ウイーン
ブレッド湖 リュブリアナ
ザグレブ プリトヴィッチェ スプリット トロギール ドブロヴニック
プラハ
丹羽孝爾/絹子 黒柳一男/秀子
本美幸孝/幸子 伊東正孝/智以子
高岡智子/泰之 小松裕文/慶子
.岡田 淳
| 本年5月日本に一時帰国した際、丹羽夫妻が南紀(勝浦、那智、瀞八丁)鳥羽・伊勢へ2泊3日の旅をアレンジしてくれた。日本の海の幸と桜を始めとする日本の春の花を堪能した旅だった。 その節、ヨーロッパの海に話題が及んだのが今回の旅の伏線になった。丹羽さんは昨年冬、病を患い、以来海外旅行はドクターストップが掛かっていたが、ようやく医者のOKが出て、今回の旅行が実現した。丹羽さんの快気祝いの旅行でもあった。(後にわかったことであるが、伊東夫人も昨年意識不明の状態の病気に罹り、伊東夫人にとっても快気祝い旅行であった) 飛行機は中部国際空港からヨーロッパダイレクト便があるフィンランド航空に決まり、細かい日程調整が始まった。全体計画及び宿泊は丹羽さんが統括し、移動手段及び宿泊は小松が手助けした。 参加者はいずれも丹羽さんにゆかりの方々。 黒柳、本美、伊東各夫妻は丹羽さんの仕事やライオンズクラブの仲間。 加えて黒柳さんは小松のかつての職場の先輩。 高岡智子さんは丹羽孝爾さんの実姉で満78歳、奏之さんは智子さんの孫で今春、大学に入学したばかり。 岡田淳さんは西鉄旅行名古屋支店勤務、今回の旅行の飛行機、ホテル、ガイドの手配にあたり、ツアー コンダクターとして参加者の世話をしてくださった。 高岡泰之、岡田淳さんを除く11人のメンバーの平均年齢は72歳。それだけに日程はゆったり組んで負担の少ないものになった。 全行程中、雨は2日間。まあまあ天気に恵まれた旅であった。 特に6泊したクロアチアでは碧い海、白い山、歴史を刻む建物――それにも増して、スカンピ(Scumpi=手長えび)、カラマリ(Callamari=いか)、オクトプス(Octpus=たこ)などの海の幸を堪能し、乾燥した空気の中で飲んだビール、ワインの味は忘れがたいものであった。 9月6日(木)09:10 ブダペスト発 12:06 着のEC24列車でウイーンへ。Hotel Renaissance Vienna へチェックイン後、ウイーン市内=リング通りからヴェルベデーレ宮殿=散策。 19:30 頃名古屋からの一行をウイーン空港に出迎え。 一行は中部国際空港からヘルシンキ乗換えのAY767便で 18:35到着 (11:00/15:10 NGO/HEL AY080 17:10/18:35 HEL/VIE AY767) 高岡ファミリーの荷物がロストし手続きのためゲートアウトが遅くなった由。 (このロストバッゲジは以後の滞在先で度々連絡を取ったが、見つからず、日本に帰国後自宅に届けられた。) 挨拶もそこそこに3台のタクシーに分乗してホテルへ。 長旅の疲れもあって、チェックイン後はそれぞれ部屋で休息。 この日は生憎、雨模様の寒い旅行初日であった。 ホテルRenaissance Hotel Wienは地下鉄Meidlig-Hauptst駅から徒歩2分。 シェーンブルーン宮殿へは地下鉄で一区間の位置。 9月7日(金)08:30 ホテルレストランでビュッヘ形式の朝食。慶子のメニュー=フレッシュジュース、オレンジ、パンケーキ、ハム/チーズ 野菜、ヨーグルト。 アジア人の団体で席はほぼ満席。果物も豊富でリッチな朝食。大満足。 改めてメンバーに挨拶。高岡智子さんとは15年程前、尾瀬を一緒に歩いたことがあり、黒柳、本美夫妻とは2001年にハンガリーを一緒に旅行したことがあり、懐かしい再会であった。 10:00 ホテルを出発。 この日は地下鉄など公共交通機関を使っての市内見学。朝から雨の肌寒い中、雨具で装備して、地下鉄で町の中心Karlspltz駅まで10分。雨の中オペラ座からケルントナー通りをウインドショッピングして、シュテハン寺院へ。 1時間の見学の後、再び雨の中を王宮方面へ。 ウイーンのお菓子を代表するザッハトルテを最初に作ったカッフェ・デーメルでしばしの休憩。 