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ポーランド・ワルシャワ在住の高嶋俊政/正子夫妻からベルリン、ポツダムへの旅の誘いがあった。 夏休みの旅行に同行しないかとの誘いだった。 俊政さんの夏休みの日程からポツダム滞在は8月07日〜10日までの3泊4日。 それ以外の滞在先はワルシャワの高嶋宅で決めようということで、とりあえず8月1日の出発になった。 |
8月1日(水)この日の予定はクラクフまで行き、チェルトリスキ美術館でダヴィンチの「白藐を抱く貴婦人」を鑑賞すること。7:00 自宅を出発。国道2号線(E66号)を北上。ヴァーツVac(HUN)を通過。 8:35 パラサプスタParassapusztaでハンガリー・スロバキア国境を通過。 スロヴァキア国内で通過した町はクルピナKrupina,ズヴォレンZvolen,バンスカBanska,トルスレヴァTrsleva。 途中で道を間違えて約100Kmのロス。 15:00 スロヴァキア/ポーランドの国境通過。 16:20 ラブカーズドイRabuka・Zdojの町を通ってクラクフ到着。 この日の宿泊はペンションウローナWrona。 クラクフについてから市内で探すこと2時間30分。 19:00 何とかペンションに到着。 8月2日(木)9:00 ペンション出発。中央市場広場と織物会館見学。 広場は旧市街の中心にある総面積4万平方キロの広大なもの。ヨーロッパ最大規模のもので、中央には織物会館=スキェニツェと呼ばれる細長い建物がある。クリーム色の建物は長さが100mもあり広大な広場にふさわしい建物だ。14世紀に建てられたものだが、当時は衣服や布地の交易所だったことからこの名前がつけられた。 美術ファンのお目当てはチャルトリスキ美術館だ。レオナルド・ダ・ヴィンチの数少ない肖像画の「白テンを抱く貴婦人」は代表的な所蔵品。この一点を目当てに来館する愛好家も多い。残念ながら今回は時間の関係でパス。 10:00 クラクフ出発。 国道7号線=E77号線をひたすらワルシャワへ。 16:00 高嶋宅へ到着。静かな住宅街の一角にある広さ140uのマンション。 No02-01 中央市場広場と織物会館/クラクフ・ポーランド No02-02 ヴァヴェル城/クラクフ No02-03 ワルシャワへ向かう道で休んだレストランの庭 8月3日(金)ヴィラヌフ宮殿へ。町の中心から20Kmのほどの郊外、広い公園の一角にある。フレンチガーデンに囲まれた宮殿は美しいバロック様式。黄色の壁の建物には様々な彫刻が施されており、これらを眺めているだけでも楽しい。 この宮殿は17世紀に当時のポーランド王ヤン3世が建てた夏の離宮。それだけに内部の装飾と家具、調度品も豪華そのもの。歴代の所有者のコレクションや肖像画共々博物館の展示品として公開されている。 昼食は典型的なポーランド料理。ジューレックZurekは発酵したライ麦を使った少しすっぱいスープ。 具としてソーセージが使われていた。 プラツキはジャガイモのパンケーキ。鶏肉とキノコの煮込んだソースが掛かっていて、ヴォリュームたっぷり。 夕食は旧市街の一角のバルバカン近くのパブ風レストラン。バルバカンは15〜16世紀に作られた円形の防塁。火薬庫や牢獄として使われていた。現在は旧市街から新市街に出る出口の城門を兼ねており、内部には小さなみやげ物屋が入っている。 No03-01 ヴィラヌフ宮殿/ワルシャワ No03-02 バルバカン/ワルシャワ No03-03 ワルシャワのシンボル・人魚像 No03-04 旧市街市場広場/ワルシャワ 8月4日(土)二日間のワルシャワ滞在を終えて、高嶋夫人と3人でグダンスクへ向かう。7:00 高嶋宅を出発。 12:30 グダンスク到着。 14:00 インフォメーションで紹介してもらったペンション到着。 