《潮岬から名古屋へ》

潮岬にて

   8月18日午前1時過ぎ、店の戸袋を全て打ち付けて、この夏の仕事も終わったあと、他のバイト仲間と別れを告げてご主人に暇乞いをしてから、夜行列車待ちの深夜バスで白浜駅への人となる。これより20日(日曜日)迄の丸々3日間の旅が始まるのである。
   各駅停車の最終列車は、白浜駅を午前2時半発である。(これは天王寺←→ 名古屋の夜行で唯一の鈍行列車 ← ’72年)これに乗るまでは暫しの間が有ったので、白浜での最終の夜を有意義に過ごそうかと周りを見回したが、何のことはなし駅のみが“ポツン ”と灯りが点っているだけ。駅前のベンチでゴロゴロしているうち、列車到着前になったのか駅員が出札窓口を開けだしたので、名古屋駅迄の切符を購入。有効期限は3日だ、儲け儲け、20日の日まで有効だ。

『こりゃいける。大いに張り切って旅をしよう。』と心に誓って列車に乗り込んだ。

定刻通り列車はガタピシ鳴きながら、白浜駅を滑り出していった。各駅停車である為、一寸走ってはガタン と停まり、そして再び、其れの繰り返しが続き誠にもって面白くない。釣り客が多くて車内も一杯で、人いきれでムンムンするので、白浜で考えていた通り『それでは、潮岬で朝日を拝もう。』を実行する為、午前3時50分に串本駅で降車。

 「ああ、俺が朝一番にこのプラットホームに降り立ったのだ。」

と思っていると、皆がゾロゾロ後から後から釣竿を片手に降りてくる。そりゃそうだよね、此処で降りるのは私だけでは無いもんね。釣り人達が全て去ってしまった後、残ったのは私一人だけ?

外はまだ明けようとしない街路灯のみ煌くこの町で、馬鹿みたいに駅前をウロウロしていると、私と同類の男が一人キョロキョロしていた。

どちらからともなく声を掛け合い、

 「何処から?」

 「白浜から。」

 「天王寺から。」

 「紀伊半島一周して名古屋まで。」

 「路線バスで、山越えして奈良へ。」 ……………… 。

どちらも、現時点では何処へ行く所もなく『それじゃ、バスや列車が動く時まで一緒に潮岬に行って、本州最南端で御来光 を拝もう。』という事に決まり、じっとしていては此処に来た甲斐もない。駅員に潮岬まで行く道を尋ねる。

 「そうねえ、20分位かな? ………………… バスで。」

その時、我々2人(彼は佐藤君とかいっていた。別に住所交換もしなかったので、はっきり覚えていない旅の友)は、最後のバスで を聞き逃したらしく早合点もいいとこで、『では、行こう。』

しかし、心配なので釣り道具屋に道を尋ねに入った。

 「この道を真っ直ぐに進んで、2つ目の点滅信号を右に入ったら岬に行けるよ。」

という主人の答。

   距離の点では些か疑問も残るが、2人の返事から『遠くはないだろうな。』と信じて、教えられた道を辿る。2つ目の信号が三叉路になっており、どちらも海岸沿いを走っている。教えられたとおり右に折れる。左手に船着場があり、漁船が一杯繋留されている。大島も間近に見え、漁船の漁り火も水面に映え、格別の情緒を肌に感じた。
   串本の街並みは後へ後へと去り、ただ消防団のだろうか(?)見張り櫓が、そしてレーダー塔が町の真ん中から天に向かい伸びたようになる所まで来た。今、潮風に吹かれ本州最南端の潮岬へと向かって歩いているのだなあと思うと、

 『あ〜、ホントにここに来て良かったな〜。』

と二人して思い、何かしら感じるものがあった。

   大きなクレーンが天高く聳えるように立っている工事現場を過ぎると、遂に街並みも灯りも見えなくなり、唯ひたすら歩いているのは我々2人のみ。行けども行けども左手に太平洋と大島、右手に崖が迫り出した山々が続き、なかなか終わりそうにもない。少々心配となってきたが、行き交う人もいない。歩きだしてからかれこれ20分程たった頃、たまたま出会った人に岬までの道を尋ねると、

 「うん、この道をずっと行くといいよ。お兄ちゃんらの足ならあと1時間位で、岬かな?」

との答。

 「あ〜ッ!」

一度に、力が抜けた。
   しかし、此処まで来て引き返したら男が廃る。(どの?)『是が非でも岬に行ってやる。』と2人して確認し合い、再び先へと進むことにする。意地になっても行くんだから。行けども行けども同じような景色が続き、『ひょっとしたら同じ所を、グルグル回っているのではないか。』と思うようになってきた。白浜にいる頃、潮岬に行くことは予定に入っていなかったので、家からも、又白浜でも地図を買っておかなかった。これは失敗したかなと後悔しながらも、先へ進むことにした。

