生きていてよかったー交通事故顛末記

突然の事故


目を覚ましたのはある病院のベッド。昨日のことは悪夢としか言いいようがない。こんな経験はもうしたくないし、ほかの誰にもしてもらいたくないものです。
病院でメモしたことを纏めてみました。事故の顛末とハンガリーでの生活を少しでも知っていただければ幸いです。


 <12月3日土曜日>
17:00頃、楽しかったヴァイオリンの練習からの帰宅途中の出来事。
ブタペスト・英雄広場の近くのトラム1番に交差する横断歩道を歩いている時のこと。(下、写真)
この通りは三車線で車の通行がとても激しい。いつも緊張する通り。
信号が早く変わってしまい、時には途中の安全地帯で次の青信号を待つこともある。
今日も安全地帯で右方向から車が来ないのをしっかり確かめ、「よし、まだ青だ、大丈夫」と渡り始めて3〜4歩。

突然車が出てくるではないか。

「あー、どうしよう、このままでは轢かれてしまう」。

瞬間に二、三歩後ずさったが、避けきれなかった。 

"ドーン"

右膝に激痛、腰から倒れこむ。
一瞬何が起きたか分からない。
安全地帯にいた人たちが数人駆け寄って、抱きかかえ安全地帯のベンチに座らせてくれた。
事故現場
「ああ嬉しい、なんとハンガリーの人は優しいんだ!」
皆、心配そうに覗き込んで、大丈夫かと見守ってくれる。
誰かが携帯で救急車を呼んでくれる。
「有難う。感謝、感謝」 
運転手も降りてきて、青くなっている。
近くにいたハンガリー人に携帯を借りて、ヴァイオリンの先生の聡子ちゃんに電話する。2,3分で駆けつけてくれた。

悪いことは重なるもので、出かけるときに自分の携帯を家に忘れてしまった。途中で気がついたもののバスの出発に間に合わないので持たずに家を出てしまった。

聡子ちゃんの顔を見たときはこれが"地獄に仏"本当に嬉しかった。
「もうすぐ救急車が来ます。大丈夫ですか」と何度も優しい声をかけてくれる。
事故現場の近くに住む聡子ちゃんの友達も駆けつけてくれる。救急車が来るまでに加害者の運転手の住所、氏名、電話、車のNOなどを控えてくれる。
ハンガリーの救急車
待つこと30分、ようやく救急車到着。安全地帯に乗り上げ停車。若い隊員二人が担架に乗せてくれ、右足に当て木の応急処置を施してくれた。
付き添いは一人しか同乗できないとのこと、聡子ちゃんが同乗してくれた。
タンカの取っ手をつかんでいる私の手の上に手をのせてくれる。
暖かい、小雨の中心身ともに冷え切っていたので、ほっとする一瞬だった。
生きているんだ、アーよかった、命拾いをした。
ヴァイオリンも無事だったとか、聡子ちゃんが大事に持っていてくれた。

救急車は途中で別の患者をピックアップするとか。タクシーの乗り合いは聞いたことがあるけど、乗り合い救急車は初めて。いつ病院に着くんだろう。ちょっと心細い。

車椅子に乗ったお年寄りが、頭に包帯をして、真っ青な顔で乗り込んできた。応急処置をして出発。次に乗り込んできたのもお年寄り。明らかにアルコールを飲んでいる。顔や手足に傷、あざがあり、血がついている。一人で喋り捲っている。

車の中は寒く、担架から冷気が伝わってくる。毛布と自分のダウンのロングコートをかけてもらっているが、冷たくて体がガクガクする。

二人目の患者が乗り込む直前に、聡子ちゃんが何か煙に気づき運転手に伝える。電気回路がショートしていたみたい。
「もっと早く言ってくれよ」という。
電気を切ったから大丈夫と言う。車の中はますます寒い。窓が空けられている。聡子ちゃんが毛布の追加を頼んくれたが、毛布は品切れ。
救急隊員が自分の着ている赤いジャケットを脱いで、これが最後だと言って掛けてくれた。やさしい笑顔だった。

病院は近いと言われたのに、あちこち走って1時間以上は乗っていた気がする。がたがた道や石畳の上をサイレンを鳴らし、スピードを出して走るので大変。担架の取手を両手でしっかりつかんでいないと振り落とされそう。緊張で肩がバリバリ。本当に疲れた。
病院に着いたときは、足の痛みより救急車から解放されることが嬉しかった。

