平成 11年 (1999) 6月 3日[木] 大安

主張 先生も見習ったらどうか

【学習塾の認知】
 文部省の生涯学習審議会は、偏差値競争をあおるものとして批判してきた学習塾の存在を認知する方向を打ち出した。学校側がこれに安住し、さらに教育機能を失うことが心配だ。

 学習塾は、主として私立の中学・高校を目指す小中学生が通ってきたが、最近では補習機能も果たしているといわれる。昭和五十年代以降、首都圏などで公立高校の学力が低下した間げきをぬって急成長した。

 これまでの受験をめぐる論議では、この学習塾が絶えずヤリ玉にあげられた。平成二年から三年の第十四期中央教育審議会では、塾は子供たちの個性をつぶす“死の商人”と非難された。平成五年、文部省が業者テストを禁止した際も、塾批判が背景にあった。

 だが、その後「受験競争が緩和された」という話は聞かない。公私間格差は広がり、塾や私学に通わせる余裕のある家庭の子供たち同士の競争はし烈になり、そうでない家庭の子供は落ちこぼれる可能性が増している。

 文部省も教育関係の各種審議会の委員らも、塾を批判するだけで、塾がここまで繁栄してきた根本原因を探ろうとしてこなかったからだ。

 それは何か。公教育が子供に学力を身につけさせるという最大の機能を失いつつあることだ。公立の小中学校でまじめに勉強しておれば、それだけ学力が向上し、希望の高校や大学に進学できるのであれば、高い金を払って塾や私学に通わせる必要はない。

 学校社会は勤務評定が形がい化していることもあって、意欲や力量のない先生でもいられる。塾の先生はそうはいかない。進学実績があがらないと、給料を減らされたり、職を失ったりしかねない。学校の先生も、この競争社会に身を置く塾の先生たちを少しは見習ったらどうか。

 塾が栄える原因は家庭側にもある。塾の先生によっては、受験技術だけでなく、自分の失敗談や人生哲学も話し、子供たちが喜んで通っているという。だが、どれだけ塾がおもしろくても、その授業が深夜にまで及ぶのは行き過ぎである。また親が塾に甘え過ぎていた面もある。子供の情操や道徳観、正義感は、家族の団らんの中ではぐくまれるものなのである。

 口では「個性重視」「ゆとり」を唱える文部官僚や各自治体の教育委員、学校の先生の多くは、自分たちの子女を塾や私学に通わせているのが実情である。建前と本音を一致させよ−とまではいわないが、塾の是非論議に時間を費やすだけでなく、肝心の学校教育の改革に、もう少し真剣に取り組んでほしいものだ。