮のギャラリー「たまき」に集まります。今回は昨年より一人多い9人です。DMに書いてある文章は以下のようになっています。

 『三度目となる今回は、テーマがない。椅子を必ず出展してもらうほかは得意なもの、こだわりのもの、作りたかったもの等々、各作家の自由である、木の鞄の亀井さんは初参加で椅子を製作。木のぬくもりにお浸りいただき、お気に召したものに出会えることを願っています。また、注文もお受けします。

 なんでも修理相談お受けします。

 家具、陶磁器、漆、その他なんでもOKです。小さいものは現物、大物は写真をお持ちください。尚、高金額のものは事前にお電話お願いします。』

 僕が今回出展するのは机が一つ、椅子が2台、それにスツールとベビーチェアです。お近くの方は是非いらしてみてください。蔵つくりのこざっぱりしたギャラリーです。

  8月1日(金)〜10日(日) 午前10時〜午後6時(水曜定休)

  ギャラリー「たまき」  宇都宮市清住1-3-49 028-624-1300

    http://www.tamaki-net.com

 

Ω  木屑は土になってくれる (03/7/5)

 

 一本の丸太を手に入れたとして無駄なく始末しようと苦心しつつもその3,4割はどうにもならないのが現状になっています。シラタをはねて大きな節や割れを逃げていろいろ工夫して時間もかけますが、毎日のことですからまとまると結構な量になります。うちで作るもので一番小さなものは友人に頼まれるハンコの台というのがありますからどんな細かい落し材でも40×30×25o以上のアカタの堅木は必ず取っておきます。長さのあるものは押し縁にしたり付け物にしたり出来ますから捨てられません。どうしても使いようの無い落としは庭の隅で燃してしまいますがちょっとでも大きなものは選別してプラスティックの大きなバケットに放り込んで取っておきます。堅木は火持ちがよく火力も強いので燃料としてはかなり重宝すると思います。しかしこれも気持ちのものですがあまりたいした用も無いのにただ灰にしてしまうのにはやはり抵抗があるものですよね。

 (燃木が欲しいという方がありましたら取りにきてくださるのなら差し上げます。缶コーヒー一本くらい差し入れしていただければ尚嬉しいですが。ストック量の多少がありますからあらかじめご連絡いただければ助かります。)

 江戸時代の木材の用途を詳しく記した本によると僕が普段使うナラなどは燃料としか書いていないそうです。切り出しや運搬の可能な近い山では大きなものは取れず、また硬くて板にしにくいこんな材は昔の人には手に余るものだったのでしょうね。智恵を絞り経験を積み重ねて動力と工具を少しづつに進歩させてきた先人たちからの遺産なしには今の僕らも同様だと思います。「道理知らず」とあとでなじられないように、今手に入る力の上にあぐらをかかないように、その一員として後ろめたくならないようにまだまだしなくてはならないことも増えてくると思います。

 それ以外機械で削った切り屑や鉋屑は畑の際に設えてある肥やし場に集めておいてそれから堆肥を作ります。捨てた木屑を踏み固め、乾きすぎたようならバケツで水を撒いたりするのが毎朝の私の日課になっています。そうしておくと体積を稼げますし乾燥の度合いを抑えることにもなります。私の工場で出る量は高がしれていますのが半年に一遍くらいの周期でたまったものを一まとめにします。それを山にしてコンポストに集めておいた生ごみ(これには土と小糠も入れてあります)と一緒に混ぜ、ビニールを被せて一年ほど寝かせたら畑に撒きます。(上の写真はその時の作業のひとコマで、映っているのは私の親父です。畑に関しては彼が親分です。) そうすると変色しているものの元の形を残したままの削り滓が一月も経たないうちに土に混じって姿を消してしまうから不思議です。今年区画整理のために新しい場所に移動したうちの畑も山土と混ぜられて赤かった土がそのおかげで畑らしいいい黒土になってきました。つくづく有り難いと思っています。

 

Ω  「マトリックス リローデッド」を見ての感想 (03/6/27)

 

 随分と前から楽しみにしていた映画「マトリックス リローデッド」を東京まで出て行って見てきました。この映画の監督のウォッシャスキー兄弟という人はこの頃では珍しく質の高い画面を作るのでとても気に入っています。実はこれが2度目になるのですが、はじめて見た時は予告等の映像を参考にして半年前から自分なりに予想して組み立ててみた筋書きとあまりに展開が違っていたので面食らってしまい正直なところ少々口がへの字になってしまったのですが、今回はほぼ最前列で字幕を無視して画面に入り込んでいたのでちょっと評価が上がりました。しかしなんというか、コミック版の「風の谷のナウシカ」のようになっていくのでしょうかね?こちらは人間対人間でしたけど。

 それにしても考えてみたのですが、ほぼ人類を管理下に置いた機械たちはその後一体どんな生活を営んでいるのでしょう?人間生活への奉仕を目的として作られた機械が、自己管理を目指し徐々にではありますが人と対立するようになり、ついには人から地上での生存権と自由を奪ったとされているのですが、その目的を達してしまった彼らはその後なにをしたのでしょう。モーフィアスがネオに見せた映像ではその後の地球は相変わらず全面戦争で荒廃したままのようでしたが、それって機械が人間の真似して同族間で争うのに忙しく、復興に手が回らないということでしょうか?お花畑を作る趣向はないにしてもあれではいくら機械だって歩くのにも苦労するでしょうにね。僕が機械だったら地球なんて人間にくれてやってとっくの昔に宇宙に冒険の旅に出て行っていると思うのですが。

