■国旗・国歌法案――結局、強制にならないか

 日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案が衆院を通過した。

 提出されてから40日余り、反対意見を押し切っての採決だった。

 私たちは、ゆっくりと議論を重ね、無理のない形で落ち着かせていくことが賢明な選択だ、と主張してきた。国旗や国歌のような問題が、こうした対決的な雰囲気の中で決められるのは不幸なことだ。

 将来に禍根を残さぬためにも、今国会での成立を急ぐべきでないと思う。

 衆院の審議では、いくつもの重要な議論が中途半端なままで打ち切られている。

 第一は、法制化が社会に及ぼす直接、間接の影響である。

 法制化による学校現場への影響を問われた政府側は、「これまでの指導の扱いに変更はない」と、繰り返し答弁してきた。

 学校だけではなく、国や自治体、民間の場で掲揚や斉唱が義務化されることはないのかとの問いにも、「国として強制や義務化をすることはない」と答えている。

 ところが衆院審議の最終段階に至って、野中広務官房長官は、「公務員はわが国の法律に忠実であるべきだ」と強調した。

 法制化により、国公立学校教職員への指導が強化されることを事実上認めたといえる発言だ。

 改めて、社会での事実上の強制についても疑念が生じてくる。

 秋田市では先月、中学生たちの体育大会の開会式で、市体育協会の会長が「国旗掲揚、国歌斉唱のとき座っていた人は出ていっていただきたい」と発言した。

 広島市では、秋葉忠利市長が就任式で登降壇の際「日の丸」に一礼をしなかったことが、3月の市議会で「非礼だ」と問題にされた。

 「今後、どのような態度で臨むのか」と追及され、秋葉市長は「多くの市民の理解を得られるようにしたい」と答えた。

 日の丸・君が代の法制化が社会的強制の空気を生み、学校ばかりか社会全体に息苦しさが広がっていく危ぐはぬぐえない。

 それは、個人の自由や、社会に必要なのびやかさに、深くかかわる問題である。この点の議論が不十分なまま、立法に突き進むのは危険なことだ。

 「君が代」の解釈も、衆院での審議は中途半端に終わっている。

 政府は、「君」は象徴としての天皇を指し、「が」は所有の助詞、「代」は時間的概念だが転じて国も表す、と説明した。

 その通りなら、君が代の3文字は、つまるところ「天皇の国」と読むほかにない。国民主権との矛盾を突く質問に、正面から答える政府答弁は、ついになかった。

 歌詞の解釈にこだわるのはどうか、という向きもあるだろう。だが「日の丸・君が代」は、近隣諸国に対して行った侵略戦争のシンボルとなった歴史を持つ。

 戦後、天皇統治の大日本帝国憲法に代わって、国民主権の新憲法が生まれた。その精神を大事にしようとする限り、「君が代」の歌詞の意味を問い、歩んだ過去と向かい合うことを避けては通れない。

 今国会をしのいでも、つじつまの合わない事態はいつまでも続くことになる。

 民の代と習い君が代で卒業し

 「朝日川柳」に載ったみわみつるさんの一句は、憲法と「君が代」の歌詞の矛盾を端的に突いている。

 論議を深めるべき問題は多い。参院の独自性と良識に期待したい。


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