明大漫研機関紙「モア」発刊第二号
残念ながら1号はなくしてしまいました。
1967年11月の発行です
発行人は泣く子も黙る鈴木さんです。
編集後記にこうあります。
「フランス革命は新聞の洪水の中から生まれたというが。1960年代のブルジョア新聞からはそのような革命的要素は全て去勢されている。従ってその中にある政治漫画というものが、どういう性格のものであるは、明白である。・・・・
柴田 翔「されど我らが日々」原作
もちろん巻頭は鈴木茂さんそしてこのとき当時漫研内ではジャリ漫と呼ばれていたストーリー漫画に部員が大挙して入部した。
その中に尾道から上京してきた双子のかたわれかわぐちかいじさんもいました。
これがかわぐちかいじさんの分担したページです。
たいしたもんです、現在のかわぐちさんの基盤はできあがっています。
ついでにかわぐちかいじさんの作品をちょっと紹介
これって著作権侵害になるのかな、ま、いっか。
明大の和泉校舎の旧学館(木造の)の漫画研究会の部室(貿易研究会と同室)であってから早37年になろうとしています。
当時からすごい才能の片鱗をのぞかせていました。そういえば講談社漫画賞のハットトリックを受賞したとき、尾道の双子の弟の協冶が「兄の漫画は黒澤明とジョンフォードを目指して・・・・」というようなことを話していました。かわぐちかいじのコマ割が映画的なのはその影響なのでしょうか?
ついでに手塚治虫はデイズニーのバンビを何十回も見たそうです








1954年に創部された明治大学漫画研究会は2004年をもって栄えある50周年を迎えることとなりました。
敗戦の都市からわずか9年後に大学生にして漫画を研究するやから排出したということは今から考えると奇跡の星に誕生した新人類だったのでしょうか。
時は移り、新人類たちは旧人類となり、鉄腕アトムも生誕した21世紀に50年分の青春を集め今ここに明治大学漫画研究会OB会を挙行いたします。
平成16年9月25日
於 帝国ホテル
発起人 かわぐちかいじ・ほんまりう・いしかわじゅん・長谷川晋一・五十嵐浩一・片山政幸
今日は9月12日開催まで後2週間着々と準備は進めてきたがいよいよ日程が詰まってきた。
最終的に出席者は130名くらいになりそうだ。
昨日(15日)杉浦氏と会場の下見に帝国ホテルにいってきました。
会場の孔雀西の間は思ったより広くまた帝国ホテルらしく重厚な趣でした。
カメラマンを同行しどのように総勢170名近くの集合写真を撮るか検討しました。
結局天井の方から俯瞰で撮ることになりました。





9月25日午後5時定刻にOB会は始まりました。最初は戸田代表幹事の挨拶(写真上左)その前の丸テーブルに座っている方々が漫画研究会創部当初の重鎮のみなさん。
(写真上右)は私ほか1967年度入学のみなさん、かわぐちかいじさんもいます。そして(写真下)が最後の校歌斉唱3番までしっかり歌いました。
そこで明治大学校歌を3番までみなさん歌ってみましょう
明治大学校歌
児玉花外 作詞 山田耕作 作曲
1 白雲なびく駿河台
眉秀でたる若人が
撞くや時代の暁の鐘
文化の潮みちびきて
遂げし維新の栄になふ
明治
その名ぞ我等が母校
明治
その名ぞ我等が母校
2 権利自由の揺籃の
歴史は古く今もなほ
強き光に輝けり
独立自治の旗翳し
高き理想の道を行く
我等が健児の
意気をば知るや
我等が健児の
意気をば知るや
3 霊峰不二を仰ぎつつ
刻苦研鑽他念なき
我等に燃ゆる希望あり
いでや東亜の一角に
時代の夢を破るべく
正義の
鐘を打ちて鳴らさむ
正義の
鐘を打ち手鳴らさむ

そしてこれが今年の現役が作成したMORE48号
とにかく50周年記念行事が無事終了してよかった。
そうだ、その後現役から葉書がきました。
10月30日から11月1日まで「第120回明大祭」が和泉校舎で開催されました。







先日(05年4月24日)大森の実家に帰ったとき、古い本棚からこの「MORE VOL4」が出てきました。
このモア 第4号こそ私が明大漫研4年生のとき発行人として作成した記念すべき一冊だったのです。
表紙はあの巨匠福岡正平です。
1970年の春
この作品こそ、あの恐れ多き先輩われらの先の部長斉藤さんの作品です。
いまでも古河でデッサンをやっているつわものです。
当時福島の佐藤さんと双璧をなしていたものでした。
そしてこれが、あの「ほんま りう」先生の作品です。
新潟の巻町からでてきて、さんざんばかにされながらも、刻苦研鑽し、ついに漫画家デビューを果たした。伝説の漫画家
いまでもあのころのおしゃべりと、純情さはかわりありません。
これがあの川口開冶夫人の兄嫁となった浦野幸子(現川口幸子)の作品、登場人物がジョンレノンに似ていたのはなぜでしょう。
この作品こそ恐れ多くもあの「かわぐち かいじ」夫人の旧姓大津亜子様の作品。
なんとなく小津風なのが作者名も小津となっている。
そして巻末を飾った大作。かわぐちかいじと私の協作「光琳」この表紙の人間スクリーントーンは指岡(現 柴田)寿子や ほんまりう氏が手伝ってくれた力作です。
今でも思い出に残っていることは、これらの原稿を当時漫研がお願いしていた「王子のおばさん」の印刷所に入稿して御茶ノ水まで帰ってきたところで、全共闘と機動隊の衝突に巻き込まれ、ボコボコになぐられた、痛い思い出です。

こ

そしてこれが平成17年度「モア」の表紙
これは会場で描いてもらった私の似顔絵。
カラーは200円です。





平成18年3月3日ひな祭りの日、明大漫研より始めてかわぐちかいじ先生が小学館漫画賞を受賞しました。
当日帝国ホテルで行われた授賞式に引き続き開かれた受賞記念パーティでは「かわぐちプロダクション」全員が紹介されました。
そしてこれが双子の弟協冶さんとのバンド演奏。
そういえば、学生時代尾道の向島にある実家に遊びに行ってた頃、よく二人でギターをひいていました。
じつは協冶さんも漫画を描くのです、本業はガソリンスタンド(海の)ですけど。
息子の順平君もバンドマンです、すっかり親父してるかわぐち先生。サラリーマンならもうすぐ定年だよ。