| 4回生に上がる前から、悪友2人(織田・坂元)等と ―― 4年できっちり卒業出来るかどうか不明なのに ――卒業旅行をしようと計画を練りはじめたのだったが、
「3回生終了までに、単位落とした科目は無かったん?」 と私。 「2・3科目落としたから、今年はチョット履修科目が多めかな?」と織田。 「俺も大分残した。32単位位かな、未だはっきり計算してないけど。」と坂元。 「どいつもこいつも、残しやがって。本当に旅行できるんか?」 「行くことは行くよ。茂、計画だけはしといてよ。」 「また、俺の仕事?」 「ヘーィ、わかりましたよ。分かりましたけど、それでは一体全体私はどうすれば良いのでしょうか?」 「俺(坂元)が、3回ほどアメリカに行ってるので、現地のパンフレット殆どの場所持っているから、アメリカ合衆国横断 ならどうかなと思うんだけど。」 「俺(織田)も、それでOK。知り合いのビューローに頼んで、資料集めだけは必要充分なだけ準備するから任しといて。」 「またまた資料集めだけネ。いいですよ、イイースヨ。ほんでもって、なんぼ位準備をしたらいいんかな?」 「35から40万円てところかな?」 「サテ、バイトに精を出そ。」 ホンジャネと2人と別れはしたが、いざその金の工面となると、1日当たりバイト料が“1000円”だから、単純計算で400日。
夜間なら倍だけど体力にも限界があり、親父に相談を持ち掛けたら『30万位なら出したる。』との返事をしてくれた。
『但し、就職したら全部とはいわんが、分割してでも家に入れる事。』最後の念押しをされたが。
「夏休み、沖縄に行く予定なんだけど、茂、行かないよね?」 「行けると思って誘ってくれたん? どうもご親切に!アリガトサン。アルバイトがあるので忙しくて、一寸無理みたい。」 「ハイ、ハイ。」 「どうぞ、2人して行って楽しんできてくださいな。」 本当にもうあいつら2人ときたら、どうしようもない奴らじゃ。 構想の段階からイッチョカミの連中の多いなかで、徐々にではあるが本格的に計画を進めていった。(進めさせられた、のかな?)前期試験も終わった10月半ばより、 この2・3年の間に数回、アメリカ・カナダ・メキシコを旅行して来られた、坂元、細井そして大久保各氏の意見や参考資料等により、着々と準備に取り掛かっていったのだが、 この旅行を予定している3人の内の片割れ(坂元)が、この計画より外れることになった。←講義のため? どちらも海外旅行の経験のない織田と私だけの、寂しい2人のみの旅となってしまったが、これはまあ仕方が無いか。講義については、一切合切全てを坂元に託す
(少し不安な為、原田君と向坂君にも一言いっておいたが ―― 土産が?)ことにして、我等の旅行計画を実現する為邁進することに。
我々2人が学生だった事もあってか、『本当に観光目的だけなのか、就労する為渡航するのでは無いのか。』等、様々な質問を根掘り葉掘り浴びせてきて、中々OKを出してくれそうにない。 最初はアメリカ人の事務官が応対していたのだが、意味合いが上手く掴めず(織田が横からチャチャを入れたこともあるが)にいたら、日本人の事務官が出てきてくれてやっと落ち着いて話すことが出来た。 その事務官が後でいってくれたのだが、事務処理の仕方が日本のやり方と手順が違うので、手間取ったんだろうとのこと。数次旅券を持っており、数次の査証(ビザ)申請をするものだから、 ハナから働くものと思われて拒否されかけたのかな? 目的、日数、旅程の概略を提示すると、『それなら、働く目的での渡米では無いな。』と納得し判断したのだろうか、少々書類も多めに書かされはしたが、
申請したその日のうちに発行された(話が分かれば、何処かのお役所仕事と違って仕事が早い)ので、別段この旅行出発に際しての不都合等は無かった。
11月29日を、羽田出発の日と決めて、日本航空の予約(3週間内ならフリーチケットであっても往復割引の特典がある)や、ハワイでの宿泊ホテルの予約を行なっていった。 羽田出発当日、アメリカ国内での行動計画の変更等で、少々走り回った事もあったが、無事に日本を飛び立てる準備が全て出来上がった。 |
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