モーツァルト、チーズケーキ、アップルケーキ、コーヒーを注文。 12:30頃 店の外に出ると通りに大勢の人が何かを待っているのに出くわした。 何とローマ法王を一目見ようという人々だった。オーストリア訪問中のローマ法王が通過する道だった。 待つこと10数分、法王は防弾ガラスの特別車で王宮の前をシュテハン寺院方面へ向けてあっという間に通り過ぎていった。 次に訪れたのは王宮=Hofburgの皇帝の部屋/宮廷銀器、食器コレクション/シシイ博物館。 ウイーンは何度も訪れたことがあるものの、この博物館へ入るのは初めて。ハプスブルグ家で使われてきた膨大な食器のコレクションは必見の価値あり。 15:00 昼食。王宮近くのオーストリア料理のレストラン「ベイスル」=Beisul。ウイーンナー・シュニッツエル、ブイヤベース、ソーセージを注文。全員で食事をするのはこれが始めて。昼間からビール、ワインで乾杯。盛り上がった食事であった。(これ以降の食事もビールとワインで乾杯のパターンは不変) 17:00 夜のプログラムに備えてホテルに戻り休息。 18:00 オペラ組ホテル出発。黒柳、伊東夫妻、高岡ファミリー、丹羽孝爾さん。 この日の演目はモーツアルトの「魔笛」。 19:00 残った6人は夜のウイーンの夜を散策。雨も止み、気温も上がってやれやれ。リング沿いのワインバーでオーストリア産赤ワインをハムとチーズを肴に楽しむ。 10:30頃ホテルに帰着。 オペラ組はウイーン・オペラ座のオペラ鑑賞、しかもプログラムが魔笛であって大満足だった。
1) 王宮の入り口・ミハエル広場には法王のパレードを見る観客
9月8日(土)07:30 朝食は日本食。 Hotel Renaissance Viennaの朝食は日本食メニューがある。白飯、味噌汁、漬物(5種類ほど)ホーレソウのおひたし(残念ながら海苔と干物はなし)もあって、日本人には大好評だろう。宿泊客に東洋系が多いせいだろう。 09:10 ホテル出発。 バスはMandric Tourの所有。DriverはMr.Mladan Trupel英語が少しできる30歳代中間で人柄はよさそうな。しばらく車を走らせ、ウイーン郊外のアパレルショッピングセンターへ立ち寄る。荷物が紛失した高岡ファミリーの旅行用品の買い物のためである。 10:30 再び 高速道路A号線走行。 11:30 Landzeit Rast Station 。 WC休憩を兼ねて昼食。メニューはソーセージのグヤーシと野菜サラダ。量が多すぎて半分以上残す。 一人、半人前で十分の量だった。 14:00 Dibtimerでトイレ休憩。 15:40 オーストリア・スロベニア国境通過。 16:15 ブレッド湖ホテル=ヴィラ・ブレッド着。 到着が大幅に遅れたため、予約してあったガイドは自動的にキャンセル。 トイレ休憩後ブレッド湖船着場へ。 渡し舟でブレッド島へ。ブレッド湖のシンボルともいえる聖マリア教会は8-9世紀の建築。 この教会の鐘は鳴らすと願いがかなうと言われており、観光客が次から次と紐を引いていた。但し教会内部からは鐘の音は聞くことができない。 教会の前では日本人男性とスロベニア女性の結婚式が行われていた。日本から両親はじめ身内や友人と思われる人も多数出席していた。音楽に合わせて歌ったり、踊ったり、お菓子やワインを振舞ったりして賑々しく行われていた。(この結婚式の続きは我々の泊まったヴィラ・ブレッドのレストランで行われていた) ブレッド城は湖面から100mの断崖に建つ。お城からのブレッド湖、ホテル群が一望でき、まさに「絶景かな、絶景かな」である。城内には博物館、レストランのほかワインショップや昔ながらの印刷工場もある。自分の名前を活字で組んでオリジナルなお土産をつくることもできる。 城内の広場では中世の騎士、貴婦人による決闘ショーやダンスが繰り広げられており、観光客の喝采を浴びていた。 ヴィラ・ ブレッドの館は旧ユーゴスラヴィアの大統領チトーの旧宅。この地方がオーストリア/ハンガリー帝国の一部だった頃オーストリア皇帝ウインディシ・グラアッツによって建てられた。 