[ 雑記 ]

[2004−2006]

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   「2007-2010]   「2000-2003]

 

 

 ここにある植物の写真は森を撮った一部を除いて工場の周囲で撮ったものです。どれもかわいいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ω Ω  アドレス再移転 (06/11/11)

  

 ここ暫らくヤフーさんのジオシティーにこのHPの住所を置かせていただいていたのですがどうやらプロバイダーのニフティーの無料サービスの容量が100メガになったらしいと聞いたものですからそちらにまた戻ることにしました。「歳のせも近くなりこんなことしてる時間なんてないはずだろう?」と思いつつ移転作業に2日半以上かかり、勢いで背景画像を取り替えてみたりで目と肩が痛みます。新しいアドレスは下記のとおりです。よろしくお付き合い下さい。

 http://homepage2.nifty.com/WWBU/

 なお明日は盛岡の材木市に出かけます。次のこの欄の記事はそのことについてレポートする予定です。

 

 

Ω  座禅などいかがかと (06/9/30)

 下にも書いた長岡寺というお寺さんの板戸作りの仕事はそれ以前に嵌っていたアルミの建具を一部外してみたところ鴨居に建具の溝が切ってない(古い建物なので木製の建具からアルミに切り替わった経緯があると思い込んでいました)のが分り、大工さんに入ってもらったり僕の方も納期のある仕事があったりで一時中断していたのですが今週からまた再開して今日は柱に埃止め用の小穴の欠き込み、敷居すべりの削り合わせ〜接着、明日は戸板の間口合わせの仕込み削りとゆっくりと進んでいきます。それが済めばあとは隠し戸車を付けて錠を固定し新しくなった敷居と外面に柿渋を塗ってガラスを嵌めれば作業完了となる筈なんですがここにきて今一つ追加のお題が出てきてしまいさあどうしたものかない知恵を絞っているところです。

 今、側面の戸は大きく開いた窓の部分に仮のベニヤ板を入れていますのでちょうど雨戸のように外の光が遮断されている状態です。僕は知らなかったのですが和尚さんが以前から話されていた座禅会は本来板戸が出来上がる予定だった8月末から既にスタートしておりなかなか好調な滑り出しのようなのですが、週末にあった寄り合いに集まった方々にその感想を聞いてみたところ朝なのに薄暗い本堂の雰囲気が予想以上に好評だったのだそうなのです。照明デザイナーさんのアドバイスで側面戸が全面木の羽目板の建具では室内が暗すぎて光源を増やしても表情の変化に限界があると指摘され完全な板戸から前面の戸同様に一部ガラスの羽目へと変更になった矢先なのに禅家の方々はどうも洞窟のイメージに惹かれる傾向があるようで、うまく明暗の切り替えを出来る方法はないだろうか和尚さんの一度は諦めたイメージにまた灯がともったようなのです。

 そのためにガラスを嵌めた上から取り外し可能な光を遮るものを重ねるという計画が浮上してきたわけなのですが掛かりになるスペースが8ミリしかなく引き戸の開け閉めの邪魔にもならない仕掛けを見栄えよく作るとなると結構難しいのです。プランAとしてはフランス窓のように柱と柱の間に細竿を引っ掛けてそれに光をさえぎる暑い布地をカーテンのように下げれば取り外しが楽でいいのではないかと考えたのですが、やはり木を使った方が印象がいいとの事で却下。プランBはある程度厚みのある木枠を中に木の羽目板を囲って組んで2点くらいオスダボを刺して戸にメスの穴をあけて宙吊りするというアイディアだったのですが平時穴が見えるのは気が進まないという理由から却下。その他何かに引っ掛けて板を紐のようなもので吊るすという案もあったのですが今のシンプルさを崩さないでフックを付けるとなると位置といい形といいなかなかいいバランスのものもすぐには浮かびません。和尚さんの考えではただ蓋するようにガラスの上から木枠を押し込むようにして欲しいとのことですが光が当たればムクの板は薄ければなおのこと変形しますし季節によりキツイならばガラスが割れるのではないかとと心配し、緩くなれば落ちて畳や人を傷つけるのではないかと案じ、いい対策がまとまるまで今しばらく時間がかかりそうです。

 この座禅会は「すこやか座禅会」と銘打たれて長岡寺の本堂で毎週の日曜日午前8時から1時間ほど開かれています。ご住職の酒井さんは群馬県内の病院でもリハビリの一環として座禅の指導にも当たっておられ「無理なく 楽しく」を主眼に関心のあられる方ならどなたでも歓迎しますとのことです。参加費用は無料ですので近隣で機会を探されていた方は勿論、初心者の方、不安をお持ちの方も一度見学して相談してみてはいかがでしょうか。

  長岡寺(ちょうこうじ)太田市西長岡町 728  0276-37-1683

 和尚さんは僕のへそ曲がりを知ってかどうかあえて勧誘のそぶりも見せないのですが僕の方はというとつい最近高村薫さんの「新リア王」を図書館でようやく借りることが出来て読み終えたばかりなものですから少しばかり聞きかじりの知識が増えた分以前には全く関心がなかった分野ながら「ちょっと座ってみようかな」という気も実はあるのです。しかし自分の作った仏具や扉を前にどれだけ集中出来きるかは少々不安でもあり基本的には目は半眼にしておくそうですから「あああそこはバランスが悪かったな」とか「塗装がムラが出来てるな」とか思い浮かびやはり落ち着けないでしょうから導入だけ教えてもらってあとは河原にでも出かけて足を組んだ方が成果はありそうだと考えています。ガラスが嵌り、遮蔽板のいいものができたら一度チャレンジしてみます。

 ところで高村薫さんですがこの人はすごい人ですね。中上健二さんがいなくなって頭の奥が熱くなるような面白いものを書ける人がもう途絶えたのかなと憂いて後暫らくたってこのような深い観察眼と構成力を持った人が現れたことは同時代を生きるものとしてこの上ない幸福を感じます。優れた作家のもつスタイルは日々の生活の中で感じたこと考えたこと、判断、その積み上げの先に朧に現れたものを根気よく磨き上げる、その繰り返しの中からしか掴めないものなのだろうなとつくづく感じさせられます。人が作ったものは当然のごとくその作り手のありようが反映されるとよく言いますがこれだけ情報が氾濫する今日、それもどうも上滑りな信仰のように思えてしまいますが、止められない時間の中にありながら内外の光と闇に乱反射を起こして掴みにくい人間個人の核としてあるものを丹念に掘り下げて仮説をたて再々検証を繰り返し膨大な資料によって肉付けて行くこの作家さんの世界像は深くそれでいて清澄な一瞬の印象がきらりとする独特なものです。今回の「新リア王」ですが内容的には「白痴」に近いのではないでしょうか。僕個人としては文庫で大幅に加筆してタイトルも変えた「李欧」、読みづらいながら記憶の中の人と風景が美しい「晴子情歌」がとても好きです。

 

Ω  暑中お見舞い申し上げます (06/7/30)

 週末にはようやく梅雨もあけるのでしょうか。暑いのはまあ慣れることも出来るのですがこの湿気はたまりませんね。それがためか今年はトマトの成りが良くてかなり大ぶりなものが枝に下がったまま真っ赤に完熟しているのを発見して驚いたりしているのですがノウゼンカヅラや葡萄といった蔓科のものはこの曇り空が嫌いなようで例年のような元気がありません。豆類も駄目ですね。

 まめにやっているギャラリーの更新がこのところないので仕事が切れたのではないかと思われた方もおいでのようなのですが、今月はお寺の外戸を計22枚作る仕事をしておりまして取り付けを含め来月まではそれにかかり切りになると思います。家具屋はちょっとお休みで二月ばかりは建具屋です。何分新米ですし家具屋のノウハウはあくまでも屋根の下に置くものに限定された知識・技術ですので軒下は長いとはいえ雨風日差しのあたるこのようなものにどう対処したらよいものかなかなか大変です。材料の杉も丸太から購入して板にしたものですのでシラタと節を逃げてパーツの木取り・目合わせだけでも10日以上かかります。接着剤は流石に最新のものを使いますが加工法はかなり昔のやり方です。ロシア民謡の「一週間」のように一日一工程づつゆっくり進む作業が続く毎日も慣れてくるとそう悪いものではありません。

 31日から4日間早めの夏休みを取りますので工場を留守にします。メール等の問い合わせもその間は出来ませんがどうかご理解ください。お盆期間は仕事です。来月は出仕事が多くなりますので電話が繋がらなくらる事もあると思いますがメールでしたら夜の10時以降ご返事できます。どうぞよろしくお願いいたします。

  

Ω  「黒テント」がやってくる (06/6/5)

 ちょっと話が急で申し訳ないのですが今週末にいつもお世話になっている方から芝居のお誘いがあり「好きな人があったら他にも声かけて」とありましたのでここにも告知を載せたいと思います。

 僕は上京の時期が寺山修二さんの急逝と入れ替わりになった世代ですので懐かしいという思いはありませんがスズナリやジャンジャンには学生時代時どき出かけましたので小さな小屋での芝居の雰囲気には親しみがあります。昭和を改めて問い直すというムーブメントが若い世代にも起きはじめたさなかでもありその一端を掴む良い機会になるかもしれません。関心のある方は別ページに資料を添付しておきましたので是非ご覧になってみてください。

 資料のページ

 会場は足利の隣町、群馬県の桐生市です。

 

Ω  展示会の予定 (06/6/1)

 僕は注文家具屋で、デザインの斬新さや目を見張るような技術をアピール出来る力もありませんので個展ですとか展示会といったものにはあまり縁が無いのですがいつかやってみたいという希望があるにはあります。

 6年前独立して看板を上げてみたもののすぐに仕事に繋がるはずもなく当初暫らくは丁度建て替えた実家に収めるものなどの製作に当たったりしていた時期がありました。それらの家具は今も手元にあり日常で役に立っているのですが機会があったらその頃作ったものたちを一度展示に出してみたいのです。今見るとこんな面倒なものよくやる気になったなと作業中の様子が記憶にないものも中にはあります。その頃当然焦燥感もありましたし自分の仕事場を持てたという高揚感も混じって少し飛んでたのかも知れません。あと暫らくたって10年過ぎた頃になったらちょうどいい頃あいになるかなと考えたりするのですが別にこれは個人史を振り返る懐古趣味というわけでもないのです。

 自分の場合「長く使えて飽きのこない日用品」というテーマを掲げていますので日々の作業はそれをより具現していく上での積み石に例えれば当たっていると思います。ですから品物ごとに言うならその達成感というものは微々たるもので意外と感じられないのが実際です。それからするとその到達度の提示を目的として展示会を考えた場合には現時点では新品の展示では趣旨を不鮮明にしてしまう点で物足りなく、それならいっそ時を経たものを選んだ方が理解されやすいのではないだろうか?そう考えが至ります。たかが家具に大げさなと言われそうですがこちらから一歩踏み出すのなら自分が何を志向しつつ仕事をしているのか伝わるかどうかは大事なことです。