   午前4時半(駅を出て半時間強)も過ぎ、山間を通る道となったり、左手に海を眺めて歩く道となったりという順序が何回か続き、2人で前後を交代しペース配分をしながら歩きつづけた。左手に自動車教習所があったので、暫しの間身体を休める事にした。

   再び先に進み、5時頃たまたま出会った人に道を尋ねる。

 「岬まで行くの? 串本駅から、へ〜! 大分かかったろ〜、でもまだ半分くらいかな?そうだな、あと1時間もあったら着くと思うよ。この道を行く事には間違いないよ。」

そんな事言ったって、前に聞いた時も1時間、今聞いても1時間。ひょっとしたら道を間違ったのかなあ? 確かに歩いてきた道は、三叉路の所から一本道 で間違える筈はないしまさか後戻りした訳でもないだろうし、あーシンド。

 夜も明け始め、東の空に朝焼けが。

 

☆ 旅をする者への教訓

朝焼けが起きると、雨が降る。

 

こりゃ急がねばと思いきや、ほんの5・6分も経たん間に、空の涙(雨)がポツリポツリ、それからザーッ!ちと早すぎるんとちゃいまっか、ホンマ。身体が疲れている上に、服否頭のてっぺんから足の先まで濡れるわで、踏んだり蹴ったり。やっとこさ、リュックから傘を取り出し、またもや渡し舟の発着所で暫しの休憩をする。

   雨も小降りになりかけたのを機会に、岬への道を急ぐ。

    トンネルを抜けると雪国 ……………………。

川端康成を気取ってもどうしようもないか。

 暫く歩くと料金所のゲートが、アレ?

ここは “潮岬有料道路”ひょっとして、丁度今岬の東端に出たばかり?(後で地図を見て確認をしたんだが・・・という事は、灯台までの道はまだまだ先が長い。)幸い雨も止んだし、あと半時間もすると岬へ到着すると信じて我が道を行く の心境。
   2人してヤケのヤンパチ、スピードを上げ歩き続ける。まだ太陽は見えないが、青空が少しずつ広がりはじめ、涼しい目(雨)に合わせておいて、今度は濡れてるところに暖かくなりつつあるので差し詰め蒸し風呂。どうにでもしてくれ!唯一の救いは、虫の音が良く聞こえる事。他の雑音は一切聞こえない。

   午前5時45分、やっと潮岬展望台(レストハウス)に到着。串本駅を出て約20sの荷を背負い、歩くこと1時間50分。疲れた!ホント、疲れヤンシタ! オートバイや車で来ている者が多かった。『クソッタレメ、俺らの身にもなってみろ。』と怒鳴ってみても、仕方のないこと。早速雨に濡れた服を着替えて、早くも乾いてきた芝生の上に、座ったり寝転んだり…………。

御来光 ”を拝んだ後、歩くことを共にした彼と6時50分発の新宮 行の始発バスで、串本駅へと戻った。彼は、そのままこのバスで新宮まで行くという。私は串本駅前で降り別れ別れとなった。

所用時間は 19分 (90円) アホクサ!

後悔先に立たず か。

 駅前の食堂で朝食定食を食べる。疲れたのと、腹が減りきっているのと両方で、余り美味いとも思えない飯も残さず食べれたが、これが200円とはチト高すぎるゾ と。

 辺りをブラブラ散策し、大島を岬とは反対側から見たり、橋杭岩等奇岩を見たりして、10時発の列車に乗る。白浜で買った切符は、定期と同様にただ改札の時見せるだけ。(途中下車のエチケット?)勝浦で降りようかとも思ったが、白浜の商売敵でもあり降りるのは止めにした。

 11時24分、那智駅で途中下車。那智山へはバスで行き、那智の権現さんにも参詣し那智の滝も見たのだが、何せ昨晩より一睡もしていないので、ちょっと一眠り昼寝のつもりで眠ったのが、起きてみると日が西に……。

シマッタ!