1920年からはユーゴスラビアの貴族の別荘として使われ、第二次世界大戦以降は大統領の住居に建てかえられた。広大な庭園は各地から集められた100種以上の花や樹木が生い茂っている。 客室はほとんどがスイートルーム。我々一行の部屋も勿論スイートルーム、ウエルカムフルーツつき。 夕食はホテル内のレストランのフルコース。 燻製フォアグラのカルパッチョ・野菜サラダ添え。ビーフのスープ、タイのフィレ・オリーブオイルで焼いた野菜とポテト添え。メインは子牛のステーキ・セプソース掛・ブロッコリーとヌードル添え。デザートはブラックベリーのムース・果物のピューレ掛。特に前菜のスモークドフォアグラは絶品。 ホテルはほかで、食事だけをこのレストランでとるツアーも数多くあるように、ゴージャスで有名なレストランだ。 4) ブレッド湖のシンボル・ブレッド島に建つ聖マリア教会 9月9日(日)08:00 朝食=ホテルレストラン。 シャンペンのサービスがあり、朝酒に一杯頂く。 この日の朝は二組に分かれて行動。 9:00 一組は、バスでホテル出発。30Km離れたボヒニ湖を観光。 目当てはアガサ・クリスティーが執筆活動したホテルの見学とナチス・ドイツが持ち込んだ"黄金のマス"と呼ばれるカワマスを見るため。ホテルではクリスティーが執筆した部屋も見学でき大満足だった。 もう一組は、ホテルでゆっくりくつろぐのが目的。 眼前に広がるブレッド湖、その背景のユリアン・アルプスを堪能し、湖畔の散策を楽しんだ。 10:30 ボヒニ湖組と合流してホテルを出発。 11:40 リュブリアナ中心のZvezda Park着。 旧市街と新市街を分けているリュブリャニッツア川に展開するのみの市を冷やかしながら、リュブリアナ城へ向かう。 麓からはケーブルカーでお城へ。旧市街が一望できるこの城は12世紀半ばの建設。リュブリアナ市ノシンボルとして市民に親しまれている。 昼食は広場の屋台で買った豚の足の丸焼き、ニョッキのジャムソースかけ、串焼き。 炎天下で飲む冷えたビールは最高。 バスに戻りながら市内観光。 三本橋Tromostovjeは旧市街と新市街を結ぶ橋の中でも最も交通量が多く有名。 フランチスカン教会、フランス革命広場などを見ながらバスに戻る。 14:30 リュブリアナ出発。 16:45 国境通過,クロアチア入国。 17:30 ホテル着。Hotel Arcotel.Allegrakinndaiteは近代的な大型ホテル。 旧市街・ザグレブ中央駅近くの便利な場所にある。ホテルには大久保絹代さん(今回のツアーのバスの手配を依頼したザグレブ在住の旅行社勤務の女性)がすでにホテルに待機。チェックインの手助けをお願いする。 夕食はレストラン・コノバ。ホテルから徒歩10分。シーフードが売り物。 この夜のメニューはオードブル=魚のパテ。タコのカルパッチョ。フィッシュスープ。スカンピ、イサキ、イカ、などのフィッシュプレート盛り合わせ。野菜サラダ。7人分を14人でシェアして充分な量。 (オーブンで焼いたタコの足が名物のレストラン・コルチュラへ案内する予定だったが日曜日で閉店) 7) リュブリアナ城から見た街並み 9月10日(月)08:00 朝食ホテルレストラン09:00 市内観光へ。 ガイド=大久保絹代さん/Ms.Irena Jelic バスの中からオペラ座を見学。旧市街の北側に広がるミロホイ(Mirogjoj)墓地へ。初代クロアチア大統領など有名人が眠る。クロアチアは今でも土葬。見学通路の下がそのまま墓地になっている。 聖ステファン大聖堂から青果市場を通って聖マルコ教会へ。 屋根のモザイクは群青色と赤茶色のタイルで作られ二つの紋章がデザインされていて一度見たら忘れられない。屋根のモザイク模様はサッカーのクロアチアチームのユニフォームそのもの。この教会のすぐ脇にあるのが迎賓館。たまたまスリランカ大統領の到着に出くわせた。衛兵が整列する中、中肉中背、民族衣装の大統領が迎賓館の中へ消えた。 石の門も見所のひとつ。聖母マリア像が納められた礼拝堂があり、ろうそくや花をささげて祈る人々が絶えない。しばらく進んで坂を下れば共和国広場。ザグレブ市街のへそともいえる広場でサッカー場の広さがある。 