 人間の脳内活動とその記憶はコンピュータにとっては故郷も同じでそれへのノスタルジアが個を維持できる最後の意義ある根拠となってしまった一部の機械が生命との同化を目論んでそれを受容できる人間を作り出そうとする、「マトリックス」は人と機械双方が共有できる救世主が誕生するまでの話なのではないでしょうか。

  追記 ボクサーのロイ・ジョーンズJRがザイオンのほかの船の船長役で出ていたのには笑いました。まあ、暇なんでしょうね。好敵手もいないですし。全盛期のナイジェル・ベンあたりとカードが組まれていたら盛り上がったと思うのですが。

 

Ω  木立の中の隠れ家で行われるクラフト展あります (03/6/17)

 

 木工家の神田賢・大島明海さんご夫婦が栃木の森の中の自宅を改装したギャラリーが2周年を迎えて、このほど記念のクラフト展が開かれることになり、僕も作ったものをいくつか持ってそれに参加させていただくことになりました。神田さんのお宅は四方をクヌギの森に囲まれた日当たりのいいとても静かな場所にあります。その家の大きく張り出したウッドデッキの上で気の利いた小家具やアクセサリーなどが多数展示されるということで、送られてきた名簿を見ると二十数名もの作り手の名前が書き込まれています。どんなものが集まるのか僕自身も楽しみです。

 期間は6月21日〜7月29日の間の土・日・月・火曜日 11時〜18時

 場所は栃木県茂木町  (所在地は言葉で説明してもとても判りづらいので、R123号沿いの道の駅「茂木」で聞いてくれとのことです。そこからは車で5分ほどの所です。)

 なお詳しくは スリーパーウッド までお願いします

 栃木県芳賀郡茂木町北高岡1635  (tel) 0285-63-4957

     ../../../www.geocities.jp/sleeper_wood

 

Ω  第4回「百の個展」が始まります (03/5/23)

 

 5月30・31日、6月1日の3日間茨城県笠間市の芸術の森公園で恒例になった野外展示会が催されます。青空の下広々とした緑の中で陶芸や木工、鉄の造形やらパフォーマンスやらあまた点在していてなかなか面白いですよ。僕も3回目になりますがまたその仲間に加えてもらうことになりました。

 ここでは販売はしませんのでお客対売り手といった緊張関係はなく、たまたま前を通った人と気の向くままお喋りができるので僕はこの機会を年に一度の慰安会のようなものと結構楽しみにしています。

 お暇のある方是非いらしてみてください。今年は何でもうまい蕎麦を打つ人とかも参加するとのことですからいい休日を過ごせそうですよ。

 詳しい内容は公式HPまで。

    http://www.100nokoten.com/

 

Ω 市街化の波(03/3/21)

 

 

 街外れにある私の家も区画整理という市街化の波に晒されるようになり、ついに引き取り手のない林檎の木が一本流木となるところ、もったいないので工場の前まで引っ張ってきたのが上の写真にあるものです。10本あった他の仲間は素性もはっきりしていますし美味しい実がなることもたまにはあったので整地に来た業者の方が山に植えると言って引き取ってくれたりでうまく片付いたのですが、この木は今まで一度も実をつけたこともなく苗をまとめ買いした時に名札もなく紛れこんで家の畑に連れてこられた風来坊なので移植するスペースも与えられないと判断された結果として私が引き取ることにしたのです。節ごとにこぶがあってこのまま育ったらなかなか面白い材が取れるのではないかと楽しみにしていたので残念ですが浮世のしがらみで仕方ありません。自分の土地が持てるようになったら植えなおしてやりたいのですがそれまで仮に植えておく場所もなく、このまま眠っていてもらうわけにもいかないので、水気が程よく抜けたら工場の天井にでも吊るしておいて、乾燥が済んだら成形して磨いて、何か果実か花のような形の置物でも作ってみようと考えています。

 宅地化というのは恐ろしいもので、「裏の畑」がいつのまにか「表の畑」になってしまい、家がぐるりと道路に囲まれてしまって気を抜ける逃げ場がなくなってしまいます。裏と表が内と外に替えられてしまうわけですが、開放感のある「裏」というものを家の中に取り込もうと思ってもパティオを作れる家は多くはないと思います。こう考えると流行りの吹き抜けは現代日本風の内庭なのだと思い当たり、だとしたら玄関に大きく位置取りするのは間違えで家の中心に据えて外界とのつながりを意識しつつ光や空気、視線、動線が行き来しやすいようその土地にあった工夫がもっと必要なのだろうなと考えたりしますし、またその価値もあると思います。

 

Ω 三年目(03/1/21)

 

 早いものでこの工場を立ち上げてから今日で丁度丸3年経ったことにになります。3年もてば10年いけるといいますが、相手のある商売ですからこの先どうなるのかはまるでわかりませんね。景気のこと、材のこと、愁いてみればキリがありませんが、形や用法は変っても、人が家具を使わなくなるようなことにはならないでしょうからお客さんから見ても、また引き渡すこちら側から見ても代価に見合ういいものを作ることができれば何とか続けることができるのではないだろうかと考えています。

