再びチュニジア避寒旅行

テニス仲間の水田寛・雅子夫妻が日本に帰国することになった。
妻慶子の静養を兼ねて、帰国前の記念旅行を滞在型のチュニジア旅行に決めた。
 ハンガリーではチュニジアは人気の観光スポット。多くの旅行会社がパックツアーを企画している。
フライトの関係で2004年1月旅行した時に使った旅行社と同じスリムライゼン社のパック旅行(2月2日〜9日)に決めた。

以下、写真をクリックしていただくと、拡大されて見られます。興味のある方はどうぞ。

費 用
往復航空運賃+2食付ホテル代 49,900HUF
空港使用料 20,000HUF
旅行保険 3,849HUF

合  計 73,749HUF
(約40,000円)

日 程
2月 水田夫妻 小松夫妻
2日(木) BUD/TUN 18:15/20:30 TU201便でチュニス空港。 バスでスースへ
3日(金)  スース市内観光
4日(土) ポート・エル・カンタウイ観光 
5日(日) サハラ砂漠ツアー モナスティール、スース観光
6日(月)  サハラ砂漠ツアー2日目 スース滞在
7日(火) チュニス・カルタゴツアー スース滞在
8日(水) スース市内観光・ショッピング
9日(木) TUN/BUD 12:55/17:10 TU200便 プラハ経由便で帰国

1日目
▽Hotel Royal Jenene


ホテル ロイヤル ジェネネ
20:30 チュニジア国際空港着。
空港には旅行社の係員Ms Enik Bajkoが出迎え。2年前のチュニジア旅行の際に世話してくれた女性。今回もお世話になる事になった。
宿泊のHotel Royal Jeneneは,
チュニスから150Kmのスース(SOUSSE)にある。高速道路を約2時間のドライブで到着。
Hotel Royal Jeneneは室内プール、テニスコート、フィットネスクラブ、サウナ、売店、レストランを併設した(夏季には屋外プール、ビーチも使用可能)四星のリゾートホテル。
 ホテルの宿泊客の大多数150人はフィンランドからの年金生活者と思われる避寒旅行客。ほとんどが3週間から一ヶ月の長期滞在。



スースの中心 ハルファット・ハシェド広場
2日目
早速スースの町の観光に出かけた。スースはチュニジア第三の都市。夏はもちろん冬の避寒観光地としても有名。
町はへそ的存在のファルハット・ハシェド広場を中心に新市街、旧市街メディナ、ビーチエリア、港エリアに分けられ、それぞれに独特の見所がある。

▽Soula Center
町の中心のファルハット・ハシェド広場に面するショッピングセンター。
チュニジアのほとんどの店ではみやげ物に値段は表示されていない。売り手と交渉して負けさせるのがこの国の買い物の仕方だ。ここでは値段がきちんと表示されていて、吹っかけられることはない。安心して買い物ができるわけだ。
水田夫妻はここで絨毯の買い物。日本の何分の一で買えたのでしょうか。

▽ル・リド
町の中心から2-3分のレストラン。シーフードが美味しいと聞いてランチした。タイをグリルしてもらい、シーフードスパゲッティ、サラダ、ビール、白ワインで80D=7200円

▽メディナ(旧市街)
南北700m、東西450mで周囲は9世紀に再建された高さ8mの城壁に囲まれている。1988年世界遺産に登録された。正門から入るとすぐ目にとまるのがグランド・モスク。
イスラム教徒の祈りの場所。その右側には高さ20mほどの要塞リバトがある。
アラブ人の侵攻の前線基地として建てられたもの。

要塞リバド スースメディナ内

▽スーク街 
メディナに入るゲートは6箇所。中は迷路のように道路が入り組んでいて、一度や二度では覚えきれない。
夜間は行かないようにガイドから注意を受けたほど。道路は人間一人か二人が歩けるほど狭い。
両側には旅行者向けの土産、日用品、衣料品、肉屋、食料品店、それにカフェ、レストランが軒を連ね、騒々しいの一言。
みやげ物は大体三倍くらいの値段を吹っかけてくる。ここでの買い物は値切って当たり前、いかに安く買うかが楽しみの一つ。