ベートーベン通のペンション・アアンは静かな住宅街の一角。 町の中心まではバスで10分の距離。英語はまったく通じないが人のよさそうなおばちゃんが対応してくれた。 早速市内見学へ。 グダンスクはポーランド北部、ヴィスワ川がバルト海に注ぐ河口のデルタ地帯に発達した港湾都市。人口50万人弱。歴史に名を現すのは997年のこと。ハンザ同盟の一員として13〜14世紀に繁栄を極めた。バルト海の要衝として栄えたグダンスクはヒトラーのナチスドイツの標的になり、第二次世界大戦勃発の地となった。大戦中グダンスクは独ソ戦の激戦地となって市街地の90%が焦土になったといわれている。 ソ連の影響下にあった1980年レーニン造船場で一労働者に過ぎなかったワレサ(前ポーランド大統領)が労働組合を結成し「連帯」運動を始め、これが後のベルリンの壁崩壊まで続く東ヨーロッパ全土の民主化運動へとつながっっていった。 中世そのままの旧市街、運河沿いの街並みはグダンスク散策のメインコース。 城壁の門ブラマ・ヴィジンナBurama Wyzynna=高い門、ズウオタ・ブラマzuota Brama=黄金の門 市庁舎 ネプチューンの噴水のあるドゥウーギ広場=長い広場、商人会館「アルトウスの館」、聖マリア教会など見所は多い。 運河沿いの散策路には魚のフライを出す屋台が軒を並べており、冷えたビールや白ワインでやるのも悪くない。 但し魚はヒラメやカレイの冷凍もの。 ドゥウーギ広場は旧市街のへそとも言うべき場所で中世貴族の住居が軒を連ねており、中世にタイムスリップの雰囲気。 ネプチューンの噴水は町のシンボル、この広場の一角、市庁舎のすぐそばにあり、人気のカメラスポット。 No04-01 新モトワヴァ運河/グダンスク No04-02 ドウウーギ広場/グダンスク No04-03 中世貴族の館/グダンスク No04-04 グダンスクのシンボル/ネプチューンの噴水 No04-05 運河沿いの屋台レストラン/グダンスク 8月5日(日)この日も特に決めた目的地はなく、海岸をドライブして気に入ったペンションに泊まろうということで出発。9:00 ペンション・アアン出発。 グディナGdynia レダReda レボルクRebork を通って12:00ウエバLeba到着。 ウエバは人気の海水浴場、ワルシャワから多くの観光客が訪れる。駐車場はどこもいっぱい、さながら最盛期の湘南海岸といったところか。 ようやくホテルネプチューン(四星)の駐車場を見つけて駐車。 昼食はホテルのレストランで海水浴客を眺めながらとることになった。 昼食後、数箇所のペンションを当たったが全く空き部屋なし。次の町でこの日の宿を探すことになった。 13:30 ウエバ発。ワツコWacko、スルプスカSlupskなど海岸沿いの小さな町を通って15:00ウストカUstokaの町に到着。 幸いにもこの町でホテルアルガAlga=二星=に部屋を確保。 ウストカの町はやはり海水浴中心の静かなリゾート地。夏場だけの観光地と想像できる。 夕食は例によってシーフードレストランを探すが全然見当たらずがっかり。 町中のレストランでスープ、魚のフライ、肉の盛り合わせのありきたりの夕食。 夕食後港へ。 港には多くの観光客がバルト海の夕日を眺めに訪れていた。 No05-01 ウエバの海水浴場/バルト海の町 No05-02 ウストカの海岸/バルト海の町 No05-03 ウストカの船着場/バルト海の町 8月6日(月)この日はバルト海の海岸をドライブしながらポーランド/ドイツの国境の町シフィノウィシチェSwinoujscieを目指すもの。9:30 Ustka出発 道順はRoot203--Datovo--Koszaline--Root6--Karlino--Root163--Ketobrzeg--Mizezino--Root109--Tibialow--Root102--Reval 13:30 レヴァルReval到着。