 「10年使うとこんな感じになりますよ」ポイントとして見てもらいたいのは使用後の様子です。他の方がその質感をどうお取りになるのか不安ではありますが新品の展示なら数多ありますから目先を変えてそういうのがあっても面白いと思うのですが。使用済み品なので見てくださる方も気安く触れられるでしょうし、現物を参照しながらこういうところをまめにケアすると質感が戻りますよとか、この辺が傷みやすいから扱いはこうされた方が無難ですよとか品物の説明もし易くついでに修理の相談にも乗れるかもしれない。親切心を楯にすれば人前に立つ恥かしさも少しは軽減できるかもしれませんし気分も楽です。ムク板を使った家具が時とともにどう変化するものなのか、この頃では知る人も少ないと思いますのでご自分の目で判断が出来る資料になればやってみる意義もあると思うのです。まあ、新品と古物のちょうど中間で僕のような中古品傾倒者以外にはピンとこない企画なので誰も来てくれない確率のほうが高いとするのが常識的な見方ですけど、広く木の家具について知っていただく上でまた違った見方も期待できる可能性はないとは言えないと思います。

 10年というのがひとつの目安です。前にイギリスに行った時向こうのデザイナーさんに「あなたの作る家具の寿命はどれくらいと考えているか?」と質問したところ「10年」と即答が帰ってきたので驚いたことがあります。モードには流れがあるからそれが限界だというのですが洋家具の本家の方々はもっと貪欲なものとばかり考えていました。前の勤めの経営者も「10年もつもの」を品質の基準にと社内的には明言していました。それ以下では不良品、以上ではオーバーバリューということで、ちょっと前のおそらくアメリカの量産主義の考え方を引用したのだと思いますがその線引きがあると現場は確かに楽できます。「出来るだけ長く」と「10年」との意識の差はまるで違います。未知の先々を念頭において頭を使って工夫する、或いはその効能の限界が不確かにみえる古来からある面倒な手法への盲従からの開放という見方も出来ると思います。明確な限界を設けてしまえば省力化・簡略化を促進させる新製品の能力の範囲に合わせて作業の見直しを図ることにより数あるハードルの中には手軽にことが足りてしまうケースも増えますのでカタログ等を見渡すと一見仕事の可能性は無限に広がり自分の能力もアップする気になってしまいます。しかしそれも長いスパンで考えれば当然落とし穴もあり、経験の放棄はキャリアの簡素化でもあるわけですから職能の幅は広がっても底は浅くなるので応用は利かなくなります。意味が形に置き代えられて陳腐化を止める手立てが失われます。そうすると自分の仕事という感覚もなんだか淡白になり初期の情熱も同じように萎んでいくのではないかと余計な心配もしたくなります。池の鯉のように手をたたく音がするのを待っているのが癖になってしまうと世間の流れが今のように緩やかになってくる頃には自分が何故池の中にいるのかもいつか忘れてしまう事もあるのではないでしょうか。或いは何でそこに池があり鯉がいるのか誰も知らないなんてちょっと笑えない話にもなってきます。

 偉そうに言う自分は品質について、家具の寿命にどれほど自信があるのかと問われたら首をすくめて「6年前に作ったものは支障なく使えていますから材料・加工の変化がなければ6年はもつと思います。」実証するにも手立てがありませんので正直なところそう答えるしかありません。「その6年を出来るだけ長くするのが仕事の一番の目標です。」と付け足しても説得力は弱いですよね。理論上のことを何処まで実践で精度を高めて施されているかは個人の意思次第ですしそれを客観的にお見せするのは困難です。そのものの価値がそれに大きく由来するのであるなら安直な言葉はあまりに頼りない気がします。

 木工屋が展示会を開く理由は各自いろいろ事情があるでしょうし、その人の個性もありますから一括りには出来ませんが、「勇気があるな」と常々感じます。その反面あまり急がなくてもいいのではないかとも思ってしまいます。注文から始まる製作はその求められているところが予め分っていますし、相談に応じてくれる相手(お客さん)もいますので腹の底では安心していられます。誰も求めないものを作っているのかもしれないという底なし感は完成が近づき闘争心も落ち着いてきた頃からボディーブローのように徐々に神経に疲労を蓄積していきますので自由とは背中合わせで負担も大きい作業です。自分には今の受身の方法が合っているのでこの状況が進展していくことを願っているのですがそれも注文がいただける間でのことなのでいつ都合が変わるかは誰ぞ知るです。それを思うと寒気がしてなかなか仕事をサボろうという気にはなれないのでこれがややもすると自分本位に走りたがる一人仕事の頭を押さえつけてくれる木工の神様の見えざる「手」なんだと思います。

 追記 サッカーワールドカップ、予選で日本はブラジルと当たると聞いて楽しみにしています。前回は試合数は多かったもののいい対戦カードはなかったですもんね。柳沢はそのための切り札なんでしょうか?ラッキーボーイになって欲しいものです。

 

Ω  甲板磨きの日曜日 (06/4/9)

 

 木工屋にもいろいろタイプがあって僕とかは現場上がりのせいか デスクワーク ≦ 仕事時間 という考えにはどうも馴染めず、体が止まった時間は遊んでいる時間と同じであり仕事にあぶれてしまったようでどうにも落ち着けません。段取りからすると今日は次の仕事の木取り表(使用する材の具体的な寸法と本数を表示する一覧)を書いたり作業手順の工程を書き出したりしながら、材の選択を始めなくてはならないところなのですがもともと頭を使う仕事は余り得意ではないのでなかなか熱が入らず、しかも目の前に塗装作業の済んだ製品があるとなると筆が止まる毎に息抜きにとつい磨き仕事に時間を取られてなかなか先に進めません。

 とくに仕上げが気に入らなくて重ねて手を掛けるというわけではないのです。規定回分だけ油はかけて手順どおり磨きもかけてありますのであとは油の乾き具合を見るだけで作業は全て完了しているのですが、そこはあくまでお代をいただく商品としての線引きでして、どの商品もそれは同じだと思いますが手掛けた素材の魅力をより良く引きだそうとするなら仕上げというものには終わりはないと思います。

 ここでやるのは大方乾拭きです。いらなくなったぼろ布を幾重にも堅く畳んで目にならった方向に時には体重をかけて磨きますので短時間でも息が切れます。こんなことをしてどんな効果があるのかと思われる方もおいででしょうが、求めているのは透明感、深みがより増すことです。漆やラッカーのような膜を作る塗装法の場合は艶出しのために磨きをかけますがオイルフィニッシュの磨きは深く塗料を馴染ませるためにします。板になった木の木質がより細密にくっきりと顕れますからプリント合板のいわゆる模様としての木目に馴れた目にははじめは却って奇異に映るかもしれませんが、淡色の水面の流れのような複雑な絵模様は長く見ていても飽きないいいものです。それで「もっと透き通るようになるかな」「もっとなにか浮かんでこないかな」が続くわけですが、お届けの日が来なければ多分きりがないでしょうね。材の質によって浸透の度合いにかなり差がありますし具体的な手順・手法もいまだ確立できてはいませんが、この「磨き」にはもっと可能性があると思うのです。

 昔何処の町だったか東北地方を車で回っていた時たまたま見つけた民家を仕立て直した民族博物館で台所の土間と居間を仕切るケヤキの大柱の色艶が余りのいいので、丁度囲炉裏に燃し木をくべていた管理の方にお話を伺ったことがあります。その柱は代々その家の主婦が毎朝磨いたのだそうで、たしかに煤で黒くくすんだ柱の丁度女の人の背の届くくらいのところまで明るく澄んだ色合いに光を内側に宿す落ち着いた佇まいをみせています。意志の色、願いの色、気取りはなくとも暖かくて逞しい色です。

 ワックス仕上げの起源も教会の蜀台の足元の床に垂れた蝋を長年拭取っているうちに生地が透けて美しい木目が浮かび上がることに気付いたことにあると聞いています。人の手のぬくもりもその思いもそれに一役買っていることと思います。それに時間。作り手の手から使い手の手に渡って品物が生活に溶け込んでいくいい見本です。

 なかなかこちらの思うようには行きませんが時間をかけてよく相手の様子を気にかけていれば木はこちらの意を汲んでそれに応じてもくれます。これを言うとおこがましいのですが、僕の作ったものもいつかそんな色合いに少しでも近づいて欲しいものだとの願いがあって、まあその門出の勢いをつけるためにやってるようなもんですね。

 

Ω  「木の家できました」という本のご紹介 (06/2/1)

 お世話になっている設計士さんのお客さんがマイホーム建設に至る経緯を本に書きそれが出版の運びとなったと以前から聞いており楽しみにしていたところ先日届きましたのでちょっとページをめくってみました。読み進むにつれ楽しくなる本です。大きな買い物のひとつの手引きとしてなかなか貴重なドキュメントだと思います。

 普段あまり意識していない方が多いと思いますが住宅の建設には大きく分けて3つの流れがあると思います。ひとつはハウジングメーカーもの。二つ目は大工の棟梁が中心となる主に在来工法のもの、そしてデザイナーブランドもこれに入るのかもしれませんが設計士さん中心のもので、各々メリット・デメリットがあります。この本は比較すると新規なものに相当する3つ目の流れ設計士さんとの日々のやりとりを扱っています。ここでのキーワードは「木」と「協力」です。ですから同じようにそれを理想とする建物像のポイントに含めてお考えの方にはいい参考資料になると思います。簡単なレビューは以下のページでご覧になることが出来ます。よかったら図書館にリクエストして下さい。

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31632382/basicinfo

 《 昨年この増田建徳建築設計室は「田園に溶け込む家」(壬生町О氏邸 2002築)で栃木県主催第17回マロニエ建築賞「人にやさしい建築部門」の大賞を受賞されました。》

この設計事務所は住宅専門で長く仕事をされていてそのノウハウも動きもちょっとユニークです。その詳細をホームページ上で公開されるように勧めてきたのですが自画自賛は気乗りしないようでしたので今回予期せぬ方向からその現場でのレポートが本という形で人目に目に触れられることになって痞えが取れたような気分を味わっているのは多分僕だけではないと思います。

