和歌山市で起きたカレー毒物混入事件の初公判が開かれた。
被告・弁護側は、交通事故を装うなどして保険金をだまし取ったことは大筋で認めたが、ヒ素がからむ事件については、起訴事実をすべて否認した。
検察、弁護が真っ向から対決する、厳しく、難しい裁判になるのは間違いない。
多くの地域住民を巻き込んだカレー事件の特徴は、林真須美被告と犯罪を結びつける直接の証拠がない点にある。被告は供述調書の作成を拒み、捜査当局は、最大の関心事だった動機や、犯行の具体的な手口を解明するには至らなかった。
このため検察側は冒頭陳述で、祭りをはさんだ1カ月余の被告の振る舞いや、周囲の動きを詳細に再現した。被告以外にヒ素を混入する可能性があった者はいないことを浮かび上がらせる手法をとった。
自白に頼る捜査が引き起こしてきた弊害を考えれば、このように状況証拠を積み重ねて犯罪を証明していこうという考えは、むしろ前向きに評価されていい。
要は、それらの証拠群が、合理的な疑いを残さずに犯罪を認定できるだけの証明力を備えているか、である。
社会や人々の意識の変化に伴い、供述が得られない事件はさらに増えていくと思われる。今回の裁判は、これからの捜査や刑事司法のありようを考えていくうえでも、重い意味をもつといえよう。
気がかりなのは、この先、公判がどんなペースで進み、どれくらいの期間で一審の判断が示されるか、ということだ。
事件を忘れたころに言い渡される判決は、裁判制度全体に対する国民の不信と失望を招きかねない。
もちろん、迅速さのためならば、審理は少々なおざりになってもいい、と言っているのではない。争うべき点は争い、必要な証拠調べには十分な時間をかける。それは当然であり、一部にある被告や弁護人の防御権を否定するような感情的な批判は、厳に慎まなければならない。
そのうえで、場合によっては、旧来の発想や慣行を見直すことも必要だろう。
証人尋問や検証のために費やすおおよその時間を計算して、長期的な審理計画を立てる。証拠の検討が追いつかないようであれば、欧米諸国の例を参考に、しばらく法廷を休んでまとまった時間をとり、その後、連続して開廷する。
そんな工夫があってもいいように思う。有利不利を問わず、検察側が手持ちの証拠を全面開示するのは言うまでもない。
さらに、複雑・困難な事件については、弁護費用や事務所経費の一部を公費で負担するなどして、弁護人が集中審理に応じられる環境を整えることも、将来の課題として検討していいのではないか。
被害者への目配りも忘れないようにしたい。傷ついたのは体だけではない。
事件の背景には、日ごろのごみの処理や祭りの準備をめぐる、真須美被告と近隣住民との感情的なもつれがあったのではないかと言われ、冒陳でも一部指摘された。
中には、何の落ち度もないのに「私がうまく付き合っていれば」と自らを責め、悩んでいる人もいるという。
事件のおぞましさ、心に刻まれたやみの深さには計り知れないものがある。
そうした苦しみにも思いをはせ、支援の手を差し伸べる。裁判の過程でもそのことへの配慮をおろそかにすべきではない。
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