病院はアルパード コルハーズ(病院)
病院に着いたときには夫(ヒロ)と聡子ちゃんの友人がすでに待っていてくれた。
やさしい笑顔が嬉しかった。ヒロはテニス仲間との忘年会だったのに、悪かったなー。

友彦君も来てくれた。ハンガリー語/日本語が話せるので大助かり。彼はすぐに警察に連絡してくれた。

救急車の担架から病院のベッドに移され待つこと30分。患者がいっぱい。
医者や看護婦が私を眺め、足か、それならしばらく待っても大丈夫という顔をしている。
病院も寒い、悪寒がする。
ようやくレントゲン室へ。頭、首、背中、腰、大腿骨、右足とレントゲン写真を撮っていく。
両足の膝、足首も撮って、傷の部分は両横からも撮影。
怪我をした箇所はすでに腫れ上がり動かすと激痛がする。ドクターと看護婦が石膏で固めて動かないように固定。
しばらくしてレントゲン写真で骨折を確認。骨の表面が割れいくつかの破片になっている由。骨本体には異常がないらしい。不幸中の幸い。

警察が事情聴取に現れたのは連絡してから1時間後。
場所や状況を絵で説明。
加害者の運転手、救急車の運転手が警察に通報しなかったことを重視していたようだ。
聡子ちゃんが救急車の運転手に何度も念を押してくれていたのに。
最後に告訴/起訴?しますかと聴かれた。
意味がよく分からなかったけど友彦君のアドバイスで取りあえず告訴/起訴?すると答える。

病室は5人部屋。
暖かくてようやくほっとする。痛み止めの注射をおへその横に一本。消毒ガーゼで拭かないでいきなりブスー。アー痛い。
飲み薬も飲んで横になるけど、痛みと興奮でなかなか寝付かれない。トイレが一番つらい。
ベッドの上で用を足すのは初めて。

病室に移され、一段落したところで10時過ぎ、ヒロは着替えや洗面道具など当座必要なものを取りに家まで。
この間聡子ちゃんと友人はずーと病室の外で待機していてくれた。
長時間本当に有難う。
二人が駆けつけてくれなかったら、どんなことになっていたのか・・

ヒロが戻ったのは12時過ぎ。長〜い一日が終わった。




事故の翌日


<12月4日 日曜日>
5:30 
看護婦さんが「ヨー レゲルト(おはようございます)」と声をかけ、カーテンを開けてくれる。
まだ真っ暗。

6:00
起床のチャイム。トイレを片付けてくれる。体温は38.5度だった。
一人ずつ様子を聞いてくれる。病室は5人部屋。同室人は老婦人二人。自分で動けない人。昨夜は遅くまでうるさくして眠れなかったのでは、ご迷惑をかけてしまいました。

8:00 
朝食。プラスチックの丸皿に、丸いパン2個、蜂蜜、マーガリン、コーヒーまたは紅茶。すでに砂糖が入っていて甘くて飲めない。シンプルな食事。食欲がなくパンは半分だけ。ヒロが昨夜届けてくれた我が家のりんご半分を食す。

9:00 
聡子ちゃんがまた見舞ってくれる。昨夜も12時過ぎまで病院にいてくれ、疲れているでしょうに。救急車に乗るなどしなくてもいい経験までさせてしまって恐縮。本当にやさしいお嬢さんだ。ハンガリーにもう一人娘ができたみたい。
スリッパ、ごみ袋、日本製のど飴、みかん、ペンと白紙、パワードリンクと温かい心づくしの心心遣いに感激。何かほかに必要なものはありませんかと尋ねてくれる。お言葉に甘えて下着やパジャマをお願いする。

10:00頃 
加害者の運転手が見舞いに来た。ルーマニア人らしい。費用は全部負担するから告訴しないで欲しいと頼まれる(聡子ちゃんの通訳)
ヒロと友彦君にまかせるしか仕方がない。昨夜は60歳位に見えたが、もっと若く40代。

逃げるつもりは毛頭なく、何をしていいか分からなかった。昨夜は心配で全然眠れなかったとか。名前はソース・イムレさん。

昼食
ライスに鳥肉のロール、つけもの。少しだけ口にした。ヒロが持ってきてくれたおにぎり(塩味が足りなかったけど、梅干入りで美味しかった)ゆで卵も美味しかった。

午後
腹部に注射。(多分痛み止め)看護婦さんが「キナイ?(中国人)」ときくので「ヤーパン(日本人)」と答えると、表情が急に柔らかくなり、笑顔でヤーパンといって優しくなる。どうしてだろう?