 たまたま今日仕事の切れ目で時間があったものですから地元の美術館で催されている「西アフリカの美術」展を見に行ってきたのですが、人が面白いと思って作ったものは民族や歴史を共有しなくてもやはり楽しめるもので、木を削ったり、真鍮で型ぬきしてつくった人や動物の体の線の滑らかで程よく丸く、なんて美しいこと。実用品としての家具とは必ずしも相容れないものもあるのですが、それをどうにか近づけて、しかもいやらしくならないものを何とか作れないものだろうかなどと考えながら帰りにパン屋さんに寄って焼きたてのパンを、この柔らかな線も家具にならないかしらとじっと見比べてしまったりするわけです。

 

Ω 秋の収穫 (02/11/05)

     

     

 知り合いの方から丸太挽き材が一本分あるのだが買わないかと誘われたのが春先だったでしょうか。先日漸く話がまとまって僕のところまで運ぶことができて今日やっと工場の裏手に桟積みを終えたところです。10年位前に材木市に出た北海道産の直径1m程のミズナラで、長さ2400、厚さ60ミリ、幅900超の板10枚を含んでいて、トラックに積むにも大人4人で一苦労でした。樹齢350年くらいありそうなとても目の詰んだいい材なのですが、ただこの材は初めから聞かされていた通り製材してから4,5年くらい桟積みもしないでビニールシートを被せただけで屋外に放置されていた気の毒な経歴があり、湿気や虫にかなり痛めつけられていて無傷で使えるのは1,2枚程度でしょうか。一部には明らかに水が溜まったような跡があり、その部分は細かな干割れが沢山入っていてかなり厚みを削らないと使えそうにありません。出資者と仲介者、保管者が複雑な関係にあったために養生の大事さが忘れられ肝心の材木がワリを食った形で、あらためて庭に広げてみるとなんとも恨めしくなります。それでなくともナラは乾燥が難しい木で、特に初期の手当てが不十分だとねじれや割れが大きくなりがちな材です。幸い素性がいいのと、重ね置きが急激な乾燥によるショックを和らげる効果があったのかねじれはほとんどなく、保管場所を提供していた方が、善意で雨にかからない場所に桟積みし直してくれたおかげで何とか腐れをある程度に食い止めることができましたが、それがなかったら貴重な資源が早々と土に返るところでした。現に中の一枚はどうにもならず燃し木にされてしまったとのことです。

 僕はこの仕事をナラ材で覚えた口なので、この材には特別愛着があります。しかし良質の材は僕の仕事の腕と反比例するように出会う機会が少なくなり寂しい思いをしていたので、この木は大切に使いたいと思います。これだけ年数をかけて成長した材なら長持ちしますし、厚みもあるから板で使ってその後削り直してまた何か他のものに使い回しすることも容易です。まあ、大きなテーブルもいいのですが、あれはどうも押しが強すぎるというか剥製にされた鹿や熊のようで落ち着かないので、椅子とか何かもっと小さなもので沢山の人とそのよさを分かち合う方がいいのではないかとか考えたり、寒くなりかけた夜の工場で板を眺めながらしばし酔い心地です。 

 

Ω 常識を疑え」 (02/10/11)

 

 つい先ごろノーベル賞に選出された京都の若い研究者の方が若者に送るメッセージとして「常識を疑え」と答えていたのが印象的でした。科学という厳格に積み上げていく学問のトップを走る人があえて常道を無警戒に歩くなと諭すのは特に今のような赤信号をみんなで止まっているような時代には大きな価値があると思います。常識を無視したり、反対に行くことは考えなくてもできます。そうではなく、なぜそれが常識として存在するのか、本当にあって当然のことなのか直感で疑問に感じたら、時間を惜しまずあらためて自分の経験に照らし合わせたり、足りない知識を他に求めたりすることが大事なのであり、次ぎの進路の道しるべを発見する可能性は意外な身近なところにその糸口があるといっているのではないでしょうか。

 コインを入れて缶コーヒーを手に入れるように情報をただ飲み込んでも、三歩歩けばその味は忘れ去られてしまいます。簡単に手にはいるものまた簡単にその手をすり抜けていきます。「めんどくさい」という心理は今の人の行動原理に深く食い込んでいますが、この「めんどくさい」の注意信号が見えたら、ちょっと回避するのを待って「本当にただ無駄で何のためにもならない事しかこの先にはないのだろうか?」と疑ってみるのも、また違った自分に逢えるいいきっかけになる可能性は、ありますよね。ならちょっと、そんなことも試してみても面白いんじゃありませんか?

