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東京在住の叔父に電話で、 「8月26〜27日の週末、東京に遊びに行くから土曜日の晩泊まらせて。」 と連絡して、寝るところだけは確保する。 私が一人で旅に出ると、どうしても寝るところが不自然になる。最初から宿を決めておけば良いのだけれど、どうも性に合わん。(何処其処に何時までに着いて、云々が。 自分で言うのも可笑しいが、幼いころより放浪癖があったようで) 九州旅行の時は、自分で計画を組み率先して行かねばならなかったので、計画通りの旅を遂行したのですが。−−−最終日は、皆の意見で自由行動とはなったが。−−− 25日、夜行寝台急行 銀河 の座席指定で東京へ向かった。明朝7時前の到着だ。旅というようなものではないので、ショルダーバッグ一つのみの軽装で乗ったのだが、さすがにカーディガンだけでは冷える。ジャケットを着てくるべきだったか? 横須賀線で 横浜 に出て、午前九時前、約束の高島屋の前で待つ。 「待った?」 「否、今朝 東京に着いたばっかり。」 「行ってみたい所ある?」 「別に、考えてもなかったよ。何処でも。」 「鎌倉は行ってないでしょ。」 「うん。」 「それじゃ、行きましょ。」
横須賀線で行く事になったが、私が運賃を出そうとすると、『今日と明日は、全て私に持たせて。』と言うので、『ありがとう』と返事するしかなかった。 鎌倉駅から、江ノ電で 長谷 へ。 「本当はハイキングしながら、歩いて巡っても良いけれど、一等最初は誰でも知っている所から案内するね。」 型通りの 高徳院の大仏 へ行き、そして光則寺、長谷寺へと戻ってくる。 「ちょっと喉渇かない? アンティークが好きだ と言ってたでしょ。“邪宗門 ”に入らない? いい雰囲気のお店なのよ。」 流石、分かってらっしゃる。中に入って、いっぺんで気に入ったのだ。 極楽寺までは、極楽寺坂を抜けて歩いていく事にする。途中で、『買物する間、ちょっと待っていて!』と言って引き返していき、紙包みを抱えて戻ってきた。 『これ食べながら、歩きましょ。』と言いながら差し出したのは力餅。
極楽寺の宝物館に入り、寺の開祖 忍性 の墓へ行く。 極楽寺より始まる大仏ハイキング・コースへ入って、 “大仏坂切通し”の上を急な石段を登って越え、長谷のトンネルの上を通過して、約五十分ほど歩くと、 「今日は、ここ “佐助稲荷 ”で折り返して、駅まで戻ろう。又、明日北鎌倉からのコースを考えているから。」 と言って、右に曲がった。 ものすごく長い 赤い鳥居 が並んで石段が中を通じている。 余りの鳥居の多さに、『なんぼ位あるんやろ?』と聞いたら、『数えた事ない。』との返事。 『一遍戻って数えてきたろ。』と言い、数えはじめて真ん中辺りまで来たとき、彼女が見えないのに気が付いた。 探し回っていたら、後ろの方から、 「どこまで行くつもり? 稲荷はここ入っていくのよ。」 と叫んでいる。 「俺を迷子にさすつもり?」 「している事は(子供だけど)ネ! でも、時計が有れば迷わない人でしょ。だから何処まで行くかと思って、放っておいたの。幾つ有った?」 「忘れた。」 ………………。 あほらしくなって数えるのは止めにしたが、数え応えは結構有ったぞ。 坂を下っていきながら『おやつにしましょ』と言って、横道へと入って行き、落ち着いた構えの店に入ったのだが、全く店の名は忘れた。出てきたのは、田楽と煎茶だったのは覚えているが。 御成トンネルを抜け鎌倉駅へと戻り、駅下の抜け道を通り東口ロータリーに出て小町通りへと入る。
つい最近(といっても平成12年の冬)何度目かの鎌倉入りをしたが、佐助稲荷の赤い鳥居も路肩に転がされていて、昔日の面影も周囲の新築の住宅街に消されてなくなってしまっており、鎌倉駅周辺も大分変わっていた。―――駅地下の抜け道も無い。勿論“邪宗門 ”の店の雰囲気もまったく変っていた。
1ブロック北に上がって右折れして、若宮大路の 二の鳥居を抜け “鶴岡八幡宮 ”へ行く。 三の鳥居 を抜けると太鼓橋があり、左右に源平池がある。その太鼓橋の事で、少し面白い事を聞いた。 ◎ 一気に渡ると 男は 立身出世 女は 安産が叶う 帰りは、鎌倉彫りの店を素見したりしながら駅まで戻った。
釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな (与謝野晶子歌碑) 高徳院大仏の回廊裏 |