 
スースのスーク街


▽スース考古学博物館
入場料2D、写真撮影料1D。カスバ内に設けられた国内でも有数の博物館。
3〜4世紀のローマ時代のモザイク、彫刻のコレクションが中心。
ギリシャ・ローマの神話や海の生物をテーマにしたものが目立つ。
「バッカスの勝利」はガイドブックに案内されており、円形闘技場で猛獣と戦う剣闘士のモザイクも興味を引いた。
頭部とペニスをキリスト教徒に切断された繁殖の神・プリアプスの像も展示されている。

スース国立博物館のモザイク画
 

カスバ(お城)中庭を囲むように
スース国立博物館がある



ポート・エル・カンタウイのハーバー
3日目
▽ポート・エル・カンタウイ

滞在3日目に訪れた。
スースの北5km、1970年代後半にできたリゾート地。
真っ白なヨットが並ぶマリーナ、それを囲むホテルやレストラン。
さらに町に隣接する27ホールのゴルフ場、オリーブ畑に囲まれた別荘などはアフリカでなくヨーロッパのどこかを訪ねている感がある。
この地を建設したのはサウジアラビア人。
イスラム教の戒律の厳しい自国では許されない飲酒や遊びを満喫するのが目的に建てたものとか。

ゴルフはここでの最もメジャーな遊びのひとつ。最終日、チュニジア空港へ向かう車の中から垣間見たゴルフコースは海を見下ろす丘に広がり、何組かの観光客がプレーを楽しんでいた。


▽潜水艇
マリーナには多くの潜水艇、カタマラン=双胴船、帆船などの発着場があり、容易に水中世界が楽しめる。
45分の航海が一人当たり8D(定価は10D)で乗ってみた。
季節はずれのせいか、海は期待したほどきれいではなかった。時折小魚が見られただけ。

▽ラ・メディテラネ
マリーナが一望できるロケーションのレストラン。雰囲気、内装も最高級。魚は自分で選び調理してくれる。
シーフードのスープ、たこのサラダ、ワインなどで70D。
「地球の歩き方」に紹介されている。

▽日曜市
5日はちょうど日曜日。日曜市場が開かれていると聞いて行ってみた。スースの町の中心から1Km程離れた広大な場所に露天が軒を連ね人でごった返していた。
外国人はほとんど見当たらず、地元住民だけ。野菜、果物、衣類、家具、魚、日曜雑貨、それにみやげ物屋。残念ながら品質はあまりよくなく、買いたいものはあまりなし。

スースの日曜市


▽モナスティール

モナスティールのグランドモスク

スースから南東20Kmメトロで30分、0.96D。
メトロは1時間に1本から2本運転されている。

この町が有名なのはチュニジア前大統領のハビブ ・ブルギバが生まれた土地であるからだ。
1903年生まれの彼は1956年にフランスから独立を勝ち取った初代大統領。以前は小さな漁村に過ぎなかったこの村は彼によって近代的なリゾート地へ変貌した。

海岸通りは近代的なホテル、ショッピングセンターが林立し、マリーナはポート・エル・カウンティ同様完全にヨーロッパスタイル。近くには18ホールのゴルフ場もあるという。

一方では古くからの建物や見所も多い。
メディナ、要塞リバト、グランド・モスク、それにブルギバ家の祖先を祀るブルギバ霊廟など市の中心からアクセスできる位置にある。時間をかけてゆっくり見てみたい町だ。


4-5日目
サハラ砂漠一泊ツアー(水田)
滞在4−5日目、宿泊地のスースから300km余り南に広がる広大なサハラ砂漠への一泊ツアーに参加した。
前回参加した小松夫妻の経験談を聞いていたので、初めての砂漠のラクダ乗りなどに期待を一杯膨らませての出発となった。
40人ばかりの殆ど英国人のグループで日本人は我々のみ、ガイドのユーモア溢れる話術と豊富な知識、行く先々での乗り物や案内者の手配の良さに感心し、安心で楽しいツアーを経験できた。
一泊食事見学料込み一人169D

