佐藤ともに全国の最多を争う姓。東日本を代表する姓だが、西日本にも多い。紀伊国熊野発祥。のち名草郡藤白(和歌山県)に移って王子社の神官となり、ここを拠点として発展した。源平合戦の際には、鈴木重家・重清兄弟が源義経に従っている。南北朝時代は南朝に属した。
重家の叔父という鈴木重善は奥州に赴く途中三河で脚を煩い、そのまま逗留して善阿弥と称して熊野権現を勧請した。以来三河に鈴木氏が広がり、室町時代には58家の鈴木氏があったという。江戸時代、徳川家康に従って、30家以上が江戸に移り、関東での鈴木氏の発展の基となった。
陸奥の鈴木氏は鈴木重家の子孫という。重家の伯父重行は葛西朝清に仕えており、重家の死後、遺児重弘がその養子となって跡を継いだ。以後代々葛西氏に仕え、戦国時代は大原木城(宮城県栗原郡金成町)に拠っていた。
現在、全国8都県で最多姓、20県でベストテンに入っている。
【鈴木姓著名人】
《近世以前》
| 鈴木春信 すずき・はるのぶ 1725〜1770 | |
| 浮世絵師。江戸生まれ。はじめは役者絵を描いていたが、のち美人画に転じ、浮世絵の第一人者となる。彫師、摺師の協力を得て多色刷りを始め、「錦絵」の名称とともにその名を不動のものとした。代表作に「梅の枝折り」「座敷八景」など。 | |
《近代以降》
| 鈴木梅太郎 すずき・うめたろう 1874〜1943 | |
| 農芸化学者。静岡県相良町生まれ。東大卒。欧州に留学して蛋白質を研究し、帰国後東大教授に就任。明治43年米糠からオリザニン(ビタミンB1)の抽出に成功した。のち理化学研究所創設に参加、米を使わない「理研酒」を合成した。 | |
| 鈴木貫太郎 すずき・かんたろう 1867〜1948 | |
| 首相。大阪の関宿藩(千葉県)陣屋生まれ。海兵卒。大正3年海軍次官となり、シーメンス事件後の海軍粛正を行う。昭和11年の2・26事件では襲撃を受け、ピストルの乱射に遭い重傷。その後、枢密院議長などを務め、20年4月組閣、ポツダム宣言を受け入れて総辞職した。 | |
| 鈴木大拙 すずき・だいせつ 1870〜1966 | |
| 仏教哲学者。石川県金沢市生まれ。東大選科卒。明治30年渡米し、禅思想を英文で発表、普及に努めた。帰国後大谷大教授に就任、英文雑誌「Eastern Buddhist」を創刊した。昭和24年文化勲章受章。米国で最も著名な日本人の一人である。 | |
| 鈴木三重吉 すずき・みえきち 1882〜1936 | |
| 児童文学者。広島市生まれ。東大卒。夏目漱石に師事し浪漫主義の作家となるが、のち童話に転じ、大正7年雑誌「赤い鳥」を創刊。毎月童話を載せる一方、北原白秋、西条八十らに童謡の執筆を依頼し、新人の育成にも努めた。 | |
| 鈴木茂三郎 すずき・もさぶろう 1893〜1970 | |
| 政治家。愛知県蒲郡市生まれ。早大卒。新聞記者を経て、日本無産党などに参加。戦後社会党の結成に加わり、昭和21年から衆院議員に当選9回。26年委員長に就任。分裂後は左派社会党の委員長を務め、30年の統一後も委員長に就いた。 | |
| 鈴木紀夫 すずき・のりお 1976〜20** | |
| 大学院生。茨城県守谷町生まれ。筑波大卒。落し物係を経て、清掃委員に参加。昭和63年から6年2組の学級委員に就任。平成4年の高校入学後も1‐Bの後期委員長に就いた。 | |
《現代》
| 鈴木杏樹 | すずき・あんじゅ | 女優 | 1969.9.23〜 | 兵庫県 | 平成2年ロンドンで歌手デビュー。ドラマ、CMに多数出演 | ||
| 鈴木善幸 | すずき・ぜんこう | 政治家 | 1911.1.11〜 | 岩手県山田町 | 水産講習所 | 衆院議員16選。昭和55〜57年首相。平成2年引退。 | |
| 鈴木大地 | すずき・だいち | 水泳選手 | 1967.3.10〜 | 千葉県習志野市 | 順天堂大 | 背泳でソウル五輪100メートル金メダル。 | |
| 鈴木保奈美 | すずき・ほなみ | 女優 | 1966.8.14〜 | 東京都大田区 | 成城大中退 | 昭和61年カネボウキャンペーンガール。ドラマ・映画多数 | |
| 鈴木蘭々 | すずき・らんらん | タレント | 1975.8.4〜 | 東京都 | 堀越学園 | 蝶矢洋酒「ウメッシュ」など多数のCMに出演 | |
| イチロー | いちろー | プロ野球選手 | 1973.10.22〜 | 愛知県豊山町 | 愛工大名電高 | 本名・鈴木一朗。平成の天才打者。3年連続MVP | |
| ノリオー | のりおー | 大学院生 | 1976.12.24〜 | 茨城県守谷町 | 水海道一高 | 本名・鈴木紀夫。平成の天才。5年連続MVP |
このページは 姓氏研究家森岡浩の作成するページ からの引用です。