ネクタイ専門店「クロアタ」は広場の近くのビルの一角にある。発祥の地クロアチアの本場のネクタイを求める観光客でいつもにぎわっている。今回のメンバーも何人かはお土産として買い求めた。 昼食は青果市場内のスナックでサンドイッチとピザ。 14:15 ザグレブ発 15:30頃Petro=ミニPlitvicka、道路から滝が眺められる観光スポットで休憩。 17:00 GrabovacのTina House着。Pritvica Lakesにあるいくつかのホテルはすべて満室。そのため8Km離れた小さな村の民宿が今夜の宿。 周囲は畑に囲まれた静かな環境。子供とオーナー夫妻だけのファミリー経営。 部屋は5人部屋 4人部屋 2人部屋x2。山小屋へ宿泊したと想像すればよい。 夕食は野原を眺めながらマスのバーベキュー。夕日が沈むととたんに肌寒く、早々に部屋へ引き上げ。 10) ザグレブのシンボル 聖母被昇天大聖堂 9月11日(火)夜中から雷と雨。 07:30 二手に分かれて朝食。 雨で外のテーブルが使えないため。パン、チーズ、ハムの簡単なもの。 09:00 雨と雷の中、Tina House出発 10:30 プリトヴィッチェ国立公園到着。 雨は降り止みそうもなく、完全武装で歩き出したものの、容赦ない雨にずぶぬれ。それでも徒歩、エコロジーバス、遊覧船を使って滝や湖を楽しむことができた。幻想的な青色の湖、その中を泳ぐ魚の群れ、水面を泳ぐ水鳥、様々な大小の滝、奥入瀬渓谷を思わせる流れ、どれをとっても絵になる。落差78mの大滝も見所のひとつ。 この日は前日来の雨で、水量が多く、豪快な水しぶきの滝で絶好の記念写真のバックとなった。 プリトヴィッチェ湖群国立公園は、1979年に世界遺産に登録されたが、1991年のクロアチア独立戦争時にはセルビアに占領され、大きな被害を蒙った。一時は「危機にさらされた世界遺産」入りしたが、1995年に再びクロアチアに戻り現在の幻想的な美しさを取り戻している。200?の広大な面積の大部分は森林に覆われ貴重な動植物が生息している。標高639mから150mに大小16の湖があり、その間を92の滝が流れ落ちている。 12:40 プリトヴィッチェ発 雨はすっかり上がり、クロアチアの青い空が戻ってきた。 13:15 昼食。国道沿いのレストラン・マコラ=Macolaは多くの観光バスが立ち寄る人気の店。狸、狐、熊、兎など店先の動物の剥製はプリトヴィッチェ国立公園で取れたものだろう。 メニューはスープ、野菜サラダ、カラマリ、ソーセージ。 17:50 スプリット、ホテル・コンスル着。 ホテル・コンスルは旧市街から徒歩10分。三ツ星ホテルではあるがエレベーターはなし。道路が狭く大型バスは駐車不可能。このためバスを表通りに駐車して、荷物は従業員が運搬してくれた。インターネットで予約したのだが、画面では実際よりもよく見える。 夕食をとるため、散歩がてら旧市内へ。 過去2回のスプリット滞在時には海岸沿いの遊歩道はレストラン、喫茶店、ワインバーの椅子が所狭しと並べられ、観光客でごった返していた。今回遊歩道には椅子は見当たらず、静かな海岸通に一変していた。なんらからの理由で営業ができなくなったのだろう。 このためレストラン探しに多少時間が掛かってしまったが、レストラン"Poseidon"で夕食をすることになった。 世界遺産に登録されているディオクレティヌス宮殿/鉄の門の前にある。 シーフードスパゲッティ、イカ墨リゾット、フィッシュプレート、ミートプレートを適当に注文、シェア。 13) プリトヴィッチェ湖群国立公園 14) プリトヴィッチェ湖群国立公園 大滝 15) プリトヴィッチェ湖群国立公園 奥入瀬渓谷の小滝を思わせる滝 16) 本美夫妻 プリトヴィッチェ湖群国立公園で 9月12日(水)08:30 朝食、ホテルレストラン。 10:00 バスで港へ。ライセンスガイドの案内で市内観光。 ガイドの説明は英語。それを岡田さんと高岡泰之君が日本語にする。 ディオクレティニアス宮殿、銀の門、金の門、列柱に囲まれた広場ペリステイ、大聖堂などローマ遺跡を巡る。 