昼食はシーフードレストランを目論んだが見つからず、マスのグリルとツナのサンドイッチ。 全く町のレストランと変わらず、少々がっかり。 15:00 Reval出発。 16:00 フェリー乗り場着。シフィノウィシチェSwinoujscieの町はフェリー(無料)を使わないと入れない。 17:00 Swinoujscie着。直ちに宿探し。ペンション、ホテルを10数か所当たったが、すべて満室。 ようやくHotel Atolに空室を見つけたのは18:15のことだった。実に2時間の宿探しだった。 シフィノウィシチェはドイツとの国境の町。人口41,000人。ポーランドのほぼ最北西のリゾート地。夏は西、北ヨーロッパから大勢の観光客が押し寄せる。ベルリンへ160Km、スエーデンへ175Km、デンマークへ150Km。スエーデン、デンマークへはフェリーが発着している。 この町でもシーフードの店を探すことができず、ホテルレストランで牛肉、豚肉のステーキの夕食。イワシの塩焼きかゆでたエビで冷えた白ワインをやる目論見は潰え去ってしまった。 ※ポーランドのバルト海には何故漁村がなく、魚市場がないのかワルシャワ在住の高嶋さんに伺ったところ、次のような理由を寄せてくださった。 「ポーランドの現地職員に調べてもらった結果です。公的な公表のものではないですが信憑性はあります。ポーランド人は魚を食べる習慣が少ないこと。特に生魚は食べない。従って魚を獲ってもニーズがないので漁村としてなりたたない。またポーランドの北部の海域では海水中のよう素分=魚にとっての栄養源=が少ないため魚が少ないという説もある」 No06-01 コザリンの町で見かけた教会/バルト海の町 No06-02 シフィノウイシチェへ渡るフェリー/バルト海の町 No06-03 シフィノウイシチェで見かけた教会/バルト海の町 8月7日(火)この日はすでに予約済みのポツダムのホテル・アルトテルHotel Artotelまでのドライブ。このホテルでワルシャワから列車で来る高嶋俊政さんと合流予定。 9:00 ホテル発 9:10 ポーランド/ドイツの国境到着。 残念ながらこの国境は歩行者と自転車専用。自動車の国境通過はセチェチンScczcinからとのこと。 9:30 フェリー乗り場。国道3号線(E65号線 途中から高速道路)経由で 13:00 Szczecinの先のKolbaskowoで国境通過。ドイツではこの道路は高速11号線(E28号線)に名称変更。 14:30 ポツダムのホテル・アルトテル到着。 ホテルはハーフェル湖に臨む近代的なホテル。 三泊以上滞在すると通常料金の半額で宿泊できるということで俊政さんが予約を入れてくれた。 18:00 高嶋夫妻と夕食を兼ねて市内観光のためホテル出発。 歩くこと30分で市中心部へ。ブランデンブルグ門から歩行者天国になっているブランデンブルグ通りを聖ピーター・ポール教会まで散策。 No07-01 ブランデンブルグ門/ポツダム No07-02 ブランデンブルグ通/ポツダム 8月8日(水)この日はベルリン市内観光。9:00 ホテル出発。ホテルの近くの駅からSバーン(ベルリンを発着する郊外電車)でベルリン動物園駅へ。 所要時間30分。 動物園駅から200番バスの中から市内見学。 ベルリンは30年ほど前、社会主義時代だった頃、会社の出張で訪れて以来の訪問。 この日訪れたのはベルリン大聖堂、ベルリンの壁跡、文化フォーラムの絵画館、ウンター・デン・リンデン(菩提樹の下通)、ブランデンブルグ門等など。 ▽ベルリン大聖堂 ホーエンツオレルン王家の記念教会。高さ114mの大天蓋をは第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたが1993年に改修工事が終了して現在の姿に戻った。