平成 11年 (1999) 3月24日[水] 友引

主張 二十年の実績におごるな

【原子力安全白書】
 原子力船「むつ」の放射線漏れをきっかけに発足した原子力安全委員会が、国会に報告する「原子力安全委員会20年」と題する平成十年版白書が二十三日の閣議で了承された。

 「むつ」の放射線漏れは、いまから思えばきわめて軽微なもので、およそ“事故”と呼べないトラブルだったが、航海前の実験当事者の自信たっぷりな高度技術の説明と、あまりにも単純な放射線漏れが生じたメカニズムのギャップが国民の原子力に対する不安感を一気に増大させた。

 当時の科学技術政務次官が「実験にはトラブルがつきものだ」といったり(真理ではあるが当時は失言)、マスコミが無知から「放射線漏れ」を「放射能漏れ」と報道するなどの混乱が国民の不信を招く結果となった。

 さらに「むつ」の放射線漏れの修理にあたっては、母港のむつ港をはじめ日本各地の港が入寄港を拒否、日本初の原子力船は一転海上をさまよう放浪船になってしまった。一方、高額の補償金と引き換えに入港を認めた港も、放射線汚染という風評による魚介類の価格低落に対する“風評被害補償”まで要求、地元にとっては金になる“宝船”という皮肉な一面もあった。

 原子力発電所立地をめぐる地元合意の困難と根強い不安感はこうした「むつ」のトラブルの影響がいまだに尾を引いているといえるが、これをきっかけに原子力行政をになう原子力委員会(委員長・科学技術庁長官)から安全確保に関する機能を分離独立させて独自の権限で安全性をチェックする原子力安全委員会を発足させたことは“けがの功名”ということもできる。

 この二十年間でわが国では、高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れや、わが国初の緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した美浜原子力発電所の蒸気発生器伝導管破断事故、動燃東海事業所の火災・爆発事故などのトラブルはあったものの、IAEA(国際原子力機関)の事故評価で「事故」と認定される尺度「4」以上の事故は皆無である。

 一方、安全委員会になって審査し設置を許可した原子炉は二十七基にのぼり、この間に発生したトラブルは一基の年当たり一・三件から〇・三件、つまり約四分の一に減少している。この実績は国際的にも高い水準であり安全審査の妥当性を物語っている。

 しかし、「これらの実績は明日の無事故を約束するものではなく、今後とも不断の努力が必要」と白書もいうように、原子力にたずさわる関係者にはさらなる安全文化(セーフティーカルチャー)の徹底を望みたい。