▽ツアー1日目
スースから砂漠入口の町ドウーズへ
朝7時にスースを出発、一路国道1号線を約60km南下し1時間ほどで、最初の訪問地エル・ジェムと言う町に到着。ここは広大な大地の中にただ一つ古代ローマ時代の巨大なコロセウムの遺跡が聳え立ち、それを取り巻く街並みを圧倒している。
3万人も収容できたという世界で3番目の規模のコロセウムは保存状態もローマのものより良く、紀元1・2世紀頃の北アフリカまで勢力を伸ばしたローマ帝国の繁栄を感じることが出来た。


マトマタの丘陵地帯に散らばる穴居住宅
エル・ジェムを後にして更に南下、途中のこの国第2の都市スファックスを迂回して休憩しながら約250km走って、第2の訪問地マトマタに昼過ぎに到着。

この地は北アフリカの先住民族ベルベル人が元々外敵アラブ人から身を守る為に造った不思議な構造を持つ住居が見られる。
月面のクレータのような深い大きな竪穴の底にいくつもの横穴があり、それらを住居として使っている。
住居の見学の終りに居住者の子供達に手持ちのお菓子をプレゼントしたり、羊の毛糸紬を実演してくれた奥さんに1テ゛イナールほどのお礼を渡した。
 近くを歩いていてもその住居は見えず、乾燥しているので中は湿気も無く夏冬とも快適な環境とのこと。旅行者用にこのようなホテルもあるらしい。


スースからの国道1号線の車窓の景色は南下につれて次第に荒地になって行くものの、途中は広大な平原台地に広がる一面のオリーブ畑、また白やピンクの花をつけたアーモンドやプラムの木々、羊飼いやユーカリの街路樹、サボテン等々、ハンガリーと違った赤茶けた乾燥した土の大地に暮す人々の生活を垣間見ることが出来る。

マトマタの横穴レストランでクスクスをたっぷり使ったチュニジア料理の昼食に満足して、道を西に取って走る。
途中「スター・ウオーズ」を撮影した赤土の山々を見ながら、今日の目的地であるサハラ砂漠の玄関口の町ドウーズに4時半頃到着。

ラクダに乗って夕暮れの砂漠ツアー

ホテルで一服後、いよいよお待ち兼ねのラクダに乗ってサハラ砂漠への日没観賞ツアーに。
出発に先立ち全員頭にターバンを巻いてもらい、砂よけの砂漠のガウンにもなる民族衣装をすっぽりとかぶり、砂漠の商隊の一員になった様な気分となる。
砂漠はもうホテルのすぐ近くから始まっており、ラクダが一杯待っている。
先ずラクダの乗り方を教わり、一人ずつ恐々と乗り何とか2m近い高さのラクダ上の人となる。
揺れる背中で手に力をこめていっぱしのラクダ隊列の一員になったときは安心と同時に、どこまでも広がる起伏のある砂山をのんびり歩くこのおとなしく力強い乗り物に大いに親しみを感じた。

夕日に照らされて長く伸びる影、砂漠の地平線に沈む大きな太陽と茜色に輝く雲、ゴボゴボと聞えるラクダの恋の鳴き声、等々今まで住んでいた世界と全く違った、まるで月世界に来た様な不思議な気持ちにさせてくれた。

ラクダは乗り降りの時、体が前のめりとなって落っこちそうで大変苦労する。
砂漠ツアーでの注意点として、飲み物や写真を現地の人から勧められても絶対に断るように、と言われていたにも拘らず、途中休憩のときワイフは苦行の末やっと下りて安心した瞬間に、さっと飲み物を勧められつい飲んで、後で高額を支払わされた。
さすがに今回のハイライトだけあって、ラクダによる砂漠ツアーは素晴らしく、チュニジア旅行には欠かせないと感じた。