 僕らの仕事もそうですが商品についての知識として手近に得られる情報はほとんどその売り手側から発送されたのものに偏ってしまっている気がします。特にスローガンのように短く大きな声で連呼される言葉の力は強力です。ブランドというものはその典型で別角度からの点検を押さえ込もうとします。これは不愉快ですよね、こちらはもっとよく見て検討して自分のものかどうか判断したいのに。ハンドメイドの家具という業種はほんとに小さなものですが長く個人の生活に寄り添うという性質上使ってくださる方からのエコーを取り込んでいく以外に進展の道もない気がします。実際に中立の立場のどなたかがそのような意見交換の場、もしくは機能・デザインの提案の場を設けて下されたらなかなか有意義ではないだろうかとは思ってはいるのですがそれほど世間の関心も高い分野でもなし、難しいでしょうかね。

 

Ω  コーヒーショップ 「VALL」 で食べたもの (06/2/1)

 喫茶店のカウンター下リフォームの仕事をやらせて頂いたのですが打ち合わせや取り付けなどで出かけるたびに食べさせていただいたものをちょっとここにいくつか列挙してみようと思います。

 コンビーフに厚切りパン (パンは耳が美味い、と聞かされてあまりそうは思わないと反論したところ「論より証拠」と出されたもの。同じように昔はおいしいベーコンを作っていた良心的なメーカーがあったと切り出したら「じゃあこれを試せ」と出てきた甘味のある脂身がてろてろしたベーコン。自家製。ほかにやはり自家製のコンビーフは噛むほどにうまみが口の中一杯に広がる)

 腸詰めソーセージパン (ドイツで修行してきた友人から基礎を学んで後は自己流、材料も食べる人も日本あいてなんだから。煮出すといいスープが出来る。ほんとはソーセージそのものを食べてもらいたいのだけれど手が汚れるからとパンで挟んである。たしかにパンより具が大きくはみ出している。)

 シナモントースト (15センチ立方のトーストに切れ目を入れて砂糖抜きの100%動物性生クリームが掛かっただけのもの。しかし焼き加減絶妙。「二度焼きしたのですか?」との問いに答えは「No」。とろける中身とカリカリの表面、底までしっかりとしていて身崩れなし、なれど付属の野菜スープに浸けて食すとさっと溶けてあと味良し。たっぷりのサラダとの相性良し。

 この時期当たり前のものを当たり前に段階を経て正直に提供しているお店があるのに驚きです。それを言うと「それが当たり前なの」と軽く返されます。看板にもメニューにもそれらしい自己アピールが無いのでにわかファンとしては歯がゆくもあり、「30何年続いてるのは判ってくれる人はちゃんといるってことだから」と言われても現にそこに辿り着ける人はごく限られていると思います。「見る人はほとんどいませんが僕のホームページにこのことと電話番号いれて書いていいですかね?」と尋ねたら笑っておられたからОKだと判断します。もともと純喫茶から始めたお店だそうですからコーヒーも美味しいですしテイクアウトも出来るケーキ(僕はブランデー入りのものが気に入りました)もいい。遠くの方でも是非一度ご試食を。ただ注文してからちょっと時間はかかるかもしれません。それはうちも同じですが。

 喫茶 「VALL」(ヴァル)  群馬県太田市富沢町 0276-38-2918 定休月曜

 小島大田線・福沢交差点から北上するとセブンイレブンの並び田んぼ挟んで先です

 

Ω  きつくなった引出しの修理 (06/01/22)

 昨年春に届けた机の引出しがきつくなったので直してもらえないかと先週末にメールで連絡があり時間を調整して昨日出かけてきました。

 空気が乾燥して板が縮むこの時期に引き出しがきつくなるとしたら @ 引出しの側板が反って本体に擦れる(引出しを長い時間開けっ放しにしたりするとたまに起こります)A 帆立板(本体の側面を構成する板です)が「し」の字に反ったため引き出しを圧迫している B 擦れ桟(引出しを下から支える棒)の不具合、レール(吊り引出しを側から支持する薄い板)が外れかかっている C 引出しの板に亀裂もしくは割れが生じそのため箱が変形している D 箱の板組が外れかかっているなどの原因が考えられますから対応に必要な道具を揃えます。今回のものは框に組んだ箱なのでAは考えられないにしろ自分の判断の何に問題があったのか気になります。

 子供部屋に通されて引出しを緊張しながらチェックします。お断りして一つ一つ開けてみたところ別に問題はないように見えますのでお話を伺うと、少し前に子供が開け閉めに大変そうな時があったということで不具合があったのはこの頃の話ではないとのことでした。横方向にほんの少しガタができるように薄く削り増しして一応様子を見ていただくということになり最悪のケースではないと判ってこちらも一心地つけました。(ただ鉋がけしているところを人に見られるのは慣れないのであまり気持ちのいいものではありませんね。)

 僕らは引き出しの仕込み削りをする際、脇の隙を片寄せで0・5ミリ以下にして引出しがスムーズに開け閉めできるように調整します。今回のはそれが少し詰め過ぎていたのが原因だったと判りました。長いスパンで見ればそのような板と板が擦れあうような個所は磨耗が起こりまた板も瘠せて隙間が広がり、やがては出し入れの際に箱が踊るようになり型崩れを早めますのであまり緩くしたくないところなのですが、学習机は衣類の収納のように機密性を重要視するのも見当違いですし、ましてや使うのはお子さんで中にも重いものも収まります。それを初めからもっと意識していれば今回のようにお客さんに不便な思いもさせることもなかったと思います。

 以前江戸指物を販売している店で店員の方が「年に一度くらい引出しが堅くなるのはお客さんも我慢しなくてはならない」と話されるのを聞いてなんて作り手本位の考え方だろうと憤慨したのを思い出します。引出しががたつけば品がないしチリも埃も入りやすくなればそれだけ摩擦抵抗を増やすことになり木を傷める。理屈はそうですがマニアの方以外には通用しないのではないか、そのようにお客を選ぶから全体が先細りになるんだろうと思いながら今回自分も似たような轍を踏んでしまったのですから苦い気分です。ジーパンと同じで初めはきつくても使って年を経るうちに使いやすく馴染んできますよと断言できるかというと各々の木の性質、加工精度の認識に一点の曇りもないと言い切る確信もありませんし、また自分が相手の立場だったら相手が専門家だろうと現に使いづらい思いをしているのだから言葉だけをそのまま受け入れることはやはり出来ませんよね。

 しかしメンテナンスフリーを優先して隙間を大きめに取るということはやはり気が進まず、以後も今回同様に当たる所だけを少し削りに行く、それが一番の解決法だと思っています。上下の隙は後で調整も出来ますがサイドの隙は出来ません。言葉でお客さんを拘束するのも嫌ですし初めの一年の間に一度くらい微調整が必要になるかもしれない微妙な隙間でお渡ししているのは事実ですからそのあたりの説明をもっと判りやすく伝えて理解を求める必要があると今回のことで反省しました。引出しの削りに出かけるというのはこれが初めてですが、では他が全て上手くいっていると考えるのはおそらく実情ではなく、お客さんの側で気を使って下されているかもしくはこちらへの不信から在り様をお知らせ下さらないことも多々あるのだろうと推します。完成品として購入したものに不都合が生じそのために家に人を呼んで修理を頼み、収めたものを一度出してまた仕舞うという作業は出来ればせずに済ませたいと思うのは当然です。たしかに双方が面倒を負う解消法ではあるのですが長く使える為の苦肉の策と理解していただければと願うのですが。

 またお客さんの側からするとこちらに余計な負担をかけるという憂いがあるのだとも考えますが見返りとして使用中の経過という情報を手に入れるというメリットがこちらにはありますのでその意味でも関係はイーブンであると思います。その点をより正確に伝えることができ、御納得いただければ交流はスムーズになる筈です。ムクの家具の扱い方・習性、現代の家屋への適応など情報が一方通行になれば刻々と変化する状況にいつも間にかズレが大きくなる恐れもありますし、そのためのコストの負担を惜しむようならこの仕事も先が見えてしまいます。使ってくださる方々の都合・心情が掴めなくなる方がこちらとしては痛手です。

 勝手な希望ではあるのはわかっているですが、古道具屋でかつて自分が作った家具が売られ、誰かがそれを求めてくれる、あるいは世代にまたがってその家具が使われるそんな甘い夢を作り手は見ています。そのためのより長期の使用に耐えるそれだけの品質を求め向上させていくには自分の力だけでは心もとないと言わざるを得ず、他の人の協力を得ながらやっと先に進むことが出来ています。作り手と使い手のその間のコミュニケーションのやり取りの中に大切なものはあるのだと信じます。それなしには間に入った木の家具たちのそれこそ身の置き場がなくなってしまいます。

 

Ω  スパークリング日本酒でお正月 (06/01/04)

 

新年おめでとうございます。一昨年あたりからでしたでしょうか、冬が従来の荒々しさを取り戻したように厳しい季節として歳の変わり目に輪郭のはっきりしたものになったのは。気象庁の予測が外れるのはデータの集積範囲に問題があるのか解析に不備があるのか、はたまた生き物としての地球にも心理があってその気まぐれを理解するための質問項目がいまだ出揃わないのがその原因なのか我々の知るところではありませんがそんなこと他人任せではなく本来はそこに住む各自が自分なりに自然観察法を研究し身に付けていくのが筋であり、諦めということも含めて虫や鳥が当たり前にやっていることを僕らも時間を割く必要があるとも考えますが、それも言いすぎでしょうか。

 例年になく早い時期からの降雪にたまたま新年を東北の温泉で過ごすことになった者にとっては日常から移動してきた距離以上の隔絶感を味わえる風雅な季節の彩りを目にすることができ、現地の方々には申し訳ありませんが旅行者としては予期せぬ贅沢を頂きました。写真にあるのは山形の銀山温泉のある渓谷の元日の雪景色です。

  その旅先で夕食前の散歩がてらに立ち寄った酒屋さんで値段を基準に買い求めた日本酒の小瓶を宿に帰って開けてみるとなんとビールのように白く泡立ったので驚きました。お米のワインというものがあるとは聞いていましたが炭酸ガス入りもあったとは。燗にしなくて良かったです。こちらとしましては御屠蘇のつもりだったので粗忽もいいところで、雪景色といいなんだかクリスマスに戻ったようだと笑ってみたりいい思い出にはなりましたが日常でこんな買い物をするかといえば多分ないです。お酒そのものはけっして美味しくないという訳ではないのですが竹にウグイスと同じで取り合わせがやはり妙ですよね。