 

ΩRe-Style 」というHPの紹介 (02/10/11)

 

 ちょっと面白いサイトの紹介がメールで届きました。下にそのドメインと文章の抜粋をコピーしましたので、関心のある方は御覧になってみて下さい。

私どもRe-Style<http://www.re-style.jp/>Webサイトは、環境省(廃棄物・リサイクル対策部 循環型社会推進室)、財団法人水と緑の惑星保全機構、特定非営利活動法人エコロジー・オンラインのメンバーが中心となって運営している、非営利のサイトです。
当サイトでは、リデュース(Reduce:発生抑制)・リユース(Reuse:再使用)・リサイクル(Recycle:再生利用)の取り組みを進めるため、マガジンチャンネルを中心とした情報提供サービスをおこなっております。】

 

Ω 木の仕事8人展のお知らせ (02/09/05)

 

 昨年に引き続いて宇都宮のギャラリー「たまき」にて催される椅子展に参加します。「椅子と飾り台」というテーマで近隣の木工屋さんが品物を担いで集まるのですが、先日届いたダイレクトメールを見るとなかなか力作揃いなようです。僕もこの暑い夏3週間これにかかりっきりになってました。僕は椅子を5点とその他ちょっとしたものをいくつか展示します。お近くの方どうぞいらしてください。

 9月12日(木)〜23日(月祭)

 たまき п@028-624-1300 http://www.tamaki-net.com

 

Ω「世界の椅子と手作りの椅子展」という催しがあります (02/08/14)

 

 期間;9月7日(土)〜10月6日(日)までの各土曜・日曜日(計10日間)

 場所;茨城県笠間市笠間2116 大谷石倉庫   0296-72-3426

 BC工房主催者で家具研究家の鈴木恵三氏より寄贈された約100脚の世界各地の椅子と様々な分野からなる製作者により作られた「腰掛け」の数々が大谷石で出来た古い倉庫をモダンに改装したギャラリースペースに集います。

 インテリアに関心のある方、どうぞいらしてください。

 

Ω「土間」の復活 (02/07/14)

 

 川崎の多摩区にある日本民家園には関東各地から日本の古い民家が沢山移築されていて、僕は学生の頃よく足を運んでは曲がった木をそのなり通りに組んだ天井の梁や細かいスサがむき出して模様のように美しい泥壁や、それを刳りぬいただけの明り取りの窓などを飽きもせず眺めていたことがありましたが,なかでも惹かれたのは農家の低い入り口の戸をくぐると広がる地面剥き出しの土間と呼ばれるスペース、それに続く中央に囲炉裏を配した板敷きの居間。今風に言えばリビング・ダイニング・ワーキングの空間が間仕切りもなく繋がり同居しているわけですが、同じ屋根の下に融通をつけながら何かの作業し易い場を設けてあるところが、人間の生活の場としてとても頼もしいものに感じられて仕方ありませんでした。

 今と昔を形からそう単純に比較しても生活様式も気質もこれだけ変ればあまりに頼りない見解しかでてこないかもしれませんが、家をただ休息を求めるだけの空間、家族と呼ばれあう人たちの集会所として、または買い集めてきたものの収納庫としてのみ使うより、もう少し体を使って個人としてまたは協力して何かを作る、何かをする場所としての機能に目を向けてみてもいいのではないでしょうか。多少暴れても、汚しても、音を出しても少しの手間で元のようにきちんと片付く、何もない、だからかえって何でもできる空間をその家の人がが共有するすることができたらなんて素敵なことだろうと思うのですが。なに自分の部屋にこもってしたほうが人のことを気にすることもなく集中できるという意見もありましょうが、小さな場所でできるのは小さなことばかりです。話し合いできちんとルールを決めて、今の生活を、これからの生活をより自分のものとして充実させるために、空間の利用の仕方、割り振りを考えてみてもいいのではないでしょうか。

 

Ω「百の個展」のお土産 (02/06/03)

 

 

 

 

 左の写真は笠間の土橋文子さんという人の作った焼物の人形で、先週末参加した野外イベント「百の個展」で展示してあったものなのですが、いたく気に入ったので同じく出展した僕の椅子と無理矢理交換してもらって仕事場に連れてきてしまったのもです。写真が小さくてわかり辛いのですが大作りのパッチワークの衣を纏い、手には頭をもたげた蛇、象の頭をあしらった胸飾り、頭巾にはゴブラと熊、ハスの台座に立つなんとも不思議なお姫様です。この人には当然相方の王子様がいて仲良く二人並んでいたものを独り遠くさらわれてきたのが悲しいのか、工場の一角が 身分不相応と腹立たしいのか何だか昨日に比べて肩が落ちて視線が恨めしげな気もしますが。なんとかここで我慢してください、まあゆっくりここに慣れてください、と宥めすかしつつ当の僕の本心はとてもいいものを上手いこと手に入れたとご満悦なのであります。

Ω 最近読んだ面白い本 (02/05/01)

 

 アメリカの作家でコーマック・マッカーシーという人の書いた「越境」という小説を読んでいます。図書館に置いてある本というのは大体が何処も共通ですからこの本も近所の図書館を探せば見つかるだろうと思います。

 プロローグで少年は寝床を抜け出して凍るような真冬の真夜中人間に追われもうすでにあまり見かけることのなくなった狼が狩りをする様子を息を殺して見つめています。第二次大戦前夜のメキシコとの国境に近いアメリカの山裾の開拓地、自分の仕掛けた罠にかかって傷ついた身重の狼に魅入られ、独り思いたって狼の故郷メキシコの山中まで送り届ける旅に出てしまったカウボーイの少年の話しです。人間の中での生活より野生に惹かれるその少年は、結果として家族を生活を失うことになり、異文化の只中をただ彷徨う者としての運命を抵抗なく受け入れるようになっていきます。