最終のバスで那智駅まで戻り上り列車の時刻表を見たが、翌日の午前4時40分過ぎの普通列車まで、新宮以降に行く術がない。仕方なく新宮まで終列車で行き、駅員に頼んで待合のベンチの端で一晩を明かす。

   8月19日午前7時53分発の 亀山 行に乗り、右手に熊野灘の七里御浜を見たり、熊野から尾鷲の間のトンネル、又トンネルを抜けると、広々とした太平洋を眼下にする事や眺望できる事が多くなり、面白くなってきて9時半尾鷲で途中下車する。朝昼兼用の食事を摂り港の方まで行くが、潮岬で歩かされた様な事は二度としたくないので、岬の灯台を見に行くような無理はせず、いたっておとなしく駅に戻り11時48分列車に乗り、午後2時45分多気駅に到着し2時間程の待ち合わせの後、次の列車に乗り午後5時53分津駅 着。
   駅前の大衆食堂で、ラーメンと大めしを注文(金200円也)。ここのオバチャン変な顔で、私の姿形を逐一眺めとった。リュックを持って、肩に鞣革の付いたベストを着てジーンズの上下、スニーカーの私が…。
若い娘が見ているのならいざ知らず、オバチャンではラーメンの味が美味かろう筈は? 胡椒を振りかけすぎたようで、口の中がヒーヒーする。

   この店を出た後、口直しに喫茶店へ入り珈琲を一杯。マスターに、

 「ここらで、銭湯どこら辺に在るかなあ?」

 「何で?」

 「今日、亀山駅の構内で寝るから、ここで風呂に入っていったらいいかなあと思って。」

 「何処まで行くつもりなの?」

 「明日の朝、名古屋まで。」

親切にも、地図も描いてくれた。アリガト!

 ウエイトレスのかわい娘ちゃんに荷物を預けて、タオル片手に出掛けた。

 髭(不精髭を生やしていた)を剃って髪の毛もセットして戻ってきたら、そのかわい娘ちゃんのビックリした顔は、鳩が豆鉄砲………… ?

 午後8時4分津の街を離れ、同29分亀山駅に到着。同駅の待合室で一夜を明かそうと自ら決める。駅の横手に感じのよい喫茶店があり、一寸無駄遣いになるな? と思いながらも、その店に入ることに。果たして無駄遣いではなかったようだ。女の子2人が店を預かっていて、ウエイトレスの娘(高校生)が割合丸顔でポチャッと可愛らしく、髪はポニーテール風に纏めていて感じのよい子。少し粘ろうかと考える。―― 閉店は午後10時 ―― 白浜からの旅の途中の事や、他に旅をした時の事などを話しているうち、私が大阪の人間だと分かると、カウンターの娘が『もうすぐしたら、隣の割烹のタッチャン 来ると思うから待っとく?』と言う。彼は大阪出身ということらしい。9時半頃、その彼が板さん仲間と連れ立って入ってきた。話をしたら、北田辺の出身だという。私は 平野 と言ったら、またまた非常に近いね ………… となって。他の仲間達は、放っておかれて黙ったまま、ゴメンネ!状態。2人の話が余りにも長くなったので、閉店時間も遅らさせてしまったみたい。10時半近くになって、彼女らに送られて(放り出されて?)駅の待合室に戻る。珈琲120円は安かった。

 ベンチに転がっていると、駅員が見に来て『う〜ん、今日は6人か。』とか何とか独り言をいって、改札口の扉をバタンと閉じたのが、最終列車の発車した後の午後10時40分。『これから明日午前5時過ぎの始発まで寝られるな。』と思っていると、貨物列車の汽笛がひっきりなしに‘ボーッ! ボーッ!’SLなのだ。間髪おかずに聞こえる。夜中に貨物列車が走るのは分かっていたのだが、こんなにも多かったとは。

『こりゃ、寝るところを間違ったかな?』と思っているうちに、知らん間に眠っていて目が覚めてみると、明けて8月20日の午前5時15分(あまり熟睡は出来なかった)。

 5時41分名古屋行の始発に乗り、公害の町 ―― 四日市市―― (早朝でも、空は灰色に覆われていた)を通り抜け、7時13分車中で眠ってしまっていた私を乗せたまま、列車は名古屋駅に到着した。名古屋駅に着いたのは着いたでいいんだけど、何しろ眠っていた為、何時着いたのかも判らなかった。乗務員に起こされ目覚めて列車を降りたのは、7時18分。列車を降りて、ふと行き先を見ると湊町 行となっている。はて? 寝ぼけたのかなと思って、再度見直しても間違いなく湊町行。名古屋から湊町へ直行する列車はと見ると、1日に僅か2本のみ。(午前7時23分発と午後12時13分発。湊町は、現在のJR難波)

 駅員に尋ねてみると、

 「この列車? これ、7時23分発の湊町行だよ。」

ということは、もし私が眠ったままだったとしたら、今日の約束は……………………………………。

今日の約束は、一体全体どうなっていたことやら。
 

《名古屋》

   8月20日、旅の友と会う約束をしていたのに、それが履行出来ないままになったとしたらと思うと、この時ばかりは冷や汗がどっと溢れ出た感じがした。約束の9時までにはまだ時間があったので、列車待ちのベンチに座り時間潰しをしていたら、ついウトウト眠っていた。寝不足続きなので、本当によく寝てしまう。

   (寝不足は身体に毒ですよ。気をつけようね!)