 さてそれからいざ仕事始めにあたって自分の仕事ですが何かスパークするようなものを作るようにと木工の神様の啓示があったのかもしれませんが、自分としてはこの5年今ある設備と技術でどこまでやれるものか試してきたものの、「これがうちの看板商品です」と胸を張って言い切れるものもまだ出来てはません。何かを極めて雑味を削いでひとつのものに集約していくという作業はどうも自分には向いていないようですし関心もあまり高まらないので当面の指標は「この仕事を続けるための努力は惜しむまい」という点にあることに変わりはないとは思います。しかしこと金銭の話となると出来上がりがわかったものを完全に作り手のペースで複数のロットで効率よく生産できる商品は売れるものであれば作り手にはそれはそれで魅力があり、この工場を立ち上げてからほとんど変化がない年収を注文がさばききれなくなるようになったら上げようと考えている手間賃の引き上げに頼ることなく上昇させられる方法としていつまでも先送りしているわけにはいかない課題であるのは確かですのでそれをもう少し意識していこうというのがテーマのひとつ。

 それともうひとつ、これは今でも気になっているお客さんとの打ち合わせのやり取りで、相手の思いの受け方とかこちらの技術のバリエーションなりをもう少しお互いの意思の疎通に工夫が必要だと感じる点です。どうも僕はその距離を埋めるのが下手なようです。直に会ってお話を冷静に聞き出すというのが一番いい方法なのですが僕も沈黙が怖いと感じるタイプなので特に初対面の方など情報量で勝負とばかりにいろいろ喋ってしまいどうもそれがお客さんの思考を混乱させているようなので、今までの経験を一度整理して接客マニュアルのようなものを作った方がお互いのために有効なのだろうかとも考えてしまいます。それと普段我々が使っている用語についても部外者にも判りやすい単語に置き換えそれをその場限りとせず常用する癖も覚えないとなかなかその距離は近づけられないようですので何か手段を考えます。

 この2点が意識して勤めるべき今年の課題です。

 未だ他にも未熟な点多々ありますが本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 本日は仕事始めとしてこの雑記書きと道具の整備です。暮れに掛けた油を拭取り必要な手直しをチェックします。手前2点は刃口の口埋めをし直しているところです。カンナは刃研ぎ半分台作り半分、両方上手く出来て切れ味が決まります。また台から刃が出る隙間の口が切屑が抜け通るに必要な最小限に狭い方が逆目を立たせなくするのに有効ですのでその隙が大きすぎていれば気付いた時に樫で出来た角度のついた埋め木を一旦外してすり合わせして奥に寄せて接着し直します。のりが乾いた頃に出っ張った部分を落として調整の削りを施せばまた元に戻るという寸法です。

 カンナの台は目がよく何年も枯らしたものなら例外もあるかもしれませんがなるべくは使用時以外は外気にあてないようにしながらも大抵は季節により多少は収縮しますし、常に台よりも大きな板のみを削るわけでもありませんから少しづつ中央から磨り減ります。台が変化すれば均等に平面を削るのも難しくなるのでおかしいなと感じたらこまめに表面を削って調整します。カンナの刃は台に対して斜めに切れ込みを入れて挿入してありますから台を削れば次第に口が大きくなる。そのために口埋めのし直しが必要になるのです。

 知り合いがお世話になっている指物を得意とされている木工家の方は使っている一枚刃カンナの口埋めをすべてご自分で真鍮で設えておられます。後で台を直せないという難点をクリアーするために台にする材も相当吟味されているようですし、また常に刃先をその刃口に合うように研がなければ効果がありませんから砥石の管理から気を配られています。とても時間のかかる下準備ですがそのようにして仕上げ削りを掛けられた木の表面はなかなか経験者でないと感じ取れないものかもしれませんが凄味があります。

 今度仕上げカンナを買うことが出来たら僕も試してみようと思いついてからもう2年が経ってしまいました。目先の入用にそれどころではないという事情のもありますが、こう公言してしまえば引くに引けなくなるということもありますので今年のうちにひとつ何とかやってみようと思います。

 

Ω  ハチドリかと思いきや蛾だったこと (05/11/23)

 季節にそぐわぬ暖かな日が続いた数週間前の夕方コーヒーでもいれようと庭を横切ると足元のペチニヤや千日坊主の花から花へ忙しそうに蜜を集めて飛び回る虫がいるのに気付き、ミツバチにしては大きいが大方材木に混じって山から連れてこられたこの辺では珍しい種なんだろうとよく見てみると口の先には蝶のような細長い管が伸びているものの触角のようなものは見当たらず、下に下がると雀のようなやや扇に広がった尾羽が付いている。「君は何者だね?」と思いつつ暫らく観察していてもホバリングする羽を一度も休めないまま2,3分したら何処かへ飛び去ってしまったので体の形がはっきり掴めず「もしかしてこれがハチドリ?」そう思い当たるとお腹の底からじわりと温かな感情の塊がこみ上げてくるのでした。

 そう思い込むのは理由がありまして。僕の住むこの近辺は物心つく以前から中小の町工場とその従業員の暮す長屋が肩を寄せ合うように立込んだ区域でして朝は目覚めるのと同時くらいから動き出すプレス機械に空気と地面が震えだし、金属を切削する音、機を織る音、近くを走る電車と道路の騒音も交じり合って今のように静かではなかったのです。雨が降ると未舗装の狭い道に機械の油が流れて一面虹色になるのもこのあたりでは自然現象のうちにはいるくらい当然の事でしたし下水道というものはないので工場廃水も家庭用も等しく側溝に流れ込み、水底の青黒い泥はかき出す先から溜り続け悪臭を放ち、日陰と力ない草花に囲まれ目に付く昆虫も色の濃いものが多かった気がします。それから30年して、産業形態も変わり生産の場、もしくは生活の場としてよりよい環境を求める余裕ができた者から去るものは去り、道路拡張と区画整理を期に消えるようにいなくなる人もあり、すぐ近くにあった自動車教習所も廃業して更地になったこともありうちの家の周囲は今かなり広い空き地になっています。人がいなくなると淋しいかというと意外とそうでもありません。土が入れ替えられて平地になった当初は火星のようだと落胆もしましたが今では辺り一面雑草の緑で覆われて今まで寄り付かなかった鳥たちもたくさん見られるようになりました。何処か藪の中には雉の巣もあるようで昨年からは番いと子供たちが道路を横切ってうちの庭先まで散歩しに来ます。鳥が寄るようになれば新しい植物も芽吹きます。当たり前のことですが人がいなくなって土があって日があたれば人以外の生き物が住むんですよね。特にこの島国は生命を育むに適した条件がよく整ってるのだとその変化を目の当たりにして改めてその潜在的な地の力のありがたさを痛感します。

 そのことがあったためついにはハチドリまでこの地に宿ってもおかしくはない、そうあって欲しい、「ここは鳥たちのサンクチュアリになるんだ」と歓喜した訳ですが鳥に詳しい知人に聞くと「日本にハチドリは住めないよ」とあっさり否定され、相棒にその話をすると早速インターネットでいろいろ調べてくれて日本でハチドリを見たというおめでたい人に丁寧にその勘違いを一喝してくれるサイトを見つけてくれたので、次第に心も冷えあの時の至福感の波紋もやがて消えようかというところです。

  41年生きていると41年なりの社会の移行を目にします。わずかな期間ですがその中でさえ変化しないものはないんだなと分かってきます。堅固に見えるものでもそれは見るものの願いと情報の効果的な伝播がそう見せているに過ぎないのではないでしょうか。希望というものも人類の尽きることない発展と創造を意味するものとばかり考えていましたが今ではその方向も多様で、人が考えた上でその地から手を引いてその足跡を消してゆくという選択もそのひとつに数える価値は十分にあるようになった気がします。日本の人口の減少について経済的な方面からの苦境の予測についてよく耳にしますが、他方向についての観測はどうなんでしょう?今のような知識や情報活用の蓄えがありながら財政面のみでしか未来に住む人々の日々の活力・幸福追求の源泉を計れないものなのでしょうか?個人の問題にしても学問の世界でもそうした方面での研究がしばし等閑にされてきていたのではないかと思います。人口の減少には勿論悪い点ばかりではないはずです。マイナス面を跳ね返すために今何を準備するべきか、今ある資産と機会をどの方向に向けて精力的に注ぐべきか、未開の地は何もジャングルのみを指すものではないと思います。

 人口が減って人が住む地域が減ったら少しづつそこを地図から削ってみな忘れてしまえばいいのにとか思います。誰も知らなければそこは魅力的に思えるでしょうし全てを手出ししなくとも生きられる人類の精神的な余裕にもなるんじゃないでしょうか。全てをコントロールできるようになれば自分もコントロールできるようになると思うのはかなり思い違いだと思います。

  とえばこれはカブトムシの幼虫です。畑に蒔く堆肥を木屑から作っているのですが冬を前に一部天地替えの作業をしたところ10匹以上出てきました。5年目で初めてです。カナブンやコガネムシ等の小さな幼虫はよく見てきたのですがサイズが違うのですぐ判ります。うちは山には近くないし近隣の小森もなくなってしまったのにどこから来たものか。単純には喜べない事情があるのかもしれませんが新たな生命はやはりいとおしく思えます。作業の間だけ少し葉影に退いててもらってそれぞれみな埋め戻しておきました。やがて逞しく育った様子も見てみたいものです。

 

Ω  趣味について (05/09/04)

 昨日今日と余りに暑いのでバテ気味の体と相談してちょっと仕事から離れて気分転換のためにこうして書き物をしているのですが、仕事であり趣味でもある木工からいざ離れてみると情けないほど時間を持て余す自分に気づきちょっと動揺します。

 僕の場合趣味としての家具を作るようになったのはこの世界に飛び込んだ後からで、それ以前には木で何かを作る経験が無かったものですから家具作りの現場でいきなり手工具を渡されても周囲から迷惑顔されるばかりで、仕方が無いので少しでも早く仕事を身に付けられるように帰宅後に道具整備をするようになったのがはじまりです。刃物の研ぎやら変わった仕口の継ぎ手やら夜ならスピードを気にせずに打ち込めますし、体が何か覚えるという経験は頭で考えるのとはまた違った喜びもあってそれが自分には意外と向いていたのだと思います。刃物の研ぎなど我慢して続けているうちにある日突然上手くなります。経験された方はおわかりだと思いますが理解不能な驚きです。道具が作れるようになれば当然使いたくなりますし、何か作りたくもなる。作ればもっといいものをと考えるようになりますし、他の事に費やす時間もだんだん惜しくなる。それが今に続いています。そんな事情で独立して自分の工場を構えてからは仕事と趣味とどこで線引きするかいよいよ曖昧になってきてしまっています。

