高橋 由伸 《プロフィール》 昭和48年4月31日生まれ 右投げ左打ち 慶応大学 巨人(98年ドラフト一位) 慶応大学から、一人の男が読売巨人軍にやって来た。
その名は高橋由伸である。顔は野球選手とは思えないほど
優しい笑顔で、いざ闘うときはまさしく猛虎の顔へと変わる。
その天性の打撃センス、そして素晴らしい運動能力である。高橋はドラフト一位指名で、プロの世界に足を踏み入れた。
大学とは違ってプロの世界は、徹底的に自分を責められ
また自分との闘いの時間が更に増え、厳しい試練の連続である。
確かに大学も厳しいが、でもそれは一時的の厳しさでもある。
それを高橋は証明するかのように、必死に結果を出す。一球、一球、高橋は集中力を高め、その結果一年目は新人とは
思えない結果を残す。打率は三割、本塁打十九本、打点七十五
新人王は獲得できなかったが、この先が楽しみで、また恐ろしい
存在感を野球界にアピールしていた。高橋はプロでやっていける
自分の姿が鏡の写っているように、目に見えているみたいだ。そして高橋は、新人王争いを演じていた。阪神の坪井、広島の小林
中日の川上そして巨人の高橋の四人がハイレベルな闘いを繰り広げていた。
特に高橋の大学のライバル・川上の対決は、日本中が注目していた。
しかし結局、新人王は中日の川上憲神が獲得した。
だが高橋の表情には、笑顔が漏れていた。
四人による新人王争いは決して無駄ではなく、悔いの残らない闘いだったのだ
大学で、圧倒的に高橋が川上を打ち崩していた。
そして慶応大学と、川上率いる明治大学はライバル校でもあった。だがプロの世界に進むと、逆の立場になっていて
川上が苦手としていた高橋を、圧倒的に押さえ込んでいた。
でも高橋は、決して川上の力を甘く見ていなかった。
高橋は、川上との勝負に何故か焦りを覚えていた。
川上も誰よりも、高橋の実力を認めていたのは確かだ。そして高橋は、一年目にして各球団のエースから恐れられていた。
ヤクルトの石井和久投手や、阪神の藪投手や、同じチームメイトの
桑田投手も高橋の凄さを高く評価していた。
高橋は、早くもライバル達が増えていた。またドラフトが始まる前は、ヤクルト入団という話しも出ていた。
巨人入団の話は全く出ていなかったが、結局最終的に、巨人の選手に
なってしまった。巨人ファンにとって良かったものの、もしヤクルトに行っていた
今頃巨人にとって、最大の敵が誕生していただろう。高橋は二年目を迎え、周りから二年目のジンクスと騒いでいた。
でも高橋は、そんな事は頭のなかにはなかっただろう。
今まで、この二年目のジンクスに苦しめられていた。
一年目は、どんな選手なのか分からず、活躍が見られるが
二年目、三年目になると、ある程度研究されて、余り活躍が出来なくなる。高橋は、さらなる活躍を抱いていた。また彼は打撃を強化するため
今まで使用していたバットより、重いバットを使用していた。
その成果が、いきなり開幕戦で見せてくれる。
阪神・福原から、満塁本塁打を放ち、二年目のジンクスを振り払うように
高橋は、自分の実力を野球界に大きくアピールした。
その後の高橋は、一戦・一戦自分の力を百パーセント出し切っていた。だが高橋とは対照的に、ライバルの川上は二年目のジンクスに
苦しめられていた。川上だけではなく、広島の小林、阪神の坪井。
やはり二年目のジンクスは、恐ろしい存在だった。
高橋はそんな苦しんでいる四人のなかで、懸命に頑張っていた。
まるで三人の分まで頑張っている様子だった。
本塁打もかなりのペースで、ガンガン打っていた。
そして巨人の中で、驚異的な数字を残していた。
4月の終わり時点で、4割を越えていて、4月の月間MVPに選ばれていた。だが最初が良すぎたのか、五月、六月、打撃成績が悪く
打率が下がっていた。守備ではいい動きをするが、調子もだいぶ落ちてきた。
そして、二十打席ノーヒットという自己記録を更新してしまう。
4月から七月の最初までフル出場してたため、疲れが来たのか
スタメンから外され、また試合途中から変えられたり、高橋も後半苦しんでいた。
だが高橋は決して弱音を吐かなかった。懸命に闘う姿勢は素晴らしいかった。
そして三十本を打っていて、去年よりも大幅に打ちまくっていた。高橋由伸・二十四歳、彼の闘いはまだ始まったばかりだ。
巨人の軸として、彼は自分の夢に向かって頑張っていくことだろう。
頑張れ、高橋、自分の可能性をひたすら信じて、そして猛虎としての称号を
手に入れるまで・・・