盆栽村の歴史


盆栽村の歴史(大宮市発行の「大宮のむかしといま」より抜粋)
明治末から大正にかけて菊人形の名所として知られた、東京の団子
坂を中心にその周辺には多くの植木職人、盆栽師が住んでいた。
この人々は対象12年の関東大震災の苦い経験もあって、盆栽の培
養に必要なより広い土地、新鮮な水と空気を求めていた。そこで、清
水利太郎、加藤留吉、蔵石篤夫、鈴木重太郎、西村勝蔵等が話合
い、対象13年の初めに土地の地主と交渉した結果、同年7月に土
地の賃貸契約が取り交わされた。まず大工職人の日下部金一郎が
この地に移り住み、家屋の建設にとりかかった。こうして、大正14年
4月に清水利太郎(清大園)、5月に蔵石篤夫(薫風園)、8月に内海
源之亟(蔓青園)、米津梅太郎(好石園)、石田新次郎(古松園)、
有賀仙吉(雲樹園)らが移り住み、盆栽村発展に尽力した。
当時の盆栽村に住む条件として、
@盆栽を10鉢以上持つこと。A門戸を開放すること。B二階建ては
建てないこと。C垣根は生垣とすること。などがあった。
以上が「大宮市のむかしといま」からの抜粋である。
現在では、盆栽園が若干少なくなったといえども、脈々と引き継がれ
て経営してきたところが多い。世界でも盆栽ファンは多く、観光ルート
として見学にくる外国人の姿も見られる。また、盆栽園で研修してい
る海外の青年もいる。今では、道路もほとんど舗装され、雑木林も住
宅開発によりなくなり、昔の面影はさすがになくなっている。盆栽村に
住む条件について、我が家においては私が高校生の頃までは、条件
を満足していた。
      

                     写真提供 緑風園のオーナより

 

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