 話は少し逸れて何故その家具作りの道に入ったかという経緯ですが、学生時代からぼんやりと「個人のためのシェルターとして部屋単位でその人の関心に合った空間の装飾・改造が商売として成り立つのではないだろうか?」と考えたのがそもそもの発端でした。お茶室とは公共性の点と母屋から隔離している点で少し違う、趣味の部屋というか言わば大きな棺桶というか、昆虫の巣と見たほうがイメージは合うかもしれません。今考えると店舗の内装業が近いのかもしれませんがもう少しその住人の色を強く出してドアひとつ向こうにコンパクトなスペースで外界から切り離された空間が作れたら生活のメリハリと孤独を肯定的に楽しめるのではないだろうかな、などなど、要するに自分がそんなものを欲しがっていたというのがあるだけで仕事としては具体的な形にはほど遠いものだったのですが。一時インテリアコーディネート業がそれに近いのかなとも考えたのですがあれは主に出来合いの商品の解説と有効性の分析に忙しく結局お客さんを商品の前まで案内することに終始するだけでどうも物足りません。そこから先はというと自分で作るしかありませんので、その取っ掛かりに家具製作所に入り、2,3年経験を積むつもりがそこで考え直して部屋全体の造作へとは進展せずそこに置く家具に留まってしまったという具合です。足止めした理由は多分自分で考えていた以上に素材としての木に魅了されたのだと言えますが、部屋単位の改装となると、各専門の共同作業やら素材の収集やら規模として一人の手に余るものだとその時になって現実的に判断できるようになったということもあります。僕もそれほど行動派ではありませんから初めにフラッシュ屋さん(ベニヤ板を多用する店舗・キッチン他大物家具をよくする業者さん・変形ものも得意)にでも奉公に上がったらそこでまた別の魅力を発見しそのまま内装業に走ってたかもしれませんので偉そうには言えませんがそうならずに今は良かったと思っています。ついでですが今の仕事も別注をメインに据えているのはその頃からの思いの名残りがあるです。

  これは言わないほうが無難なのかもしれませんが仕事としてお客さんに家具を収めて代金をいただく折に未だにちょっと恥ずかしいというか申し訳ないという気持ちが湧いてきて、意味の無い笑顔で感情を隠そうとするのですがどうもギクシャクしてしまいます。仕事というものは辛く厳しいものだという考え方が染み付いていているのでお代をいただく以上は果たすべき義務については厳格な姿勢で臨みますが、図面では追えない領域でのある程度自由な裁量を任されている部分においては趣味との境界線の線引きはかなり曖昧で、特にうちのように毎回違った物を扱っていると完成に至るまでの作る側の工夫の楽しみはその度に味わってしまいますのでどうしても自分にしか分からない喜びや苦渋をお客さんに内緒で得ているという何か後ろめたいような気分が拭いきれず困ります。もっともここで言う趣味はより高い品質のものへの趣向の意味であって自分の好みの押し付けとなるようなら本当の意味で自分の首をしめることにもなりかねないので注意していますが、見積もりの金額を横目で気にしながらも作り手の悲しい性で変な意味じゃなくお客さんを驚かせたいという欲からついあれこれ手を出してしまいます。実際にそんなことに気付く方もほとんどおられないのですがこの痕跡は自分には分かりますのでそんなとこに顔を出す自分の子供っぽさが何とも恥ずかしいのです。それでも作業中にはかなり真剣なのですが。

  昔夜中に作った家具はみな人にあげてしまったのですが、中には結婚の記念として脚に両人の顔のレリーフを彫ったテーブルなどもあり、たまたま数年前それと再会しする機会があり10年振りに見てみて絶句しました。やはり家具はシンプルなのが一番、使う人の気持ちが最優先とその時肝に銘じました。完全な趣味のものを我慢して使ってくれるのは友人だけで、その友人もたまたまいい人たちでしたのでそのテーブルも捨てられずに済んだのだと思います。つまらないものを作ってその家具が捨てられたら木が気の毒です。その責任は所有者ばかりではなく当然作り手にもあると思います。どうしたら長く使ってもらえる生活の道具を作れるのか。僕の趣味的試みもその方向に合致したものであるよう常に軌道の修正は必要だろうと考えます。

( とか云いつつこれで一日かかってしまいました。明日からまた元気に働きます。今回は書くネタが無いので自分のことに終始してお恥ずかしい次第です。文章もでたらめですみません。でもよく考えたらこのHP更新の作業も趣味だとも言えますし、仕事の宣伝でもあるわけで、これもまた曖昧なままです)

 

Ω  材待ちの間の椅子削り (05/07/03)

 予定していた普段使いのナラ材の搬入が3週間も伸びてしまい仕方ないのでこの間「いつでもいいから」と頼まれている仕事の中からからあまり材を食わなそうな小物いろいろの製作に段取りを変更することになってしました。財政的な事情から僕自身あまり余分なストックは持たないようにしているのですが、頼りにしている材木屋さんも欠品が目立つようになってきましたし、等級の見直しもあったりでいよいよ難しい流通の事情になってきたようです。約束を交わしたお客さんにあまりご迷惑が及ぶようではいけないのでこちら側も材料の安定供給確保のためもう少し積極的に動くようにしないとまずいななどと反省しながらこのところ暑い中工場の窓を全部外してせっせと鉋がけの日々です。

 

 写真にあるものは知人に頼まれたコンピュータに向かうときに座るマイチェアを作っているときの模様です。ぽっかりと空いてしまった時間を気に病んで過ごすのもつまらないですしこんな時でもないとなかなか手掛けられない椅子作りに割り当てられるのは納期に追われる憂いもないのでかえって好機と考えた方が得かもしれません。家具製作の中では椅子がやはり一番難しいのではないでしょうか。人が手で触り体で感じ、その重みも支えた上に持ち運びの利便も考えなくてはなりませんし、しかもその場・その人の用途に合った機能を備え見た目にも麗しくとなると、ただの思いつきや勢いからではなかなかいいものは出来るはずはないです。

 この椅子の基礎はスペインの田舎風の小椅子で足載せが付くのが特徴です。見本に見せていただいた写真では前脚には挽きものの飾り彫りが入れてあって後ろ脚の天辺には小さな擬宝珠が付いていました。材はパインで、座は麻の紐で編んだものだったと思います。しかしちょっと日本の家に置くにはごつい感じが気になるのと同じ座の部分を紐編みにするなら荒っぽい南欧風より落ち着いた北欧風にしたいという作り手の我儘もありまして、紆余曲折があり書き起こしたスケッチはシンプルな直線で構成するようなものに変わりました。

 問題は座です。僕自身紐編みの椅子を作るのは初めてですのでそれを上手に手掛ける作家さんに教えを請いにも出かけたりもしたのですが、その方に薦められた教本のモデルとして扱われていたカールハンセン社の椅子の座の紐を外した状態のフレームの作りにはいや驚きました。どれもこれも実利的でありながら美しくしかも故障しにくい単純な形ににまとめられていてバランスが本当にいい。溜め息が出ます。おそらく一人の知恵ではないのでしょうが数多のアイディア・工夫を重ねて磨き上げられた本当の意味での完成品というものは表面上穏やかながら長く見つめるにつけその冴え方に凄みさえ感じてしまいます。この知恵と経験の集約の行き着いた惚れ惚れするような結論をどうしても自分でも試してみたくなってしまったので即座にレイアウトを変更して出来上がった座の部分の構造はCH23の全くのコピーです。本来のCH23はサイドの貫が側の幕板のすぐ下に引き上げられ座の編みこみで二つを一体に見せてしまうことで座のボリュームを増し足元のスッキリさせて全体のバランスを良好なものにしているので、貫きの外せない今回作った椅子のようなタイプには不似合いだとの考えも頭の片隅に浮かんだりもするのですが、これはこれでいいんです。

 このあと擬宝珠を作って肝心の紐編みが始まるはずなのですが紐の折り返しの起点になる金釘がいいものが見つかっていない状態ですので作業はとりあえずここで中断です。新しい材も来週早々には届くので漸く日常のペースに戻れます。このフレームのつくりが座の編みこみにどう有利に働き、また模倣のどこに問題があったのか検証できるお楽しみは心残りながら少し先までまた待つことになります。納品が済んだあとも使用中の状態は気になりますからホントの意味で結果というものが出るのはずっと先になると思います。

 それにしても北欧の家具は見ているとそれを使う人の生活の様子まで見えてくるようでいいですよね。生活の道具が文化に密接に繋がっているようで地に足が着いているというか人とモノがお互いに支えあういい関係を作っているように見えます。多分それらを作る人たちの気持ちの中に同時に自分たちもそれらを使う側の人間でもあるという意識が強いのではないかと思います。立場の違う両者の関係を常に再検討しながらいい距離を保つのがいいもの作りにはおそらく欠かせないのでしょうね。

 今のところ自分が作る家具をどなたが使ってくれるのか僕は知った上で仕事にかかることが出来ます。これはとても重要なことなんだとあらためて考えました。

 追記)写真右上ににある蟹の足のようなもの何だかお分かりになりますか?答えはお寺の観音様の頭上を飾る天井隠しなのですが分かる訳ないですよね、家具じゃないんです。和尚さんとのヒントのような言葉のやり取りのあと最終的には「お任せで」と言われて時間をかけて考えたものの現物をお見せするのがちょっと怖いなというのがホントのところです。

 

Ω < 田んぼ偕楽園 >というイベントのご案内 (05/05/10)

 今回が二回目だということです。「水を張った6月の水田を小山の上から眺めながら音楽を聴いたり地の物を食べたりして過ごすお祭りみたいなもん。場所広いし気持ち良いところだから家具置いてみたら?」と知り合いの誘われたので僕も乗っかってみることにしました。以前この時期に開かれていた「百の個展」という催しが処々の事情から宙に浮いた状況にありますので個人的には同じ茨城の笠間市内で会場をシフトしたっていう感じです。同じ時期駅付近では「道の市」というイベントも開催されておりこちらですと商売も出来るのですが年に一度くらいお金の勘定なしに呑気に見知らぬ人と家具のことやら世間話をしたいという思いがありましてバカンス感覚で出かけようと考えております。「見る」より「参加する」という趣旨のイベントらしいので僕自身も店を出してそこでじっとしているのではなく自分用に普段使っている椅子やテーブルを会場にきてくださった方たちが自由に使えるように適当にばら撒いて初夏の田園を闊歩するつもりでおります。水田を懐かしいと感じる方も未知の領域と尻込みする人もその中を歩き回ることなどなかなか当世憚られますのでこの機会にこの不思議な小宇宙をどうぞ覗き見に来てみてください。

 開催は5月28日(土)〜6月5日(日)

 なお、詳しい情報はこちらのサイトでご案内しています。

../../../www.geocities.jp/tanbokairakuen

 

Ω  アドレス移転 (05/04/22)

 このホームページを立ち上げてから4年になりますが、実はこの間 Niftyとyahoo の間をいったりきたりしています。理由は単純に無料ホームページの容量の増大のペースがyahooの方がやや早いからで本来からすると邪魔な広告スペースの入らないプロバイダーさんのところにいたいのですが僕のところは写真の掲載が多いのでいつの間にやら天井に頭が着いてしまいます。古い資料から消していけば良いのですがこのような趣旨のページでは情報の新旧価値の違いは無いように思われますしそれ以上に取捨の判断が面倒だということもあり工場の埃のようにたまるがままになっています。今現在で容量は20Mほどです。

