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 3/14 夕方 バンコク着
     夜  タニヤ通りとパッポン通り
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 関空を出発し、日本からタイのバンコクへ向かっている。

 機内放送で、初めてきちんとタイ語を聞いた。これが「柔らかい」と絶賛されているタイ語なのか。
タナカ先生の書いてくれた「タイ語講座」も結局あまり読まずに来てしまった。先生ごめんね。


 到着直前、飛行機から見えるバンコクは、日本の風景とあまり変わらい印象を受けた。まるで日本の田舎みたい。
そのためか、カルチャーショックは感じなかった。


 そしてとうとう、バンコクに着いた。暑いけれど日差しが弱い。

 空港に入った。
 タイの文字はクネクネしていてまるで何かの模様みたいだ。おもしろいけど、さっぱり意味が読み取れない。 

 なぜか手続きに時間がかかり、同刻に到着する予定の東京組を探したが、見あたらない。どうやら成田便は到着が遅れているようだ。

 待っている間、周りをキョロキョロ見た。「東南アジアの空港」と言えば、タクシーや荷物持ち、客引きが多いのかと思っていたけれど、全然そんなことはない。後で聞くと、ここ数年で空港内を整備するようになったそうだ。そのせいか、空港の中にいるだけではタイに来たという感じがしない。変にきれいでおとなしくて、やっぱり日本に似ているな、と感じた。

  ちなみに、ここでタクシーをとる際は、空港内の受付で頼むのが少々高くとも安全なのだそうだ。空港の外で拾うと危険らしい。


  しばらく待つと、目の前にタナカ先生率いるリッキョウ軍団が現れた。本当にタイで先生に会えたんだなーと改めて実感して嬉しくなる。
私に東南アジアやNGOという世界を教えてくれたのがタナカ先生だ。「卒業旅行で先生とタイに行くこと」は私のささやかな夢だったのだ。
 
 ところで、この旅を振り返ると強烈な思い出ばかりのリッキョウのみなさんも、この時はフツーの印象だった。
 先生以外はみんな初めて会う人ばかりだったから、私ははじめ緊張していた。以前よりインターネットの掲示板では交流しているけれど、果たして誰が誰だろう?
 
 でも、この日の夜にはもうみんなと仲良くなれたんだよね、あの「珍事件」も功を奏したのかな??


 タイは本当に安全だと思う。その辺に荷物を置いていても、わりと平気っぽい。(でも置いてはダメよ)

 Exchangeで円をバーツに替えた。1バーツ約3円。

 バンコクで泊まるYMCAホテルに向かう前、「着くまでに車で1時間くらいかかる」というので、空港でホットドッグを買った。
 まさか、タイで初めて食べるものがホットドッグとはね。そしてまさか初めて目にしたお店がファミリーマートとはね。コンビニと言えば、フィリピンにもセブンあったけど…。

 YMCAまで車で移動中に、誰が誰かを当てるゲーム(という程でもないが)をした。しかし、意外に、そう簡単に当たるものでもない。先生のヒントを得て、やっと顔と名前が一致した。

 YMCAホテルに着いた。ジュンちゃんが同室だった。この時はおとなしい人だなあと思っていた。でも、実は………。

 夜、みんなで街に出てストリートを歩いた。
あやうく車にひかれそうになった。バンコクの交通事情を「体験学習」したよ。なるほど・ザ・ワールドよ。「前の人について行かない」「自分の身は自分で守る」(タナカ家家訓)

 ストリートにはたくさんの店が並んでいて、タイ語に翻訳された日本のマンガもよく見かけた。


 夕食はストリートでタイの麺を食べた。麺も具も自分で選ぶ。おいしかった。こちらでは、シンハービールというビールがある。ゴールドとシルバーの種類があって、少し高いがゴールドの方がおいしいらしい。シンハーゴールドで「シンゴー」と呼ぶ。

 その後も街を歩いた。女性たち(たまにオカマさんも)がずらっと並んでいる系のお店も多く、そういう店の看板には日本語も見られる。しかし、誰かが言っていたように、男性がずらっと並んでいるようなお店ももっとあっていいはずだよね。確かに。

(注:軽く冗談を書いてしまったけれど、買春・売春問題には、多くの日本人も関っているという問題がある。騙されて連れてこられた10代前半の少女達が被害にあっている現実もある。)

 YMCAホテルに戻り、一足早く北部チェンマイに居たリコちゃんも合流して、みんなで先生の部屋に集まった。そこで珍事件1号発生。すごいものを見た(書けない〜)。この夜からみんなのことが分かり始めた。

そして世界は広がった。

つづく