 この物語は特に教訓めいた内容ではなく、人が生きていくこととはどういうことかを諭そうとするものでもありません。ただとかく生活圏を小さく縮めたがる僕のような者には、明確な目的もなく、支配される観念もなく、それでいながら生きて動きつづける主人公に憧れとは違った何かしら惹かれるものを感じてしまうのです。

 

Ω 栃木県佐野市の喫茶店「絵夢」にて「マイ・チェアー&小家具展」

 

 知り合いから声を掛けてもらえて小さな展示会に参加できることになりました。

 場所は栃木県佐野市の若宮上町にある喫茶店「絵夢」内のギャラリー。      日時は4月13日(土)から19日まで。(12時〜7時)           7人の木工屋さんの椅子や小物が3点くらいづつ展示されます。交代で現場に立ち会うことになっていまして、月曜日には僕もその場に居ります。お時間のある方は是非いらしてみてください。

 詳しいことは 絵夢のHP

   http://www1.ocn.ne.jp/~emuemu/   までどうぞ

 

Ω「百の個展」参加者募集中 (02/02/17)

 年に一度、焼物とお稲荷様で有名な茨城県の笠間というところでプロアマ・ジャンル不問の製作者の集まるイベントが6月の第一週末に開かれます。3日間の開催期間中、芸術の森という名の広い公園の敷地内で踊りや音楽、空にそびえる巨大オブジェから手のひらに乗るかわいらしい動物の素焼きのマスコットまでへんてこなものがあまた揃う楽しいお祭りです。変な人多いのにたくさん集まるとそれが当たり前に見えてくるから不思議です。前回参加してみて面白かったので僕も今年また仲間入りさせていただくつもりでいますが、事務局に問い合わせるとまだまだ申し込み受け付けるそうですから、関心のある方はアクセスしてみたらいかがでしょうか。

「百の個展」事務局/井川 省史
Mailto:
hyak-ktn@eagle.ocn.ne.jp

下は今回参加される菱田さんが御好意で作ってくれた「百の個展」非公式のホームページです。どうかご覧になってみてください。

 http://www.earth01artstudio.com/100_oneman_show/link.html

 

Ω 新年にあたって (02/01/03)

 

 何も出来なかった者が、教えられて聞かなくても手を動かすことができるようになり、出来る者になる。人に誉められ天狗にになるのもいいでしょう、若いうちはそれが情熱を加速させる効果もありますから。

 この仕事が根をつめてできるのは55歳くらいまででしょうか。先人たちの仕事を見ていると目の衰えから気力体力が持続できなくなるのが分かります。若いつもりでいてもその放物線の真中に差し掛かってきてこれからはずっとみっともない仕事はできないなとあらためて感じています。

 

Ω 材木入札ツアーin 盛岡 (01/11/17)

 

 前にもどこかで書いた福島は舘岩の材木屋さんが年に何回か買い付けの素人を材木市の入札に連れて行ってくれるという企画があって、先日出かけてきました。参加は今回が三度目になるのですが、僕は元来ケチな性分なので過去二回は全くひどい成績に終わっていまして、特に今年は出物が少ないという噂もあって今回は見送ろうかと迷ったのですが、まあ最悪欲しい物が見つからなかったら無理な値段をつけなければ手ぶらで帰ることも出来るわけだし、材木屋さんには気の毒なようですが社会見学とめったにない気晴らしの遠出のつもりで楽しんできました。

 あらかじめ材木屋さんから知らされていた通り、出ている広葉樹材は絶対数も程度も落ちてくる一方なようです。土場の広さも三分の二に縮小されていましたから、以前だったらゆっくる見て回っていると一日では見切れないほどでしたのに、なんだか寂しいようです。景気もこんな状態なもんで山から切り出したところでいい値がつかないため見送っているということも考えられますが、現地の人に聞くとそれ以上に資源の枯渇が深刻なようです。この国の林業も生産から保全にその業務内容を転換している時期でもあり、そのせいで以前のような優良材が市場に出にくくなっているという話しも聞いています。しかしいつか歯止めをかけないとイギリスのような下草しか生えていない山だらけになってしまいますから、それも止むを得ないことでしょう。昔どおりに行かないのは世の常だと思います。僕らももっと利口になっていく生きていくほかないのでしょうね。

 で、一昨日その入札の結果が出て、材木屋さんが成果を知られてくれました。8点札を書き入れて落札できたのは2点。小径ながら目の詰まったウダイと色のいい朴。狙ったものが取れたのでまあそれはそれで良かったのですが、ウダイのほうは数字の書き間違えがあって予定より1万5千円高い金額になっていました。もっともその通り数字を書き込んだら落札できたか判りませんから詳しい資料が届くまで、これがドジなのか怪我の功名なのか、なんとも言えません。

 

Ω 椅子削りの楽しみ (01/10/11)

  

 

 僕の本業は箱モノ屋といって、箪笥やら机やらの引出しや扉のついた収納家具を主にやってきていまして、椅子は本格で習ったものではありません。尤も椅子の本格と言ったらアールデコやロココといった手のこんだ木彫をふんだんに施して、張り地にはやはり目の詰んだ刺繍を贅沢ににあしらって、、となるんでしょうが、そんな女王様しか欲しがらない物を作っても時代錯誤も甚だしいし、第一技術も無いしで、それに比べると僕が作るようなのは子供だましに毛の生えたようなものなのですが作っていて楽しいのは箱より椅子の方なんです。

