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ところで「自分」て何!!?
ちょっと自分を考える
ちょっとしりあすに考える



ところで自分て何!!?

自分て? 「自分」てなんだろうね。自分自身で思ってる「自分」、他人が思ってる「自分」。違う「自分」がある。さらに、左脳と右脳とは全く反対のことを考えているという。だとしたら、自分自身で思ってる「自分」ってのも不安になってくるね〜。

まあ、確かに確固として「自分」てものは存在してる。だけど、それはありのまま把握することは不可能で、自分でこんなもんだと思っている「自分」、他人が思ってる「自分」というように見え方が変わってくるものなんだろう。ありのまま見えているのは神さまのみ…

また、「自分」てやつは、いつも一定のものじゃなくて経験を重ねるにつれて成長(退化もあるか…)していってて、どんどん変わっていっている。ただでさえ、分からないのに…

汝自身を創れ!? しかししかし、だからといって「ああ、そんなのわかんね〜から、考えるのはよそう」って片付けてしまうのは寂しいし、つまらない…とは思いませんか???

行き当たりばったりででてくる自分に頼ってばかりいないで、「おぉ、それはいつもの君らしくないね〜」「ナ、ナント…君はそんなこともやりえたのね!」と自分自身を傍らから観察する自分になってみるのは楽しいもんです。

さらに、「自分」を観察しているうちに、ちょっと進んで「自分」をコントロールする、さらにさらに、新しい自分を意図的に創り出す、ということもできるようになんじゃないか!?

よく、「本当の自分」ということがいわれます。「あれは本当の自分じゃなかったんだ〜」などなど…。でも、自分からでた行為はすべて自分に属すものですよね。ただ、違った状況に左右されて出て来る「自分」が異なるということだけだと思うんです。つまり、「本当の自分」というのは「よく出て来る」自分でしかないってことなんじゃないか???

例えば、他人の頼みに対して、「いいよ」と快く引き受ける場合がある。他人は「いい人だ〜」と思っているかもしれない。あれが「…君の性格なんだ」といってくれる。しかし、実は心の中では、あんまりやりたくない自分と、やってやろうという自分が対決した結果、後者が勝って行為としてポンッと出たに過ぎない。そんな経験が重なっているだけだったりする。

だから、私は、「自分はかなりの偽善者???」と悩んだこともありました。でも、どんなに徳を積んでも結局いつものように「断固反対!」を唱える自分が心の中で運動を続けることに変わりがないんですな。どうしようもない。これは人間の「原罪」だ。だとしたら、問題となるのはOUTPUTされてくる結果が何かということだ。結果がプラスの行為なら偉い!マイナスの行為なら愚か!…というように判断すべきなんじゃないかと思い直しました。

むしろ、ポコポコと顔をもたげてくる色々な自分をありのまま認めて、これは嫌いな自分、好きな自分と括るだけに留めておく。そして、できることならば偉い他者を見、参考にして理想的な自分を創ってみる、というのは面白いのでは、と思ったわけなのです。勿論、理想が高すぎると疲れます。無理してはいけない。だけど、ほどよい理想を見つける努力はしたほうがいい。

…とまあ、能書きはこれぐらいにしておいて、以下では現在の「自分」てやつは何者なんだろうということを「私自身の目」で、みていきたいと思います。