   8時50分頃だったかな、目覚めたのは。大急ぎで中央改札を駆け抜け、小荷物一時預かりへリュックを放り込み、洗面所に飛び込む。髪を整え、一応身だしなみもチェックした後、待ち合わせ場所の広小路口 へ行く。約束の時間に1〜2分となった頃、その場所に見た事の無いような (否、何処かで見た記憶がある様な)顔が、こちらに微笑みかけてきて、

 「ワタヌキさんですネ?」

 「ハテ? ン? 貴女髪切った?」

とは、こちらの台詞。女の子というものは、髪を短くしてカールしただけでも変身する。

 「暑いし、チョットネ!」

 「やっぱり、デコちゃん 来れんかったの?」

 「そう、『家の用事で今日は失礼するので謝っておいて。』って言ってた。手紙の中で確か『中学校の頃、一度来た事がある。』と書いていたけど。」

 「城に行っただけ だったと思う。新幹線が通じたばかりで、それに乗りたくて東京 迄は?という事で、名古屋迄乗ってきて。」

 「じゃあ、熱田神宮 へ行こう。行ったことないでしょ。」

   木々が鬱蒼と生い茂り、鳩も多く飛んで来る。樹齢千年以上もある楠の大樹や、信長が今川義元の京上洛の進軍を阻止せんがために創ったと謂われる塀を見て回りながら、本殿の前に進む。
   今年は、各地に行って神社仏閣に何回となく参ってきた。が、真面目に参拝したのは、今日が初めてじゃないかな? (と思う) 約1分間両手を合わせて拝む。横目で覗くと彼女はまだ頭を垂れ、瞳を閉じ両手を合わせたまま。

慌てて、再度手を合わす。どの位経ったのだろうか? どちらからとも無く目と目が合い、

 「何を、お願いした?」

 「私? 色々と …………。」

 「俺と 同じ事?」

 「同じかも? それとも違うかも?」

広い参道の玉砂利を踏みしめながら、神宮内の散策を続けた。

………………………………………………………………。

昼食を摂る為、地下鉄で 栄 まで戻ってきたが、突然彼女が、

 「映画が観たいの。貴方、手紙で映画のこと色々書いてたから、好きなんでしょ?」

 「マア、好きだけど。」

 「ネ! ネ! “ゴッド・ファーザー ” 上映してるから、ここに入ろうよ。」

訳を聞くと、『女の子の友達同士じゃ観に行きにくいし、怖いっていわれてるから。』とか。私も手紙で、この映画観たいなあと書いていたので、

 「ジャ、入ろか。」

 競走馬の首が、馬主のベッドの中に転がっているシーンや、長男がトールゲートで、マシンガンで射殺されるシーン。あるいはシシリー島でのマイケルの結婚及びその妻の爆死のシーン等で、徐々に彼女の身体が椅子の中に沈んでいくので、手を差し伸べたら震えながら腕を組みそして手を握ってきた。

が、私としては前に掲げたシーンより、‘ドン・ビトー’が死んだ後、跡目を継ぐ事になって、『全ては、俺に任せておけ。』と喋っているような表情を持つ、あの‘ドン・マイケル・コルレオーネ’の冷たいが、その中に全てを包み込む暖かみも顕れている、鋭い視線を投げかけてくるエンディング・カット に対し、一番の恐怖と戦慄を覚えた。

映画館を出たあと、名古屋駅前に戻り “エスカ(地下街)”の中を歩きながら、お互い

 「お昼、食べてなかったね。」

と言い合って、昼夕兼用の食事を摂る。

午後7時半発の “近鉄ノンストップ特急 ”で、帰りは鶴橋まで途中停車は無し。

白浜 → 名古屋は、丸々3日。帰りの名古屋 → 鶴橋は、2時間11分。前にあった何処かの場面と、同じような気がしてならない。

家に帰ってから、『なぜ彼女、長い髪をバッサリ切ったのだろう?』かと、考えていたのだが…………。