270段の階段で天井部分に上がれる。ここからのベルリン市は絶景。 ▽ウンター・デン・リンデン 「菩提樹の下」通の名前のが示すように中央部に菩提樹の2本の並木の列を持つ通り。ブランデンブルグ門から王宮まで延びている。 ▽ブランデンブルグ門 ドイツのシンボル的な建物。アテネの神殿の門を模して、プロイセン王の凱旋門として18世紀に建てられた。高さ26m 幅65.5m 高さ11m。砂岩性の古典主義様式。東西分裂時代は門のすぐ側に壁が築かれていたため、この門をくぐることはできなかったが、ベルリンの壁崩壊後は再び通行できるようになった。 ▽ベルリンの壁跡 かつてベルリンを西と東に分断していた壁は同時に西ベルリン全体を東ドイツから孤立した形で取り囲んでいた。全長155Km、最高4.1mの高さがあった。1989年に崩壊した壁の一部は今でもドイツ各地に残されている。東駅Ostbahnhofから徒歩数分の所にも高さ約2.5m、カラフルにペイントされたオリジナルの壁が保存されている。 ▽文化フォーラムの絵画館 第二次世界大戦後、旧西ベルリンのダーレム美術館の所蔵品と旧東ベルリンのボーデ美術館の所蔵品を統合して98年にオープンした美術館。13〜18世紀のヨーロッパ絵画の質の高さは美術ファンにはたまらない。ラファエロのマドンナ、ボッティチェリの聖母子、父ブリューゲルの「オランダのことわざ」 フェルメールの「真珠の首飾りの女」など名画が目白押し。またレンブラントの10余点は圧巻。 N008-01 ベルリン大聖堂 N008-02 ベルリン大聖堂からの街並み N008-03 ベルリンの壁 N008-04 「真珠の首飾りの女」 フェルメール作/ベルリン絵画館 N008-05 「オランダのことわざ」ブリューゲル作/ベルリン絵画館 N008-06 ブランデンブルグ門/ベルリン N008-07 ウンター・デン・リンデン/ベルリン 8月9日(木)この日はポツダム市内観光。特に日本の運命を決めたポツダム会談の行われたツェツィーリエンホフ宮殿Schloss Cecilienhofを訪れることは長年の夢。 この宮殿は1914年プロイセン王国、ヴィルヘルム夫妻のために建てられたもの。英国風の古い館といった感じ。宮殿の名は皇太子妃ツェツィーリエの名に由来するもの。ユングフェルン湖に臨む林間地帯に建つ。第二次世界大戦末期、ドイツの戦後処理と日本を降伏させる策が話し合われたポツダム会談が開かれた場所でもある。スターリン、ルーズベルト、チャーチルが会談した部屋、各国の代表団の控え室などは当時のまま保存され博物館として一般に公開されている。また建物の一部はホテルとして使用されている。宮殿の入り口の花壇にはソ連(当時)の国旗の一部の星がアレンジされており、この会談のホストがソ連だったことを示すもので興味深かった。 サンスーシはフランス語で「憂いなし」という意味で、中国や日本では無憂宮と表記されている。プロイセン王のフリードリッヒU世の離宮として1745年〜47年に建てられた。宮殿の建物、庭園は「ポツダム・ベルリンの宮殿群と公園群」のひとつとして、1990年ユネスコの世界文化遺産に指定されている。宮殿は階段状のぶどう園と温室の上に建てられており、下から眺めた宮殿はブドウ畑とうまくマッチして本当に美しい。庭園は290ヘクタールあり、この中に中国茶館、シャルロッテンホーフ城、オーランジェリーなどの離宮が点在する。宮殿内部はガイドツアーだけでしか見学できない。夏のシーズンで2時間待ちなので内部見学はパス。 ポツダムはエルベ川の支流、ハーフェル川に臨み多くの湖と森に囲まれている。ポツダムの町を川や湖から眺める遊覧船が運航されていると聞いて乗ってみた。ポツダム中央駅の近くに乗船場がある。所要時間1時間30分。可もなく不可もなくといった感じか。