 以前工場勤めをしていた当初からいつか独立して自分の仕事をしたいと考えていましたがその間一番に問題だと感じていたのはお客さんと接点をどのように作っていくかということでした。僕らが作るようなムクの家具に沢山の方が関心があるということは承知していました。しかし実際にお客さんの側からそれらの品々と出会える場所というのは大方が展示会やギャラリーでの催事で、こんなのがあれば良いと判っていてもムクの家具にある種のステータスを求め得る余裕のある方以外そのほとんどの人はその価格の提示を見てなかなか購入には踏み切れないというのが現実ではないかと察します。そのステータスを演出するいろいろにはどの商売にしてもそうですが当然お金はかけられていて、それらを含めたサービスをお客さんが購入するチャンネルがあってもそれは然るべきながら、それと平行してそれらを省いた別のチャンネルがあればそちらを選択すると考える方々もおられるはずで、その人たちとどうやってコストをかけずに接点を持つことができるか?技術を身に付ける以上の難問です。

 当時最も有効な手段だと思われたのがインターネットを利用した広告でした。10年位前のことでしょうか。特に文章のみではなく写真を多用できるのは魅力だと思いました。僕の頭の中のイメージでは木工関係専用のプロバイダーが出来てそこに有料でカタログを掲載させてもらう仮想デパートのようなものを想像していまたのですがまさかページも自作できるとは思ってみませんでした。それにデジカメを含めた周辺機器もこんなに手軽に入手できるとは驚きの変化の速度です。自らが情報発信者になるのは期待していた以上に楽しい作業ですね。このページの効果も少しづつ出てきましたので張り合いもあります。

 僕のホームページは物件と写真をとても沢山載せています。僕の仕事の特徴は木の質感を生かすこととお客さんとの共同作業にあると思いますのでそこを強調した拡大写真がやや多くなっています。自分がどんなものを作るのかお伝えしたいということもありますが止めずに続けている中で何を趣向し何が不得手なのかお客さんの側から大まかながら判断していただく資料にしていただきたいというところもあります。仕事として一番重要な点は「信用を得られるか」ということになると思いますが僕個人としてはその写真の数がそれを指し示すバロメーターになることを願っています。

 

 ( 追記  このページのような木工に従事している企業・個人のHPを業種別・地域別に数多検索できるサイトがありますのでご紹介します。僕がコンピュータを始めた頃イメージしていた仮想商店街に機能の点では合致しています。ブランド物の販売から刃物の研磨に至るまでショッピングモールのように店の中が覗ける集約的なシステムはなかなか便利です。僕のページには怖いので訪問者数のカウンターを設けていないのですが去年あたりからこのサイトでも登録されているページごとにその数字が表示されるようになり、僕のところの窓口にもその数字が出てしまいます。馬鹿らしいと思いつつもつい気になってたまに開いては一喜一憂してしまいます。)

[ 家具&木工検索エンジン ]

 http://www.fuchu.or.jp/~kagu/cgi-bin/navi/

 

Ω  旭川北海道産銘木市 参戦記 (05/02/19)

 ようやく重い腰を上げて一年のうちで一番寒いこの時期、2月の15日から3日間旭川まで行ってまいりました。ナラ材を扱うものとしては一度は出向かなくてはならない北の聖地巡礼にいつかはという希望はあったものの数多の事情からずっと見送っていたのですが今回やっと参加出来ましたのもツアーを企画してくださった福島の小椋木材・渡辺さんはもとより、全方面にわたり援助してくださった栃木の設計士・増田さんのおかげです。とても充実した時間を過ごすことが出来ました。この場を借りましてあらためて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

 この頃よく同業のものの話で中国のオリンピック景気のあおりで輸入物も含めナラ材は高騰するのではないだろうかという厭な噂がよくでるのですが、僕のような個人の仕事では使う量は高が知れているので何とかなると楽観視している面も正直なところある一方で他の伝統産業のように原材料の高騰から生活の利器としては普通の人手を離れてしまうようでは自分の今の仕事の趣旨とも合わなくなるので大きな不安材料ではあります。今回出かけてみましたのはそのために材のストックを確保しておきたいと思いついたのではなく、今後を占う意味で最先端の現場を見て判断したいなと考えたからです。お金があるならどんどんストックを増やしていけばそんな不安も他人事にできるのでしょうがそんな余裕などない以上どこまで無理すべきか考えどこです。

 上の写真が土場の様子です。今年は例年になく雪が多いとのことでした。ここに写っているスペースが第二会場も含めた全体の十分の一といったところでしょうか。呆れるほど広いです。樹種を拾ってみるとセン・マカバ・メジロカバ・タモ・シナ・ナラ・イタヤ・カツラから変わったところではアオダモまで物件は広葉樹を主に約四千組、総数では1万点を軽く超えると思います。僕らにとってはもう宝探しみたいなものですから会場に足を踏み入れたとたん空気が軽くなった気分でいくらでも歩けてしまうし楽しくて飽きません。それにこちらの雪は聞いていた通り粉雪ですので足先も冷えませんね。展示品にはよく手が入っていて夕方には屋外展示分すべてにシートを掛け朝は早くから各々の材木が良く見えるようにたくさんの人が出て雪払いに励んでおられました。女性の方の働く姿がよく目に付きます。

 町のスーパー同様、ここでも輸入された原料はかなりの割合だと聞いています。輸入が不良で国産が良だとも割り切れれば楽なのですが所謂優良材といえるものは少ないですから平均化すると品質は同等にも思えます。海外での無理な伐採に関する情報には心を痛めるのですが同時にそれらの流入が全体の価格の安定をもたらし多くの仕事を支えているのも苦いながら事実で、大切に使う、長く使えるもの、今の使用者が不要と判断しても他の誰かが譲り受けて引き続き使えるような価値ある加工を僕たちは義務として仕事を続けるほかいい考えも今は浮かんできません。

 いつかこの仕事をやめる時が来るとしたら多分体がきかなくなるからだと漠然的に考えていましたし、他の理由も思いつかなかったのですが今考えるに新たに二つ、もう材がないからと諦めるのが一つ。少し木を休ませる時期がきたと自分で判断を下すというのが一つ。先の話をいましても意味のないことですが少なくとも2番目の理由だけは避けたいですよね。

 上の写真は日中日が差して木材から蒸気が上がっている様子です。冬の朝の競馬馬の調教風景の美しさ・力強さを思い出します。

 最終日は朝から入札です。目当ての物件の番号が読み上げられた折に所定の用紙に各自が希望価格を1立方メートルあたりの単価で書き込み投票し、約2分ほどで締め切られ即座に開票、購入者が決まります。なにしろ一日で4千物件さばくので投票と開票が交差してかなり手際よくハイペースで進行しますのであらかじめ金額は決めておいて、あとはその時の相場というか流れのようなものを確かめながらぎりぎりまでその数字を上げたものか下げたものか緊張しながら読む、といった少々博打めいた秘めた喜びもあります。他の市では後日関係者立会いのもとで一括で集計を取って落札者を決定するという方式を経験したことはあるのですがその方式ですと外来者はその月の市価相場が全くわからず予算通りの買い物がしにくいという難点がありました。ここでは同じような品質の物件も多数揃っていますから次のチャンスに賭けられます。予算を超えるようなら以降入札を控えることも出来ますから買いすぎをあとで後悔する心配がないので僕らのようにぎりぎりで海を超えてきたものにはいいシステムです。主催者側からお昼も用意していただけますし、大助かりです。

 シュリザクラも欲しかったのですが品不足から高価で早々とリストから外しました。僕の今回の選択基準は単純で目の詰まった色のいいナラ材のみです。初日約30点ほど条件に合うものを探し二日目には予算との兼ね合いから10点に絞込み最終日入札する5点の金額を決定し、4点札入れした時点で3点落札し予算達成したのでそこで仕事は完了。上の写真中央にあるナラ材は長さ2.4m、径72cm目の詰んだとても気に入った1点です。このような比較的短くアカタの外周が真丸くない丸太はツキ板屋さんなどの業者さんが敬遠しがちだと係りの方の説明を受けていましたが、僕らのような家具材に使うものには支障はありません。却って手ごわい競争者が少なく狙い目です。しかし欲にあおられて馬鹿な値段をつける金銭的な余裕などないわけですから幾度も書き換えを繰り返した数字を最後は気合で書き込んで、長い2分を待ちそれが我が物になったと判った時には正直うれしくて、帰り道そこここで目にした外気温の表示も全くの冗談にしか思えませんでした。

 で、落札した単価ですがここには表示はしません。板になって自分の手元に届くまでにはその上に市場参加費・北海道から製材所までの運賃・製材費・製材所から自分の工場までの運賃(これは自前でも出来ます)、自然乾燥のための手当て(僕の場合これは自分でやれます)などを重ねていくと総費用は元値の2倍以上にはなると思います。それでも小売店さんから乾燥済みのものを買うより安価ですし、いろいろ大変な思いもありますがやはり気に入った木でいつか何か自分の手で作れるかと思うと夢が広がります。これはたぶんいつか椅子に姿を変えることになると思います。

 今回の落札価格等を含めてこのような入札会に関することがお知りになりたければどうぞご連絡ください。同業の方の問い合わせも勿論歓迎します。

 

(追記 5月12日に上の材を製材してきました。写真にあるものは当たりの口で厚さ40〜60ミリの無欠点の板が10枚ほど取れました。幅は一番広いもので800くらいです。他のは節がたくさん出てしまったので34ミリに挽いて良いとこ取りで使おうと思います。自然乾燥でいくつもりですので使えるのは4,5年後ですが気長にお待ちいただける方テーブル材にご予約いかがでしょう?

