〜中学校の先生に話すの巻〜

*「ネグロス」はフィリピンにある島のことです*

 

 その1.私が伝えられること     その2.中学校でのてんまつ

 (99・8・12 作成)


 その1、私が伝えられること

 その話を聞いたのは、つい1週間前のことだった。前事務局長のOサン(私がネグロス・キャンペーンに関わるきっかけになった人ね)から電話がかかってきた。「あぶちゃん、2日の月曜日ヒマ?中学校の先生相手に話をして欲しいって依頼が来たんだけど、一緒に行ってくれない?歌を歌おうかと思ってるんだけど、1人じゃ歌いにくいから一緒に歌ってほしいのよ。」と言う。歌とは、カラバオの歌(カラバオというのはネグロスの水牛のこと)とバナナの歌である。カラバオの歌は、本場!フィリピンや日本でもみんなで歌ったことがあったし、バナナの歌は去年の小学校で劇をした時に、恥ずかしかったけど子どもたちの前で思いきって歌ったことがある。Oさんも歌うことだし、初の大人相手だったけど、別段いいかなと思い、「行きます」と返事をした。問題があるといえば、前日の1日夜に、私は野外ライヴを見に福岡へ行っていることだ。でも日帰りだし、バタバタするのは慣れっこなので、何とかなるだろうという、いつものパターン(←これがコワイ)で、ちょっと考えた後、OKしたのだ。

 その数日後、ネグロスキャンペーンの夏休み突入コンパがあり、その時にOサンから、「歌と、あと5分くらいの時間あぶちゃんもしゃべってね。」と言われる。えええ〜!ちょっと!って感じだった。その日に帰ってから、何を話そうかな?と考えたけど、5分間という時間もかなり中途半端で、短いようで長いようでやっぱり短くて、案外難しい。

 前日、意外にもというかやはりというか、今回のバタバタは大変なものだった。まあ、結局大変なバタバタになるのは、これもいつものパターンなんだけど。(進歩がないなあ、私。)結局、話の内容を具体的に考え始めたのは、ライブからの帰りの新幹線の中である。
 うーん、うーん、難しい。結局、私ができることは、5月に高校のクラスで話したようなことを伝えることかな、と何となく思った。人前で話すのはかなり苦手なので、申し訳ないが、メモを書き、それを読みながら話すことにした。

 私が(漠然とだけど)話そうと思っていたことは、私は、フィリピンへ行く前は、日本という中から外を見て、「豊かさ」「貧困」をとらえていた。それのとらえかたは、限られた1つの面しか切り取っていない。テレビで放送される外国の子どもたち。教科書や資料に載っている「識字率」「就学率」などのグラフや表など。それでも昔よりは国際協力や国際理解の動きが変わってきて、かわいそうな泣き顔ではなく、笑顔の写真を目にすることは多い。取り扱い方も多角的になってきた。しかし、やっぱり、安心できるぬくぬくとした「日本」という環境の中から、私は、貧しさを見ていた。(それは日本にいる限り拭い去れないものかもしれないけど)

 そんな見方は、フィリピンへいって、私の中でガラガラと音を立てて崩れた。フィリピンで、私はいろんなものを直接見て、聞いて、そして可能な限り、積極的にそこの暮らしを体験した。日本にいた時は、1歩離れたところで、まさに評論家のように遠くから問題を見ていた。しかし、フィリピンへ行ったからには、問題は問題でなくなり、常に本当の現実として自分の横にあるのだ。動かせない現実の前では、それを受け入れることしかできない。日本でテレビで見たら、「ああ、貧しいんだなあ」と思うようなのスラムの風景も、首都マニラで目の当たりにしたら、そこにはそこに住む人がいて変わらない日常があるんだなあ、ととらえることしかなかった。「貧しいんだなあ」なんて傍観はできなかった。そして分かったのは、貧乏な人だろうと金持ちだろうと、日常の生活は誰にでも365日やってきて、みんなそうして毎日生きているということである。毎日生活しているという面では、貧しいことも豊かなことも、切りとって取り上げられるような特別なことではないのだ。ずっと豊かさと貧困は対比している言葉だと思っていた、だが、マニラでは、それが混ざり合って、それが1つの町を構成している。じゃあ、豊かさと貧困って何なんだ?この疑問は、日本に戻ってきてからも、今でも、ずっとずっと私の中でグルグル回っている。
 傍観できなかったこと−そんな経験が、それまで何事も1面しか見てこなかった私の見方を壊し、新しい何かを模索し始めたきっかけのような気がする。

