翠の季節(とき)
ふと目を開けると、目の前に広がるのは青い空と流れる雲。
「あっ、やばぁ」
そう思い時計に見た。NHKのシャーロックホームズを見て以来、気に入って持っている金色の斜め開きの懐中時計。
その針は2時20分を指していた。
「あーまたやっちゃった。」
多分もうぞろぞろと生徒が下校を始めているはず。また5限をさぼってしまった。
そう思いながら立ち上がる。目の前に広がる海。
天気のいい日は、この砂浜の誘惑にどうしても負けてしまう。
昼休みだけと決めて、ここに来て本を読んでいたら、心地好くて眠ってしまったらしい。
あっ、そうそう、本。
振り向いて眠っていた砂浜を見ても読んでいた本が見当たらない。ヤバイなぁ。
あの本図書館の本だよ。これで何度目だろう。
外で本を読んでいてそのまま本を置いてきてしまうことがあったりした。
今ではすっかり図書館の要注意人物になってしまっている。
5限もさぼってしまったし、気が滅入る。単位は大丈夫だろうけど・・・。
そんな事を考えながら、砂浜から上がろうとコンクリートの階段を昇る。
こんな所にコンクリートの防波堤なんて作らなければ良かったのに。
せっかくの景色が台無しじゃ・・。あっ。
階段の最上段に座って本を読んでいる男の子がいた。
うちの高校の制服。
高校生というには少し幼さが残っているような、でもきれいな顔立ちをしていた。
下からこっそりと本の題名を覗きこむ。『翠の季節』
「あー、その本。」
思わず大声を出してしまった。さっきまで読んでた本。しおりも自分のだし。
「あっ、ごめんなさい。タイトルが綺麗だったから・・・。眠っている間だけって思ってつい・・・。」
そう言って彼は本を閉じて返してくる。本は受け取らずに、
「謝んなくたって・・・。本をほったらかして眠っていた私が悪いんだし。
持っててくれただけ、こっちがお礼を言わないと。
それで、まだ本読み終わって無かったですよね。
ちょっと学校戻って来るので、それまで待っててくれませんか? 本読みながら。」
と、言って近くに置いておいた自転車に乗る。
「いいんですか? 読んでて。」
「うん。いなくなっちゃわなければ・・。」
「ごめん、ちょっと時間かかっちゃった。」
そう呼び掛け、振り向いた彼にポカリの缶を投げた。
どうにか缶は取れたものの、本が階段を落ちていった。
慌てて階段を降り、本を広いなががら彼の隣に腰をおろす。
「ポカリは本持っててくれたお礼。その本どうだった?」
プルタブになかなか爪がかからない。やっとプシュという音とともに開いた。それを見てから彼も缶を開ける。
「まだ読み終わってなくて・・・。」
私はそれを1時間くらいで読み終えてしまった。
どうやら彼はのんびり屋さんかもしれない。
「あっ、じゃあ貸してあげるよ。本当は又貸しはいけないんだけど・・・。」
そう言ってポカリを一口飲む。するとそれを見てから彼も一口飲む。
どうやら遠慮がちでもあるみたいだ。
「どうもすみません。でも、どうやって返せばいいんですか?」
「直接図書館に返しちゃって下さい。」
それっきり会話が途切れ、しばらくの沈黙。そのうち私がぼそっと呟いた。
「ねぇ、ポカリって何となく海の味って感じがしない?