▽ツアー2日目

ショット・エル・ジェリド(塩湖)の朝日
ドウーズから塩湖を横切って帰路へ
途中で日の出を見るために出発は6時。
丁度雨季に当たっているので昨夜は雨だったらしいが、未だ暗い空には星が一杯。
1時間余り走ると回りの景色が昨日までと一変しあちこちにわずかな水面を残しながらも、ほぼ乾燥した真茶色の広大な湖の上に一直線に作られた道を走っている。
その途中で下車しどこまでも真平らな塩湖の水平線からの幻想的な日の出を心ゆくまで観賞できた。
これも今回のツアーのもう一つのハイライトと言って良いだろう。
日の出は7時20分だった。
塩湖はショット・エル・ジェリド゛と呼ばれアルジェリア国境から地中海近くまで5000km2の広さである。


塩湖を横切った後は、北の湖畔に広がるナツメヤシの生い茂るオアシスの町デガーチェへ到着。
ここで馬車に乗り換えて100万本ものヤシが茂り、オレンジやアプリコットなどの果樹や野菜も植えてある大オアシスの散策。
途中、ヤシの実取りの木登り名人芸も見せてくれる。灌漑設備も整っていて、乾燥地帯の湧き水の恩恵をいかに利用しているか良く分かった。

9時頃、デガーチェを後にして、少し行くとまた小さい乾燥塩湖ショト・エル・ガルサがある。
今度は6人ずつ大型のジープに乗り換えて、この塩湖を横切って前方に見えてくる赤い岩山の山脈に迫り、やがて山すそのオアシスの町シェビカの到着。
ここからはまるで月の世界を思わせるような木の無い侵食された険しい山々がずっと北に広がっている。
シェビカは湧き水が滝になって流れ出しているオアシス。
岩山に沿って登り、塩湖や背後の山々のパノラマを楽しんだり、温水が流れ落ちている滝を回ったり約1時間の散策。
このあたりは映画「イングリシュ ペイシェント」に出てくる場面だ。
ジュピカの山肌と滝のある渓谷:映画「イングリッシュ ペイシェント」に出てくる風景

この町を出て、更に山奥へ15kmほど進むと侵食されて深くえぐられた奇岩のタメルザ渓谷に着く。ここにも割合大きな滝があり、奇岩の造形は見事である。ここが今回のツアーの最後の訪問地となり昼前には渓谷の散策を終えた。

タメルザ渓谷を後にし、途中でジープからバス に乗り換え、ガスファと言う大きな町で昼食後、国道3号線を北上し、7時半ごろホテルに帰着した。総走行距離は1100km。
今回は2日間のツアーだったが、更に砂漠のツアーを充実させた3日間に亘るパックツアーもあるので、こちらに参加してみるのも良いと思われる。


1日目
▽チュニス、カルタゴ、シデイ・ブ・サイド日帰りツアー(水田)

滞在6日目、ツアーに参加。今度はフランス人ばかりのグループに組み入れられて全てフランス語の案内で、詳しい説明は聞き取れなかったのが残念だった。中に親切なフランス人が居て所々英語に訳してくれて助かった。食事代込み一人68D。
首都チュニスの複雑に入り組んだメデイナ(旧市街)はイスラムの町独特のチョット怪しげな雰囲気を味あわせてくれる。メデイナはどの都市にもあり
そこでの買い物は値切りのやり取りが楽しい。
チュニスのバルドー美術館の古代ローマ時代のモザイク絵収集には驚かされた。たぶん世界一の規模と思われ、一見の価値がある。
カルタゴの遺跡はハンニバル時代の遺構は殆ど無いが、2・3世紀頃栄えたローマ帝国の遺跡は十分見ることが出来る。特に、共同浴場跡などから当時の繁栄を伺える。             
シディブ・サイド゛は美しい白壁と青い窓枠や扉の彩りが空と海に映えて、典型的なアフリカの地中海に面した町の情景となっていて見ていて飽きない。誰もがのんびりとこの雰囲気を楽しんでいる様であった。