 日本の中から外を見ていた私は、日本の外へ出て、そして今度は外からこれまで日本にいた自分のことを考え、そして日本に戻った。
 いくつも疑問が出てくる。初めは、「どうして、勉強したい子どもが、学校へ行けないのか」という、フィリピンで見た「動かせない現実」についての疑問だった。何かしたいと思った。2〜3年後でなく今すぐに、すべてを捨てて、どっかの国へ行って、どうにかしたくてたまらなかった。それでも思いとどまっていると、今度は、日本とフィリピンの違いを考えるようになった。それは上にも書いたような単なる対極した「豊か」「貧しい」ではない。もっと複雑な何かがあるはずだ。
 そんなことを考えていると、疑問は次第に、今までのように「外」へ向いたものではなく、「内」にばかり向きはじめた。
 フィリピンへ行くことで、多くの現実は知ったが、さらに新しい、たくさんの疑問が自分に向けられる。答えが見えない。
 私って、何だろう。今まで何をしてきたんだろう。・・・答えはなかった。残念なことに、その時私は、ただ虚しくなるだけで、はっきりしていたのは、私はこれまで何年も生きてきて、何も得ていないということだった。(実際はそんなことはないのだけれど、)その時は、そう感じた。

 自分を知らなきゃなあ、ぼんやりとそんなことを考え始めた。
 その頃から、もう、大学を休もうという気持ちは起こっていたのかもしれない。
 もし、休みを得たら、私は何をするだろうか、風のような疑問が、軽く私の頭の中にふっと浮かんだ。しばらくの間、私の頭ん中をぐるぐるぐると渦巻くもの。そこから何か糸口がほしかった。

 新しい気持ちが生まれた。「とにかく何かやってみよう、この体で体験したい!」頭でゴチャゴチャ考えるのはもううんざりだった。
 そして私は、今までやったことのない農業を体験したいと考えた。気持ちが決まれば、後はもう動くだけ。周りのいろんな人に自分の気持ちを話し(つまり頼るところは周りに頼る!)なんとか決まって、「お願いします」とお願いをして、結局2ヶ月くらいは県内の酪農家で住みこみでお世話になった。

 そこでの話は別として、そんな風に、国際協力というと、どこか外に対象があって、そことのつながりを考えたり、楽しんだり、という活動だと思っていた。確かにそれが目的であり、活動のメインである。しかし、深く関わってみると、外に感じた疑問は、いつのまにか自分に返ってくる。
 私はそれに敏感になりすぎたのかもしれない。何も大学を休んでまで・・・と思う人もたくさんいるだろう。だけど、まだ自分の将来の決まらない、でももう大人にならなきゃいけない、そんな宙ぶらりんの時期だったからこそ、そうせずにはいられなかったのかもしれない。自分が自分でいたかった。そして恐れもせずに行動してしまった、または、行動できたんだと思う。実際、休学したことは両親や大学や先生に迷惑をかけ、私自身も相当苦しんだ。でも今は、自分でも予想しなかった方向へ行っちゃったけど、やってよかったなあって思ってる。

 そんな私は今、学校の先生を目指そうとする自分をどこか冷ややかな目で見ている。自分は何をしたいのか、まだ迷い中なのかな。

 最後の一文は抜いて、上に書いたようなことを伝えたかった。ちっぽけな自分が人に伝えられることって、どっかで読んだりっぱな考えではなく、どうやら自分が経験して何か深く感じたことしかないらしい。