でも、水辺の遊覧に関心の向きには、長閑な旅情を駆り立てるので、いい思い出になるかも知れない。 N009-01 ツェツィーリエンホフ宮殿 玄関 /ポツダム N009-02 ツェツィーリエンホフ宮殿の一部 N009-03 ツェツィーリエンホフ宮殿内部 首脳会談の行われた部屋の一部 N009-11 サンスーシー宮殿/ポツダム N009-12 サンスーシー宮殿 N009-13 サンスーシー宮殿 N009-14 サンスーシー宮殿 フリードリヒ大王の墓 N009-15 ニコライ教会/ 遊覧船から ポツダム 8月10日(金)ベルリン、ポツダムの見学を済ませ、高嶋夫妻はワルシャワへ、我々夫婦はハンガリーへ帰国。 帰国途中にチェコの温泉を巡ってみようということで、この日はとりあえずカルロヴィ・ヴァリKarlovy Varyへ向かった。 7:00 ホテル出発。アウトバーン(高速道路)9号線、4号線でケミニッツまで一直線。国道169、173号線でチェコとの国境を目指すものの途中地図を見間違え、大きくロス。再度アウトバン72号線国道169、101号線、アウAue経由で13:10ドイツ/チェコの国境へたどり着く。 チェコの国境を越えた一帯はボジ・ダールBozi Darという有名なスキーリゾート地。国道25号線で15:00カルロヴィ・ヴァリ到着。すぐにインフォメーションを見つけて予約したペンションの位置を確かめた。しかし係員が住所を間違えて教えてくれたので目指すペンションは全然見つからず、約二時間右往左往。それでも再度問い合わせに寄ったインフォメーションで正しい場所を教えてくれ何とかたどり着くことができた。宿泊はペンション・ボーダンBoadan。30歳過ぎの若夫婦の経営する小奇麗な建物。室内プールも備えられている。 No10-01 ドイツ/チェコ国境で見かけたヤナギラン No10-02 ペンション・ボーダンから眺めたカルロヴィ・ヴァリの郊外 8月11日(土)この日の予定はカルロヴィ・ヴァリ見学をして次の目的地マリャーンスケー・ラーズニェMarianska Lazneまで行くこと。カルロヴィ・ヴァリはチェコで最大であるのは勿論ヨーロッパでもトップクラスの温泉保養地。草津温泉とは姉妹都市。 カルロヴィ・ ヴァリの語源は「カレルの源泉」である。カレルは神聖ローマ帝国皇帝カレル4世のこと。14世紀半ば狩猟中にこの温泉を発見して、そこにロッジを建て自分の名をとってこの土地の名前にしたのがこの町の起源。 Sの字状に流れるエルベ川の上流であるテプラー川沿い色鮮やかなホテル、ペンションなどの建物が両サイドに立ち並んでいる。町中に湧き出る源泉の周囲には華麗な建物が並び、保養者が専用のコップで温泉水を飲みながら散策している。時には温泉饅頭ならぬ温泉ウエハースをかじりながら歩いている人も多い。(日本の風月堂の確かゴーフルというお菓子と似ている。このウエハースはスパワッフルと呼ばれカルロヴィ・ヴァリの代表的なお土産である。直径15Cmほどの2枚のウエハースにチョコレート、バニラクリームなどをサンドしたもの) ヨーロッパの多くの温泉場では温泉は”浴びる”ものではなく”飲む”もの。だからこの町では日本やハンガリーの温泉を期待できない。気楽に一風呂というわけにはいかない。 町中に湧き出る源泉は12箇所あって24時間誰でも自由に飲むことができる。源泉はコロナーダと呼ばれる美しい回廊やパビリオンで囲まれている。 ヴジードロ・コロナーダは間欠泉ヴジードロがあるコロナーダ。カルロヴァ ヴァリも最も人気のスポット。地下2500Mから1分間に2000リットルの温泉水を12Mの高さに吹き上げている。トルジーニ・コロナーダは白いレースのような装飾が美しい。ムーリンスカ・コロナーダは町の中心にあり一番美しいコロナーダ。100本以上の柱の上が支える屋根は12の月(12ヶ月)を現した彫刻が特徴。