平成 11年 (1999) 5月 7日[金] 赤口

主張 子は社会の宝、と考えよう

【幼児連れ去り事件】
 何とも痛ましい事件が起きた。群馬県館林市の住宅展示場前に止めてあった車が、幼い子供二人を乗せたまま盗まれ、一歳五カ月の男児がダムの中で遺体で見つかった。犯人の三十歳の男は「途中で子供が乗っているのに気づき、降ろした」と話していたが、ジャマになった男児をダムに突き落とした疑いも出てきている。

 三十歳にもなって、「車がほしい」だけの理由で盗み、乗っていた子供がジャマだと思えば簡単に捨ててしまう。その犯人の幼稚さ、非道さには強い憤りを抱かざるをえない。遺体発見が新聞で報道されたのが「こどもの日」だったから、なおさらである。

 そうした大人になり切れない者の増加も問題だが、もうひとつ指摘しておかねばならないことがある。それは「社会全体で子供を大切にし、守っていく」という精神が希薄になっているのではないか、ということだ。

 日本では、飢饉などでの子供の身売りなど一時期のできごとが誇張されている面もあるが、基本的には子供を大事にする社会だった。わざわざ、女の子のための「桃の節句」、男の子の「端午の節句」という子供の成長を願う日が設けられているのもその表れであり、こういう国はあまりない。

 その背景には「七つまでは神のうち」という言葉が残っているように、子供は天からの授かりもの、それも社会の授かりものとの考えが強かったのである。だから、子供は社会全体で守り、育てた。他人の子供もわけへだてなくかわいがり、また遠慮なくしかるというのは、日本人の美徳といっていい伝統だった。

 そうした考えが、現代的な個人主義や地域共同体の崩壊によって急速に薄れた結果、平気で他人の子供を虐待したり、命を奪うという事件が多くなってきているのである。

 このことは、子供を持つ親に対してもいえる。今回の事件で、両親が展示住宅を見るわずかな時間、子供を車の中に残したことを責めることは酷だろうが、両親がパチンコに夢中になり、車に残した幼児が暑さなどで死亡するという事件が後を絶たない。最近では夫婦で食事の間、わが子をコインロッカーに入れておくという前代未聞の事件まであった。

 親にとって子供が大事な宝物であることは永遠の真理である。しかし、同時に「子供は授かりものであり、社会にとっても宝である」という考えをもう一度よみがえらせたい。そうすることで、子供たちを大人が身勝手に扱うこともなくなるし、悲惨な事件を防ぐことができるのである。