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 その2.中学校でのてんまつ

 で、実際はどうだったのかというと・・・
 当日の朝、Oさんの車に乗り、中学校へ。Oさんはフィリピンの民族衣装を着てくるという熱の入れよう・・・すごい、でも白くて素敵!車の中で、初めて今日の流れを聞いた。どうも、私が話すのは、さらっとフィリピンへ行った時の感想を言うだけで良かったみたい。でももう考えてしまったので、まあ、考えたことを話そうか・・・。話の内容を考えるのに、結局、新幹線の中では時間が足らず、前の夜遅くまで悩んでいたので、私はまだボーっとした頭でそう思った。
 そして初めて歌の練習をする。でも1つはテープがないらしい。ああ、ぶっつけ本番はいつものこと(T-T)

 学校に着くと、担当の先生が暑いのに外で迎えてくれた。校長先生にご挨拶した後、会場の図書室に風景画やバナナの絵を貼り、スライドをセットする。その後で校長室へ通される。どうやら、各学校の同和教育担当の先生の集まりみたい。ふむふむ。100人来られるらしい。ふむふむ。直前にそんなことを知っても、あまり慌てなくなった私・・・。慣れてきたのかな?
 校長先生はとてもいい感じの方だ。担当の先生はOさんの知り合いでこの方もいい感じの先生だ。Oさんの話と聞いて、これまた知り合いの別の学校の校長先生も、来られていた。この方もいい感じの方だ。つかの間の話はおもしろかった。

 もう1度会場へ行って、残りの準備をして、具体的に今日の流れをOさんからもう1度聞いて、いよいよ!Oさんの話が始まった。

 う〜ん、正直言って、学校の先生って、反応がない。これはつらいよ〜。横で聞いてるだけの私でさえチョット苦しかった。「みなさんの中で、フィリピンへ行かれたことのある方?」「シーーン」「では、みなさんの学校で、フィリピンから来られている生徒さんのいるところはありますか?」「シーーン」「ではフィリピン以外の外国から来られている生徒さんがいるところは?」「・・・シーーン」
 ううっ。つらい。本当にいないのかな?それにしても、もうちょっと反応してくれ〜〜!Oさんの方を見ないで、下を向いて資料を読んでいる先生も何人かいる!
 Oさんって、すごく素敵で、話に引き込まれるような人なのに!みんな!もったいない!(と私は心の中で叫ぶ)
 Oさんは困って、話の中で、「◯◯なのよねえ、あぶちゃん?」と同意を求めてくる。はは、こんな時のOさんは困っている時なんだなー(^^;)はははー(^^;)

 しかし、そんな状態も、Oさんが自分の来ている衣装の話になって、すこし雰囲気が和らぐ。さすが女性の先生が多いだけのことはある!

 さらっとカラバオの歌を歌う。う〜ん、我ながら緊張せず、声も出ていた。安心した。(得意げ)

 歌があり、ネグロスバナナの実物&話があり、ネグロスの黒砂糖で作ったかりんとうをみなさんに食べてもらい、結構、堅くない飽きない内容だったのに、でもやっぱり、先生方はどっか表情が硬いような気がする〜〜。うう〜〜。なんでーーー!?

 Oさんは、先生方の反応が気になるみたいで(確かに気にしすぎたというのもある。でも前で話すからには何か反応が欲しいもんねえ…。)前半の話が延びてしまい、後半予定していたスライドはカット。

 バナナの歌を歌った。ああ、小学校の劇がなつかしいーー。

 そして私の5分間の話になった。話し始めたが、上手く口が続かない!しまった。準備の時間がなく、メモがあるからと思って、練習してこなかったのがダメだった。
 伝えたいことが口から上手く出ない!あれれれ?と自分で思いながら、でも言わなきゃと、頭に浮かぶことをべらべらしゃべって終えた。メモがあるのに、何が大事なことなのか自分でも分からなかった。
 う〜ん、「結局国際協力って、外に向いているようで、自分に返ってくるものでした」、って、伝わったかなあ?
 しかも、その後にOさんの最後の話が続くはずだったのに、Oさんは「今のあぶちゃんの話で、私が最後に言いたかった「私たちが主語のNGO活動」が伝わったと思います。」で終わっちゃったよ。 
 え?よかったのかなあ?それにしても、「私たちが主語のNGO活動」か・・・。いい言葉だなあ。それがうまく先生方に伝わったかな?伝わったのならいいんだけどなあ。

