■脳死移植──ありのままを伝えたい

 脳死で臓器を提供する人が再び現れた。

 臓器移植法の成立後初めてだった高知市の例から2カ月あまり、今回は東京の病院が舞台になった。

 前回は残念ながら、提供者のプライバシーに踏み込む、行き過ぎた報道がみられた。病院や厚生省の対応も混乱した。

 それを教訓としてのことだろう。これまでのところ、提供者が特定されないように配慮した報道が続いている。

 厚生省の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会の委員長を務める黒川清・東海大医学部長は「1回目と違い、病院も報道陣も浮足だっていない。前回の体験で、みんな大人になったのではないか」と語る。

 脳死移植で最大限守られなければならないのは、提供者の匿名性である。

 臓器移植は「命の贈り物」といわれる。感謝の気持ちを表そうにも、同じ重さで返しようがない。それほど貴重な贈り物なのだから、受け取る患者はしばしば大きな心理的負担にさいなまれる。

 米国では当初、贈り主の家族と受け手が交流するのは「患者の知る権利」を保障するうえでも当然、と考えられていた。

 ところが、贈った側は相手の生き方にまで干渉しがちとなり、受け手の側はそのことが重荷となる。双方が深刻な心のかっとうを抱える例が積み重なり、匿名性を原則とする方針が固まっていった。

 この流れは守るべきだ。しかし、この医療にまつわる情報の収集とその報道が、おろそかになってはならない。

 脳死の判定に誤りはなかったか。臓器の提供を無理強いされなかったか。

 そうした検証は、社会にとってきわめて大事である。

 31年前、札幌医大で実施された心臓移植手術には、後になってからきわめて重大な疑惑が浮かんだ。提供者は本当に脳死だったのか。受け手は心臓を取り換えねばならないほど重症だったのか。

 こうした疑惑を払しょくする確かな証拠は、結局、示されなかった。

 こんなことが2度と起きてはならない。だから、厚生省も日本移植学会も「透明性の確保が大事だ」と繰り返してきた。

 移植医療は、提供者なしでは成り立たない。提供するかしないかを、一人ひとりが主体的に判断するためにも、現場でのやりとりをありのままに知った方がいい。

 報道機関として悩ましいのは、真相に迫り、それを伝えるには、家族などから直接話を聞くのが欠かせないことである。

 家族をしつように追いかけるような取材は慎むべきだ。しかし、最大の配慮をしたうえで家族や医師、コーディネーターらから話を聞く努力を怠ってはならない。

 情報開示のあり方については、臓器移植専門委員会で議論している最中だ。

 どのような情報を開示するか。本人や家族の承諾は必要か。だれがだれに開示するのか。その場ですぐに開示するのか。どの論点にも多様な意見があろう。

 救命治療に手抜かりがなかったかどうか、を見守るには、時々刻々の情報開示が大切である。家族の気持ちを乱さずに、必要な情報を伝える方法はあるはずだ。

 匿名性を守りながら、透明性を確保するのは、たしかに綱渡りのようなものだ。けれども、その両立は可能だと考える。

 体験から教訓をくみ取る作業を続けつつ、より良い情報伝達のあり方を探っていかねばならない。


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