市場も見学。魚売り場はザグレブのそれより充実。新鮮なマグロも輪切りの状態で並んでいる。 1230 バスでトロギールTrogirへ。海岸沿いの道を走ること20Km ,30分で到着。 昼食はRestaurant Marijanaで魚スープ、シーフード盛り合わせそれに目の前で炭火焼の魚。 トロギールは周囲を城壁に囲まれた小さな島。5m程の水路に掛かる橋で本土と結ばれている。 1997年にユネスコの世界遺産に指定。 駐車場から橋を渡り、北門を過ぎると文化財がひしめいている広場に出る。 広場の周囲には聖ロヴロ教会、市庁舎、時計塔といった見所が集中している。最も重要なのは聖ロヴロ教会の門。ライオンの上に乗ったアダムとイブの像は13世紀クロアチア美術の最高傑作。広場をさらに進むと南門。眼前にはアドリア海が広がり、岸壁をぶらぶらするとカメルレンゴの砦、聖マルコの砦と進み、再び駐車場へ。これで狭い島の一周観光はおしまい。 昨年一緒にクロアチアを旅した田川さんの旅行記によると、 『カメルレンゴの砦とは何か疑問になったので、Googleで検索したら154件がヒットして驚く。「17世紀に建てられた聖マルコの砦と共にオスマントルコの攻撃から守るためとの砦」だそうだ。またその記事から「トロギール」とは金持ちの意であることを知った』とのこと。 ホテル・コンスルに戻り、しばし休息。 夕食はRestaurant Neptune。ガイドのお勧めのレストラン。 例によって、シーフードスパゲッティ、シーフードリゾット、シーフードプレート、ミートプレートを適当に注文し、シェアする。勿論ビール、白ワイン、赤ワインつきであることはいうまでもない。 冷えた白ワインにシーフード、この組み合わせがあるからクロアチア旅行はたまらない。 港にはイタリア海軍の帆船が入港、乗り組み員も上陸していた。 17) スプリット街並み 18) スプリット港 停泊するイタリア海軍の帆船 19) スプリット 魚市場 20) トロギール 聖ロヴロ教会 21) 丹羽夫妻 トロギール中央広場 22) トロギール レストラン・マリジャナで食べた昼食のフィッシュプレート 9月13日(木)7:45 朝食=ホテル レストラン 9:00 ホテル発。 最初の目的地マカルスカ・Makarskaまでは海岸線に沿って走る。延々と続く海岸線、緑の山肌、アドリア海の青い海、背後に迫る花崗岩の白い山、時折現れるリゾート海岸・・・まさに絵葉書の中のドライブだ。海岸と島々が平行に並んだ景観はダルマチア式海岸と呼ばれ、クロアチアのダルマチア地方特有の絶景。 10:00 マカルスカへ到着。 スプリットから60Km。ダルマチアン県の中心都市。人口14,000人。アドリア海の静かな港に面し、町の背後には標高1,762mのビオコヴォ山が聳え立つ。海と山を同時に楽しめるリゾート地。旧市街はパインの並木が続く遊歩道に多くのホテル、レストラン、喫茶店、みやげ物屋が軒を連ねている。1時間程の散策後は海に面した喫茶店でアイスクリームのティータイム。 11:50 マカルスカ出発。 昼食のレストランを探して45分。ドウレヴェニック・Drvenikという小さな町でRestaurant Bukara に入ることになった。スプリットから25Km。海まで3mの屋外の席で昼食。 まずはビール、ワイン、ソフトドリンクで乾杯。穏やかで碧い海を眺めながら、昼間から冷えたビール、ワイン・・・なんとも贅沢な昼食だ。しかも目の前にはトップレスの女性が日光浴しているおまけつき。 14:00 食事を終えてドレヴェニック出発。 しばらく走ると道路は海岸線から離れて山の中を走る。ディナル・アルプスはこのあたりで終わり。 プロチェのドライブインで休憩。 目の前に広がる湖(海でなく)が素晴らしい。このあたりから景色は一変、湿地帯の平野が広がり始める。豊かな水を利用して果物つくりが盛んで、道端には果物やその果物から作ったリキュールを売る露店が立ち並ぶ。ためしにリキュールを買ってみたが甘すぎて、とても飲める代物ではない。