平成 12年 (2000) 1月25日[火] 赤口

主張 住民投票には無理がある

【吉野川可動堰】
 明治二十一年のこと、徳島県議会は国の進める吉野川改修事業の中止を求める決議を行った。水害に見舞われた村が「改修工事のせいだ」と抗議したのを受けたもので工事は中断された。その後、吉野川は氾濫(はんらん)を繰り返し、明治三十三年に地元紙は「県議会の中止建議は千秋の遺憾。中止していなかったならば、今や完全な治水策が行われ出水の惨害を免れたであろう」という趣旨の社説を掲げた。

 徳島県議会史に残る“悔恨”を昔話として片付けていいのだろうか。徳島市で行われた吉野川第十堰(ぜき)の可動堰化計画の賛否を問う住民投票の結果に、こうした思いを強くする。

 圧倒的反対の投票結果に「住民がいらないというものを一千億円もの税金を使ってつくる必要はない。責任はすべて地元で負えばいいことだ」と考える国民も少なくないはずだ。しかし、建設省の試算では老朽化した第十堰が決壊した際の氾濫危険地域は徳島市の一部のほか一市六町に及ぶ。上流の三町議会も建設促進を決議している。

 吉野川流域全体の住民の安全にかかわる問題を、一地域の住民投票で決めることには無理があろう。国民の生命、財産を守る「安全保障」は国にとって最大の責務であり、「治水」はその重要な柱である。たとえ百五十年に一度の災害を想定したものであっても可能性がある以上、十分な備えをするのが河川管理者としての義務である。

 これまでも新潟県巻町の原発立地や沖縄県の米軍基地をめぐる住民投票など国策の根幹にかかわる問題が問われてきたが、住民投票はその結果の責任が地域内にとどまる問題に限定すべきであることを、改めて指摘したい。

 現在、地方制度調査会で法的根拠のない住民投票の結果に法的拘束力を持たせる一方で、対象となるテーマを限定するといった検討が進んでいる。住民投票による行政の混乱を回避し、間接民主主義の補完としての役割や機能を高めるためにも法整備が急がれる。

 今回の住民投票は、公共事業のあり方にも一石を投じた。公共投資を真に必要な社会基盤整備に重点投入し、一定期間ごとに有効性を見直すというルールの確立は急務である。河川改修についても新たな河川法に「住民の意思反映」が明記された。自然との共生を基本に、必要な治水事業をどう進めるか、地域住民にとってもより責任ある対応が求められる。

 住民投票の増加の背景に、国会や地方議会の怠慢があることはいうまでもない。国会の場で、吉野川可動堰に責任ある回答を示すべきだ。

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