古代カルタゴの軍港

美しいシディブ・サイドの街並み

今回の旅行でチュニジア人の明るく陽気な性格にも驚かされ、一緒に楽しませてもらった。
日本帰国をまじかにして有意義なチュニジア旅行を楽しめた。



1日目 (水田)

ツアーの途中で見聞したり、バスガイドから聞いたチュニジアに関する面白そうな情報を纏めた。

*チュニジアの国勢*
チュニジアの人口は約1千万人。国土は日本の40%位あり、人口密度も低くて広々していていいなあ、なんて思っていたら現在人口増加が大問題とのこと。
1人の女性の平均出生率が4.3人とのことで、日本の3倍以上、日本の政治家なら羨ましいところでしょうが、こんな国もあるのですね。
その出生率を何とか下げるために色々手を打っているとのことで、例えば子供3人までは国が子育て支援金を出すが4人目からは出さないとか、家族計画教育に力を入れたり、またテレビを各家庭に無料で配布すればそちらの楽しみが増えて子供の数が減るとの提案があるとの冗談とも思える話もあった。

*国土と気候*
国土の4分の1は完全な砂漠で残りの大部分も赤茶けた土壌の大地で、現在砂漠化が年平均20mの割合で進行中とのこと。
地球温暖化の為に進んでいると言われている地球の環境破壊の一つである砂漠化が本当に着実に身近に迫っていることが実感された。サハラ砂漠の砂は手にとって見ると我々が思っていた砂浜や河の砂と違って、メリケン粉の様な非常にきめの細かいパウダーといった粉状で、ひとたび風が吹くとすぐ巻き上げられて砂嵐や、黄砂が発生することが良く分かった。
内陸や砂漠地帯では雨も年間200mmほどしか降らない乾燥地帯、首都のチュニスは年間雨量は800mmあり、かなり緑が見られる地中海気候で、その近くのリゾート地は年中すばらしい気候だ。

*教育事情*
チュニジアでは6歳から16歳までが無料の義務教育期間となっており、言葉は1年生からアラブ諸国共通の古典アラブ語の読み書きを学び、チニジア語は話し言葉のみに使われるとのこと。
第2公用語であるフランス語を4年生から学ぶので、何処でもフランス語はOK. 英語も結構通用した。
長期滞在型の観光に力を入れている国だけあって、言葉の教育も熱心なようだ。
又皆日本のことも良く知っていて、驚かされたし、サッカーの中田選手の名前は日本の代名詞にすらなっているほど知れ渡っていた。
日本人と見れば「ヤパン、コンニチワ、ナカタ!」と気さくに話しかけて来て、ついついその陽気さと人懐っこさに引き込まれて土産物を買ってしまうほど、チニジア人の明るい性格に感激した。
イスラム色はアラブ諸国の中ではトルコと並んでかなり薄く、西欧化が進んでいるので、若い女性はチャドやスカーフ姿は余り無く、自由に街を歩いているが、みやげ物店などの女性店員はやはり愛想があまり良くなかった。

*経済*
労働者の平均給与は500デイナール(45000円)とのことだが、失業率が14%と高いのが大問題。
確かに至る所に男ばかりがたむろしており、時間をつぶしたり、仕事探しの情報を集めているとのことであった。
一見のんびりしている様に見えるが、中々大変な状況らしい。
ガソリン代も日本並みに高く、車も勿論高いので、中古車が主流。
ガソリンはすぐ東隣の産油国リビアでは価格がチュニジアの8分の1なので、国境に近い人はリビアで仕入れて来て、売る商売をしている。
南部の道を走った時、あちこちの道端でガソリンを詰めたポリタンクを何本も積み上げて売っている光景に出くわしたが、勿論違法の販売らしく、危険性もあると思われるが、結構商売にはなると思われた。

チュニジアのリゾート地はイスラム色が殆ど無くて、物価も安くて比較的安全な理想的な保養地といえよう。



サボテンはチュニジアを代表する植物