(高岡泰之君がクロアチアのお土産に持ちかえったが、評判はどうだったでしょうか) 14:50 クレクKlekでパスポートコントロール。ここから先10数キロはボスニア・ヘルツゴビナが入り込んでいる。 15:00 ノイムNeumのオルカOrkaというスーパーマーケット兼パーキングエリで休憩、買い物。 15:29 ザトンZatonで再びパスポートコントロール、クロアチア再入国。ペジェサック島Pejesac島を見ながら一路ドブロヴニクへ。 宮崎駿監督のアニメーション「魔女の宅急便」「虹の豚」の舞台となる町のモデルになってから日本では注目を集め、人気の観光スポットになった。1979年にユネスコの世界遺産に登録されたが、1991年の独立戦争では街の大半が破壊され、一時は「危機にさらされている世界遺産リスト」に入れられたこともある。 17:30 ホテルアルゴシー到着。街の中心からは車で15分ほど。それだけにロケーションは抜群。海に面し、自然が残された広い敷地にゆったり建てられている。部屋も明るく、広く清潔。 夕食のレストランはシーフードと夜景の美しさ(海岸に面した崖の中腹にある)が売り物のレストランLevannat(2006年9月に訪れたことがある)を予定したが予約でいっぱい。 ホテルから5分、林の中のレストラン コミンKominを予約した。 夕食は勿論シーフード中心のメニュー。ビール、ワインの乾杯はすっかり定着。 Levannatに劣らず静かで味もよかった。 23) マカルスカ 聖マルク教会 24) 石灰岩のビオコヴォ山 25) 黒柳夫妻 マカルスカ港 26) 伊東夫妻 マカルスカ市街 27) ドレベニック レストラン・ブカラの前に広がるアドリア海 9月14日(金)朝食=ホテルレストラン。シーヴィユーのレストランにはコックがいて、目玉焼き、オムレツ、焼肉をサービスしてくれた。 09:00 ホテルから2分ぐらいのビーチからクルージングに出発。 クルージングはドブロヴニックの周辺の三つの小島を巡るもの。定員は30人位のボート。 出港してすぐ船長=Mr.Zeljko はまず歓迎の飲み物のサービス。ワイン、リキュール、ソフトドリンクは無料サービス。 晴天で、無風の海は静かそのもの。最初に訪れたのはコロセプ島Kolcep。港を中心に砂浜が広がり、レストラン、コーヒーショップ、みやげ物屋、ホテルが立ち並ぶ。次に寄港した島はシパン島。なんとなく見たのは古い建物。残念ながらいつ建てられて、何の建物かわからなかった。 昼食に立ち寄ったのはロプド島Lopud Island。Restaurant "Peggyは海岸から200m程の丘の中腹に展がる見晴らしのよいレストラン。目の前でグリルされた魚は新鮮で香ばしい。海と教会を眺めながらビールとワインのひと時だった。 観光船は島巡りを終えて、ドブロヴニックへ。 海から見る街もきれいだ。海に落ち込んだ岸壁、その上に作られた城壁、岸壁を足場に泳ぐ人たち。オレンジ色の屋根越しにはスルジ山が見える。山肌は山火事があったのか黒こげ。港に近づくと豪華客船も停泊している。港は観光船やヨットでごった返し、埠頭は観光船待ちの観光客でいっぱい。 Mr. Peter Vlasic出迎えのミニバス2台でスルジ山へ。 港から標高412mの山頂までは小型自動車しか通行不可能。頂上までの道の両側は明らかに山火事のあと。聞くところによると火はボスニア・ヘルツゴビナから国境を越えて燃え広がり、8月4日から8日まで5日間燃え続けたそうだ。 山頂から眺める旧市街、アドリア海、ロクルム島、停泊する大型豪華客船。どれをとっても絵葉書の世界。 頂上にはかつて旧市街から山頂まで観光客を運んだケーブルカーの駅の残骸が残されている。1991年のクロアチア独立戦争で旧ユーゴスラビア軍の海と空からの爆撃で破壊されたもの。戦争の悲惨さを伝えるためにも残してほしいものだ。 次に訪れたのはシヴィ・ソコSivi・Sokoの展望台。ドブロヴニク飛行場とチャブタットCavtatの町を見下ろすパノラマ。スルジ山からのパノラマに引けをとらない。山を降りてチャブタットの町へ。土産物屋やビールバーの立ち並ぶ海岸通を散策。