 はあ・・・。会場から校長室へ帰るときに、「今回の5分間の話は、慌てて失敗した!ああ〜〜!」って、Oさんに話したら、Oさんも、「そうよねえ、私もそうだったの。これだけは言わなきゃ、ってことはメモしてるのに、それを言えないのよ。そんなことが3個所はあったのよ」と言ってて、不思議な共感(?)を覚えた

 でもOさんって、今まで何回もいろんなところで話してる人なんだよ!?今回だってすごくよく話してたのに!でもそんなOさんでも、毎回「しまった!」て思うことはあるんだって!ほっとした。
 私も、少しずつうまくなっていけたらいいなあ。

 かりんとうや黒砂糖など持ってきていたので、この後、もう一回会場へ戻って、買ってくださる先生に売った。そしたら、そこでは先生方、とっても元気で、いい表情をされていた。
 なーんだ、元気じゃんかー!良かった。でも、その反応をちょっと早く見せて欲しかったなあ・・・(ボソボソ)。よし!今度こんな機会があったら、先にバザーをしよう!・・・ってそんなわけにはいかんか・・・。

 お弁当がついてくるという話を、事前にOさんから聞いていたので、校長室へ行って見ると、何と用意されていたのは、お寿司だった!へ??って思った。ス、スゴイぜ・・・。校長先生と、別の学校の校長先生と、Oさんと、私と4つ用意されてある。

 話をしながらいただく。ネグロスのこと、地域での活動のこと、岡山での学校での取り組みのことetc...。結構緊張するので、一生懸命食べる。ひたすら一生懸命食べる。おいしい・・・かな?果物までいただく。「おいしいですねえ」とか言いながら、さっきの5分間の時のドキドキもまだ鮮明なまま、むしゃむしゃ食べる。 

 話はおもしろい。私たち4人以外にも、担当の先生など他に数人の先生がいて、「うまく言えなかった〜。」と落ち込むOさん(&私)に、「そんなことない。他では眠くなるような堅くて難しい話をする人もおるんじゃから〜」とか言ってくださって、おもしろかった。

 あっという間に、程よい時間が来て、たくさん食べ終えて、荷物を積んで、学校を去った。
 担当の先生は,私が教員採用試験を受けたばかりと聞いて、「がんばって先生になってな!」という言葉をくれた。ありがとう。また会えたらいいな!

 暑い帰り道。車のクーラーはあまり効かず。
 「帰りにどっかで休憩して行こう!」というOさんの提案で、アジアの飲食専門店へ行く。名前を忘れたけど、ヨーグルトのような味のジュースが半分凍ってる飲み物をいただく。ベリウマ。Oさんが頼んだ大きいサンドイッチも半分いただく。
 
 「なんか、ほっとするねえ・・・」とOさんが言った。全く私も同じ気持ちだった。このリラックスは何なんだ!?そしたら、Oさん、「やっと食べたって感じがする・・・」だって。おかしなことに、全く私も同じ気持ちだった。結局、「あそこで食べたお寿司は、食べたけど緊張で食べた気がしなかった」のだ。しかも2人ともそう感じていたのだ。おかしくて大笑いする。
 だって、食べるのに一生懸命になってたんだもん!私たちって、すごい、小市民??
 あー、もったいねえー!私なんて学生の身分で、お寿司なんてめったに食べらんないよ!今ここに持ってきて食べたかったって気分なの!

 そうして、車で家まで送ってもらって、Oさんは仕事で、社会人は大変だなあと思いつつ、私はまたいつものグータラな学生生活に戻ったのでした。

 〜おわり〜

 *どうでしたか?ご意見聞かせてください


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