 

Ω  ヤブイヌに誓う新年の抱負 (05/01/04)

 昨年暮れから降り続いた雪の名残がそこここに見られ、新しい年の始まりの実感も湧かぬまま天気がいいのでつい気まぐれに「虎を見に行こう」と思い立ち出かけていった横浜のズーラシアで夕刻近く他の動物たちが寒さと勤務時間終了後の夕餉恋しさから各々の個室に通じる扉に鼻先をつけて身を捩じらせている中ただ一人だけそう広くはない自分のテリトリーの中を短い脚で快走しつづけていたのが初めて目にするヤブイヌという動物でした。英名の BUSH DOG からの直訳らしい情ないような呼び名を押し付けられて気の毒にと同情しつつも、猪の子供のような体躯に色艶の映えない暗色の毛並み、せわしない動き等からあながち言い当てて妙なネーミングと語感に感心してしまいました。しばらくその場で観察していたのですがその間その動物は一度も自分の寝床を振り向くことなく周回を繰り返しているので以前小田原の動物園で狭いプールに押し込められたアシカが反復して同じ行程を全力で泳ぐさまを見たのを思い出したりもしたのですが、幾分狂気を感じたそれとは違いここでは何かしら「生活のための努力」といった肯定的な印象が頭に上ってきてしまったのですが、うーん、これは勝手な思い込みでしょうか。

 車のエンジンのピストンような直線的な行程の繰り返しは生き物の生理に反するようで何だか堅苦しく息が詰まるものですがそれに比べ円形の運動というものは軌道を修正できる余地が残されている分、外部からの影響や自身の変調を受容する際に有利に働くものと思います。ヤブイヌの一見本能に操られたような周回運動もよくよく見ると足を止める位置を変えたり少し外回りになったり細かなアクセントが見つけられ本人なりの時の経過の認識はありそうです。インターネットで検索してみたところ後ろ向きに歩くという大技も時として見せるのだとありました。それが単なる気晴らしなのか、次のステップへの布石なのか当人に問いただしてみようにも声をかける糸口さへ掴めぬまま残念ながら閉園のアナウンスに押しやられて帰途に着くことになったのですが、今でも同じ軌道をただ無意味なように走りつづけるヤブイヌの懸命な姿が脳裏に浮かんできます。あまりに動きが慌しいため顔つきがどんなだったか今ひとつ思い出せないで困ってはいるのですがせわしなくしながらも自分のペースを守り、目に見えない目標に向かって果敢に前進を続ける姿にわが身を重ねてみたいものだと思ってしまいます。

 この工場ももうじき5年目も過ぎようかという中つい忘れがちな真摯さを改めて気付かされ、感謝の言葉をかけようと機会をうかがっていたのですが彼は終始走ったままでした。潔い生き物というものは見ていて清々しいです。それに倣い今年の私の目標は単調なものを生きたものにする、ということにします。本年もどうぞよろしくお付き合いください。

 なおヤブイヌについての詳しい情報ですが、こちらをお訪ね下さい。写真やかわいらしいイラスト付きでこの不思議な動物についていろいろ教えてくれます。

http://homepage1.nifty.com/marchio/

 リンクフリーとあったのですが一応おことわりりのメールを送ったところとても丁寧なご返事を頂き返って恐縮してしまいました。管理者の方は感情のこまやかな落ち着いた人といった印象で、きっと人を見るのと同じ目線で動物たちにも接することを普通に出来るのだろうと思います。

 

Ω  桐材の乾燥しています(04/11/9)

 引き出しの内箱に桐を使った箪笥を作ってくれという注文をいただいたので、この半年ばかりいろいろ探してみた結果ようやく条件に合うものが見つかり、本日材が届きましたので井桁に桟積みしたあとで記念に写真を撮っておきました。伐採してから一年寝かせておいた丸太から製材したのもですので、あと1,2回水浴びさせてやれば灰汁が抜け切って雨の少ないこの時期なら1,2ヶ月で使えるようになるだろうという事です。

 この材を分けてくださったのは紬の里として有名な茨城の結城市にある3代続く桐専門の加工屋さんで、本来ならばこのような少量の販売はしていないというところ有難い事に無理を聞き入れてくださいました。国産の桐はとても高価で手が出ないというイメージが今も強く残っていますがこの材は(乾燥を自前でやらなくてはならない条件ながら)単価で言えばホームセンター等で売られている外国産より安価なくらいですし、丸太から挽いていますので板の長さ・厚みも指定に応じてもらえます。

    猪ノ原桐材木工所  http://www.cube2003.net/~ino/

 桐の扱い方、道具のこと、仕上げの仕方あれこれ、時間をかけて親切に説明していただくことが出来てとても勉強になりました。

 

Ω  「木の仕事 8人展」 のお知らせ (04/9/18)

 

 今年で4回目でしょうか。宇都宮のギャラリー  「たまき」 にて開かれる木工展がまたあります。DMが本日届いたのですが手の込んだ力作揃いで僕自身も現物を見るのが楽しみです。今回僕が置かせてもらうものはは椅子が4点、小机が1点です。自分に合った椅子かどうか確かめるには最低20分くらいは座ってみないと判断できないとどこかで聞いたことがありますが、ここの展示は作り手が脇にいていちいち声を掛けることもありませんのでゆっくりと触れて腰掛けて、ハンドメイドの家具の楽しみをどうぞ味わってみてください。

 開催期間は10月1日(金)〜11日(月・祭日)です。

ギャラリー 「たまき」  宇都宮市清住1-3-49 028-624-1300 P有り

    http://www.tamaki-net.com

 

Ω  設計事務所 「銀の森」 HP (04/8/22)

 いつもお世話になっている栃木市の増田さんと言う方のホームページが暫定的ながら立ち上がったということで皆様にもお知らせいたします。

 奥様がコンピュータの講習会に通われて、できる限りに自分たちの手でメッセージを形にしようと頑張っておられます。文章のパートはまだまだ何も記述が進んでいない状態ですが記録した写真は半数くらい提示できてきたところで思い切ってドメインを取ったとのことです。お客さんとの対話に力を注いで木材の特性と美しさを生かした住宅を沢山手がけてこられています。どうぞ一度ご覧になってみてください。住宅の写真には作品集から入れます。

http://www.cc9.ne.jp/~ginnomori/

Ω  古いノートブック (04/8/12)

 帰郷してから一度も開けていないダンボールの包みの一つを探し物があって引っ掻き回していたら懐かしいノートブックが出てきました。高校の頃の雑記帖で、中を開いてみるとページの端に時々お粗末な椅子のデザインらしきものが描かれています。そーだそーだ、描いたのは僕だ。ああ、懐かしい。不味い絵ですが自分にだけには分る、、、はずなのですが、理解不能なものもいくつか、いや結構ありましたね。恥ずかしいので全ては見られませんでした。

 それを書いていた以前から僕は劣等生でしたので学校に行くのがなんとなく退屈で、朝家を出て遅刻するのが明らかなときなど担任に毎度お同じの言い訳をするのも面倒なのでその頃市内に出来たばかりの立派な県立図書館になら丁度開館時間に間に合うとばかりに時々通うようになり、それが癖になって出席日数の限界に挑むことになってしまったのですが、その頃たまたま数多の蔵書の中から気まぐれで手にしたのが「世界の名椅子  100点」という図入りの大きな本で、ノートブックに描かれているスケッチの初めの頃のものはこれから気に入ったものを書き写したものです。家具のデザインなんかが職業として存在し、且つそれで名前を残した人がいる、ということを初めて知って田舎の無知な青年にはかなりショックでした。自動車も鉛筆も普通誰がデザインしたか何処にも書いてないのに、同じ工業製品で何故椅子だけ特別なんだろう?と不思議に思ったのを覚えています。こんな疑問が安易な甘い夢に変りなんとなく自分にも出来るのではないだろうかと勘違いした結果がノートの端のスケッチで、暫くは熱意も続いて開いたページ全面に何十ものへんてこな椅子が描かれていたりしますから今思えば将来の進路に対する不安から逃れられるいい遊びになっていたのだと思います。椅子は自由な表現が許されるものに見えました。しかも押し付けがましいメッセージを伝えようとするのではなく 「生き方はいろいろある、例えばこんなのもね」 と言っているように。

 中学の技術家庭の授業で、四角い本棚も人並みに作れなかった自分が今それを職業にしているのは何とも不思議です。もし図書館でその本を手に取らなかったらおそらく今は別の道を歩んでいたでしょうね。年に一度のペースで開かれる宇都宮の木工展に出すために、椅子を何点か作っているのですが、このときだけはお客さんの注文ではなく僕が見たい・使いたいと思うものを作ります。先日その一つが出来上がったのですが昔のノートブックの中にそれと同じデザインのものを発見してちょっと驚きました。自分はまるで進歩が無いのでしょうかね?あるいはその頃の夢想が今の自分の支えになっているのでしょうか?どちらにしろ何だか気が抜けてしまいます。

 

Ω  プロの遊びと素人の仕事 (04/6/6)

 自分で家具を作っていて「こんな家具は見たことない、全くのオリジナルなのではないだろうか」と勘違いしてハイになってあとで恥をかくことも多々あるのですが、よくよく考えてみると人が家具を作るようになって長い歴史があるわけですから今現在見たことのない家具のほとんどは誰かによって試されたものの、作り手以外からの賛同は得られず消えていったというのが実際なんだと思います。それからすると伝統工芸というものはそんな中から残った選りすぐりのものたちに勝負を挑んでいるのですから技術を追いながら一方で新しさを求めようとする苦労は並大抵ではないと思います。やっと体得した「型」とそれが積み上げた価値を解体していくのは勇気のいることですし、下手に崩せばみっともないばかりですから調和の取れたものにするにはそこに何か今までにない価値を付加していくしかないのかもしれません。徒労に終わることも少なくないと察します。

 先々週末でしたか東京で二つの展示会が同時期に開催されており、友人に会う約束もあったのでついでというわけでもありませんが見に行ってきました。一つは銀座の和光で開かれた工芸「響の会」、もう一つは新宿のオゾンで恒例になっている「生活の中の椅子展」という企画展です。当たり前に考えると前者は立場上当然保守色が強く高尚で、後者は販売を直に意識する必要はないので自由な物作りのアイディアを競い合うというところに焦点があると思うのですがいざ現場を見てみるとなんとなくその逆を行っているような印象で、あれあれというところでした。この種の展示会で楽しみなのはそれが視界に入ってきた瞬間に頭の中に「?」マークが浮かび上がるような何か妙なものに出会えることで、伝統工芸にせよモダンな椅子にしろそのほとんどは既にある「型」を踏襲するに過ぎない中、形か、色か、サイズか、質感か、何が自分の中の呼び鈴に触れたのか立ち止まって考えてみるのはそのつくり手の苦労話を聞くようで楽しいものです。今回二つの違ったタイプの展示を見て回って意外にも出展者の年齢のより高い工芸展の方に言葉ではなく意匠で語りかけてくる細やかな工夫が多く見られ感心させられました。少なくともそれらを求めて展示場に足を運んで下さる方たちの心情を共感できるものとして近いところに意識しているのはこちらだった気がします。