サドーヴァー・コロナーダ、ドウリズーニー・コロナーダを加えて市内には五つのコロナーダがある。温泉客はラーゼンスキー・ポハーレックと呼ばれるカップで温泉を楽しむ。陶器製で取っ手の部分が吸い口になっている珍しい形をしている。町中で売られており、お土産にするにも大きさ、値段ともが手ごろなもの。 13:00 カルロヴィ・ヴァリ出発。E49号線、国道21号線を通ってマリャーンスケー・ラーズニェへ。走行距離約100Km、所要時間2時間30分。 マリャーンスケー・ラーズニェ(マリアの温泉の意)は人口1万4千人の小さな町。ドイツ語のマリエン・バートの名称がポピュラー。ドイツからチェコにかけて広がるボヘミアの森の中にある。ドイツ国境まで15Km。海抜約650Mのこの町は豊かな緑に恵まれている。先に訪れたカルロヴィ・ヴァリとフランチシュコヴィ・ラーズニェとともに「ボヘミアの温泉三角地帯」を形成している。 町の中心はミーロヴェー広場。多くのホテルやレストランが並び観光案内所もある。通りの反対は緑の公園、というよりもボヘミアの自然がそのまま広がっている。温泉施設で最も観光客、保養客が訪れるのがラーゼニュスカー・コロナーダ。幅12M,長さ120Mの回廊が白い列柱で支えられている。コロナーダ内部には3つの異なった源泉があり、コップ片手にはしご酒ならぬはしご温泉をやっている。コロナーダに隣接して「歌う噴水」がある。時間になると音楽が流れて噴水が吹きだすもの。この町を訪れた著名人は多い。ゲーテ、ショパン、カフカ、ヨハン・シュトラウス、ワグナー等など。ゲーテはここで三回の夏を過ごしているが、この時滞在した部屋が市立博物館として残されている。この館で彼は「マリエン・バートの哀歌」という詩を書いた。74歳のゲーテが19歳のウルリケへ寄せた恋心をつづったもの。 ショパンもこの町をこよなく愛した一人。恋人のマリア・ヴォジンスカとも訪れている。彼の滞在した家も記念館として残されている。 この日の宿泊はペンション・ヴィンチコヴァVincikova。町の観光案内所で紹介してくれたもの。案内所にはこの町のホテル、ペンションのインフォメーシオンが写真入で綴られており、観光客は気楽に選択できる。 No11-01 テプラー川と街並み/カルロヴィ・ヴァリ No11-02 トルジニー・コロナーダ/カルロヴィ・ヴァリ No11-03 サドヴァー・コロナーダ/カルロヴィ・ヴァリ No11-04 五番温泉「エリザベート・バート」/カルロヴィ・ヴァリ No11-05 ヴジーデルニー・コロナーダの間欠泉ヴジードロ/カルロヴィ・ヴァリ No11-06 ラーゼンスキー・ポハーレック(温泉飲み器)売り場/カルロヴィ・ヴァリ No11-11 ラーゼニュスカ・コロナーダー/マリアーンスケー・ラーズニェ No11-12 歌う噴水/マリアーンスケー・ラーズニェ No11-13 ゲーテ像/マリアーンスケー・ラーズニェ 8月12日(日)本日はひたすらハンガリーへの道を急ぐこと。06:50 ペンション出発 07:15 高速道路。 08:20 プラハ通過(出発から158Km) 10:30 ブルの通過(同377Km) 11:20 国境TCH/SLK(同439Km) 11:50 ブラスチラバ通過(同501Km) 12:00 国境SLK/HUN 15:10 Csomor到着(715Km) 今回の旅も思い出深いものになった。ポーランドを縦断し、バルト海沿岸をドライブしたこと。 第二次世界大戦の勃発地グダンスクを訪ね、幕引きの地ポツダム、ベルリンを訪ねたこと。 東西冷戦の象徴ともいえるベルリンの壁、ブランデンブルグ門を見たこと。チェコの温泉地で飲む温泉を体験したこと ・・・・等々。 これからも新たな出会いを求めて旅したいものと願う次第である。 小松 裕文 Hungary |