17:00
加害者夫妻が見舞いに訪れる。奥さん、とても感じのいい人。涙ぐんでいた。子どもが二人、建設作業の手伝いが仕事とか。テスコで買ったクッキー、桃ジュース、オレンジを差し入れてくれた。

17:30 病院食
夕食 丸いパン1個。付け合せにNatur Szendvickrem 100g.四角のトレーにラップでしっかり包んで配られた。手を出す気にならず、ヒロが持ってきてくれたおむすびとゆで卵をいただく。ヨーグルトが美味しかった。

18:00
4人目の患者入院。よく太ったおばさん。先輩の入院患者にあれこれ話しかけ、急ににぎやかになった。
その後、若い女性が入院。満室に。女性は左足の膝が痛そうだが歩くことはできる。どうして入院するのかなーという感じ。
部屋の中に新鮮な空気が流れ込んで、あーいい気持ち。若い女性がベッド脇の窓を開けてくれたのだ。
検温。37.8度。微熱あり。飲み薬(多分痛み止め)服用。

19:00頃
ヒロから電話。シャンドルさん3と話ができ、明日(月曜日)スポーツ病院院長に転院を頼む由。よかったー。

ハンガリー語ができないので、何一つ自分たちのだけの力で解決できない。
ハンガリーに住むことを決めたのだから言葉は必須。それなのに何の努力もしないできたことが本当に恥ずかしく、悔やまれる。
一人で入院し、言葉ができないことほど困ることはない。さびしい限り。有難うとしか言えず話しかけられても困る。
病院食
あー、どうしようかと思う。日本に帰りたーい。このまま何日間入院しなければならないのだろう。みどりの丘・日本語補習校の幼児部お絵かき教室どうしよう。

今度の土曜日(11日)の補習校学習発表会の参観、楽しみにしていたのに本当に残念。

12月はオペラもコンサートも楽しみがいっぱいだったのにー。ヴァイオリンもやっと体になじんで楽しくなってきたのに、練習ができなーい。家に帰りたーい。夜が長ーい。体がだるーい。足が痛ーい。 
・・・・・・・・・



その後


<12月6日 火曜日>
東駅近くの別の病院に転院。


<12月8日 木曜日>
手術。腓骨の表面が割れていくつかできた破片を金具で固定する2時間の手術でした。
14針縫い、ギブスは使用していません。
執刀してくださった先生はスポーツ病院(ハンガリーのスポーツ選手がよく治療に来る評判のよい病院)院長が推薦してくれた方でした。


<12月13日 火曜日>
退院。


<12月19日 月曜日>
抜糸して現在自宅でリハビリ中です。
右足には体重をかけられないため、松葉つえを使って歩行練習の毎日です。
6週間後にはつえなしの練習開始です。



お世話になった方々


  1. 聡子ちゃん=福間聡子さん 東京芸大を卒業後、リスト音楽院へ留学。2年前からハンガリーテレコム交響楽団で第1ヴァイオリンのメンバー。現在ハンガリーのオーケストラでメンバーになっているのはブタペスト祝祭交響楽団のヴィオラ奏者と二人だけ。二年前から慶子がヴァイオリンを習っている。東京都出身。

  2. 友彦君=広江友彦君 Csomorに牧場を持つ広江昭久さん(雛の鑑別が生業)の長男。母親・エリザベートさんがハンガリー人なので日本語/ハンガリー語の両方を話す。自分の会社を持ち、経営している。私たちが私生活でもっとも頼りにしている青年。

  3. シャンドルさん=Dr.URVARI Sandor 元国際体操連盟の技術委員。1980年代〜90年代に名古屋、東京などで開かれた「中日カップ国際選抜体操競技大会」に国際審判十数回来日。大の親日家。我々夫婦の病気や怪我、事故などのトラブルのとき相談に乗ってくれ、解決してくれる頼もしいハンガリー人。