 まずスケッチを描いて大まかなアウトラインが決まったら強度を考えながらパーツの数や太さ、組み方などを決めていきます。複雑な角度になりそうなものはベニヤ板に原寸図を書くこともありますが試作の場合はまず行き当たりばったりで始めます。試作はもともと失敗を探すことに意義があるものですし、あまり慎重に事を構えると却ってリズムが狂ってくることがあるからです。材を木取ってほぞをつけて、さあそれから楽しい削りが始まります。ここからはもう粘土遊びみたいなもので少し削っては眺め、また削りの繰り返しでもう終わりはありません。デコイや何かと違って正解があるわけではないので一方向に進むわけでにもいきません。気が済むか、諦めるか、投げ出すか。その晩上出来だと思ったものでも翌朝見てみると魔法が解けて元のかぼちゃに戻ってしまうこともよくあることです。それでも懲りずに続けていくとある時ふと見えてくる形もありますから、そんな時にはなんとも不思議な快感があります。

 趣味でやるのならこんな面白いこともありません。仕事となるとこんな気まぐれに事を進めることは出来ないものですが、こんな遊びの中から人に気に入ってもらえるアイディアも生まれてくることもありますから全く無駄というわけでもないのです。この頃はホームセンター等で手ごろな材もよく出来た手工具も沢山出ていますから最近テレビもパチンコも飽きがきたという方、秋の夜長に木を削ってみるなんてのもなかなかしゃれているんじゃないですか?よく探してみると木工屋なんて意外に近所にいるものですし、声を掛ければ何かしら助けになってくれるはずですよ。もともと趣味の延長で仕事を始めた人も多いですから仲間に会えた嬉しさからけっこう親切にしてくれると思います。

 

 

Ω 猫との共存 (01/08/31)

 

      

この先発明されたら試してみたいものとして真先に思い浮かぶのは「動物用の嘘発見器」。友人の飼っている犬など見ているとほんとうにけなげなほど人の顔色をうかがっているので、いつかその鼻をあかしてやりたいなどとひねた考えが浮かんできてしまいます。僕は小心者のせいか媚びてくるものが苦手で、犬が近寄ってくると吠えられるのはまだ我慢できるのですが妙に潤んだやさしい目でみつめられると「私の人生には君のリーダーシップが必要だ」と言われるような、人間性を試されるような緊張を感じてしまいます。犬を前にすると先に謝りたい気になってしまうのです。

   その点猫は気楽です。家には古いのと新しいのと2匹の猫がいるのですが彼らは僕が誰であるのか全くどうでもいいという態度を決して崩しません。このごろでは食事の時間を急かす声を出すのもおっくうらしく、強烈なアイコンタクトでメッセージをしばし送ってきて花が咲くのを鷹揚に待つように器の前で寝転んだきり動こうともしません。面白いからそのまま放って置くといつまでもそうしていますからこっちが折れるより仕方が無いでしょう。いつも時間を持て余しているように見えるので「ざまあみろ」とにたにた笑っていると、こちらが仕事に疲れた頃にやってきて気がつくと醒めた目でこちらを見ていたりします。猫の体は不思議なほどとらえどころがなく、線が柔らかく、見ていて飽きがきません。向こうも僕のそんな思いはとうに看破していて距離を保ちつつ勝手気侭に生きています。猫に嘘発見器をかけたいか?無駄でしょうね。

 

Ω「makoto-craft」製の私の名刺  (01/07/14)

 

 

私の名刺は横浜に住む志村誠さんという友人に作ってもらっています。彼は家具のデザイン・製作のかたわらこうした小物にもセンスを活かしています。彼のホームページがリニューアルしたということで僕も覗いてみました。なかなか面白いですよ。 皆さんもよかったら寄ってみて下さい。

mark_5.gif http://www.makoto-craft.com/

 

Ω 宇都宮で「心地よい椅子」をテーマに12人展あります   (01/06/20)

 

 宇都宮のギャラリー「たまき」さん(清澄-3-49 028-624-1300)にて12人の木工屋が各自2点の椅子を持ち寄った展示会が開かれます。僕の作ったものも置かせてもらえることになったので、お近くの方は是非お寄りください。僕もまだ現場には行ったことがないので場所の説明はしにくいのですが、何でも運動公園の近くだそうです。噂では参加する皆さん腕によりかけて新作を用意しているそうですから、色気の違った手作りの椅子24点見て回るのも面白そうじゃありませんか?大島明海さんの組み木絵も出展されるそうです。これなかなか素敵なんですよ。

 木工屋はえてして独立自尊タイプの人が多く、横のつながりが作りづらいのが現状で、地域主催の木工展以外にこれだけ頭数が揃うのもちょっと珍しいのではないかと思います。そういう僕自身も人の作ったものを見に行くことはめったにないのでいい情報交換ができれば良いと願っています。

 ついで宇都宮というとここ数年餃子の街として知られていますので、やはりそこは地元の人に何処が安くておいしいのか聞いておかないと。足利の珍満(両毛駅前にある店の名はこれでよかったかな?小田急相模原駅近くの満金とおそらく同じルーツだと思いますがどうでしょう)と味比べしないとね。

 

Ω 引き出しの底板が無垢板である理由  (01/06/10)