つまり生まれた場所の味というのかなぁ・・・。
だからこれ好きなんだけど・・・。」
彼は不思議そうにこっちを見てから、
「海の味ですか・・・。何となくわかる気がする。」
そう言って少し笑った。あっ、綺麗な笑顔。
「スポーツドリンクって体内の成分に近いって言うけど、それって海の成分にも近いって事だもんね。」
何だか嬉しくなる。私の世界を共有できる人がいてくれて。
久しぶりに会話をした気がする。
取り留めのない会話の後、Twilightを見てその日は別れた。
しばらくしてこういう事があったのを忘れかけた頃、図書館から返却依頼状が送られてきた。
また何か忘れてたかなと思い、書名を見たら『翠の季節』で、彼の事を思い出した。
「彼、どうしたんだろう。」
そう思って、放課後にまたあの砂浜に行ってみた。
そしたら彼がまたあの場所に座っていた。よかった、実在の人間だ。
正直本が返ってないときは、少し疑ってしまった。
「こんにちは」と言って彼の隣に腰をおろした。
「あれ、その本。」
彼は、あの『翠の季節』を読んでいた。
「ごめんなさい。まだ、読み終えてなくて・・・。」
「えー、その本を?」
そんなに厚い本ではない。
私が本を読むのが速い方とはいえ、普通の人でも1日あれば読んでしまえるはず。
「このページから先に進めなくて・・・。」
この本は高校生が主人公で、ラストは公園か何処かで本を読みながら話をしているところがあるんだけど、途中両面を使い、フルカラーの挿絵がある。
彼はそのページを開いていた。後2、3ページというところなのに・・・。
「うん、私もそのページ止った。どこにでもありそうな公園なのにすごく目を奪われるんだよね。色が綺麗なんだもん。」
「色もすごいですけど、この場所で見てると波の音が木の葉が風に揺れる音に聴こえて、その場所にいるみたいなんですよ。」
「波の音・・・。」
うん、本当だ。どんどん引かれていく。吸い込まれるみたいに・・・。
突然辺りが明るくなった。
良く見ると周りは緑ばっかりで、本の中の公園にそっくりだった。
それってまさか!と思い周りを見ても彼はいない。でも、本が一冊だけあった。
『始まりと終わりのない世界』というタイトルだった。
「これって『翠の季節』にあった本なのかな?」
思わず独り言が出てしまう。今この状況が飲み込めず動転してしまう。
やっぱりここは本の中なのかな。でも彼はいないし・・・。
私だけ来るなんて事あるのかな。でもこんな事って・・・。
しばらくぼーっとほうけていた。どうしよう。どうしたら・・・。
そういえばこの本って?
そう思って本を開く。1ページにはたった数行と挿絵。・・・
始まりがないってことは、まだ何もないってこと。
終りがないってことは、ずっと続くってこと。
始まりと終りがないってことは、何もない状態が続くってこと。
でもそれじゃあ世界じゃない。
始まりと終りのない世界ってなんだろう。
例えば・・・。
例えば、アリスの行ったお茶会。
三月うさぎは毎日毎日が何でもない日で、毎日毎日お茶会を始めてるけど
本当はあれはすべてまとめて一つのお茶会。
ずーっと前から、昼も夜もアリスが来た時も裁判所でも続いているだけなんだ。
つまりあのお茶会が始まりと終りのない世界。
例えば、赤んぼ。
赤んぼは、こうのとりがどこからか運んで来るってなってるけど、そのこうのとりはどこから赤んぼを連れてくるのか。
それは年を取って、赤んぼに逆戻りした老人をどこからか見つけて来ては、別の母親を探して渡してるってわけ。
つまりあの赤んぼが始まりと終りのない世界。
君も。僕も。
例えば、この本。
始まりは1ページ目で終わりは112ページ目に見えるけど、
本当はこの物語、僕の頭の中に始まりがあって、僕の頭の中に終わりがある。
つまりこの本は僕の頭の中にある物語の一部。
えっ、頭の中に始まりと終わりがあるって?
でも、違う。
僕には始まりも終わりもないんだから、僕の頭にも始まりと終わりがないってわけ。
つまりこの本が始まりと終わりのない世界。
何だかわけがわからなくなってきた。
そう思って読むのを止めようと本を閉じかけた時、挿絵の中に彼を見つけた。
店の中を見て周っているような挿絵の中に。
彼はこの本を飛ばして、本の中の本に入ってしまっているみたい。
でもよく見たら彼の手には本があった。
きっとさっき読んでいた『翠の季節』だろう。
ってことは、私は彼の持っている本の中にいるってこと?
でも彼も私の持っている本の中にいるわけだし・・・。
「あー、もうわけわかんない。」
本当に嫌になって、本を空へ投げ出した。
落ちてきた時、開かれていたのは砂浜のページ。
そこにも彼がいた。もしかしたらとさっきの店の中の挿絵のページを探した。
でも見つからない。そればかりか本の内容までちょっと変わってしまった。
「この作者の頭の中で、この本の始まりと終わりが移動しているとでもいうの?」
考える事すらできなくなって、さっきの砂浜の挿絵に目を戻した。
周りの木の葉の音が波の音のよう。さっきとは逆に・・・。
その途端、私は彼の隣に座っていた。
「あのー、やっと読み終わりました。何故か先に進めて・・・。」
しばらく何を言われているかわからず、ぼーっとしてしまっていた。
「これあなたに返してもいいですか? 図書館って入った事なくて。」
「いいけど・・・。」
彼はそのまま本を私に預け帰っていってしまった。
頭の中が整理できない。きちんと帰って来れたけど、この世界って・・・。
顔を上げると、すでに日が落ちるところだった。
「あっ、夕日が綺麗。」
そう口にした瞬間、私の手の中の本がなくなっていた。
ーENDー
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