【科学研究費】
文部省の学術審議会は、日本の大学の国際的競争力を高めるため、米国などで行われている“オーバーヘッド制”の導入や、研究結果の第三者評価などを盛り込んだ中間報告をまとめた。意欲的な研究者を擁する大学は国や民間からの科学研究費に恵まれ、そうでない大学は脱落する“大競争時代”を迎えたのである。
オーバーヘッド制は、大学の研究グループが民間企業から科学研究費を受ける場合、七割程度を研究費にあて、残りを大学の研究施設の減価償却費や維持管理費などに使うシステムだ。優秀な研究者を抱える大学ほど予算が潤沢になり、米国や英国では、大学間の競争を刺激するための一般的な配分方法となっている。
日本では大学の学長が名誉職化しているきらいがあるが、米国などの大学学長が優れた研究者やスポンサーを求め、世界中を駆けずり回るのもこのためである。学術審議会がそのオーバーヘッド制の導入を提案したことは、こうした競争原理にうとい日本の大学にとってショック療法となるはずだ。
学術審は、文部省が基礎研究部門に支出する科学研究費補助金(科研費)についても、大学の自己評価・自己点検だけでなく、学外の第三者評価を求めた。米国では、大学の研究者が日本の科研費にあたるNIH(米国立衛生研究所)などからの公的資金を受け取る場合、その研究方法と目標を他大学の専門家が匿名で審査する「ブラインド・レター」などによって採否が決まる。日本には、これほど厳しい評価システムはなかった。
米国では、ノーベル賞受賞者でさえも、高年齢化して研究意欲や独創性が失われると、ハーバード大やMIT(マサチューセッツ工科大)などの一流大学から追われるという。しかし、日本では、教育・研究にほとんど実績のない教授でも、定年までは給与や講座ごとの校費が保障される終身雇用・年功序列制が、いまも大学社会を支配している。
こうした日本型の“温情・相互扶助”システムには、伝統的な雇用環境のよさもある。しかし、日本の大学はそれに甘え過ぎてきたのではないか。
大学紛争が激しかった昭和四十年代、過激派の学生や助手・講師らは「産学協同粉砕」を叫んだ。いまは、その世代が教授・助教授になっている。民間企業から見ると、その後も自分の研究に自信がない学者は、いまなお「産学協同」に反対し続けているという。そうした無気力な研究者は、大学にいられなくなる時代となったことを自覚すべきである。
主張 自制とマナーを求めたい
【禁煙デー】
三十一日は世界禁煙デーだが、最近は若い女性や高校生などの喫煙率が上昇している。未成年者の喫煙は法律で禁じられており、明日の日本を担う世代というだけでなく、次の世代にも影響を及ぼしかねない。本人の自覚と自制はもとより、周囲の目配りと指導が必要だ。
厚生省の調査(平成九年)によると、男性の喫煙率は五二・七%、女性は一一・六%である。男女とも二十代の上昇が目立ち、女性は二割を超えた。とくに妊婦の喫煙は、早産、低体重児など、母子双方の健康に対する影響が懸念されている。出産後も乳児の健康に対する配慮が必要だ。配偶者の協力も求められる。
また、国立公衆衛生院の調査(平成八年)によると、中学・高校生の喫煙率が上昇している。とくに高校三年で過去一カ月以内に喫煙したことのある男子生徒は三七%に達した。
未成年者へのたばこ販売は禁止されている。しかし、白昼堂々と買っているのが実情で、家庭や学校の教育と指導が甘すぎるといえよう。女子生徒はもとより、男子生徒も生活習慣病や次世代へ影響を及ぼす可能性に留意すべきではないか。
また、最近は病院の禁煙外来が増え、医師による指導が行われている。禁煙ガムや禁煙パッチも登場した。ところが、使用されるニコチンが毒劇物に指定されているため、医師の要指示薬となっている。薬店で手軽に買えるよう規制緩和を検討すべきだろう。
もとより、大人の喫煙は個人の自由である。ただし、他人に迷惑をかけないことが最低限の責任だ。
受動喫煙による被害については、喫煙者の多くがようやく認識しつつある。交通機関、公共施設、会議室の禁煙化が進み、オフィスの分煙、家庭の“ホタル族”も定着してきた。
愛煙家は喫煙のスペースも時間も次第に狭められている。その結果、歩行中の喫煙が増えてきた。大人がたばこを指に挟んで前後に振ると、子供の顔の高さに当たる。とくに問題なのは、火を消さずにポイと捨てる不心得者が少なくないことだ。
三十一都道府県の三百九十市区町村(平成八年度)がポイ捨て禁止条例を制定しているものの、摘発した例は厚生省の担当者も知らないという。悪質なケースは摘発すべきではないか。
地下鉄車内で喫煙を注意され、アイスピックで相手の胸を刺した東京の事件は論外にしても、携帯用の灰皿を持ち、吸う時間と場所をわきまえるのは常識以前の問題だ。喫煙者のマナーが、ますます厳しく問われている。