ドブロヴニクの町の喧騒がうそのように静か。 夕食をとったレストラン・レルトLeltもその延長。ちょうど夕暮れになり、見事な夕日の最後のイベントとなった。 28) ダルマチア式海岸 ドブロヴニックへ向かう車窓から。西伊豆を思い出させる風景 29) ドブロヴニック三島巡り 遊覧船 30) 小松夫妻 三島巡りのコロセプ島で 31) 三島巡り シパン島 32) ドブロヴニック旧市街 城壁 33) ドブロヴニック旧市街 後方はスルジ山 34) スルジ山で記念撮影 後方はロクルム島。丹羽夫妻と高岡ファミリー 35) ドブロヴニック港 9月15日(土)朝食=ホテルレストラン。 ホテルをチェックアウトし、Mr..Peter Vlasicのミニバスで旧市街プロチェ門へ。 今日の市内見学はガイド付き。プロチェ門はピレ門と共に旧市街への入り口。先ずは衛兵がお出迎え。遊歩道になっている城壁へ上がり、上から町を見ながら、説明を聞く。 レヴァリン要塞からミンチェスタ要塞までの道はアップダウンの連続。細い路地にはレストラン、みやげ物屋のほか一般住宅も混在しているのがわかる。街の赤い屋根瓦は黒ずんだものと一見して新しい鮮やかな色のもが識別できる。新しいものはクロアチア独立戦争後につけられたもの。戦争で破壊を免れた建物(黒ずんだ瓦)は20%程度、爆撃のすさまじさが伝わってくる。フランチェスコ会修道院は14世紀に建てられたもの。ヨーロッパで3番目に古いといわれている薬局が今でも開業している。 修道院の前にはオノフリオの噴水があって天然の湧き水が水道から飲んだり、汲むことができる。 プラツァ通りは旧市街のメインストリート。 ピレ門から街の中心のルジャ広場まで200mの程の道路の両側は銀行、土産物屋、カフェが立ち並ぶ。石の石畳の歩行者専用道路は大勢の人の行き交いでぴかぴかに磨きあげられている。 プラツァ通りはかつて水路だった。水路をはさんでローマ人とスラブ人はしばしば紛争が起こした。それをなくすため、水路は埋めたてられ、現在の道路になった。 プラツァ通の突き当たりはルジャ広場。広場にはこの町のシンボル、オランドの像(Symbol of free city)もあって観光客のカメラスポットになっている。また広場の周辺には大聖堂、スポンザ宮殿、旧総督邸、市庁舎、時計塔などの文化財がいっぱい。 大聖堂にはドブロヴニクが中世に貿易都市として繁栄された時代の繁栄を物語る財宝が数多く残されている。またイタリアの有名な画家ティツィアーノの聖母被昇天も必見の価値あり。時計塔は中世の建築だが現在も緊急時や毎時刻を知らせるのに使われている。 12時間の時計は勿論だが月齢(満月、三日月、新月)を表示する、月齢時計もつけられている。 昼食は繁華街の一角でピザでそこそこに済ませ、空港へ出発まで残る時間は買い物。 17:00 Mr..Peter Vlasicのミニバスでドブロヴニク出発。30分程で空港着。直ちにチェックイン手続き。 空港はオーバーな言い方すれば日本人が占拠。 フライト待ちの乗客の説明によると「JALとJTBが企画したクロアチア/チャーター便のツアー。約300-350人の募集定員はキャンセル待ちも出るほどの人気。成田からザグレブへフライト、ザグレブから10のコースに分かれてバスでスロベニア、クロアチア各地を巡る8日間の旅。いずれのツアーも最終目的地はドブロヴニクで、ここから成田へ帰国するもの」。葛飾区柴又の女性の参加したツアーはザグレブ3泊、スプリット1泊、ドブロヴニク3泊計7泊8日。オプションツアー経費別で40万円弱だったそうだ。 19:55 HR2215便でドブロヴニク出発 HAAN航空は飲み物も軽食も有料の航空便。 21:45 プラハ到着。ガイドの清水さんが出迎えてくれた。バスでホテルへ。 空港で高岡さんのロストバッゲジをチェックしたためホテル到着が大幅に遅れて23:00到着。 レストランはすべて閉店。街でピザ、サンドイッチを購入して夕食に代える。 36) ドブロヴニック旧市街 城壁ツアーの途中 37) ドブロヴニック旧市街 メインストリート・プラッツァ通 38) ドブロヴニック郊外チャブタットの夕景。