 僕らは作ったものを売って生活していますので仕事をしている間にはコストという意識がどうしてもついて回ります。そのためにゴールへの最短距離のコースを設定して無駄をなくし工程を効率よく進められるよう作業を合理化してあらかじめ検討された品質の完成品まで迷わずに走り切れれば利を増やすことができるのでその道に沿った考え方をしますが、何をどう型に嵌めてしまい個々の対応を割り切って判断するか微妙なところはあります。それに仕事があまりに単調化すると出来上がったものにもそれが移りますから気をつけないといけません。物の再生産を商売にするにはこの効率優先の方法が一番ですが、オゾンの椅子展はキツイ言い方をすればこのような生産者本位考え方で出来上がったものばかりなような気がしたのですがどうなんでしょう。学生さんが作ったものもあるということですのでまじめなのは結構だとは思いますが「生活の中」と銘打っているわりにあまりに潤いのない、個人の匂いのないスタイルへの全体的な傾倒はちょっと味気ないですね。望むべき生活が一本化されつつあるようでそれでは生活形態の多様化とは逆方向を向いていますし、ここでの生活とは特定の誰か顔のない最大購買者層をさしているのだとしたらそれも何だか時代遅れな気がします。コストの拘束はないのですから何か機能かデザインが特化したものが生活の中に入ってきてもそれを楽しめる人は少なくないと思うのですが、これも商売の延長上近道なのでしょうかね。または生活に対する意識の違いでしょうか。

  仕事や時間に追いかけられるのは辛いものですが、逆に追いかけるようになれたらいいなと常々思います。根気と労力をかけて作業の的確さ・勘を磨かなくてはならないのでと今すぐにやれるものでもありませんが心掛けておかないとつい流されてしまいがちですから出来る無理はするようにしています。それらを追い抜けることが出来たら時間にも心にも余裕が出来てモノを作るにも面白い遠回りがしやすくなるでしょう。部屋に置くならそんなプラスアルファを求めてたいと願うのは僕だけではないと思います。それはアマチュアの考えだと言われそうですがそうした「遊び」が出来上がったものにもう一色の奥行きを与えてくれるものと信じますし、思うようには真っ直ぐには歩けない人間的でいいと思うのです。まあ言葉にすると簡単ですが蛇足にもなりかねないそのような試みも付加すべきかあえて削るか吟味できるのはその人のセンスによるものですし、それが妥当に判断できるようになるまで生きている間に到達できるものかそれも分りませんけど、そうなれたらきっと気分いいでしょうね。

 

Ω  手打蕎麦 「蕎庵 秀明  (きょうあん しゅうめい)」さん江 (04/5/4)

 開店のお手伝いをさせていただいた栃木のお蕎麦屋さんに先日設計士さんに連れられて行ってきました。平日のお昼をとうに過ぎた時間にもかかわらずお客さんは切れることなくご来店してくださっているのでこちらとしても一安心というところです。店内は光がよく入り白木の建具と黒い敷石の土間、処々に配された緑が心地よくいいバランスに整えられており、外の喧騒をしばし忘れ穏やかな会食を楽しめるようよく設えてありました。客を威圧するような所謂「こだわり」を押し付ける肩肘張った姿勢ではなくでてきたお蕎麦の方もしっとりと歯ごたえよく、とてもまろやかです。食材にしても何処にもアピールされてありませんがよく吟味されていますので蕎麦好きな方にかかわらずともどうか一度ご賞味していただければと願います。

 お店は栃木市の中央を走る大通りの万町交差点をバイパス方向に曲がり、バイパスに直交する一つ前の十字路手前50m道沿いにあります。駐車スペースは十分にありますので蔵の街散策のお帰りにでも御寄りいただければ遠出のいい締めくくりになると思います。

   蕎庵 秀明     328-0075 栃木市箱森町 2-31   Tell 0282-24-7055

 

Ω  リンクページにかえて (04/3/28)

 先日、横浜に住む叔父からこのホームページを見たとのメールがありまして、まあよくやっていると励まされたりしてもらったわけなのですが、このホームページというものは誰かに自分のしていることを知って欲しくて始めたはずなのにいつの間にか日記帳のような存在になってしまっていて、あらためて誰かが見ていると気付かされると独り遊びの現場を見られたような妙な気恥ずかしさを覚えてしまいます。

 その叔父もホームページを持っているということでしたので先日開いてみたところ、これが面白いのす。僕のページには特にリンクページは設けてありませんのでここにアドレスを載せておきますのでもしよろしかったらどなたでもどうぞ訪ねてみて下さい。

http://www.linkclub.or.jp/~ashind/

 ここでは主に趣味の山野草の写真を公開していて、近所の公園やら旅先やら目に付いた面白いと感じられたモノが集められています。その視線というか、距離感というものが僕自身のそれと不思議と共通しているところが身内としてはとても可笑しいのですが、上の写真もそんな中のひとつで、気に入った一枚で勝手にコピーさせてもらいました。僕も植物の写真をとるのが好きでこの欄にも沢山載せていますがなかなかこう巧くはいかないものです。それにしても人以外の動植物の生み出す色の豊かさ・組み合わせの妙は僕らの知るそれの遥か先にあるのがわかります。。ちょっと好奇心をもって足元を根気よく観察してみると自分の世界を広げてくれるものが沢山見つけられる事にこのホームページは気付かせてくれます。

 その他リンクページにはここ足利市に関するものもいくつか載せられています。普段河原とホームセンターにしか出かけない僕としてはなるほどなと関心させられる情報が沢山得られます。こちらもどうぞご覧になってみてください。

 

Ω  電気工具について (04/2/26)

 

 板組みの大きな椅子を作る仕事を頼まれまして、思案したあげくハンディールーターと電気鉋を思い切って購入しました。写真にあるのは一枚板の背板に座板と組ませる12℃勾配・10ミリ幅の溝を2本ついているところです。この加工を手でやるとしたら大きな毛引きで見切り線を引いた後に勾配をつけた当て物を作って固定し、畦引き鋸で四本の切込みを入れて溝きり鉋で規定の深さまで削り込み、最後は現物あわせ、という具合にやるのでしょうかね?時間があるときに挑戦したいと思いますが単価の張るこのような預かりものの一枚板を相手にする場合には十分練習する時間を設けないと怖くて手が出ませんので今回は安易な道を選んでしまいました。

  しかしこの手の機械は怖いです。メーカーサイドの安全面についてではなくあくまでも僕の主観なのですがやはり怖いです。工場勤めの頃から何度も使ってきた工具の一つのはずなのですがどうもしっくりこないというか手の中にある異物感がなかなか拭いきれません。加工スピードが速すぎるせいなのですかね?自分の認知の先先に機械が進んでいって置いてきぼりを食っている気がして不愉快です。あるいはあのモーターの回転音が歯医者さんが使う神経に障るドリル音を思い起こさせて落着けないのかもしれません。それに落とすとすぐに壊れそうな工具というものはなんとなく首の座りの悪い子供のようであつかいに余計な神経を使っていつもの倍は疲れます。便利だけどどうも使いづらい、何だかこの手のものが世間にいよいよ多いような気もしますが。

 昔に比べれば加工機械の安全性は飛躍的に進んでいるようです。作業内容もただスピードばかりを優先するような傾向から時間の余裕を考えるように変り、それによって体の一部が欠けることになるようなことは随分減った思いますが、一瞬の心の隙を縫って事故は発生しますから、「怖い怖い」と常に神経をそれに向けていた方が安全の面では利があるのでしょうが、自分の手以上に自在に使える道具は代わりがありませんのでいつか突然それを痛めるのではないだろうかという懸念が拭えないで困ります。どうしても慣れられないというか、相性の悪い道具というのはありますよね。

 職人は頭では考えません、目で見て手で考えます。気障な言い方かも知れませんが実感としてはそんな感じがあります。とにかく手を動かさないことには何も進みませんからとても大事です。頭は以後それを反芻できるように記録係として両肩の上に載せておくといったところでしょうか。以前この種の機械を使ってではないのですが指先をほんの少し削るミスをして医者に行ったことがありまして、何針も縫われていく自分の指を見て、使い勝手が以前と変るのではないかという恐怖に近い気持ちと軽率な判断から大事な道具を傷つけた悔しさとでとても嫌な気分を味わったことがあります。あんな思いをするのはもうご免ですから使っていて心穏やかになれない工具を使うのはこれからもなるべく少なくしようと思います。

 車の運転と同じで使い続けるうちいつかきっと馴染むようになると考える一方で、メリットがあるのは時間の短縮ばかりで途中見落とす風景も沢山あるのだろうと考えてしまいます。屁理屈ですが要するに嫌いなのです。

 

Ω  仕事始め前夜 (04/1/3)

 新年おめでとうございます。今年は3日間天気にも恵まれて穏やかないい正月だったのではないでしょうか。普段なら人が集まりそうなところにはなるべく出かけないようにしているものの、この暮れはちょっと気持ちに余裕があったものですから東京ミレナリオという丸の内の電飾イベントを気晴らしに見に行ってきました。しかし印象に残ったものといえばカメラ付きの携帯電話とデジタルカメラの液晶画面の映像が光に集まる蛾のように意味ありげに目先をゆらゆら沢山ゆれるのばかりで、ああいうものは富士山と同じであまり近くに寄りすぎるとやはり興醒めなものですね。客集めが目的で作られたのものはアイディアが先走っていて、スピルバーグの映画ではありませんがそのエネルギーと執心には感心するもののまた見たいという気にはなかなかなれないものです。入り口付近では歓喜に溢れたような周囲の人たちの様子を観察していて反応のあり方にくせのある人を目で追ったり面白味もあったのですが、ディズニーランドの四次元的な空間演出に慣れてしまっている今の人たちの好奇心を持続させるには余り手のこんだ仕掛けは用意されておらず、終わりに近づくにつれて次第に無口になる人の群れは薄暗い中却って不気味です。そのころあいをみはからったように軽食とお土産の展示が待ち構えていて、この宙に浮いたような気分を落ち着かせるのにはお金を使って厄落としするしかないような気分にさせられていて、なんだか自分がパチンコの玉に見立てられたようで、相手にうまくしてやられた気分でした。順路をたどっていくと最後に控えているのは近年落成した国際フォーラムのガラス張りの巨大な建物で、これは一度見ておきたいと思っていたのですが、木造船の底をひっくり返したような天井のつくりは贅沢に空間を包み込むなかなか素敵な見世物です。こちらの方は出来上がりから随分と時間が経っていますからこの時期何の展示もなく、飲食店も閉じている上の階まで上って来る人は暫くいても誰一人なく、静かに開放感のあるロマンチックな気分を味わうことができたので、ここなら来年また来てもいいなと感じられました。

 さてそれから束の間の休日は瞬く間に過ぎ、明日からまた単調な日常に戻るのですが、何か目標のようなものを設けなくてはならないだろうかと考えはするものの実感としては、特別に構えようという気もないので、ここ数年と同じで 「沢山の経験を積み、その経験を生かす工夫を仕事とする」 というところに落ち着きます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 長くなってきましたのでこれより前の雑記は別ページにしました。

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