  

 先日仲間と話している中で引き出しの底板にベニヤを使っているような家具は偽物だというお客さんが多いということを聞いてハタと考えてしまいました。どうやら指物の世界のはなしらしいのですが、なるほど目に映りにくい技術を売り物にして高い値段をつけている商品に対するお客さんの要望は作り手の技量に対して厳しいものなのでしょうが、無垢を使う=高い技術・手間ではないと思います。昔の家具はたしかに底板に無垢の薄板を使っています。でもそれが無闇に割れが入っているようなのはあまりいい出来の物ではありません。和家具は普通底板をのリ付けした上で釘で止めてありますが前板と直交させて固定すればどんな板だって湿気と温度で膨張収縮する木材の性質から必ず割れが入ります。長く使って枯れればばおさらです。

 ではその昔に合板を作る技術があればどうだったか、板を均一に薄く削る技術があり、熱や湿気に強い接着剤があったら当時の技術屋のほとんどがベニヤ(合板)を選んでいたのじゃないでしょうか。装飾品ならいざ知らず、人が物を収める箱の底に割れが入るなんて、これ以上の不都合はないでしょう。その当時の技術レベルではおそらく下駄の鼻緒と同じように修理を前提に考えて諦めていた個所なのでしょうが、それでもその時代底板の修理だけを依頼する人はあったのでしょうか?

 後先考えずに無垢を使うのはたやすいことです。昔と違って今は便利な機械が沢山あるので日曜大工でもできます。一方、市販のものを買ってくるならともかくベニヤを作るとなるとこれはとても難しい。芯になる材の選択、各積層の厚み、圧着の問題、表面にくる薄板の継ぎ目の合わせ、耐久性、どれも経験と根気の要る仕事です。

 僕は昔のものを何でも範として模倣するやり方は好きではありません。いいものだけを真似すればいいと思っています。昔の人もその時点でもう何も新しい工夫の余地がないとは考えてはいなかったはずです。 

 僕は個人のための生活の道具を作っているつもりですから合理性をとります。

 

Ω 難しいのは値段つけ  (01/06/05)

 

 物の値段というのは売り手と買い手の合意があればいいわけで、いわば妥協点と言ったほうがいいと思います。原価にいくらかかっていようと相場がどうあろうと決めるのには話し合いの上で歩み寄る必要があります。ただなるべく同じ物を買ったもの同士公正をきすため、目安として定価というものは設定しますがそれは売り手の希望であって、それがその通り納得してもらえれば有り難い限りなのですが、なかなかそうはいきません。

 先日、合同展示会というものに初めて参加して持ち出した家具の値段をよく聞かれました。茨城県で催されたその会は販売は禁じられていたので値札は付いてません。僕の仕事は普段「これくらいの値段でこんな家具を作ってくれ」という注文の取り方が主なので展示した自分用に作った製品の値段を聞かれて初めは困ってしまいました。全ての製品材料費とかかった日数は覚えていますから、その場で単純に計算するとこれがいい値段になるんですよ。自分でも驚いたのですからお客さんもそうでしょう。ですから僕から出来上がった家具を買うのは損です。職人なんて単純ですから一度受けてしまえば何とかお客さんに出来上がったものをかわいがってもらいたいがためいろいろ根をつめるもんです。あとで計算してみたら時給五百円なんてよくあります。それでもまた注文がきたらそんなの忘れてしまうのですから、それくらいこの仕事は熱中できるんですよ。

 モノを作る側から考えるにこの頃のディスカウント店の値段設定には恐怖さえおぼえます。高いと思っていたものが自己評価で妥当だと思う値段に落ちてくるのは各業者の努力に敬意を表したくなるほどなのですが、そこから更に安くなってくるともうこれは何処かで誰かが悲惨な目にあっているとしか考えられません。そうなってくると安易にそれを買ってその流れを支持する気にはなれず、その我慢ができないようなら自分もなんだか悪事に荷担することになるのじゃないかと考えたりします。

 

 

Ω[ありしあ]でご飯が食べられるから東京に行こう。  (01/03/28)

 

 食べ歩きの趣味はないので余り偉そうに言えた義理じゃないのですが、東京は下北沢の「ありしあ」という自然食のレストランで出されるものはほんとにおいしい。騙されたつもりで一度行ってみてください。本多劇場の先の十字路を新宿方向に曲がって4,5軒目、中古盤屋さんの2階です。たしか木彫りの看板が出ていますからすぐ判るはずです。日曜日も開いています。

 自然食だといってもここは堅苦しいところではありません。食材について聞かれもしない説明をしたり、壁に手書きの商品説明書が厄除けのお札のように張り巡らされた店内を想像した方、それは違います。静かで普通です。

 出てくるものも普通です。僕はいつも定食を頼みます。玄米のご飯に季節の野菜の入った味噌汁、サラダを添えた魚のフライとコロッケ、それに香の物が付いてきます。余裕があるとデザートにパイ(梅とナッツ、もしくはルバーブがいけますよ)も。では他所と何が違うのかというと、それはそれぞれの食材が各々上手く調理されているところです。何それは当たり前だとおっしゃる方がいるかもしれませんが、ではあなたの今晩の夕食のおみおつけの具が何だったか、その食感を思い出せますか?ここの女将さんの強みは自分のレパートリーで使う食材をおいしく調理するコツをよく知っていてそれを決して崩すことなく再現できるところです。ありのままではありません、手を加えておいしさを引き出しているのです。ひじきの煮方一つにしろ、パイの生地にしろ『芸』があるのです。そして生かされた食材が組み合わさってひとつの普通の料理が出来上がっているのです。これは年季がいることだと思います。