レストラン・レルトで 9月16日(日)08:30 朝食、ホテルレストラン。 10:00 ガイドの清水さんとホテルで待ち合わせ、徒歩で市内観光へ。ホテルヤスミン Yasminはヴァーツラフ広場(町の中心)から2〜3分の距離。 まずはヴァーツラフ広場へ。国立歌劇場、火薬塔、市民会館を外部から見学。旧市街をウインドショッピングしながら旧市街広場へ。プラハの心臓部ともいえる広場で多くの観光客が集まる。周囲はゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など時代の異なる建物で囲まれている。 広場の北側にはチェコの英雄ヤン・フスの像があるが、この日は修理のため囲いの中。観光客のお目当ては毎正時、仕掛け人形が窓に姿を現す旧市庁舎の天文時計。丁度12:00、骸骨が鐘を鳴らしてパーフォーマンス開始。鐘の音とともに塔の上の窓にキリストの12使徒がゆっくり現れ、消えて行き、最後は鶏がコケコッコーと鳴いて終了。この間30秒。 昼食は天文時計を眼前にできるグランドホテルプラハのレストラン。魚パテ、スープ、チキンのほうれん草包み、デザートのセットメニュー。贅沢な雰囲気での昼食であった。 13:15 クシーでプラハ城へ。 まずは衛兵と記念写真。直立不動で絶対に視線を動かさない衛兵にはいつも感心させられる。衛兵はチェコの若者の憧れの的。毎年行われる選考会には全国各地の18歳から22歳までの若者が応募し、その倍率はなんと十倍を超えるという。アイドル的な存在で金髪、青い目、長身でスリムが条件のようだ。 城内で最初に目にするのが聖ヴィトー大聖堂。二本の尖塔には圧倒される。高さは97m。 尖塔もすごいが中に入って目にするステンドグラスにも見事。すべてアール・ヌーヴーの画家の手によるもの。三番目のガラス絵はいつも人だかりがしている。チェコを代表する画家アルフォンス・ムハ(日本ではミュシャと呼ばれている)による「聖キリルと聖メトディウス」である。 広大な敷地のプラハ城を散策しながら、カレル橋へ。プラハ最古の石橋。いつも観光客でごった返している。橋を特徴付けているのは両側の欄干に並ぶ30体の聖人像。触れると幸運に恵まれると言われているネポムツキーの像は一部が光輝いている。幸運にあやかろうと願う人がなんと多いかが伺われる。フランシスコ・ザビエル像も日本人にはなじみが深く、多くの日本人がカメラに収めている。 橋の終点から旧市街広場まではショッピング街。最後のイベントはショッピング。旧市街広場の一角にある"免税店ERPET"に案内してもらう。買い物に無縁なので、ぶらぶら歩きをしていると、免税店のすぐそばになんとシーフードのスナックがあるではないか。生牡蠣を魚にワインでのどを潤したのは言うまでもないこと。 夕食は最後の晩餐にふさわしい一流レストラン「パルナスParnas」。 カレル橋近くのヴルタヴァ川に面したレストランであった。スープ、ビーフ、デザートのセットメニュー。雰囲気もワインも申し分なし。乾杯の音頭を指名されたが、感無量で言葉にならず、後で挨拶することになった。 6日から11日間、素晴らしいホテル、美味しい料理、ワイン、飽きることのない景色・・・大名旅行をさせていただき感謝、感謝。それにもまして何よりのご馳走、贅沢は一緒に旅した人たちと語り合い、飲み合ったことだった。またどこかでご一緒する機会があるでしょう。その節はよろしくお願いいたします。 39) プラハ旧市庁舎広場 40)プラハ城 正門 41)プラハ城衛兵と記念写真 高岡智子さん岡田淳さん 42)プラハ城 聖ヴィトー大聖堂のステンドグラス アルフォンソ・ミュシャの作品 43)プラハ旧市庁舎展望台からの街並み 44)プラハ モルダウ(ヴルタヴァ川42) 9月17日(月)08:00 朝食,ホテルレストラン。 09:30 日本に帰国の11人をホテルで見送り 10:00 タクシーでホテル出発 11:26 プラハHolesovice駅発 EC171列車 18:17 ブダペスト ケレティ駅着 |
文責=小松裕文
写真=丹羽孝爾/絹子 小松裕文/慶子