

幻の伊能大図の模写図がアメリカ議会図書館で発見され、このたび里帰りしその里帰り展が2005年1月22日23日我が千葉県は幕張メッセにて開催されました。
伊能忠敬は、日本を隈なく歩き初めて科学的測量を行い、日本図にまとめました。
伊能大図は現在国土地理院が発行している地形図と比べると2万5千分1地形図と5万分1地形図の中間の縮尺3万6千分1で描かれている。もちろん現在の地形図と比べ等高線がなく、表現も粗いが、200年前の国土の状況を知るための有力な科学的資料であることには間違いない。
伊能大図には、城や集落。山野や海岸の状況などが十分ではないが絵画的に表現されており、当時も日本の町並みや田園の風景を十分に想起させるものである。想像力(創造力?)をもってすれば200年前日本の姿を蘇らせることも十分可能である。
伊能忠敬は、地図作成に絵師も動員したといわれている。おそらくかれは、美しい日本の姿を後世に残したかったのではないかと想像するのである。
千葉幕張メッセのフロアーに敷き詰められた214枚の伊能大図さすがにでかい。
伊能忠敬が完成した大図を江戸城の大広間に敷き詰め、将軍に見せたといわれるがその有様が
彷彿とされる。
初めてわが日本の姿を正確に見た日本人はどんな思いだったのだろう。おそらく幕藩体制の中で日本という統一された国土を実体として捉え、忍び寄る外国の影に思いを馳せたのだろうか。
それとも、この彩色された美しい地図(本当にこの地図は美術的にも価値があるとおもわれる)に日本の美しい国土に魅入られたのだろうか。
どちらにしても、この精緻な地図はいまでも私たち日本人の心を捉える。
九州地方から北を望む地図メッセ会場に広げられた大図


岩手県のリアス式海岸この海岸線を徒歩で図って描いたというのだからおそれいる。

京都・大阪地方
なるほど大坂と京都はこんなにも水運で結ばれていたのだな
伊能図の種類
実測図を基本とする伊能図は、縮尺にもとづいてえがかれている。したがって、縮尺による区分が第一義的のものである。、これに作成時期、収録地域、成立の経緯が組み合わされて、確実な数はわからないが、全部で400種以上の地図が作られたとみられる。
基本的な縮尺は大・中・小、すなわち、1町1分(1:36000)の大図、1里6分(1:216000)の中図、1里3分(1:432000)の小図の3種である。
寛政12年(1800)から文化13年(1816)までのあしかけ17年、10次に及ぶ測量期間内の各段階、文政4年(1821)の最終上程図完成、さらにそれに続く時期と、作成時期も幅が広い。
すべて手書き図で伝えられた伊能図には成立の経緯により。正本・副本・稿本・写本・模写本という区分もある。
正本は上程図、副本はその控えと、一部諸侯の求めによりチームが作った献呈図、稿本は完成度の低い作業用の地図、写本は原図(副本等)からの敷き写し、模写本は明治以降に保存や利用のために作られた図とするものである。
伊能図のなかで、全測量成果を集大成した図が「大日本沿海與地図」で文政4年(1821年)に幕府に提出された。最終上程図と呼ばれることも多い。大図214枚、中図8枚、小図3枚に、「奥地実測録」14冊1舗がそえられた。これが本来の、あるいは狭義の伊能図といってもよいだろう。

という訳で2時間かけてゆっくり、地図を見て会場をでると幕張メッセの高層ビルに
白昼の月がかかっていました。
しかしながら地図マニアがこんなにもたくさんいるとは思いませんでした。といいつつ
同行の杉浦氏と海浜幕張駅の近くで一杯飲みました。