 いつも食べながら相棒とその調理の秘密を推理します。女将さんはきいているのかいないのかカウンターの向こうですまして自分の仕事をこなしています。かっこいいんですよ。

 

Ω アレン・アイバーソンは見ていて飽きない  (01/01/14)

 

 プロバスケットボールファンの最近の話題はオールスター戦を間近に控えて今年のシクサーズの強さは本物なのだろうか、ということに尽きるのではないでしょうか。今年のアイバーソンは違う。誰もがそう言います。それは僕でも見ていて分かります。なんだかとても楽しそうにみえますから。

 昨年のペイサーズとのカンファレンスセミファイナルで敗れたアイバーソンは悔し泣きに泣いているのを見て驚きました。彼は周囲が認識していた以上に自分の能力を信じていたのでしょう。ただ今期を見るに当たって正しかったのは彼で我々の評価に誤りがあったといわざるをえないでしょう。彼の戦略と技術は他のどの選手にも勝っています。彼はまるで上空から見ているかのように各選手の位置と動きを正確に把握しています。そしてあの小さな細い肉体を自在にコントロールしてコースを開き、瞬時に突破していきます。こんな自由を味わえる選手を目で追うのほど楽しいことはありません。

 先日読んだ雑誌のインタビューの中で、自分はこの仕事が出来なくなたら「ビッグマネーを持ってまたゲットーに戻る」と言っていました。ステータスにこだわるプロ選手の中でこんなセリフを聞くのは例外だと思います。ある種の覚悟を彼は持っているのだと思います。かつてマイケル・ジョーダンは一番自由を感じるのは試合中のコートの中だ、と言っていました。アイバーソンも今、同じように感じているのじゃないでしょうか。

 プレーオフが楽しみです。あとはあまり大きな怪我をしなければいいと願っています。

 p.s.クーコッチがホークスに出されたと聞いて少々残念です。流れをコントロールしようとする彼と間合いを作ろうとするアイバーソンとではやはりかみ合わせが馴染むに至らなかったのでしょうか。ファンとしては責めのバリエーションが単調にならないか心配です。

 

Ω 古いもの  (00/12/06)

  

 上の写真は今現在僕の使っている桐箪笥です。随分古いもので引き手金具の作りなど見ても、手に入れたときには安からぬ代価を払ったのでしょうが僕の代まで使用に耐えていますからもう十分に元は取れてお釣がきているのではないでしょうか。

 気に入ったものが手元にある生活というものはいいものです。時々は眺めて一人で悦に入っています。といっても価値観というものはとても個人的なものでたとえ親子でも、同じ世代でもなかなか同じ関心を共有できるものではありません。価値は常に変動しあるいは消滅し、あるいは息を吹き返します。人間の生んだ幻想であるため人が変るように普遍ではありえません。ですから世代にまたがって捨てられもせず、またひとの役にもたっているこうしたものになにかしら尊敬の念を擁いてしまいます。

 この箪笥を作った人が誰であるか僕は知りませんしこの箪笥が誰もが認めるべき絶対の品質があると言うつもりもないのですが、ただこれを作った人に少々嫉妬する気持ちがあるのは確かです。というのも僕自身めざすところのものをこの箪笥は持っているからです。

 

Ω 円生さん  (00/11/26)

  

 一人で仕事をしていると耳寂しいのでリラックスしたいときにはカセットをかけているのですが、そんな時によく聞くのは落語です。目新しいものだとそちらに気が向きすぎるのでもう何べん聞いたか解らないお馴染みのものがいいんですね。何も音楽に乗らなくても人の語り口には色があり、リズムがあります。ことに名人のそれには飽きのこない味わいがあるものです。今はどうかわかりませんが僕の子供の頃には毎週末の早朝に古典落語の録音放送の番組がラジオで聞くことができてそれを楽しみにしていました。お気に入りは先代の金馬さん、文楽さん、小南さん、志ん生さん、円生さん。金馬さんは声が何ともいい。野太く大きな声はがらっぱちで繊細な江戸の職人気質によく合います。文楽さんは小粋な軽妙さ、小南さんは人情話、特に商家の主従の微妙な緊張関係の中の言葉のやり取りなどは息を呑む迫力があります。志ん生さんの手を抜かないときにはまるで漫画のように登場人物が生きています。そして円生さん、この人は聞き手を手玉に取ります。力のある芸の持ち主です。

 このごろはその円生さんのものをよく聞いているのですが不思議なほど飽きがきません。話しの筋はわかっているのだし、毎回新しい発見があるわけでもなしに、またなんとなく聞きたくなってしまう。おそらくこちらが求めているもの以上の何かがそれにはあって、しかもそれが一向に目に付き易いところにあるわけではないので厭味にならない。「味」とか「芸」といったものはそういうものかもしれません。見る側になかなか底を見せない、作る側の苦心が其処に秘められているのだと思います。

  道は違っていてもいいお手本になります。

 

 

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